【第3章】旅の目的
「ここまで来れば、もういいだろう。」
カンサは暗い森の中で、周囲を見渡しながらそう言った。辺りはしんと静まり返り、梟の鳴き声と風で木の葉が揺れる音以外には何も聞こえなかった。
「何だったんだ?あいつ…。」
眉間にしわを寄せ、首を傾げながらカンサは呟くと、左の腰に差した刀に目を向けた。この武器の由来をカンサ自身も知らない。古い剣であることは確かだが、現代でどれ程の価値があるのかも分からなかった。鋭い切れ味と、計算された反りの角度など、優れた武器ではあるが、現代ではもっと利便性の高い、高性能な武器はいくつもある。
「まさか、コレに目を付けられるとは思わなかった…。俺の持ち物の中で、コレが目立ったというだけなんだろうけどな。」
全身真っ黒なカンサの装いの中で、朱漆の鞘は目立っていた。軍人であった時には、目立つ色の装備品は難色を示されたが、カンサは片時もこの刀を身から離したことは無かった。統一された装備であることは軍として徹底されていたが、その規律を掻い潜る為にカンサは血の滲む努力の末に、抜きん出た剣技や武術を身に着け、戦闘能力で並び立つものはいない程になった。
地上の情報を手に入れるには、軍の中でも上層部に入り込まなければならない為、カンサは死に物狂いで功績を上げ、異例の早さで出世を遂げた。25歳という若さで少佐の地位に登り詰め、常人では知り得ない地上の情報を手に入れることが出来たのだ。しかし、少佐ほどの地位では得られる情報も限られており、大半の部分は謎に包まれていた。何を意図してなのか、軍の中でもフェイク情報が紛れており、真偽が錯綜している状態の中、手探りで地上へ出る計画を進めるしかなかった。
『ここ数年、地下の人間が地上調査に出る事は無かった。以前には頻繁に行き来があったらしいが、何故突然往来が途切れたんだ?』
カンサは視線を月へと移した。長年夢見た地上に、いま自分は立つことが出来ている。地上への道は余りにも朧げで、本当に実在するのかと疑った程だった。これまでの道のりを振り返りながら、カンサは決意を込めた声で言った。
「塔へ行けば、全てがハッキリする。」
「そりゃどうだろうな。」
声がした方へ、カンサは恐る恐る振り返った。見ると、振り切ったはずの紅毛の男がニヤニヤと笑いながら、腕を組んで木に寄りかかっている。
「いつからそこに…。」
「あ?ずっとお前の後ろにいたぞ。お前が黄昏れてる時からな。」
「…お前は、一体何なんだ?」
「レイだっつってんだろ、何回言わせんだ。」
「俺に一体何の用がある?」
「お前、記憶喪失でも患ってんのか?腰のもんを寄こせって言ってんだろ。」
「何度も言っているのはこちらの方だ、刀は渡せない。頼むから消えてくれ。」
「お前はここの情報が欲しいんじゃなかったか?」
カンサはうんざりした表情でレイの顔を一瞥すると、すぐに目をそらしながら言った。
「別にお前に聞かなくても、自力で探っていく。最初からその予定だ。」
「成る程、確かにこっちの世界については、ウロウロしてりゃいくらか情報は得られるだろうが、お前の過去と紐付いてる情報には行き着かねぇだろうな。」
カンサは驚きで一瞬目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻し、苦笑いを浮かべてレイに言った。
「俺の過去だと?鎌を掛けたんだろうが、下手なやり方だな。俺の過去や素性について知っているのは、ごく限られた人間だけだ。俺に揺さぶりを掛けて何を企んでいる?誰の命令で俺に接触してきたんだ?」
「俺が誰かの命令で動くことなんか、あるわけねぇだろ。さっきも言っていたが、何でも塔のせいにしときゃいいってもんじゃねぇんだよ。」
「…お前は、塔について何か知っているのか?」
カンサの質問に、レイはニヤリと笑って顎を上げると、カンサを見下ろしながら言った。
「言ったはずだ。俺が知らねぇことは、この世に存在しねぇってな。」
「それなら、教えてくれ。塔は何処にあって、誰がその中にいる?人を殺戮する目的は何だ?標的の選出はランダムなのか、それとも何かルールがあるのか?」
カンサは疑いながらも見定めるような目つきで、レイを見つめながら言った。
「なんで俺が、無償でお前に情報を提供してやらなきゃならねぇんだ?金もいらねぇ、キャリアもいらねぇ、将来も命もいらねぇお前が、いま必死に欲しがってんのは情報だ。その理由は簡単だ、ここに来た目的を達成させるために、お前には情報が必要だからだ。その目的のためだけに、地面の下でせっせと準備を進めてきた、そうだろ?」
「……。」
カンサは驚きの余り言葉を失っていた。目の前の男は確かに何かを知っている。この世の全てとはいかないまでも、確実にこれまで誰にも明かさなかった自分のことについて、何故この男が知っているのかカンサには分からなかった。
「……そうだ、情報が必要だ…。……それでも…お前に刀は渡せない。」
カンサは刀に目を落とし、強く鞘を握りしめた。レイはその様子を見ると、穏やかな笑みを浮かべた。そしてフンッと大きく鼻から息を吐くと、からかうようにカンサに言った。
「いらねぇよ。」
「え?」
カンサは驚いて、レイの方へ顔を向けた。
「その代わり、お前が何しに塔へ行くのか教えろ。」
「塔へ向かう理由だと?塔が人間に対して何をしているか、お前も知っているだろう?」
「あぁ、知ってる。それで?」
「それで?塔を倒す事は、全人類の希望だ。塔へ向かうのは当たり前だろう。」
「ハハッ、おいおい。下手な嘘で俺を欺いても、お前が損するだけだぞ?お前が俺を欺くなら、俺もお前を欺くからだ。」
まるであらかじめ答えを知っていて、あえて問いを投げてきたようだった。カンサの心を見透かすように、澄んだ琥珀色の瞳がカンサを捕らえていた。
「……お前は、俺のことについて詳しいようだし、この世の全てを知っていると言っているんだ。俺が言わなくても分かっているんじゃないのか?」
「俺が分かってたら、言わなくてもいいのか?」
「すでに相手が知っているのなら、わざわざ言う必要はないだろう。無駄なことだ。」
「無駄なことをやってんのはてめぇの方だ、伝えるってことの役割を、お前は“情報の共有”だと思ってるみてぇだが、一番重要なのはソコじゃねぇ。相手が情報を知っていようがいまいが、想いを相手に伝えるってことが一番肝心なことなんだよ。」
「想いを伝えるだと?」
カンサはフッと鼻で笑うと、蔑むような目をレイに向けて言った。
「意外とエモーショナルな奴だったんだな。感情論は生産性がない、無駄な議論だ。お前とこのまま話を続けても意味はない。悪いが消えてくれ。お前が何を知っているか知らないが、それが正しい情報だという保証もない。俺にとってメリットが無いんだよ。」
「同じことをまた言わせんのか?生産性だの無駄だの、口では効率性重視みてぇなことを言ってるが、お前がバカにしてるエモーショナルや感情論を無視すんなら、そもそもお前がここに来た理由が破綻すんじゃねぇのか?さっきから一番無駄なことをほざいてんのはてめぇなんだよ。」
「……俺の目的は、塔を破壊することだ。感情論を無視することが、何故その目的を破綻させることになるんだ?」
「だから、そりゃ何の為だ?世のため人のためか?人類の平和のためか?論理派気取りの偽善者野郎。私情にそれらしい理由をくっつけて、自分の行動に正当性を持たせようとしてるだけだろうが。」
「………。」
カンサは絶句し、レイを見つめたまま固まってしまった。自分が塔へ向かう理由は、人類の平和を願ってというような善意の気持ちではない。ドロドロとした血生臭い感情から生まれた、復讐の気持ちからだった。それを何故、会って間もないこの男から見透かされ、指摘されたのか、カンサは混乱の中で何も言い返すことが出来なかった。
戸惑いと困惑が滲んだ顔を、カンサは地面へと向けた。うなだれたままピクリとも動かなくなったカンサに対し、レイは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「大義名分がなけりゃ、行動を起こすなと散々言われて来たんだろうが、そりゃ多くの人間を巻き込む場合に必要とされる“口実”だ。だが、お前はひとりでここにいる。本来は人類全員が向き合わなきゃならねぇ問題に、お前ひとりが挑んでるんじゃねぇのか?そんな状況で、協力してもねぇ奴ら全員が納得するような大義が必要か?お前はお前自身の大義を示せ。」
レイが言っている言葉の意味を、カンサは納得できるほどに理解したわけではなかった。目の前の男が何を言っているのか、何の意図があるのか分からなかったが、その言葉は確実にカンサの心の奥底を明るくし、軽くしたことだけがカンサ自身に伝わっていた。自分の心の中ではハッキリしている理由であったが、幼い頃から必死に隠し通してきた気持ちであり、決して誰にも明かしてはならないと自分に課してきた言葉であったために、カンサはその気持ちを言葉にして口に出すまでに、随分時間が掛かった。しかし、それを感じ取っていたのか、目の前の紅毛の男は微動だにせず、真っ直ぐにカンサを見つめたまま長い沈黙を守ってカンサの言葉を待っていた。
ようやくカンサが顔を上げ、パクパクと何度も言葉にしようとしては、うまく声が出せない様子を繰り返し、ようやく絞り出すような声でレイに告げた。
「…俺が…俺が塔へ向かうのは、……母の…母の復讐の為だ。」




