【第2章】謎の男
見ず知らずの男に、何故本名を明かしてしまったのか分からず、カンサは困惑していた。相手の正体が分からない状態で、自分の情報を相手に渡してしまうことは、非常に危険な行為であることは充分分かっていたはずだった。
目の前の男は腕を組み、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべている。カンサは自分の心境を悟られないように、平静を装って男に質問した。
「次はそっちの番だ、名前を教えてくれ。」
紅毛の男は両眉と両肩を少し上げると、カンサに背中を向けながら言った。
「好きに呼べよ。」
「はっ?!」
カンサの反応に構わず、背を向けて歩き始める男に慌てて走り寄り、カンサは男の前に立ちはだかった。
「ちょっと待て!俺は名前を教えただろ!お前の名前を言え!お前は一体何者だ?!」
「お前が一方的に質問してくるから、自己紹介は自分からするもんだと教えてやっただけで、俺に答える義務はねぇだろ。どけよ、ハギワラ・カンサ。」
「そうはいかない!俺の名前を知っている奴を野放しにするわけにはいかないんだ。それに、お前がもし地上の人間なら、この世界のことを教えて欲しい。」
「だから、俺には知ったことじゃねぇし、答える義務もねぇんだよ。さっきから一方的に、失礼極まりねぇ奴だな。」
「お前は、俺に用があるから近付いて来たんじゃないのか?何の為に俺の目の前に現れたんだ。その目的を言わない限り、俺はお前の前からどかない!」
真剣な眼差しでそう言うカンサに、紅毛の男はニヤリと笑った。
「そうか、なら答えてやるよ。お前のその腰にぶら下げてるもんを俺によこすんならな。」
男はそう言って、カンサが腰に差している赤漆の刀を指差した。カンサはちらりと黒い瞳だけを刀の方に向け、左手で鍔と鞘を押さえた。カチリと冷たく鍔が鳴った。
「…それは出来ない。そもそも、お前はこれが何か知っているのか?」
「武器だろ?随分年代もののようだな。プレミアがつくか、ガラクタか、どっちにしろいくらかの金にはなんだろう。」
「金が欲しいならくれてやる。だがこれをやるわけにはいかない。金と引き換えに、地上とお前の情報を言え。」
「嫌だね。俺はそれをよこせっつってんだ。金じゃねぇんだよ。」
「……矛盾しているだろ。いくらかでも金になるだろうから寄こせと、お前はさっき言ったはずだ。」
「あぁ、そう言った。」
「なら、欲しいのは金だろ!金をやると言っているんだ、売る手間が省けるだろう!」
「だから金じゃねぇっつってんだろ、お前イカれてんのか。」
カンサは全身の血が頭に登ってくるのを感じた。意味不明の会話に、束の間言葉を失っていたが、何とか冷静さを取り戻し、出来る限り落ち着いた声色で男に言った。
「お前は何を言っているんだ?金ならやることが出来るが、この腰のものをお前にやるわけにはいかない。」
「そうか、なら交渉決裂だ。俺はお前に用はねぇ。」
「お前は刀が目的で俺に近づいて来たのか?だがこの刀を売る気なんだろう?」
「手に入れたもんを、どうしようが俺の勝手だろ。」
「………。」
『正気の人間ではない』
カンサは紅毛の男に対し、そう結論付けた。しかし言葉が話せる以上、後から追って来た軍の人間に自分のことを話す可能性がある。カンサはこの男を生かしておくわけにはいかないと考え始めていた。
「お前にとって、そいつは何だ?ハギワラ・カンサ。」
「え?」
カンサが顔を上げて男の方へ顔を向けると、男は琥珀色の瞳を真っ直ぐにカンサに向けていた。雲間から差した月の光が、まるで金色のように輝かせていた。
「お前が俺にそいつをよこせば、お前が知りたい情報はくれてやるって言ってんだ。だが、お前がそれを拒むんなら、お前にとってそいつがどういうもんなのか答えろ。そうすれば、いくらかお前の質問に答えてやるよ。」
「……どういう理屈なんだ?それは…。」
「お前が何の理屈を理解してるってんだ?賢ぶったこと言ってんじゃねぇよ。どうすんだ?答えんのか?答えねぇのか?」
「………。」
カンサは困惑しながら、もう一度刀に目を向けた。暗闇の中で、月明かりに照らされた赤漆の鞘がキラキラと輝いていた。
『俺にとって、この刀が何か?』
「この刀は…俺にとって自分の過去を辿るための、唯一の手がかりだ。俺が地上で産まれたことの証明であり、俺が何者であるかの証拠に成り得る、……大切なものなんだ。」
「ふぅ〜ん。」
男はそう言って手を頭の後ろで組みながら、ニヤニヤと笑いを浮かべてカンサを見下ろしていた。
「……答えたぞ。今度こそ答えろ、お前は何者だ?」
「俺はレイだ。」
「レイ…ラストネームは何だ?」
「ラストネーム?何だそりゃ?レイはレイだ。」
『地上ではラストネームという文化が無いのか?そう言えば、昔は個人名のみで名字というものは後になって出来た制度だと聞いたことがある。地上ではまだそこまでの制度が成り立っていないということなのか…。』
「レイ、お前は地上に住んでいるのか?」
「俺は地上に限らず、何処にでも存在する。」
「……何を言っているんだ?」
「それはこっちのセリフだ。俺はお前の質問に答えているだけだ。嫌ならやめるぜ?」
「……分かった。とりあえず、地上のことは詳しいんだな?」
「俺が知らねぇことは、この世に存在しねぇ。」
「……。」
『この男はやはり何処かおかしい…。会話が成立していない。』
カンサはこの男をこのまま放置しても、問題ないのではないかという風に思えてきた。例えこの男が後に軍の連中に遭遇しても、この調子で会話を繰り返すのなら、軍の人間も相手にしないだろうと考えつくと、無視して先に進もうと決断した。
「そうか、どうもありがとう。俺は先を急ぐので、情報はそれだけで結構だ。」
カンサはそう言うとくるりと方向転換し、レイに背を向けて歩き始めた。何歩か歩いた後、カンサは怪訝な顔で振り返り、自分の真後ろに立つ男に向かって言った。
「……俺に、何か用があるのか?」
「いいや、俺も方向が同じなだけだ。」
「……。」
訝りながらもカンサはゆっくりと向き直り、再び歩き始めた。しばらく歩いても、レイという男はピッタリとカンサの後ろをついて来る。カンサは大きな溜息をつくと、再び振り返ってレイに言った。
「お前一体どういうつもりだ?!やはり軍の手先なんだろう!」
「なに興奮してんだ?方向が同じだって言ってんだろ。何の手先だと思ってるか知らねぇが、尾行ならもっと気付かれねぇようにするもんなんじゃねぇのか?自意識過剰なんだよお前。」
「……。」
確かに軍の手先で、自分の動向を探ることが目的なら、こんなあからさまなやり方はしないだろうとカンサは思った。そもそも自分の前に姿を現すこと自体、リスクでありメリットがない。しかし、カンサは考えれば考える程、目の前の男が一体何を考えているのかが分からなくなっていた。
「そうか、それなら俺の先を行ってくれ。後ろを歩かれるのが好きじゃないんだ。」
「はぁ?何で俺がお前の好みに合わせなきゃならねぇんだよ。俺は俺の歩調で歩きたいんだよ。」
「……分かった。」
カンサはそう言うと、ストンとその場で腰を下ろした。ガンホルダーから銃を抜き取り、ハンカチを取り出して手入れを始めた。カンサとレイの間に、しばらくの沈黙が流れた。
「よっこらせっと。」
レイはそう言って、カンサの横に腰を下ろした。
「…おい、ふざけてるのか?お前の方向はあっちだろ!さっさと行けよ!」
「俺がどこに行くかは俺の勝手だろ。何でお前から指図されなきゃならねぇんだ。」
カンサは我慢の限界に達し、勢いよく立ち上がると銃口をレイの眉間に向けて大声で言った。
「俺はキチガイの相手をしている暇はないんだ!!頭を撃ち抜かれたくなかったら、さっさと俺の目の前から消え失せろ!!」
レイは事も無げにカンサの顔を見上げると、座ったままの姿勢で腰より後ろの方で地面に両手をつき、あぐらにしていた両足を投げ出してニヤニヤと笑いながら言った。
「自分のことは棚に上げて、人をキチガイ扱いか。打ちたきゃ打てよ。無防備なヤツの頭を打ち抜くヤツの方が、よっぽどキチガイの所業だと俺は思うがな。」
「………。」
カンサは憎々しげにレイの顔を睨みつけると、瞬時に方向を変えて全速力で走り出した。森の中を闇雲に走り、月の光が届かないような深い森へと飛び込んだ。




