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第2話 荒野の郷勇くずれ

荷馬車が止まったのは、日がすっかり沈み、辺りが藍色の闇に沈んだ頃だった。


蓮は縛られたまま荷台から引きずり下ろされ、地面に転がされた。土埃を吸い込んで咳き込む蓮を、男たちは面白がるように見下ろしている。


「起きろ。着いたぞ」


顔を上げると、そこは荒野の中に唐突に現れた小さな集落の跡だった。もとは村だったのだろう、崩れかけた土塀に囲まれた敷地の中に、いくつもの粗末な小屋が並んでいる。かがり火が焚かれ、その周りに、蓮を連れてきた者たちと同じような格好をした男が二十人あまり、屯していた。


「頭領、獲物を捕まえてきました」


蓮を引っ立ててきた男の一人が、そう声を上げる。かがり火の中心近くに座っていた、恰幅のいい中年の男が、億劫そうに顔を上げた。頬に古い傷跡があり、腰には他の者よりも上等な拳銃を下げている。おそらく、この集団の頭領なのだろう。


「見ない顔だな。どこの学生だ、その恰好は」


蓮の詰襟の学生服を見て、頭領は片眉を上げた。


「……上海の、東亜同文書院という学校の者です」


正直に答えていいものか迷いながらも、蓮はとりあえず事実を口にした。嘘をつく余裕も、頭も回らなかった。


「上海だと? こんな辺鄙な場所に、何をしに来た」


「それが、俺にも……よく分からないんです。気づいたら、この荒野に一人で倒れていて」


我ながら要領を得ない説明だと思ったが、事実そうとしか言いようがなかった。頭領は疑わしげに目を細めたが、やがて興味を失ったように手を振った。


「まあいい。金にはならなそうだが、学生ということは、どこかの家の坊ちゃんかもしれん。身代金くらいは取れるだろう。おい、適当な小屋に放り込んでおけ」


「はっ」


蓮は再び引きずられるようにして、集落の隅にある小さな小屋に押し込まれた。土壁と藁葺きの、風雨をようやくしのげる程度の粗末な建物だ。縛られた縄はそのままに、扉の外には見張りが一人立てられた。


***


暗い小屋の中で、蓮は膝を抱えて座り込んだ。


(郷勇くずれ、か……)


頭領の様子や、集団の統率されていない振る舞いから、蓮は少しずつこの状況を理解していった。もともとは村を守るための自衛団だったのだろう。しかし、統率者を失ったか、あるいは食い詰めたかで、いまや旅人や近隣の村を襲う匪賊まがいの集団に成り果てている。中華民国のこの時代、こうした武装集団は珍しくない――少なくとも、蓮が東亜同文書院で学んだ限りでは、そのはずだった。


だが、やはりどこかが違う。この荒野の地理も、頭領が口にした地名も、蓮の記憶にある一九一七年前後の中華民国の情勢と、微妙に食い違っている気がする。まるで、よく知っているはずの地図の上に、見知らぬ模様が描き足されているような、そんな居心地の悪い違和感だった。


(考えても仕方ない。今は、この状況をどうにかしないと)


蓮は自分の置かれた立場を、できる限り冷静に整理しようとした。


身代金目当てということは、すぐに命を奪われる可能性は低い。だが、それも交渉次第だ。もし家族の連絡先も、故郷の住所も分からないと知れば、価値のない人質として、あっさり切り捨てられるかもしれない。


そして何より――蓮には、剣も拳も使えない。走って逃げることさえ、この足の縄がある限りは不可能だ。


(俺にできることなんて、本当に何もないのか……)


膝を抱える腕に、思わず力がこもる。悔しさと情けなさが、じわりと胸の奥から込み上げてきた。


***


夜が更けるにつれ、集落のざわめきも少しずつ静まっていった。見張りの男は、退屈しのぎに手に入れたらしい酒を、こっそりと呷り始めている。


蓮は、縛られた手首を動かしながら、小屋の中を見渡した。使われなくなって久しいのだろう、農具らしきものがいくつか、隅に打ち捨てられている。錆びた鋤の先、朽ちかけた竹籠、そして――刃こぼれした、さび付いた匕首が一本。


(あれは……)


なぜかその匕首に、蓮の目は吸い寄せられた。理由は自分でも分からない。ただ、上海の骨董市で、あの青銅の分銅を手にしたときと、似たような予感がした。


外では、見張りの男の呂律が怪しくなり始めている。酒精が回っているのだろう、体が壁にもたれかかり、まぶたが落ちかけていた。


(今のうちに……いや、待て。手も足も縛られたままだ。逃げられるわけがない)


冷静に考えれば、そう結論するしかなかった。だが、蓮の視線は、匕首から離れなかった。


(あの刃、焼き入れが甘い。刃角も浅い。切れ味なんて、ほとんど期待できない代物のはずだ。でも――)


胸の奥で、何かがざわめいている。上海の骨董市で分銅に触れた瞬間に感じた、あの「噛み合う」感覚。あれは、いったい何だったのか。もし、あれがただの偶然ではないのだとしたら。


蓮は、縛られた手を懸命に伸ばし、少しずつ体を引きずるようにして、匕首の方へと近づいていった。


外の見張りの男が、小さくいびきをかき始める。かがり火の炎が、ぱちりと爆ぜる音だけが、静かな夜に響いていた。


蓮の指先が、ようやく匕首の柄に触れる。


錆びた鉄の、ひやりとした感触が伝わってきた。


---


(第3話「理解という力」へ続く)


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