第四話
時間が再び動きだす、竹口の高々と上げられていた右手はゆっくりと下がっていった。
「おほん……。じゃあ、行きましょうか?」
竹口――いや“謎のおっさん”は気まずそうに咳払いをしながらカラオケ店へ入っていく。
桜田と宮上は、その違和感に気づく様子もなく後に続いた。
本当に大丈夫なのか……。
一抹の不安を抱えながら、俺も店内へ入る。
受付を済ませ部屋に入ると、宮上が真っ暗な室内の照明をパッとつけた。
「明るくするねー。なに歌おっかなー!」
弾んだ声が部屋に広がる。
過去にも何度かこういう場面はあったはずなのに、俺は桜田と同じ空間にいるだけで妙に緊張していた。
普段は学校でもほとんど話さない。その桜田がすぐ隣にいる――それだけで夢のようだった。
そんな余韻に浸っていると、突然おっさんが声を荒げた。
「おぬし!」
「え? わたしのこと?」
宮上は驚きと戸惑いが混ざった目でおっさんを見る。
いや、正確には不気味がっていると言ったほうが近い。
「そうじゃ、おぬしじゃ。電気はつけんでいい。暗いままにしておけ」
「……え? なんで?」
おっさんは少し間を置いたあと、妙に嬉しそうに笑った。
「それは……秘密じゃ。グフフ」
一瞬で部屋の空気が固まり、時間さえ止まったような静けさが流れる。
耐えきれず、俺はおっさんの耳元で囁いた。
「おい、なに言ってんだよ。ドン引きしてんだろ!」
「なにを言っておる。ワシは光に弱いんじゃ。強すぎる光を浴びると、魔法が解けてしまうかもしれん」
「はぁ!? 先に言えよ。どうすんだよこの空気……。竹口の印象ダダ下がりだぞ」
「うむ……。なんとかしてくれ」
「えっ? 俺が?」
「そうじゃ。おぬしはワシに頼ってばかりじゃ。少しは自分で切り開いてみせよ」
魔法だのなんだの言っているくせに、偉そうに顎をさすっている。
「…………」
突き放すことも一瞬考えたが、時間を止めたり過去へ行けたりする現実離れした力を見てしまった以上、“光に弱い”という言葉すら否定しきれない。
仕方なく俺は口を開いた。
「あー、そうそう。こいつ最近ゲームのしすぎで、強い光を見ると目が痛いらしいんだよ」
苦し紛れの言い訳だったが、宮上の固まっていた表情が少しだけ和らいだ。
「そ、そっか……。なら言ってよ。でも暗い部屋でモニター見るほうが、目に悪くない?」
ごもっともだ。
だが、もう後には引けない。
「そ、それはゲームで慣れてるから大丈夫なんだよ」
「へんなの。まぁいいけど。そのかわり、変なことしないでよ?」
「す、するわけないだろ」
桜田を見ると、彼女も少し安心したように息をついていた。
俺も胸を撫でおろす。
――と、その空気をまたしてもおっさんが切り裂いた。
「ところでカラオケとは、なにをするんじゃ?」
もう庇いようのない質問だった。
俺が目を逸らすと、宮上がくすっと笑って答える。
「歌うに決まってるでしょ。てか、その変な喋り方いつまでやってんの? なにそのノリ?」
俺は「とりあえず座っててくれ」とおっさんに小声で懇願し、ようやくカラオケが始まった。
最初に誰が歌うか、という流れもなく宮上が明るく手を挙げる。
「私から歌うね!」
本来の竹口なら張り合っていたかもしれないが、今この場で宮上に逆らえる者はいない。全員が素直に頷いた。
曲が始まると、おっさんは妖精のコスプレをした女性が映る映像を、まるで初めて文明に触れたかのように凝視していた。
そんなおっさんを横目に、俺はモニターの光に照らされた桜田の横顔から目が離せなかった。
――あの時の花火みたいに、綺麗だ。
そのとき、おっさんが小声で言った。
「今じゃ……」
「え?」
「花火、誘え」
「いやいや、今!? まだ始まったばっかだし。誘っても結果変わんねぇだろ。それにおっさん化した意味まだゼロだぞ」
「大丈夫じゃ。ワシを信じろ。チャンスは今しかない」
そう言い残し、おっさんは曲の途中で席を立つ。
そしてなぜか桜田の隣へ座り、
「どうしたの?」と聞かれると
「ちょっと、トイレ」とだけ言って自然に席を離れていった。
――よし、今だ。
俺は桜田の方へ視線を向ける。
「あのさ……」




