20話 深夜の電話
その夜、夕飯の時間帯になっても、予想通りソラは帰って来なかった。
眠れないまま、時計の針が動く音だけが、耳障りだった。
深夜0時を過ぎた頃、スマホに知らない番号から着信があった。
「はい、もしもし」
不審に思いながらも電話に出ると、聞き慣れない男の声が聞こえた。
「夜分に失礼します。LUNATIQUEの鈴木と申します。圭人さんでしょうか」
記憶にある店の名前にドキッとした。前にソラを追って見つけた『恋人代行クラブ』の店名だ。
「ソラが、あなたに連絡しろと聞かなくて」
「まさか事故にでも?」
「いえいえ。飲み過ぎて泥酔状態です」
電話の相手は淡々としている。
ソラは酒は強いはず。ワインを1本空けるくらいでは顔には出ない。そのソラが酔いつぶれたって?
「わかりました。すぐに迎えに行きます」
考えても仕方がない。
言い終わるより早く、上着をつかむと玄関を飛び出した。
◆◆◆
タクシーはネオンが眩しい歓楽街へ着いた。
雑居ビルの2階でインターフォンを押すと、スキンヘッドの男が出迎えてくれた。
「圭人さんですね。わざわざすみません。どうぞ、お入りください」
電話をくれた鈴木という男だろう。
店内は一見、落ち着いたバーのようだ。
ただ、薄暗い空間の奥からは、粘りつくような甘い笑い声が聞こえてくる。理性を溶かすような、独特の居心地の悪さがそこにはあった。
「あちらです」
男が指差した。
ボックスシートのソファー席。ソラはぐったりと横たわっていた。その顔は青白い。
「ソラ」
俺は駆け寄り、彼の肩にそっと触れた。
「ん……、ケイ……?」
焦点の定まらない瞳が、ゆっくりと俺を捉える。俺は背後の黒服に視線を投げた。
「夕方、街でソラを見かけました」
「そうでしたか」
「上品なスーツの男性と一緒にいた。あれが、ソラの客ですか?」
「羽振りは良いのですが、少々クセの強い方でしてね。ソラも今夜は骨が折れたようです」
黒服は意味ありげに口角を上げた。胸の奥に、チリリとした痛みが走る。
「代行恋人――でしたね」
「当店になにか?」
「ソラは男ですよ」
「ええ、ソラは男性のお客様にも大変人気ですよ。相手が求める『理想の恋人』を完璧に演じきる、当店のナンバー1ですから」
黒服はにこやかに答えたが、すぐに薄い唇を引き結んだ。
「――ですが、今夜で最後だと言うんです」
「最後?」
「その理由は、たった今わかりましたがね」
男は俺を品定めするようにじっと見つめ、フッと微笑んだ。
「あなたもキレイなお顔立ちだ。ソラとはまた違った色気がある。どうです?うちで働きませんか。優遇しますよ」
「冗談だろう」
「ええ、冗談です」
人をイラッとさせるのが趣味らしい。
「あなたはあまりに真っ直ぐすぎる。恋人を『演じる』には、その瞳では難しそうだ」
出会って数分、本質まで見透かされたようで、苛立ちを覚えたが、今はそれどころではない。
「ソラを連れて帰ります」
「ええ、どうぞ」
男は微かに微笑む。
「お預かりしていたソラの心も、一緒にお持ち帰りください」
長くソラを見続けてきた男にとっても、ソラの「最後」は、単なるビジネスの損失以上の意味があるのかもしれない。ソラの孤独の少しが、この男により少しは和らいでいたのだろうか。
俺はソラの膝裏に腕を通し、その細い身体をそっと抱き上げた。
「ソラ、帰るぞ」
「う……ん」
ソラは吐息を漏らし、吸い寄せられるように俺の首に腕を回してきた。
熱を帯びた身体の重み。柔らかい髪が俺の首筋をくすぐり、甘いアルコールの匂いが鼻を掠めた。
「お気をつけて」
黒服に見送られ店を出る。
雑居ビルから一歩外へ出ると、夜の蝶たちが艶やかな視線を投げかけてくる。
「あら、素敵なお姫様抱っこ。今夜の王子様は彼なのね」
「人気者ねぇ、ソラちゃん」
煽るような嬌声を背に、俺は足早に通りを抜けた。
腕の中のソラは、安心したように俺の胸に顔を埋めている。その無防備な重みが、堪らなく愛おしく、同時に胸を締め付けた。
タクシーに乗り込み、自宅の住所を告げる。
「お兄さんたち、随分と仲が良いんだね。今の時代、それもアリだよ」
バックミラー越しにニヤリと笑う運転手。
俺は窓の外を流れるネオンを見つめていた。腕の中で眠るソラの指先が、俺のシャツをぎゅっと掴んでいる。
その確かな体温だけが、この狂おしい夜の唯一の真実だった。




