表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷い猫系年下男の甘い誘惑がとまらない!「お礼は身体で返すよ」甘い牙を隠した美青年に執着されるカフェ店長の話  作者: はなたろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/19

15話 不器用な上司〈梨夏side〉

梨夏がオフィスで作業をしていると、廊下からカツン、カツンと響く足音がした。


神経質な歩き方ですぐわかる。この部屋の主が帰ってきたようだ。


パソコンを打つ手を止め、スッと立ち上がると、すぐにドアが開いて隼人が入ってくる。



「常務、お帰りなさいませ」



梨夏は真面目で優秀な秘書だ。


まだ、二人が恋人関係であったときから、変わらず公私の区別は徹底していた。



「ただいま」



隼人は簡潔に答え、ビジネスバッグを梨夏に手渡すと、革張りのソファに深く身を沈めた。


ネクタイを少し緩め、深く息を吐く。



「圭人さんから、結婚式の招待状の返事が届いてます」



梨夏が封筒とペーパーナイフを差し出すと、隼人は無言で受け取り静かに封を切る。




梨夏はカフェで招待状を渡したとき、隼人から圭人への言動を思い出す。


隼人に悪意がないことは、梨夏にはよく分かっていた。兄として、弟を心配しているが故の、不器用な表現なのだと。



人の愛し方が下手な、かわいそうな男だから。



「圭人さんのお返事は?」



梨夏はすぐにポーカーフェイスを取り戻し、努めて冷静に問いかけた。



「出席だとさ。あいつも少しは大人になったようだ」


「社長も安心されるのではないでしょうか」


「ああ、そうだな。あとで報告しておいてくれ」


「承知しました」



梨夏はコーヒーを淹れて、そっとテーブルに置いた。ふわりと香りが広がる。



「好きなことを仕事にできれば、幸せだろうな」



コーヒーに視線を落とし、隼人がつぶやいた。梨夏は黙ってその言葉に耳を傾けた。


彼が背負うものの大きさを、梨夏は誰よりも知っていたからだ。誰よりも、間近で見てきたからだ。



「梨夏」



その声は、秘書に向けるそれとは少し違っていた。どこか甘えるような響きがあった。



「圭人をこの会社に……、いや。家に連れ戻すのは反対か?」


「私が口を出す問題ではありません。それに、決めるのは圭人さんです」



隼人は、その梨夏のまなざしをじっと見つめる。



「今は二人だけなんだ。かしこまった話し方はやめてくれ」


「お言葉ですが業務中です。それに、プライベートな関係はとっくに解消されました」



隼人はメガネをはずすと、寂し気に笑った。

フレームの奥に隠されていた瞳が、梨夏の視線を捕らえて離さない。



「梨夏、頼むよ。戻ってくれ――」



隼人は『恋人だった頃の梨夏に』という言葉を飲み込んだ。



「業務命令だと判断しますよ」


「ああ。それでいい」



隼人はホッとしたように、頬を少しだけ緩ませた。




「吸うか?」




隼人は胸ポケットから紙タバコを取り出した。

めったに吸わない代わりに、流行りの電子タバコではなく、馴染みの紙タバコを好む。



「社内禁煙よ。常務が私室でこっそり吸っているなんて、他の社員が知ったらどうするの?」


「少しくらい悪さをしないと、パンクするんだよ」


「優等生は大変ね。それなら、共犯者になってあげるわ」



梨夏は隼人の隣に座ると、ライターに火を灯した。


隼人が身を乗り出し、その火を覗き込む。

火が消えないよう添えられた梨夏の指先が、隼人の手にわずかに触れた。



かつての恋人であったときなら、そのまま引き寄せて唇を重ねていた。そんな甘く苦い記憶が過る。



互いの前髪が微かに触れ、同時にふっと紫煙を吐き出した。


梨夏の表情からビジネスライクな仮面が剥がれ落ち、柔らかい、本来の彼女の顔が覗く。



「圭人が羨ましいのね」



隼人は息を呑んだ。



「選ぶ自由なんて、あなたにはなかったから」



梨夏の声は、隼人の痛みに寄り添うようだった。

かつて愛し合った女だからこそ、隼人の喉元にある言葉にならない叫びを、容易く掬い上げてしまう。



「長男は会社のため必死に働いているのに、厳格なお父様は、自由奔放な次男には甘いのよね」


「圭人には俺にはない行動力がある――だろう?酒に酔った親父がよく言うセリフだな」



隼人が天井を仰いだ。



「圭人の自由は、隼人の不自由があってこそよ。……あなたは、誰よりも優しいもの」



梨夏の言葉に、隼人は目を細めた。


嫉妬と憧れ。


汚い感情さえも「優しさ」と呼んで肯定してくれるのは、世界中で彼女しかいない。

愛していない結婚相手に、それを求めることは、この先一生ないだろう。



「梨夏――、君は本当に、俺の良き理解者だな」


「今さらね。私、あなたにフラれたのよ」



隼人は苦笑を浮かべ、短くなったタバコを指先で弄んだ。

その指先が、名残惜しそうに梨夏の膝に置かれた手に触れ、そしてゆっくりと離れていく。



「披露宴には、梨夏も参加してくれるんだろう」


「業務命令とあらば参加します。奥さまは心穏やかではないでしょうね」



梨夏は自嘲気味に口角を上げた。


残酷さを承知の上で、隼人は彼女を側に置こうとしている。手放せない執着を、仕事という鎖で繋ぎ止めて。



「あまり着飾らないでくれよ。花嫁が霞んでしまうからな」


「それは無理な相談ね。私、美人だもの」


「ふ、それもそうだな」



隼人はそれ以上は語らず、再び静かに目を閉じた。


オフィスの空調の音が、静かに二人の沈黙を埋めていく。



「――圭人に惚れたか?」



梨夏はその問いに答える代わりに、タバコの火を灰皿に押し付けた。

赤い火種が静かに消える。



「仕事に戻りましょう、常務」



性格も選ぶ道も異なる兄弟は、どちらも、梨夏にとっては切ないほど大切な存在なのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ