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幕末異聞 おらぞの藤兵衛 ~異界帰りの侍、海から歴史を変える~  作者: 曽我部穂岐
第二章 舫と白波

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第四十二話 退座収熱

 安政五年十月、江戸の政情はあわただしく動いた。


 二十日、山内容堂は薩摩藩邸に島津斉彬を訪ね、茶を喫した。

 席は静かで、供の者にも仔細は漏れなかったという。だが、後から振り返れば、あの茶会はただの挨拶ではなかったのだと知れる。


 二十五日には、一橋派の大名たちが水戸藩邸に集まり、後継問題をめぐって密かに議を重ねた。

 なお一橋慶喜を正面に押し立てるか、それとも一度熱を引き、別の形で筋を残すか――議は容易に割り切れるものではなかった。


 さらにその翌二十六日、事は一気に動く。

 容堂と斉彬が、相次いで隠居を願い出た。

 一橋派を支えてきた二人が、ほとんど時を置かず、自ら座を外そうとしたのである。この一手によって、一橋派の熱はたしかに削がれた。


 二十八日には、水戸の徳川斉昭と越前の松平春嶽が登城し、大老・井伊直弼と面会した。

 そこで進言されたのは、将軍後継には南紀派の徳川慶福を立て、一橋慶喜は将軍輔佐に回す、という筋であった。

 一橋を完全に退けるのでなく、しかし正面にも立てぬ。勝ちとも負けとも言い切れぬ、苦い収め方であった。直弼はこの段では、なお返答を保留した。


 その二日後、十月三十日。

 長らく病床にあった将軍家定が、ついにこうじた。

 もはや先延ばしは利かぬ。後継は急ぎ形を定めねばならなくなった。


 そして十一月三日。

 直弼は老中評定をもって、ついに後継を定めた。

 慶福は家茂と名を改めて将軍となり、慶喜が将軍輔佐としてこれを支える形が定まった。

 江戸の政は、ひとまず収まったように見えた。




 市井では、役所の早馬より先に噂が走った。

 日本橋の魚河岸でも、神田の古道具屋の軒先でも、深川の船宿でも、この数日は将軍家のことと、六月の条約のことばかりが口に上った。


「結局、紀州さまが立つんだとよ」


「ただ立つだけじゃねえ。一橋さまはお側に付くって話だ。まるきり負けってわけでもあるまいさ」


「それより聞いたかい。土佐の容堂公も薩摩の斉彬公も、そろって身を引いたそうじゃねえか」


「身を引いたってえと、隠居か」


「そうよ。これ以上、後継ぎで江戸を荒らさぬためだって話だ。水戸さまも井伊さまも、ようやくその筋で納まったらしい」


 言う者の顔つきは、半ば安堵で、半ば不安であった。

 将軍後継の揉め事は、町人にとって縁遠いようでいて、じつはそうでもない。政が荒れれば米も上がる。荷も止まる。諸藩の出入りが増えれば、宿も船も忙しくなるが、その先が火事場になれば商いどころではない。だから「収まった」という言葉には、皆が飛びついた。


 だが、噂はそれだけで終わらなかった。

 今の江戸では、政の話はすぐ海の話へつながる。


「六月に条約を結んじまってからというもの、神奈川だ長崎だ箱館だ、新潟兵庫だと、港の名ばかり聞かされる。今度は土佐の港まで騒がしいってんだから、まるでこの国じゅうが波打ち際になったみてえだ」


「土佐の……なんてえ言ったか、そうだ。宿毛すくも――ってえと、土佐も西のはずれだろう。そんな遠い名まで、近ごろは髪結い床でまで聞くからな」


「異人の船が入る、使節が出る、荷が増える、石炭が要る――海ばっかりが忙しくなってらあ」


「聞けば、その批准使節に付いていく船も、土佐の新式船を元にするんだとさ」


「元にするどころじゃねえ、土佐の船が御公儀の役に回るって噂だ。もとは献上の船だ何だって話だったのが、いつの間にやら使節に付く船になるらしい。上の理屈は知らねえが、とにかく海へ出す腹なんだろうよ」


「条約のあとの筋を見せろ、って異人に迫られてるんじゃねえか。こっちが開くだけじゃなく、ほんとうに海を保てるかを見たいんだろうさ」


 町人たちは条文の細目を知るわけではない。

 けれども、港が開き、船が動き、人と荷と金が往き来し始めることだけは分かった。異国との約定が、紙の上だけで済まぬことも分かった。だからこそ、両公が退いたのだ、斉昭も直弼も渋々ながらそれを呑んだのだ、という話は、いかにももっともらしく響いた。


「大名衆も大変なもんだ。騒げば条約のあとが回らねえ、退けば退いたで弱腰といわれる」


「だが、身を引いてでも荒れを鎮めるってんなら、見上げた了見じゃねえか」


「そうかねえ。おれはかえって気味が悪いよ。あの容堂公と斉彬公が、こんなあっさり退くなんてな。何か、もっと別の腹があるんじゃあるまいか」


 そう言った船宿の主人に、周りの者は笑った。

 だが、その笑いも長くは続かなかった。


 誰もが心のどこかで感じていたのである。たしかに形は収まった。将軍は立ち、補佐も決まり、騒ぎもいったんは引いた。だが、それは火が消えたのではなく、ただ灰の下へ押し込められただけではないか、と。


 江戸の町は、その曖昧な安堵を抱えたまま、いつも通りに朝を開け、夕を閉じた。

 魚は売られ、米は量られ、船は川を上下する。けれど、どの口も、結局は同じところへ戻る。


「で、土佐はこれからどうなる」


 その問いだけが、噂話の最後にいつも残った。

 そして、その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。




 土佐藩江戸藩邸の奥は、町の噂とは別の重さで静まっていた。


 廊下を行き交う藩士たちはみな足を早めている。書付は絶えず出入りし、使番の草鞋は乾く暇もない。にもかかわらず、屋敷の中に満ちているのは忙しさよりも、どこか落ち着きの悪い沈黙であった。


 勝ったとも言えぬ。負けたとも言い切れぬ。将軍は紀州へ決まり、一橋の筋は慶喜輔佐として辛うじて残った。容堂は隠居を願い出、十八歳の嗣子しし豊範とよのりが藩主を継ぐ。とはいえ、これでただちに容堂の影響が消えるはずもない。


 表向きには、すべてが秩序立って収まったように見える。だが、その「ように見える」が、かえって藩邸の空気を重くしていた。


 東洋は夕刻、奥座敷へ呼ばれた。


 障子越しの光はもう薄い。庭の木々は風もないのに影だけを揺らし、座敷には燗酒の匂いがほのかに満ちていた。


 容堂はいつものように脇息へ寄り、半ば崩した姿勢で庭に目をやっている。手には杯があり、脇の膳には徳利が一本、まだ温みを残していた。その顔色は変わらぬ。酔ったようにも見えるのに、疲れも焦りも見えぬ。だからこそ東洋には、その変わらなさが妙に不気味であった。


 座には藤兵衛もいた。

 彼もまた、普段より口数が少ない。江戸の町に走る噂を耳にしているからだろう。将軍後継、条約、批准使節、土佐の船、そして容堂隠居。すべてが一つながりで語られているのを知っている。


 東洋が座に着くと、容堂は杯を静かに口元へ運び、ひと口含んでから、庭に目をやったまま言った。


「江戸はもう、収まったことにしたいらしいのう」


 その言い方に、東洋はすぐには答えなかった。

 代わりに、主君の横顔をまっすぐ見た。


「殿のお耳にも、町の噂は入っておりましょう」


「酔鯨と薩兄が責を負うた、烈公は渋々ながら呑んだ、南紀はようやく面目が立った――皆、よう出来た話をこしらえるもんじゃ」


 容堂はそこで杯をあおり、ようやく二人を見た。

 その目は酔っているようでいて、ひどく醒めていた。


「間違うちゅうとは言わぬ。じゃが、それだけでもない」


 藤兵衛が、ためらいがちに口を開いた。


「殿。――畏れながら、皆の疑問をお伺いしたく存じます。将軍に家茂公、慶喜公は輔佐。それは分かりまする。しかし、なぜ隠居までなされたのです。斉彬公はお身体を悪くされておりましたゆえ、まだ筋も通りましょう」


 そこで一度言葉を切り、藤兵衛はあらためて頭を下げた。


「……されど、殿の御決断は、あまりに早すぎるように思われます」


 容堂は、すぐには答えなかった。

 杯を膳へ戻し、指先で縁をひとつ撫でる。庭の方へ目をやったまま、しばし黙していたが、やがて低く言った。


「早いろう。けんど、今でのうては意味がない」


 東洋の眉がわずかに動く。


「意味、にございますか」


「前にも言うたはずじゃ。一橋をそのまま押し立てれば、熱が立ちすぎる。熱が立てば、座は荒れる。荒れれば、条約のあとの海も荒れる。批准使節も、船も、みな巻き込まれる。今は勝つことより、形を保つことの方が先じゃ」


 理としては通っていた。

 通りすぎるほどであった。


 一橋慶喜を正面に立てれば、諸方の憎みも目も一手に集まる。家茂を立て、慶喜を輔佐に回せば、一橋の筋は切れぬまま座はひとまず静まる。容堂が退けば、土佐の尖りも一枚剥がれる。しかも土佐の船はなお公儀の役目を負ったまま、海へ向かうことができる。

 言うことに、無理はない。

 だが東洋には、それが勝つための手ではなく、何か別のものを避けるための手に見えた。


「殿は、敗れて退かれるがではございませぬな」


 東洋は静かに言った。


「むしろ、自ら座を外された。そのように見えます」


 容堂は、小さく笑った。


「そう見えるか」


「はい」


「ならば、それでえい」


 軽い言い方だった。

 だが、その軽さが東洋にはいっそう重く響いた。


 藤兵衛は、なおも食い下がるように顔を上げた。


「しかし、それでは……。殿は、あまりに多くのものを一度に退かれます。将軍後継、一橋の筋、土佐の藩主の座――そこまで退いても、なお守りたいものがあるのですか」


 その問いに、容堂はほんの一瞬だけ藤兵衛を見た。

 その目には、酔いの色はなかった。


「人はの、勝てる時に前へ出る。けんど、退くべき時に退ける者は、そう多うない」


 それは答えのようで、答えではなかった。

 東洋は膝の上で手を組み直した。眼前の主君は間違いなく理にかなった手を打っている。だが、その理の底にある「なぜ」だけが見えぬ。


 しかも、今の容堂は以前と違う。

 これまでなら、海も政も、どちらも同じ熱で前へ押した。港も船も、上覧も祭も、皆一つの勢いで束ねようとしていた。ところが今は、海へ出る者からは政の熱を遠ざけ、政の座からは自ら退こうとしている。まるで、同じ盤の上に置いてはならぬものがあると知っているように。


「若君は」


 東洋は、話を変えるように問うた。


「豊範様は、もう御覚悟をお決めでございましょうか」


「決めざるを得んろうの」


 容堂は静かに言った。


「若い。じゃが若いがゆえに、余計な熱を持たぬ。その方が今はよい」


 またそれだ、と東洋は思った。

 余計な熱。立ちすぎる熱。避けたい熱。

 容堂の言葉はすべて理に落ちている。だが、その理があまりにも正しすぎる。まるで間違いのない手ばかりを打っている者のようで、かえって東洋の胸には収まりが悪かった。


 藩邸の外では、町のざわめきがまだ遠く続いていた。

 将軍家定薨去、家茂就任、慶喜輔佐、容堂隠居――。江戸の町では、今宵もその話で持ちきりなのだろう。政争は収まり、条約のあとの海も回り出す。そう信じたい者にとっては、たしかに分かりやすい形である。


 だが東洋は、どうしてもその分かりやすさを信じ切れなかった。


 容堂は敗れて退いたのではない。

 何かを避けるために、自ら座を外した。

 しかも、その退き方があまりに早い。


 藤兵衛もまた、同じものを感じているらしかった。

 彼は容堂の方を見たまま、ふいに言った。


「殿は……何かが来る前に、先に座を空けたように見えます」


 その一言に、容堂の指がわずかに止まった。

 だが、ほんの一瞬のことである。すぐにまた平らかな顔へ戻り、杯を取り上げる。


「海へ出る者は、海を見よ。先生は江戸に留まれ」


 それだけ言って、容堂は酒をひと口含んだ。


 東洋は深く頭を垂れた。

 承知いたしました、と答えるほかなかった。

 理は通っている。

 だが、通りすぎている――その違和感だけが、胸の底に小さな棘のように残った。


 外で、夜番の拍子木がひとつ鳴った。

 その乾いた音を聞きながら、東洋はどうしても拭えぬ思いを抱えていた。


 ――殿は、何を恐れておられる。


 問いは胸の内に留めたまま、東洋は静かに座を下がった。


【史実解説】容堂と斉彬の退場


本話で描いた「山内容堂と島津斉彬が、ともに一橋派の熱を鎮めるため前面から退く」という構図には、史実の手触りと、はっきりした創作の両方があります。


史実の容堂は、将軍継嗣問題では一橋慶喜を推す側に立ち、松平春嶽・伊達宗城・島津斉彬らと並ぶ有力諸侯の一人でした。しかし、慶福(のちの家茂)が後継に定まり、井伊直弼の主導で反対派への圧迫が強まると、容堂は安政六年二月二十六日に依願隠居し、家督を豊範に譲ります。さらにその年の十月には幕府から謹慎を命じられており、史実の「退場」は、勝負のさなかに自ら一歩引くというより、継嗣問題の敗勢と安政の大獄の圧力の中で、藩主の座から外れていく過程として訪れました。


 これに対して斉彬は、史実では「退く」のではなく、安政五年七月十六日に急死します。前年の将軍継嗣問題の激化以来、斉彬は一橋慶喜擁立の中心人物として動き、朝廷工作や幕政改革を構想していました。井伊直弼の大老就任後、情勢が南紀派に傾くと、斉彬はもはや言上や周旋だけでは事態を覆せぬと見て、兵を率いて上方・江戸へ出ることまで視野に入れていたとされます。ところが、その緊迫した最中、鹿児島で病に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。史実の斉彬の退場は、容堂のような「依願隠居」でも、「熱を鎮めるための退座」でもなく、なお打開の手を探っていたただ中での突然の死でした。だからこそ、その死は一橋派にとって単なる一大名の死去ではなく、政局そのものの支柱が折れるに等しい衝撃を持っていました。


 つまり史実では、容堂は安政六年二月の隠居によって一歩後ろへ退き、斉彬はその前、安政五年七月に急死することで政局から消えます。

 将軍継嗣問題そのものは、史実でも井伊直弼の大老就任後に急転し、徳川慶福を継嗣とする決定が下され、一橋派は大きく後退しました。つまり「一橋派の熱をどう鎮めるか」が政局の焦点であったこと自体は史実に沿っています。ですが本作では、その熱の処理を、井伊直弼の強圧だけでなく、「容堂と斉彬が自ら退く」という形に置き換えています。史実が外から押し潰された退場だとすれば、本作ではそこに「みずから一歩退いて盤面を収める」という、もう一つの政治判断を重ねたわけです。

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