第四十話 一艘に畳む
浦ノ内会所の板敷きに、しばし誰の声も落ちなかった。
大築尚志が書付を畳んだあとも、外では舟渠の槌音だけが、何事もなかったように続いている。潮の匂い、濡れた木の匂い、火床の熱の残り香。そうしたものが薄く混じる中で、机の上に並ぶ二枚の札だけが、急に重みを増していた。
――公儀献上船。
――朝廷献上船。
二枚しかない。
だが誰の目にも、そのあいだへもう一枚、見えぬ札が差し込まれていた。
アメリカまで往き、役目を果たして帰ってくる、公儀の新式双胴蒸気船。
ハリスの打診が意味するところは、結局それであった。
異国が見ているのは、珍しい船の細工ではない。条約を結んだあと、その海路を日ノ本が自前で保てるかどうか――そこを問われている。
万は、その見えぬ札まで含めて机の上を見下ろしていた。顔色は変わらない。だが視線だけが、いつもより細く、速く動いている。
「話を、舟渠の方へ戻しましょう」
その一言で、場は異国の圧からすっと浦ノ内の現実へ引き戻された。
「舟渠は二基です。多くはありません。空いて見える方も、空いているのではなく、順を待っているだけです」
そう言って、万は図板へ指を置いた。
「こちらが五月に起工した公儀献上船。進みは三割ほど。竜骨は据わり、主だった骨組みも立ち始めています。まだ主機も艤装も入っておりません。けれど、だからといって、何にでも化けるわけではありません」
前原嘉蔵が、すぐに頷いた。
「三割……。船の性は、もう見え始めとるいうことですのう」
「はい。ここへアメリカ渡海の任を継ぎ足すのは無理です。これはもともと、その腹で起こしていない。骨にも、積みにも、重さの逃がし方にも限りがあります」
会所の空気が、ひとつ締まる。
「無理に足せば、どこかが歪みます。歪みは海で返ってきます」
嘉蔵は低く息を吐いた。
宇和島で蒸汽船を実際に造ってきた男にとって、その言葉は脅しではない。職人が職人へ向ける、危うさの見立てそのものであった。
「うむ。そりゃそうです。間に合うように見えて、いちばんまずい手じゃ」
村田蔵六が、もう一方の札へ目を移した。
「では、まだ白い方しかないか」
「白い方は、まだ何も背負っていません」
万はそう言って、未着手の舟渠を示した。
「材は入れられます。役目に合わせて、最初から組めます」
成田正右衛門が、腕を組んだまま低く言った。
「あとから足して暴れる船より、最初からそのつもりで組んだ方がよか」
「はい。あとから足すのでは遅いのです」
尚志が、若いながらも場を見失わぬ声で続けた。
「公儀方としても、いま求められているのは見せ船ではありません。批准使節に随い、亜米利加まで往き、役目を果たして、帰って来られる一艘です」
蔵六が札から目を上げた。
「もはや献上の体裁だけでは足りん、ということじゃな」
「はい」
誰も異を唱えなかった。
二つの舟渠。
三割進んだ一艘。
まだ白い一艘。
足し算では済まぬ。
何かを切り、何かを畳まねばならぬ場であった。
万はそこで初めて、二枚の札へ静かに手を伸ばした。
「進んでいる公儀献上船は――」
札が一枚、音もなく滑る。
「そのまま朝廷献上船へ回します」
短い沈黙が落ちた。
だが、誰より先にそれを呑み込んだのは尚志であった。
若い目が、机上の札と図板の線を素早く往復する。
「……つまり、手の入った方を朝廷筋へ立て、白い方を――」
万は、もう一枚の札へ指を置いた。
「こちらを、公儀御用の外洋船に立てます」
正右衛門が鼻の奥で低く鳴らした。
感心したときの癖である。
嘉蔵は、札の入れ替わった図板を見つめたまま言った。
「進んだ方は殺さん。白い方へ、いちばん重い役目だけを集めるいうことですな」
「そうです」
尚志はなおも慎重に問うた。
「表向きは、公儀献上船のままに」
「はい」
「しかし実際に負わせるのは、批准使節に随う外洋渡海の役」
「そうです」
尚志は一度目を伏せた。
政の建前として見れば危うい綱渡りである。だが、工と費えと工期の上へ置けば、これよりほかに筋がないのも明らかであった。
「朝廷筋への聞こえは、立ちましょうか」
「立ちます。手の入った方を回す以上、粗略には見えません。朝廷へ出す船は、後回しの余り物ではなく、先に形の立った方です。白い方にだけ、より重い役を負わせる。それで筋は通ります」
嘉蔵が低く笑った。
「えげつないが、よう出来とりますのう」
「工は、情で回りません」
「分かっとる」
蔵六が、札の上へ指先を置いた。
「なるほどのう。船を減らすのではない。重い筋だけを、一艘へまとめるわけじゃ」
万は頷いた。
「はい。一艘に畳む、とはそういうことです。二艘は二艘とも立てます。ですが、公儀の顔、渡海の役、費えの集まる先――その重い筋だけは、白い方の一艘へ集めます」
そこで尚志が、もう一枚の書付を開いた。
「費えの件も申し上げます。当初、公儀献上船は三万両見積もりでした。しかし批准使節に随い、亜米利加まで往きて役を果たし、なお無事に帰り着く一艘となれば、そのままの帳面では立ちませぬ」
正右衛門が、眉を寄せた。
「どこまで見るちゅうがか」
尚志は、書付の端を静かに押さえた。
「公儀方は、追い費えとして六万五千両までは持つ腹にございます」
その一言で、座の空気が変わった。
嘉蔵が思わず顔を上げる。
「……六万五千」
蔵六も、珍しく言葉を継がなかった。
「それは、また……よう踏み込んだのう」
「もっとも、これは浦ノ内の工を細々と積み上げて出した総額ではありませぬ。双胴外洋船そのものが、公儀方にとってはまだ見たことのない船です。ゆえに“いくら掛かるか”を先に言うたがではない。異国で新式蒸汽軍艦を丸ごと一艘求めるに比べれば、なお安うつく。その理で、公儀がそこまでは持つ、と決めた額にございます」
嘉蔵が、低く息を吐いた。
「三万の船に、追い六万五千……。ほとんど、もう一艘どころの話やない」
「幕府にとっても、かなりの大盤振る舞いです」
尚志は静かに答えた。
「よほどのことと見てよろしいかと」
蔵六が、そこでようやく口を開いた。
「そこまで出す、いうことは――異国の打診を、脅しや方便とは見ておらんいうことじゃな」
「その通りです。条約のあとの海を、ほんとうに自前で保てるか。そこを見られておると、公儀も腹を括ったのでしょう。ゆえに、ここで船を出せねば面目は立ちませぬ」
嘉蔵は、なおも図板を見たまま言う。
「……とはいえ、銭があるだけで船が立つがやない。工が間に合わにゃ、ただ高い失敗になるだけですきのう」
「ですから、公儀は“そこまでなら出す”とだけ示し、船の形と工の始末は浦ノ内へ委ねる腹です。言い換えれば、その内で立てよ、ということです」
万が、そこで初めて口を開いた。
「ならば、やりようはあります」
声に揺れはなかった。
「白い方は、何もないところから起こす船ではありません。この浦ノ内には、もう先に沈んでおるものがあります。舟渠もある。器械もある。材も入る。工も揃う。ゆえに、追い六万五千を死なせず、外洋へ出る一艘に束ねられます」
蔵六が、札の上へ指先を置く。
「なるほどのう。公儀は銭の上限だけを示し、浦ノ内はその内で形を立てる。……つまり、外から見れば公儀の船、腹の内では土佐の工いうわけじゃ」
「はい」
尚志は答えた。
「表向きは公儀献上船。実際に負わせる役は、批准使節に随う外洋船。そのうえで費えは献上筋の延長として立てる。危うい綱渡りではありますが、これがいま崩れぬ筋にございます」
数字が机の上へ置かれた瞬間、場はいっそう冷えた。
技でも志でもなく、金が建前を固める。幕末の評定とは、結局いつもそこへ戻ってくる。
正右衛門が、低く言った。
「六万五千。異国相手に顔を立てるためとはいえ、幕府もよう出したもんじゃ」
蔵六は、目を細めたまま万を見た。
「その大盤振る舞いを、ただの見栄で終わらせん責が、ここへ落ちたいうことじゃな」
万は短く頷いた。
「そうです」
そして、白い舟渠の札へ指を置く。
「ならばなおさら、最初から外洋船として起こします。後から継ぎ足す船では、公儀の銭も、こちらの工も、どちらも死にます」
ここでようやく、会所の空気がわずかに動いた。
議論が終わったのではない。終わらせるべき場所へ着いた、という動きであった。
万は、すぐに次の札を並べた。
「では、役を切ります」
淡々とした声音で、彼女は采配を始めた。
「蔵六どのは、外洋渡海を前提にした安全基準と性能の見立てを。嘉蔵どのは、主機・復水・整備順の見直しを。正右衛門どのは、兵用を見込んだ場合の揺れと架台の基準を。尚志どのは、公儀筋への書上げと予算筋の押さえを」
四人がそれぞれ頷く。
「舟渠の割付と工程の差配は、こちらで受けます。いまの三割船は、以後、朝廷献上船として扱います。未着手の舟渠は、公儀船として起こす筋で上申します」
言い終えた時には、もう万の中で評定は済んでいた。
だが、ここは浦ノ内一ヶ所の工房ではない。海陣奉行所の管轄であり、海防総督家老の裁断を要する。どれほど筋が通っていても、勝手に起工へ雪崩れ込むわけにはいかなかった。
◆
それから二日を経た。
浦ノ内の会所には、公儀筋への書上げと、土佐側の伺いとが往き来して重なった。
白い方の舟渠には、すでに人足が集められている。綱も材も、墨縄も揃っている。
海防総督家老・山内主馬の裁決、そして海陣奉行・淡輪橘治の差配が下りたのは、秋の空がいっそう高く澄んだ朝であった。
万は、その朝もいつものように舟渠の縁へ立っていた。
やがて使いの者が駆け込み、会所前で膝をつく。
「主馬さま、橘治さま、いずれも御異存なく候。公儀船への切替、相済み申した」
報せが落ちた瞬間、舟渠の空気が変わった。
誰かが声を上げたわけではない。
ただ、止まっていた水が堰を切ったように、人の動きだけが一斉に前へ出た。
墨縄がぴんと張られる。
木取りの材が二本、三本と運ばれ、空舟渠の底へ下ろされる。
掛け札が差し替えられ、綱を取る者が位置を変え、槌を持つ者が所を得る。
尚志が、その動きを見て小さく息を呑んだ。
「……藩の裁可が、もう下りたのですか」
若い声には、驚きが隠しきれていなかった。
伺いを上げ、筋を通し、役所を渡る。そのどこかで必ず日を食うものと思っていたのである。しかもこれは舟一艘の扱い替えではない。公儀への聞こえ、朝廷筋への体面、海防の備え、費えの立て方まで絡む評定であった。
蔵六も、舟渠へ流れ込む人足の動きを目で追いながら、低く言った。
「早いのう。筋だけ通っても、ふつうはここまで一息には下りん」
嘉蔵が、苦笑まじりに鼻を鳴らした。
「宇和島でも、こげな話はまず一度、二度はどこぞで引っかかりますけんのう」
正右衛門は、墨縄の張られていく白い舟渠を見つめたまま、ぽつりと言った。
「兵ん筋、政ん筋、金ん筋――たいていは、どれかで揉めるもんじゃっど」
万は、舟渠から目を離さぬまま答えた。
「土佐では舟方の裁可は、海防総督家老と海陣奉行の筋で見るべきことが、最初から分かれています」
「分かれていた……?」
「はい。海の備えは海防総督、御公儀や朝廷への聞こえは政務総宰、費えと工の流れは殖産総監――何を誰が裁くか、先に定めてあります」
蔵六が、そこでわずかに目を細めた。
「なるほどのう。早いのではない。迷わん仕組みにしてあるのか」
「そうです。長居する評定は、たいてい誰の責かぼやけています。ここでは、そこをぼかしません」
嘉蔵が、動き出した舟渠を見ながら小さく笑った。
「そりゃ工が死なんはずじゃ」
その低い呟きのあと、誰もすぐには口を開かなかった。
四人の目は、自然に墨縄の張られた舟渠へ向いていた。
先日まで“白い方”と呼ばれていた場所は、もう白くなかった。
まだ骨一本立っていない。だが、そこへ落ちた最初の墨の線から、すでに役目が始まっている。
公儀の名を負い、海の役を背負い、政の建前と工の現実とを同時に呑み込まされた一艘である。
進み始めた一艘は、そのまま朝廷の船として生かされる。こちらの白い舟渠には、公儀の顔、アメリカまでの渡海、費えも工夫も、重い役目ばかりが集められる。
やがて最初の材が据わる。
梃子がきしみ、木槌が一つ、乾いた音を響かせた。
その音を聞きながら、蔵六が低く言った。
「渡ると決めた以上、もう沿岸船の理では足りん。速さも、強さも、止まり方も、帰り着くところまで見切らにゃならんのう」
嘉蔵が、白い舟渠を見据えたまま続ける。
「機関は、動きさえすりゃええいうもんやない。海のまん中でくたびれんよう、回り続けるように組まにゃいけん。そいつは、きっちりやってみせますけん」
正右衛門は、鼻の奥で低く鳴らした。
「波にも風にも負けん船でなけりゃならんど。日ノ本の船が初めて大洋へ出るがなら、兵の目から見て恥ずかしかもんにはさせん」
尚志は、三人の声を聞いてから、若い顔を引き締めた。
「書の上でも筋を通します。朝廷へ出す一艘を立て、そのうえで海を渡る一艘を起こす。その理を、公儀にも諸藩にも呑ませねばなりません」
万は振り返らなかった。
張られた墨縄の先を見つめたまま、静かに言う。
「ならば、間に合わせましょう。どちらの一艘も、未完のままでは出せません」
白い舟渠の底で、人足が次の材へ手を掛ける。
もう机の上の差し替えではなかった。
朝廷へ立つ船と、海を渡る船とが、同じ槌音の中で動き始めていた。
【史実解説】幕末の造船所・舟渠と工の現実
幕末の日本で洋式船を造るというのは、単に「船大工が大きな船を造る」ことではありませんでした。船体そのものに加え、修理や艤装を行う場、工作機械、鉄材、蒸気機関を扱う技術、そしてそれを動かす人足と役所の筋まで、ひとまとめに整えなければ実際には回りません。幕府が長崎鎔鉄所(のちの長崎製鉄所)を建設したのも、艦船修復の必要からであり、ここには工作機械が導入され、日本の近代工業化の礎の一つとなりました。
また、幕末から明治初年にかけては、船を造るだけでなく「船を揚げて修理する場」そのものが重要になっていきます。長崎の小菅修船場跡は、日本最初の洋式近代的ドックとして知られ、蒸気機関を用いた曳揚げ装置を備えていました。佐賀藩の三重津海軍所も、洋式船の修理や海軍教育、日本初の実用蒸気船「凌風丸」の建造に関わった拠点として位置づけられています。つまり、幕末の造船は一艘の工夫だけで成り立つのではなく、造船所・修船場・訓練・機械・資材が一体となって初めて現実の力になったのです。
本作で描いている浦ノ内舟渠や、舟渠二基を前提にした工期・人繰り・資材の組み替えは、そうした「工の現実」を意識してふくらませた創作です。史実では、土佐がこの段階でここまで整った近代的舟渠と造船体制を持っていたわけではありません。しかし、幕末という時代そのものが、船一艘ではなく「船を造り、修し、運用する場」をどう持つかを問われ始めた時代であったことは確かです。




