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幕末異聞 おらぞの藤兵衛 ~異界帰りの侍、海から歴史を変える~  作者: 曽我部穂岐
第二章 舫と白波

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第三十九話 万匠の工房

 安政五年十月二日、土佐。

 須崎浦ノ内の朝は、沖の潮よりも先に槌音で明けた。


 細長い入江を左右から山が抱き込み、まだ陽の高くならぬうちから、水面だけが白く光っている。その奥、海を削って築かれた二つの舟渠には、すでに人の気が満ちていた。綱を引く声、木を曳く軋み、滑車のきしる音、火床へ風を送る鞴の息。海辺の船場というより、一つの大きな工房が、そのまま入江へ口を開けているような景であった。


 小早の舳先が岸へ触れる前に、村田むらた蔵六ぞうろくは目を細めた。


「……舟渠しゅうきょが二つ、か」


 低い声だったが、その一言には思わず算盤を弾き始めた者の癖があった。

 長州の医家に生まれ、適塾では塾頭まで務め、宇和島藩に招かれて軍艦研究に携わり、いまは蕃書調所・講武所にまで名を連ねる男である。蒸気機関も兵制も、理において見る男の目は、まず広さではなく、そこでどれだけの工程が同時に走れるかを量っていた。


 蔵六の脇で、前原まえばら嘉蔵かぞうが鼻を鳴らした。


「広い言うより、きっちり使い切っとるのう」


 宇和島藩の町人技術者から身を起こし、蔵六と共に国産蒸汽船成功の実務を担ってきた嘉蔵の眼は、道具の並びから人足の流れまでを一息に見た。舟渠の片方には、すでに骨組みの立ち始めた船体がある。竜骨から持ち上がった肋材は、まだ皮を張らぬ魚の骨のように空へ伸びていた。もう一方は空いている。だが、空いているというより、今にも始まるために待っているように見えた。木取りされた材が寸法札を付けて積まれ、鉄帯は長さごとに揃えられ、枠、定規、角度を測る真鍮の器具が、使い手の手の届くところへ無駄なく置かれている。


 薩摩の成田なりた正右衛門しょうえもんは、その器具の並びを見て小さく眉を動かした。

 五十五。薩摩洋式砲術の「御流儀」師範として、台場の砲位から火薬量、安全基準、砲身や架台の規格まで、長らく“揃えること”に心を砕いてきた男である。


「砲術場んことわいを、船場ん方へ持ち込んじょっどか」


 呟きはそれだけであったが、感嘆は深かった。

 勘の利く職人が何とかする場ではない。誰が見ても、同じものを、同じだけ、狂いなく作るための場である。そうと分かるだけに、成田にはこの舟渠の異様さがよく見えた。


 末席の大築おおつき尚志たかゆきは、三人の沈黙の意味がすぐには呑み込めなかった。

 佐倉の学問所と兵器方を行き来し、藩の学術行政の若き俊才と呼ばれる二十二の男である。幕府の正統な技術監査として、この一行に加えられた。洋学も砲術も一通り見てきたつもりでいたが、眼前の舟渠には、知っている名で呼べるものと、呼べぬものとが入り混じっていた。


 真鍮の枠に刻まれた細かな目盛。

 材木の反りを測るためらしい奇妙な治具。

 大きな輪を何段にも組んだ揚重器。

 鉄の歯を噛み合わせて巻上げの力を変える小機構。

 それらのいくつかには、舶来の印がそのまま残っていた。オランダから届いた献上船造船のための支給――と聞いてはいたが、品々は“異国の珍物”として積まれているのではなく、現場の手に馴染んだ道具として、すでに船場の言葉に訳されていた。


「……道具を珍しげに並べ立てているのではないな」


 尚志は、思わず口にしていた。


 嘉蔵がちらと横目で見た。


「ええ……どれも新しいんじゃが、よう使い込まれとるように見えますのう」


「その通りじゃ」


 岸へ渡した板を踏み、四人は舟渠へ上がった。

 すぐ近くで、二人の人足が曲げ木の当たりを見ながら槌を入れている。年嵩の職人が一人、角度を見、もう一人が何も言われぬうちに仮止めの楔を打つ。動きに迷いがなかった。誰が何をするかが、先に場へ刻まれている。


 そのとき、舟渠の上手にある仮小屋の前から、一人の女が歩いてきた。


 四人とも、ほんの一拍、目を止めた。

 女中ではない。町家の女房でもない。袖をきちんと収めた働き着に、髪を高く結い上げ、帯の脇へ薄板の札と短い墨差しを挟んでいる。しかもその足取りは、客を迎える者のものではない。自分の現場へ入ってきた者の位置を、すでに測っている者の歩き方であった。


「ようこそ浦ノ内へ。遠路、ご苦労さまにございます」


 声音は澄んでいたが、柔らかく迎え入れる調子ではなかった。

 尚志は咄嗟に言葉を失い、成田は軽く顎を引き、蔵六はむしろ腑に落ちたようにその女の背後――人足の目配せが集まる先を見た。


「海陣奉行所・造舟御用掛、細川万にございます」


 女はそう名乗った。


 嘉蔵が先に頭を下げた。


「宇和島の前原嘉蔵にございます。こちらは村田蔵六どの、薩摩の成田正右衛門どの、佐倉の大築尚志どの」


 万は、四人を一目で量るように視線を走らせた。


「お名前は伺っております。けれど、まずは舟渠を見ていただいた方が早うございます。紙の上では、この場の理までは見えません」


 言うと同時に、仮小屋の方へ向き直り、すぐそばの人足に二言三言、指図を飛ばした。

 声は高くない。だが、離れたところで綱を扱っていた男まで、すぐに動いた。


 尚志は、その動きにもう一度驚いた。

 女が采配していることではない。誰ひとり、そのことに驚いていないことに、である。




 まず案内されたのは、骨組みの立ち始めた方の舟渠であった。


「こちらが、五月に起工した御公儀への献上船です」


 万は、手近の材へ札を当てながら言った。

 肋材はまだ半ば、甲板線も仮に引かれているだけで、完成の姿には遠い。だが、竜骨の据わり方も、左右の肋の立ち方も、すでに船の骨法を語っていた。


 蔵六がしゃがみ込み、仮組みされた横材の間を覗いた。


「計測の基準が細かいな」


「勘で拾うと、最後に歪みが寄ります」


 万は何でもないことのように答えた。


「ここでは、木取りの段から寸だけではなく、曲がりの癖と反りの逃げも札に書いてございます。組み上がってから職人の腕で殺すのでなく、組む前から、どこへ狂いが寄るかを見ておくのです」


 正右衛門が、その札を手に取って眺めた。


「砲架ん刻みと同じ理じゃっどな。違うちゅうは、こっちは木も鉄も生きもんちゅうこっか」


「はい。なおさら数で揃えねばなりません」


 嘉蔵は、やや離れたところに据えられた鉄の架台へ目を止めた。上に載っているのは、まだ組み込み前の機関部らしい。鋳物の胴、細い管、磨かれた軸、弁仕掛け。嘉蔵の目つきが変わった。


「あれを見せてもらえますかの」


 万は黙って頷いた。


 仮屋の奥へ入ると、そこには舶来の機関室を小さく切り取ったような空間があった。油の匂いと炭の名残が漂い、部品は磨かれ、布を掛けられ、札を付けられている。中心に据えられているのは、鳴龍丸の心臓部――複式復水機関の試製機であった。


 嘉蔵は、近づくなり言葉を失った。


「……蒸気を、一息で捨てんのか」


「はい」


 万は、横に置かれた図板を開いた。

 高圧で仕事をした蒸気を、さらに別の筒で使い、最後に冷やして水へ戻す。その戻した水もまた、熱を持ったまま次へ活かす。言葉にすればそれだけである。だが、蒸気の癖を知る者ほど、それが机上の理では済まぬことを知っていた。


 嘉蔵は図板を覗き込み、試製機の管を指先で追った。


「力を出すためだけやない……疲れんために、蒸気を逃がしとる」


「長う回すには、その方が利きます」


「いや、利くだけやない。壊れにくい」


 嘉蔵の声には、職人が職人へ向ける、むき出しの敬意があった。

 宇和島で実際に蒸汽船を造ってきた男にとって、これは“女の細工”でも“土佐の奇策”でもない。自分にはついぞ思い及ばなかった、数段先の工夫であった。


 蔵六は、そのやり取りを黙って聞いていたが、やがて別の板へ目をやった。

 そこには螺旋羽根の図が何枚も重ねられている。単純な三枚羽根の形ではない。根元と先で角が違い、半径ごとに捻れが変えられていた。


「羽根の角を、これほど変えておるのか」


「波に向かったとき、先だけが空を噛めば力が死にます」


 万は、指先で図の上をなぞった。


「速いだけの角では、荷を積んだときに負けます。食いつきと抜けを両方見ねばなりません。なので、根元と先で少し変えてございます」


 嘉蔵が、ほとんど呆れたように笑った。


「回るか回らんかだけの話にしておらんのう。荷を積み、波を被り、それでも回し切る角を拾いよる」


「海へ出る船ですから」


 万の返しは、あまりにあっさりしていた。


 その図板と機関とを見比べながら、正右衛門が独り言のように言った。


「機関が脈打って、船が捻れて、そいへ砲を載せる。……それでん暴れん算段まで見ちょっか」


「暴れます」と万は言った。「暴れる前提で押さえます」


 正右衛門は、そこで初めて薄く笑った。


「なるほど。砲術場ん者とも話が合うはずじゃっど」


 尚志は少し離れたところから、四人のやり取りを見ていた。

 彼の驚きは、いまや女であることにも、道具の珍しさにも向いていなかった。この場には、舶来の品も異様な知恵もある。だがそれ以上に、万という一人の工人の頭の中で、機関、船体、港、工程が一つながりに見えていることが恐ろしかった。


「……これを」


 尚志は、思わず口にした。


「これを一藩の内輪の工夫として扱うのは、もう無理ですな」


 万は、図板を畳みながらちらと彼を見た。


「無理かどうかは、そちらが決めることにございましょう」


 若い佐倉藩士は、その一言にわずかに頬を熱くした。

 見抜かれた、と思ったのである。自分がここへ来たのは、ただ技術を見分するためだけではない。これがどこまで幕府の正統な技術として抱え込めるか、値踏みするためでもあった。




 再び湾内の会所へ戻るころには、陽も少し高くなっていた。

 入江の水面へ白い光が落ち、舟渠の底では新しい材が二本、ゆっくりと運ばれている。


 万は板敷きの上へ簡単な図を広げた。舟渠二基の割付、材木の入り、現在の進捗。飾り気のない札である。それを前にしただけで、蔵六たちは、ここがただの見学では済まぬことを悟った。


 最初に口を開いたのは大築尚志であった。

 若いが、その声には、ここから先は一藩の工房談義ではないという硬さがあった。


「細川どの。ならびに諸賢」


 懐から、封を切らぬ書付を取り出す。


「実は、此度わたくしどもが浦ノ内へ参りましたのは、献上船方の見分だけではございませぬ」


 前原が眉を上げ、蔵六は黙ってその書付を見た。

 万だけは表情を変えなかった。


 尚志は、封へ指を掛けたまま言った。


「ハリスより、亜米利加アメリカにおける条約批准使節につき、日本側新式蒸汽船の同行を正式に打診してまいりました。幕府方は、これを看過できぬ筋と見ております」


 会所の外で、どこかの滑車が一度、大きく軋んだ。


 潮の匂いに混じって、急に別の風が入ってきたようであった。

【史実解説】幕末の洋学・兵学・技術を担った人々

作中で浦ノ内舟渠を訪れた一橋派の四人は、いずれも幕末日本の「学」と「技」を支えた人物です。


村田蔵六、のちの大村益次郎は、周防国鋳銭司の村医の家に生まれ、広瀬淡窓の咸宜園、緒方洪庵の適塾で学びました。適塾では塾頭を務めるほど蘭学に秀で、のちに宇和島藩へ招かれて軍艦や砲台の研究に携わり、さらに江戸では幕府の蕃書調所や講武所にも関わっていきます。学者であると同時に、知識をそのまま兵制や軍備へ結びつける力を持った人物です。


前原嘉蔵(前原巧山)は、村田蔵六と共に宇和島で蒸気船や機関の実務に携わった技術者として知られています。もとは藩士ではなく、細工物や木工、彫金など多様な手仕事に通じた町人出身の職人でした。宇和島藩が蒸気機関と蒸気船の国産化へ踏み出す中で、その器用さと実地の腕を買われ、安政年間に蒸気機関づくりに挑み、のちに日本人の手による蒸気船建造成功へつながった人物です。


 成田正右衛門は、薩摩藩で洋式砲術を担った人物です。もとは鳥居平七といい、荻野流・坂元流を学んだのち、高島流砲術を修め、薩摩藩の砲術師範となりました。さらに長崎でヨーロッパ砲術に触れ、薩摩の鋳製方では青銅砲などの製造にも関わっています。薩摩では、西洋式砲術を藩の「御流儀」として取り込み、集成館事業へつながる軍事技術の基盤を築いていきます。


 大築尚志は、佐倉藩出身洋学者・兵学者です。佐倉藩は幕末屈指の蘭学先進藩として知られ、大築も早くから洋学を学び、文久二年には蕃書調所の教授方手伝を命じられました。のちには兵学・砲兵の道で頭角を現し、明治以後は陸軍の中枢でも働くことになります。四人の中では最も若い世代に属しますが、それだけに幕末の「学問をそのまま制度へつなぐ」新しい型の人材と言えるでしょう。

 

幕末という時代には、長崎海軍伝習所や蕃書調所などで、藩の垣根を越えて洋学・兵学・造船・砲術の知が響き合い、互いに刺激し合っていた空気がたしかにありました。この回では、その時代の熱を、一つの舟渠へ凝縮するかたちで描いています。

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