第二十五話 五侯連署
六日目――安政五年三月十九日・昼 近衛家御用対面所
昼の光は高かった。
だが、近衛家の対面所へ入ると、その明るさは畳の上でいったんほどけ、声をひとつ低くさせる類の静けさへ変わる。庭の白砂はまぶしいほどであるのに、座の内側には、物を軽々しく決めてはならぬという空気だけが、薄く張っていた。
堀田正睦は、その静けさのただ中に端坐していた。
その前に、五通の書付が並んでいる。
封も、奉書の畳み方も、それぞれ微妙に違う。だが違いはそこまでであった。紙の厚み、筆の運び、書き出しの角度――別々の手から出たものが、ひとつの場へ並ぶことを前提に、あらかじめ呼吸を揃えられている。
正睦はその五通へ一通り目を通し、最後に一番上の一通へ指先だけを軽く置いた。脇には三岡八郎が控え、視線を伏せている。
藤兵衛もまた、少し後ろに座していた。ここでは、彼が前へ出ることはない。いま求められているのは船の理ではなく、名の重さであると知っているからだ。
取次の家司が、一歩進んで膝を着いた。
「老中首座より、近衛様へ」
正睦が、低く言った。
「此度は、願いの文ではござらぬ。また、朝議を縛るためのものでもござらぬ。ただ、責を引き受ける者の名を、先に差し出し置くまでにございます」
家司は顔を上げぬまま、書付を受けた。
順に開いてゆく。
越前・松平慶永。
土佐・山内豊信。
宇和島・伊達宗城。
水戸・徳川斉昭。
薩摩・島津斉彬。
そこで、家司の指がわずかに止まった。
水戸と薩摩。
いまの京にあって、その二つの名が同じ紙の上に並ぶ重みを知らぬ者はない。斉昭と斉彬、その気質も、その手の伸ばし方も異なる二人が、ここでは同じところへ署している。
それだけで、この文がただの情に流れた寄合いではなく、何か切迫した、しかも慎重に整えられた申し合わせであることが分かる。
「……これは」
家司は、問いかけるように小さく言った。
正睦は声を変えずに答えた。
「異国通商の是非は、偏に天朝の御裁可に在る。その理につき、五侯とも異存ござらぬと記してございます」
家司は次の行へ目を落とす。
そこに記されていたのは、主張ではない。
覚悟であった。
勅許が下るならば、その後に起こりうる人心の動揺、暴発の芽、諸藩の統御――それらを幕府のみへ押しつけず、署名した諸侯らもまた等しく引き受ける。
そして、その責を引き受けたうえで、天朝の面目を立てる形を整える。
献上御船は、そのために奉る、と。
家司は、一度そこで顔を上げた。
「責を……引き受ける、と」
「左様」
正睦はうなずく。
「勅許を賜るならば、その後の鎮静と統御、諸藩への申し渡し、浮き立つ者どもの抑え。それらを公儀だけの責にせず、署名の諸侯が共に負う、その申し合わせにございます」
家司は、再び文へ目を落とした。
その視線の動きが、わずかに変わる。
最初は“何を言いたい文か”を測っていた目が、いまは“この文を受けたとき、どのように場が動くか”を測る目になっている。
八郎はそれを見て、胸の内で息を整えた。
ここまでは届いた。
届いたからといって勝ちではない。だが、少なくとも門前払いにはならぬと知れた。
家司が、文の末尾へ指を止める。
「献上船の条、ここにもございますな」
「はい」と、今度は藤兵衛が顔を上げた。
正睦はそれを制さなかった。
「ただし、異国へ媚びるための器ではございませぬ。本邦の技法と人力によって成りたる船をもって、朝威を支える形を立て申すためにございます」
家司の目が、一瞬だけ藤兵衛へ向いた。
若い。しかも土佐の下士あがりの顔つきである。こういう場で前へ出る者には見えぬ。
だがその声は、不思議と浮いていなかった。
「御前に供してなお危なげなく、しかも見世物とならず、供奉を乱さぬこと。そこまで整えられておりまする」
家司は何も言わなかった。ただ、そのまま書付を丁寧に畳み直し、胸の高さで持ち替えた。
「……拝受つかまつる。近衛様へは、しかと取り次ぎ申す」
正睦は深く頭を下げた。
勝ち誇る気配は、少しもない。
ここにあるのは、これ以上血を流させぬための道を、格式と制度の内側で、ぎりぎりまで探り当てようとする老中の姿だけであった。
家司が退いた後、しばらく誰も動かなかった。
やがて八郎が、ごく低く言う。
「……水戸と薩摩の名は、やはり効きましたな」
正睦は顔を上げぬまま答える。
「効いたのではない。重かったのだ」
その一語に、八郎は深くうなずいた。
重いものは、すぐに場を変えぬ。
だが一度場へ置かれれば、あとから遅れて効いてくる。今の京で必要なのは、まさにその遅れて効く重さであった。
藤兵衛は、黙って座を正したまま、胸の内であの本能寺の阿弥陀を思っていた。
速いものが勝つとは限らぬ。乱れたものを、あるべきところへ戻す。
そう決めたばかりである。
ならば、いま目の前で置かれた五つの名もまた、そのための重しであろう。
◆
近衛家を辞した後、京の空気は目に見えぬまま、確かに少し動いた。
噂はなお速い。
だが、速い噂はいつも軽い。軽いものは、人を煽りはしても、最後の座を決めきれぬ。
今朝まで宮中を流れていたのは、
老中堀田、暴徒に襲わる。
八十八卿の周りに過激の気あり。
一橋派も裏では刃を使う。
勅許どころか、都はもはや荒れるばかり。
そうした、向きだけは揃っていて、中身の曖昧な悪感情だった。
ところが、そこへ五侯の名が差し出されたと聞くや、人の口は別のところでつかえ始める。
越前が署した。
土佐も署した。
水戸も、薩摩も、名を連ねた。
しかも、勅許を迫る文ではなく、責を負う文であるらしい。
人は噂に乗る時、感情の速さで乗る。
だが、そこへ具体の名が、しかも責を引き受ける形で置かれると、感情は一度足を止める。止めた瞬間に、場の空気は少し変わる。
摂家の屋敷では、家司どうしの声が低く交わされる。
「暴徒の噂ばかりではあるまい」
「少なくとも、名ある大名どもが責を負うと申すなら、ただの軽挙では済まぬ」
「血よりも、格式の方が重いか……」
清華家の門前でも、取次の顔つきが朝よりわずかに改まっていた。
町場では事情の細部までは知れぬ。だが、朝廷の周辺に“何か重いものが置かれた”ことだけは、空気の変わり方で伝わる。
岩倉具視は、その変化を御所裏の細道で感じていた。
風そのものは朝と変わらぬ。春の空も、まだ硬い。
だが、人の顔の向きが違う。今朝までなら、八十八卿を暴の側へ押しやるためにだけ働いていた空気が、昼を過ぎたあたりから、どこかで躊躇を持ち始めている。
(……名が、入ったか)
具視は、胸の内でそう思った。
誰が何を差し出したか、まだ詳らかには知らぬ。だが、ただ感情で動く場に、責を負う名が置かれたのだと分かる。
それだけで、理はまだ死んでいないと知れた。
彼は足を止めずに歩いた。いまここで浮き立つのは危うい。耐えるべき時は、なお続いている。
けれど心の底では、鵜飼吉左衛門の顔がまた浮かんだ。
あの老武士は、理を刃に落とさぬために死んだ。
もし今、名の重さが空気を押し返し始めているなら、その死はまだ都のどこかで働いているのだ。
具視は、誰にも聞こえぬほど小さく息を吐いた。
「……まだ、残るか」
それは願いではなかった。
理がなお場へ残る余地を、自らに言い聞かせる声であった。
◆
五侯連署が近衛家へ入ったことは、夕刻までには本能寺へも伝わった。
八郎は戻ってきた足で、藤兵衛へ静かに言った。
「空気が、一枚変わりました」
藤兵衛は顔を上げる。
「一枚、か」
「はい。勝ったとは申せませぬ。されど、“暴徒の噂だけでは決まらぬ”という気が、ようやく入りました」
藤兵衛はしばらく黙っていた。
吉左衛門の死のすぐ翌日に、こんなふうに物が動くことをどう受け取るべきか、自分でもまだ分からない。冷たいとも思う。だが、冷たさを厭うて止まれば、あの人の死は本当に無駄になる。
「ならば」と藤兵衛は言った。
「鵜飼殿は、影の楯となって、ひとまず場を保たれたのでござろうな」
八郎はそれにすぐ答えず、少ししてから深くうなずいた。
「ええ。そして、楯の後ろで動くべき者は、もう動かねばなりますまい」
その言葉に、藤兵衛はもう一度、阿弥陀如来の面を思い出した。
順。
乱れたものを、あるべきところへ戻すこと。
刀で戻すのでなく、名と文と責で戻す。
それがいま、自分たちにできる唯一の進み方なのだ。
◆
その夜更け、京の裏道をひとりの若者が人目を避けるように歩いていた。
水戸藩士の若者だった。
もはや名を呼ばれることもない。
六角通から逃げ延びてから、彼は藩邸へ戻っていない。
戻れなかったのだ。
何を問われるかも、何を責められるかも分かっていた。そして、それに答える言葉をもう持たないことも。
(……違えたまま、終わってしもうた)
胸に残るのは、それだけだった。
吉左衛門の顔が、何度も浮かぶ。
責めぬ顔。
戻れる、と言った声。
その声を振り切って斬り込んだ己の腕の重さだけが、いまも肘から先に残っている。
曲がり角で、背後に足音がひとつ重なった。
振り返るより早く、低い声がした。
「……こちらへ」
命令でも、誘いでもない。ただ、そうするのが当然だとでもいうような合図だった。
示されたのは路地の奥、昼なら誰の目にも留まらぬ小さな蔵である。
若者は一瞬だけ足を止めた。
だが刀へは手を伸ばさなかった。
――もはや、斬る理由がない。
蔵に入ると、灯はひとつだけだった。
壁際に二つの影がある。どちらも顔を隠している。片方は痩せ、もう片方は中背で、声の主がどちらかも分からぬよう立っていた。
「役目は、終わった」
それだけが告げられた。
若者は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「……では、戻れと?」
声は揺れていた。
問いというより、願いに近かった。
戻れ、と言われれば、どれほど楽だったろう。
だが、答えはなかった。
わずかな間。沈黙だけが落ちる。
若者は、その沈黙の意味をようやく悟りかけた。
胸の奥へ、遅れて冷たいものが差し込んでくる。六角通で自分の背を押していた声は、ここではもう何の熱も持っていない。用の済んだ道具を前にした、乾いた冷たさだけがある。
「待て…!」
その一語が口をついた時には、もう遅かった。
乾いた音がひとつした。
何か重いものが、床へ崩れる音である。
叫び声は上がらなかった。
灯は揺れたが、消えはしない。壁の影だけが、わずかに形を変えた。
やがて、そのうちのひとつが言った。
「これでよい」
何が、とは誰も問わぬ。
蔵の外には、春の夜が静かに広がっていた。
昼のうち京を渡った噂は、もう別の顔をして人の胸へ入り始めている。
その一方で、噂を形に変えるために使われた者の名は、ここで音もなく消された。
翌朝――三月二十日。
六角通近くの宿で、数人分の布団が使われぬまま残っていることに気づいた者がいた。
だが、その名をあらためて確かめようとする者はなかった。京では、ときに“知らぬままにしておく”こと自体が、人の身を守る知恵になる。
朝は、何事もなかったかのように動き出す。
朝議の支度が進み、人々は昨日までよりなお慎重に言葉を選ぶ。
昨夜の血も、消えたわけではない。ただ、もう表へは出ぬ形に畳まれただけである。
闇は、まだ退いていない。
ただ、音を立てずに形を変えただけだった。
最後の一日が、すでに始まっていた。
【史実解説】幕末の「諸侯が動く政治」の実像
本作の「五候連署」は創作であり、特定の史実上の一文書をそのまま再現したものではありません。
しかし、諸侯が朝廷に直接意見を届け、政局を動かすという構図そのものは、幕末の政治状況と深く響き合っています。
江戸時代の政治は長く幕府が中心でしたが、条約勅許問題以後、朝廷の発言力が急速に強まり、幕府の権威は揺らぎ、雄藩の台頭が進みました。
その結果、政治は幕府の専断ではなく、朝廷の意思と有力諸侯の働きかけを無視しては進められないものになっていきます。
文久二年には、島津久光が上京して幕政改革を後押しし、一橋慶喜の将軍後見職就任や松平春嶽の政事総裁職就任へつながりました。これは、藩主や国父といった有力者が、幕府の外側から政局を動かしうるだけの力を持っていたことをよく示しています。
その意味で、「諸侯が朝廷に建白し、名分と格式をもって政治の流れを動かそうとする姿」は、幕末特有の政治構造と深く重なっています。制度の上で諸侯がただちに幕府と同格だったわけではありませんが、少なくとも政局の現実においては、幕府と拮抗しうる影響力を持ちえたのです。
『五侯連署』全文 ※創作・安政版
一、近年の異国通商の儀につき、軽々なる専恣を以て事を進め候意図、毛頭これなく候。
一、此度、老中堀田備中守をして朝廷へ趣意を尽くし奉るは、専ら天下静謐、朝威安固を期するがために候。
一、異国交際の是非は、偏に天朝の御裁可に在り、我らこれを侵す意、毫もこれなく候。
一、然れども、徒らなる流血、無謂の動揺を未然に防がんがため、その後の鎮撫・取締につき、諸大名は其責を共に負わんと欲し候。
一、若し勅許下され候わば、その御趣意を奉戴し、朝威を内外に明らかにせんがため、献上船を奉る所存に候。
一、右献上船は、本邦の技法・材木・人力を以て建造せし御舟にして、いささかも夷狄の器、異国の制に依るものに非ず候。
一、是は異国に阿るための舟にあらず、海防を固め、朝威を護るべき御舟として、御前上覧に堪うる礼式を尽くし奉るものに候。
参考文献:『衆議院「怒濤の幕末維新―攘夷・開国から民撰議院設立建白書提出へ」』、衆議院憲法審査会事務局『明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料(明治憲法の制定過程を中心に)』、『近代日本研究』第14巻「幕末文久期の中央政局と越前藩」(高木不二)




