第五十話 白波はただ先へ
安政七年三月三日 ――土佐藩執政・吉田東洋、死す。
後の歴史書はこう記す。
その日、江戸には季節外れの大雪が降っていた。
東洋は、双翔丸と遣外使節の件で江戸城へ出向く途上、桜田門外において、土佐脱藩郷士・山中某の凶刃に斃れた。
山中もまた、その場で護衛の岡田以蔵に斬り殺されたため、動機の真相はついに明らかとならなかった。ただし、周囲の者へ宛てた書簡などから、東洋の進める藩政改革に強い不満を漏らしていたことのみが伝わっている。
歴史書の文字は、そこで乾いている。
だが、その朝の雪は、乾いてはいなかった。
◆
岡田以蔵は、血に濡れたまま藩邸へ戻った。
襲撃者は斬った。東洋を斬った男は、己の刀で討った。武で言えば、負けてはいない。抜くべき時に抜き、追うべき者を追い、雪の上に伏せさせた。
だが、東洋は戻らなかった。
その一つだけで、以蔵の中の理は折れていた。
藩邸の者が何かを問いかけたが、以蔵は答えなかった。肩に積もった雪が溶け、血と混じって袴へ落ちる。刀を拭うこともせず、一室へ入ると、膝をついた。
そして、脇差を抜いた。
「何をする」
殖産総監家老・五藤主計の声で、以蔵の手が止まった。
主計は、叱り飛ばさなかった。慰めもしなかった。ただ、以蔵の前に座り、抜かれた脇差を見た。
以蔵は、刃を握ったまま頭を下げた。
「腹を、切るがです。先生を、お守りできませんでした」
「斬った男は討ったか」
「討ちました」
以蔵は唇を噛んだ。
「けんど、先生は死にました」
「そうじゃ」
主計は短く言った。
「武で勝っても、止まらん熱がある。おんしが斬ったは、先生を斬った男一人じゃ。その男をそこまで押したものまでは、斬れん」
部屋の外では、人が走る気配がしていた。幕府方への届出、江戸屋敷内の確認、土佐への急報。いくつもの声が廊下を渡る。
主計は、以蔵の手から脇差を離させた。
「死んで詫びるは、まだ武の内じゃ。生きて沙汰を待て。おんしの命は、もう一人のものではない」
以蔵は額を畳に伏せた。泣き声はなかった。
ただ、血の匂いだけが、部屋に残った。
◆
報せは走った。
江戸藩邸から幕府方へ。江戸から土佐へ。公の書状とは別に、長崎へ向かう細い文もあった。船と特許に関わる者たちは、東洋の死をただの藩内事とは見なさなかった。
紙は人よりも速くは走れない。
だが、人よりも遠くへ届く。
東洋の死は、まず紙になり、封じられ、運ばれた。
そして、土佐へ届いた。
城下の風は、ひとたび止まったように思えた。
吉田東洋、桜田門外にて凶刃に斃る。
その一行は、海を越えた船よりも速く、人の胸を打った。誰もがすぐには声を出せなかった。声にすれば、その死が本物になる。そう恐れているようであった。
だが、藩庁は止まれなかった。
政務総裁家老・深尾鼎は、報せを読み終えると、しばらく紙から目を離さなかった。顔色は変わらない。ただ、白い指先だけがわずかに震えた。
やがて鼎は、書状を畳んだ。
「帳面を閉じるな」
その一言で、部屋の者たちが息を呑んだ。
「東洋殿が斃れたゆえに、政も斃れるでは話にならん。届出、勘定、港の手当、文武館への沙汰、すべて続けよ。泣くは後じゃ」
冷たい言葉ではなかった。
冷たくしなければ、崩れると知っている声であった。
鼎は知っていた。東洋の政は、一人の胸にだけ置かれていたわけではない。帳面に入り、役目に入り、人の配置に入り、すでに土佐のあちこちへ根を下ろしている。
ここで帳面を閉じれば、東洋の死は人の死では済まなくなる。
彼が紡いだ政まで死ぬ。
それだけは、ならなかった。
◆
宿毛の海防総督家老・山内主馬のもとにも、同じ報せは届いていた。
主馬はしばらく黙っていた。双翔丸、遣外使節、公儀外洋船、浦戸、宿毛。頭の中で、いくつもの線が音もなく動く。
ふと、少林塾で見た一幅の墨が胸に戻った。
天が崩れ、地が裂けるような災いも、いつかは静まる。
ただ、人の志が死なぬなら、世はまた巡る。
東洋は斃れた。だが、船はすでに海へ出ている。
「先生は死んだ」
主馬は低く言った。
「けんど、船はもう出ておる」
その声に、周囲の者たちが顔を上げた。
「出た船を、死者の名で引き戻すな。帰る港を整えよ。石炭、修繕、船渠、台場、測量。手を止めるな」
主馬にとって、東洋の死が残したものは嘆きだけではなかった。
責任であった。
出した船は、必ず帰る。帰るなら、迎える港が要る。東洋がいなくなったからこそ、港はなおさら崩せない。
海へ出した理を、土佐の側で受け止める。人の志を、港の形にして残す。
それが主馬に残された役であった。
主馬は立ち上がり、障子の外へ目を向けた。冬の空は低い。だが、その向こうに海がある。
「先生は、港を先へ置いた」
誰にともなく言う。
「ならば、わしらは、それを受けるだけじゃ」
その声は小さかったが、部屋の者たちは皆、頭を下げた。
◆
文武館では、竹刀の音が一度止まった。
報せを聞いた若者たちの息が、同じ方へ傾いた。怒りであり、悲しみであった。誰かが、仇、と言いかけた。
その前に、武市半平太が立った。
「稽古を続けよ」
声は荒くなかった。
だが、半平太の胸の内は静かではない。
東洋を越える。
そう誓った。文武館という場を預かり、人の熱を刃ではなく道へ通す。その果てに、あの男の理を越えてみせるつもりであった。
だが、東洋はもういない。越えるべき背が、雪の中で折られた。
しかも、折ったのは外の敵ではなかった。土佐の熱であった。行き場を失った声が、道ではなく刃になった。
止められなかった。
その一語が、胸の奥で血のように滲んだ。
「怒るなとは言わん。泣くなとも言わん」
若者たちは黙っている。
「だが、抜くな。ここは、東洋先生が刃を鞘へ通すために置いた場じゃ」
半平太は、わずかに震える手を袴の陰へ押し込めた。
「先生を祀って終わるな。先生の理を受け、その先へ行け。わしも、そうする」
沈黙ののち、竹刀の音がひとつ鳴った。
弱い音であった。
だが、次の音が続いた。
さらにその次も。
半平太は目を閉じなかった。閉じれば、泣いてしまう気がした。
◆
後藤良輔は、報せを聞いた時、しばらく立てなかった。
東洋の死は、師と父の死であり、柱の喪失であり、同時に、自分の名を問う刃でもあった。
象れ。そういう声が、どこかから聞こえてくる気がした。
東洋の形を継げ。東洋の名を背負え。東洋の代わりになれ。
だが、それは違う。良輔は、膝の上で拳を握った。
「先生を象るつもりはない」
声は掠れていた。傍らの乾退助が、黙って聞いている。
「けんど、先生の置いたものまで、死なせるつもりはない」
退助は短く頷いた。
「なら、折れるな、やす」
良輔は顔を上げた。退助の目は、いつものようにまっすぐだった。慰めではない。命令でもない。ただ、立てと言っている目であった。
「いのす」
「何じゃ」
「先生は、もう戻らんがじゃな」
「戻らん」
退助は逃げなかった。
「だから、残った者が置くしかない」
良輔は、ゆっくり息を吸った。
東洋の代わりにはなれない。だが、東洋の置いた理を、別の形で立たせることはできる。
それが、良輔の受け取った重荷であった。
退助は、しばらくして静かに言った。
「やす。先生はもう前へは出ん。なら、わしらが道を塞ぐ石をどける」
良輔は頷いた。
「いのすは、人を押し出せ」
「やすは、形へ納めろ」
二人はそれだけ言って、ようやく立ち上がった。
土佐は燃え上がらなかった。
だが、揺れなかったわけではない。
藩庁の帳面は閉じられず、港の手当は止まらず、文武館の竹刀は再び鳴り、若い二人は折れかけた膝を立て直した。
吉田東洋は死んだ。
しかし、その死は土佐から、彼の遺した”理”を奪い尽くすことはできなかった。
理は、すでに人の中へ渡っていた。
――ただ一人を除いて。
◆
その報を、高知城本丸御殿で受けた前藩主・山内容堂は、ただ微かに眉を動かしただけであった。
しばし黙したのち、御遺骸を土佐へ移し、盛大に弔うこと、護衛の者には責を問わぬことのみを命じて、奥座敷へ引いた。
近習が火鉢を入れ、燗を置いたが、容堂は手をつけなかった。障子際に寄ったまま、座敷の上手にある、うちわけ波の欄間を見上げていた。
荒波を割るその意匠の向こうに、城下の先、見えぬ海を思う。
双翔丸はいまも東の海を行く。船は出た。港も開いた。人も置いた。熱は削いだ。座まで退いた。
手は尽くした。土佐で起こるその日は、まだ先の筈であった。
だが、先生は江戸で死んだ。
よりにもよって、“あの日”に。
あの門外で。
雪はここにはない。
それでも容堂の胸の内は、白かった。誰が倒れるかは違えても、血を求める日そのものは避けられぬのか。そんな思いが、火の気のある座敷をなお寒くした。
藩のため。公儀のため。海防のため。そう言えばいかにももっともらしい。だが、それだけではない。そこまで執拗にはやらぬ。
容堂は、波の欄間を見たまま、ようやく本音へ触れた。
本心は、国の行く末を変えたかったのではない。藩を立て直したかっただけでもない。
ただ一つ、折れてはならぬ背を、折らせとうなかった。
それだけのために、手を打った。人を置き、熱を逃がし、刃へ行く道を塞ぎ、座を退いた。これで届くと思うた。これで先生は救われると思うた。だが、届かなかった。
遠い海の向こうへ船は出た。理はなお先へ進んでいる。先生だけが、そこにいない。
胸に、藤兵衛の名が浮かんだ。
あの男だけは、”前の世”にはいなかった。
あの男はもっと遠い、こちらの理がまだ届かぬところから物を見ているようであった。
だからこそ、どこかで信じたのかもしれない。あの男が来た時、今度こそ届くかもしれぬと。
だが、先生は死んだ。
欄間の波の向こうにあるはずの海を見た。見えぬ海の先に、双翔丸がある。その甲板のどこかに、藤兵衛が立っている。
「朝倉藤兵衛、……お前はどこから来た」
答えはなかった。あるはずもない。それでも、なお見えぬ海へ向けて、もう一つだけ問うた。
「やはり、先生は救えないのか――」
白波はただ、城の中で先へ割れていた。舫だけを残して。
完
【史実解説】吉田東洋暗殺
史実の東洋は、文久二年四月八日(1862年)夜、土佐藩政の中枢を担う立場にあった時、高知城下の帯屋町の自宅付近で刺客に襲われて落命しました。この日、東洋は城中で藩主・豊範へ『日本外史』の講義を行い、その帰路で襲撃されました。
実行犯として知られるのは、那須信吾・安岡嘉助・大石団蔵の三名です。いずれも尊攘派の側に連なる若い郷士で、東洋の進める藩政改革や公武合体寄りの路線に反発していました。彼らが東洋を排斥し、藩主上洛を実現しようとしたことが背景にあったとされます。




