007 捜査
六月に入り半分が過ぎた。
あれから、もう二か月が過ぎている。だのに、未だ岸浩太郎巡査長は目を覚まさない。そして、捜査の手も全くと言っていいほど伸びていない。
あの日、香取警部補の機転で三浦家に捜索に入る事ができたが、結果は芳しくなかった。
無印のプラグ。あんなものを使われては、これ以上追う事は出来ない。
そもそも、あの鎖で岸巡査長の目を覚ます事ができるのだって、本当は分からない。
結局、あの夢の世界で行われている現実世界を蝕む連続殺人を、私たちは止められずにいた。
「今日までで被害者の数は八十を越えている、そのうち十八名は目を覚ましたが、未だ七十九名が目を覚ます事無く、寝たきりになっている。目を覚ました者たちも、皆共通して後遺症に苦しんでいる」
警部からの報告も、既に何度も聞いている。それに、これに続く言葉も。
一刻も速くこの事件を解決しろ、だ。
私だって分かってる。他の仲間たちだって分かっている。しかし見つからないのだ。この事件を解決に導く、一筋の救いの糸が。
「倉盛、そっちはどうだ」
「収穫無しです。鎖は何処にも見つかりません。カルガモの現実の三浦って子が何か知ってると思ったんだけど」
「ログを追えたなら、鎖の所在だって追えるんじゃないの?」
「それが、アイテムのログはプレイヤーのログよりも膨大で、セキュリティも堅くて探れないんです」
「あの剣も、結局は引き抜けなかったしな」
岸巡査長——フィルチが掴んだあの剣は、引き抜くことはできなかった。だから、私たちはあの剣はそのままに伏した仲間を抱えて離脱した。
これは後に分かった事だが、聖遺物にはそれぞれ入手時に必要な手順が存在し、それから外れた行動をとれば、特殊状態異常<呪い>に体を蝕まれるという。
岸巡査長はこの呪いによって、現実に変える事ができなくなってしまった。
私のせいだ。私があの時洞窟の先に進ませなければ、少なくとも仲間を一人失う事もなかった。
「気に病むな武蔵部。…………と言っても、無駄か」
「それより、あのゲームを作ったソムニアトール本社への取り調べの件はどうなってんだ」
香取警部補の言葉に、私はハッと顔を持ち上げた。
あの日、剣を見つけて引き抜こうとしたその日に、私たちはソムニアトール社への立ち入り調査を申し出た。しかし、その返答はずっと否だった。
ソムニアトール社から断られた訳ではない。私たちの捜査は、警察上層部によって断れていたのだ。
おそらく、裏でソムニアトール社から取引を持ち掛けられたのだろう。それくらいは分かる。しかし、その影響は予想以上に速く、そして甚大だった。
「ああその件だがな……許可が下りた」
真壁警部の言葉によって、わたしたちの間に沈黙が落とされた。
「警部……今、なんと?」
「だから、捜査許可が下りたって言ったんだ。行くか行かないか今決めろ」
「行きます!」
「決まってるっしょ」
「い、行きます!」
それぞれに返事をしながら、外に出る準備を瞬時に終わらせた。
さぁ、仕事を始めましょう。
私が犯した罪を清算するために。これからの現実を生きる人々を守るために。
「お待ちしておりました、どうぞこちらに」
都内某所のソムニアトール本社にやって来た。案内人の女性社員は、表向きわたしたちを歓迎してくれた。しかしその目には猜疑が宿り、こちらの一挙手一投足を注意深く観察していた。
メインエントランスから右手に置かれたエレベーターに乗り込み、八階まで上がる。
ガラス張りのエレベーターからは、各フロアの様子が伺えた。
何処も人が多く、皆同じくらい忙しそうにしていた。そんなソムニア社員たちの中で一人、私の視線に気づき、顔を上げた者が一人だけいた。
「今回の調査協力、感謝します」
エレベーターから降りて、直線に伸びた通路を進み突き当りを右に。それから三つほど大小の会議室を通り過ぎて、四つ目の大会議室に通された。
わたしは、通された会議室に入ってから形ばかりの感謝を告げ、陶器の調度品で飾られた室内の下座に腰を下ろした。
「担当者がすぐに参りますので、少々お待ちください」
そう言って案内してくれた社員は下がった。
「こんなにすんなり通してくれるとは思わなかった……」
倉盛の言い分は確かに分かる。少なくとも、警察に入ってすぐの頃は私もそう思っていた。
「通す通さないは問題じゃねぇ。重要なのはこの後だ」
その通りだ。
「この後?」
倉盛は理解していないという顔をして見せた。
警察官としてはその顔はご法度だ。特に、こういう大手企業の腹の中では。
「出てくるのはサイバースシグマの開発責任者でしょうね」
「責任者がなに知ってるってんだ。そいつはただの管理職に胡坐を描いて、自分の経歴ばっか気にする本物の馬鹿だ」
私、香取警部捕の順にそう言ったタイミングで、会議室の扉が開かれた。
「お待たせしました警察の皆さん」
入って来たのは、予想通りの風体の男だった。
齢は五十前後、筋肉よりも贅肉が体にまとわりついた吐き出す言葉とその身に隠した本音が乖離した、この世界の立ち回りを十二分に理解した社会人だった。
「夢観測潜入係第四班の真壁です。前置きはこれ以上はいらんでしょう。こちらの知りたい事を、アンタらは理解しているはずだ」
真壁警部のその言葉は、責任者を名乗るこの男には通用しなかった。
「申し訳ありません、こちらとしても協力はしたいのですが現在調査中でして」
そんな見え透いた嘘を、私たちは事実として飲み下さなければならない。
「そうですか。では、幾つかこちらの質問に答えられる範囲で答えていただきたい」
それから、幾つか他愛のない雑談を交えつつ、会社の秘匿事項に触れないであろうぎりぎりの線に沿って質問を繰り返した。
収穫はゼロに等しい結果となった。それも、正直言えば想定の範囲内だった。
会議室を辞して、エレベーターに乗った私たちは、メインエントランスの一階へと運ばれる。
重力に従い下へと落ちるガラスの箱の中、行きの中で見た働き人の姿は何処にも見られなかった。
視界に映るだけでも働き蟻のように行きかう人々の姿は見られるが、特定のその人物を観る事だけは叶わなかったのだ。
私は一人、ほくそ笑んだ。ここに来ただけの価値があればそれでいい。
「申し訳ないのですが、御手洗いをお借りしても?」
「承知しました。ここから見て右手の、正面受付を通り抜けて右に曲がった先にあります」
案内人に教えられたとおりの場所にトイレはあった。しかし、別に用を足しに来たのではない。
私は一番奥の個室の扉を閉じて、鍵は掛けずに扉に体重をかけた。
二、三分そこでじっと知らせを待つ。
コン、コン、コン…………。
扉のノックが三回。他の個室は空いているのに、わざわざこちらに来るという事は、そういう事だ。
「貴女は警察の方、ですよね」
「ええ、わたしは夢観測潜入係第四班で警部補の——」
「名前は結構です。私はサイバースシグマの開発部の者です。ここで落ち合いましょう」
そう言って扉の上から放り込まれた丸まった一枚の紙を、私は中空で受け取り、足音が遠ざかるのを静かに聞いていた。それから五分の時間をかけてから、私はトイレを後にした。
ここでの仕事はこれで終い。後は、向こうの世界でやるべき事をやる。
「遅ぇえよ。うんこか?」
「それセクハラですよ」
香取警部補の軽口をいなしながら、私は受け取った紙を真壁警部に渡した。
「今日の深夜零時、中央都市ロートンです」
「そうか、これで何か分かればいいんだがな」
私たちは、遠回りしている。そう感じさせる焦燥感が、胸の中で静かに蠢いていた。




