005 アウターズ
――僕の居場所は、ここにしかない。
――僕の生きる意味は、ここにしかない。
――僕の明日は、この世界にしかやって来ない。
現実世界で床についた一人の少女、川向榀の意識は、一面色一色に覆われたログイン画面の中で自身が全力の愛を注ぎ育て上げた一人の女性アバター、シナへと向かっていた。
『サイバースシグマ』と書かれたタイトルの下を潜り抜け、私は目の前でこちらをじっと見つめる一人の少女と向き合った。
切り揃えた前髪から覗く翡翠の玉のような澄んだ大きいく丸い緑色の瞳が、私の視線と絡まる。
紫に近い黒の髪をクラゲのように丸みを持たせ、襟足は内側から外側にはねるようにした髪型は、いつ見てもかわいいの中にある、彼女の力強さを何処からともなく感じさせる。そんなクラゲの中に入れた、二筋のアメジスト色のメッシュと、同色のインナーカラーでの配色によって、この子がこの子であることをより一層強調している。
全体的に細い体格のシナの体を覆うのは、輪郭を隠すためのオーバーサイズの白のパーカーコートに、胸の部分に貫通耐性と炎熱耐性のプレートで防御力を上げた濃紺に差し色として蛍光グリーンを入れたインナー、武器を下げられる交差したベルトを腰に巻いて、下は二色の黒によって彩られたパンツに、インナーと同じ色の割合で塗られたハイカットブーツという、現実の私では到底着こなせないような色鮮やかでありながら、どこか落ち着いた雰囲気の服に身を包んでいる。
この子が私で、そしてこの子が僕。
僕は榀ではない。私はシナじゃない。
榀は、埃とガスに侵された風に巻かれた退屈で鬱屈した現実世界で息をする一人の女子高生。
シナは、この鉄と炎熱に覆われた世界で、犯罪組織を牽引する一人のアウタープレイヤー。
ログインボタンを押下した瞬間、現実の私の体は中空に溶けて、視界がぐるりと回った。次いで意識が、一つの冷たくも温かなシナの体の中へと同化した。
サイバースシグマには、この世界を象徴する大都市が存在する。その名は『中央都市ロートス』。
一大企業『シグネチャー・ビット』に支配されたこの大都市が、僕の遊び場であり標敵でもあった。
この世界では、自分は何にでもなれる。そして何でもできる。
システムによって保護、調整されている事は有れど、一切保護されていない行動、製作、そして攻撃が存在するからこそ、この世界はとても残酷で、それ以上に美しく僕の翡翠の瞳に映るのだと、そう思っている。
「今日は早いんだなリーダー。学校はテスト期間か何かか?」
鼠色のコートに、同じ色合いのニット帽とハイネックのシャツを着こなした全身鼠色の巨漢が、僕に声をかけて来た。
僕が組織し、ここまで成長させたアウタークラン『黒紅の鬣』の副リーダーのcustom33ことタムさんが、いつも通り全身を包む鼠色で顔も隠したその姿で、こちらを見下ろしている。
「テストは来月。それより、何か面白いことはあった?」
これから遊びに行く友人を呼び止め、何処に行くのかと訊き出すように声をかけると、埃を被った灰色の毛皮のような口あての下で、タムさんはニヤリと口角を持ち上げた。
「石粒どもが動き出したみたいだ」
「へぇ……狙いは?」
石粒、それはレギルスクラン『橄欖岩』のクランメンバーを指している。僕らが付けた蔑称だ。
組織の総数は五○○名、うち戦闘員は三八二人、非戦闘員は一百と少しの大型のクランでもある。そんなクランに目を付けられたのは一体何処のクランだと訊けば、タムさんは更に笑みを深めて答えた。
「アウタークラン四枚翅、俺らを散々苦しめて来たクランだ」
「そっか。じゃあ、終わるまで見学かな。どっちに賭ける? 僕はペリドットに一万」
どちらが勝つかは分からない。なんせ、四枚翅の人数も同じく最大値の五○○で、戦闘員の数こそ多いものの、個々のプレイヤ―スキルの差で見れば、僕の目と近しい色を持つ石の名前を冠した正義の十字架を背負ったクランに傾いている。
「俺は断然蟲連中だな。あいつら、戦いのセンスは絶望的だが、それを指揮してるプテラはかなりのやり手だ」
「それじゃあ、実況ヨロシク。僕はいつも通りラボに籠ってるから」
決着が付くまで、職業<調薬師>の真価を発揮するとしよう。
ロートン南東区画のスラム街に隠された僕らの活動拠点に繋がる自動扉を潜りながら、僕はそれだけ指示して施錠した。
黒紅の鬣は、総数こそ二十四人という少数ではあるが、それぞれサイバースシグマの鉄臭い世界に魅入られた廃人ばかりだ。一々細かな指示を出す必要はない。
天井から降り注ぐ青白い蛍光灯の光に照らされたガラス瓶たちを眺めながら、僕は一人、ひっそりと笑みを浮かべた。
部屋に充満した毒ガスが肺を満たし、脳を締め付ける感覚に心を落ち着かせながら、作業机の前で両手を軽く捻って回す。
表示された数枚のウィンドウから、それぞれ必要なレシピや素材を放り込んでいたインベントリを表示させながら、作業を進めて行く。
これから作るのは、今行われている一イベントの終了間際に打ち上げられる僕お手製の特大花火だ。
「さぁ、お仕事開始だ」
作業を始めて数時間が経過した。
精製完了ログを表示するウィンドウを頭上に浮かべて、目の前でその成果を並べて確認していたその時、通話申請のウィンドウが視界の左端に小さく浮かんだ。
ノータイムで『応答』を選択すれば、耳元からタムさんとその他、僕の仲間たちの楽しげな声が聞こえて来た。
「状況は?」
『石粒たちが優勢だ』
苦々し気にそう報告するタムさんの表情を想像してこっそりと笑いながら、僕はそれぞれの報告を一つずつ頭の中で整頓する。これから始まるのは戦争だ。前座はもう十分だろう。
「僕の予想だと、三分もすれば結果は分かるでしょ。皆、動き出していいよ」
『残念だが、一分も残されてない。動くなら今しかないぞ』
「へ?」
『あいつら、灰燼を呼びやがった!』
「へぇ……」
灰燼、その名を知らぬプレイヤーはいない。
聖遺物の一つ<業拳ソラリスゲヘナ>を所有する、この世界のヒーローだ。
アイテムを盗むには、基本的には窃盗系のスキルやアイテムが必要となる。しかし、それが聖遺物となれば話は変わる。
入手された聖遺物を手に入れるたった一つの方法それは、相手を殺して奪う事だ。
「誰か、英雄になりたい人はいる?」
『いない方がおかしいだろ』
『武器種は手甲、私以外使えないでしょ』
『聖遺物は売却不可って話だし、私はパス。原稿の締め切りギリギリだし』
それぞれが、それぞれの思いを叫び盛り上がる通話を隣に、僕は目の前に並べた今回の戦争に役立つであろう玩具を、通話に参加しているプレイヤーへと転送して行く。
「それじゃあ、ソラリスゲヘナは早い者勝ちって事でいいね」
『リーダー、作戦は?』
タムさんの一言によって、通話に湧いていた高波は、引き潮の如く一斉に引いて行く。残された静寂の中には、それぞれがこの戦争を待ちわびたという心意気が遺されていた。
一呼吸おいてから、僕は常に心に抱えている絶対ルールを仲間たちに告げ、通話を切断した。
「全力で遊べ」
戦場という名の僕らの遊び場は、中央都市ロートンの北西区画、つまりは活動拠点とは真反対の区画になるわけだが、僕は拠点の端に置かれていたライドシフター<バルチャー>に乗って快適な空の旅を経て、招待されていない遊園地へとやって来た。
美術館だか、歴史博物館だったか忘れたが、大層立派な塔が一本屋上から生えた建物の屋根を踏みつけて、そこから下の様子を見下ろす。右も左も戦争後の、荒れ果てた幾つもの煙をゆっくり立ち上らせる窪地が広がるばかりで遊具の一つも観られなかった。
一見、温泉街にも見える景色だが、そこに広がる空気は、観光地というにはやや殺気立った鋭さが濃すぎた。
まだ出てきていないだけだ。橄欖岩と四枚翅の生き残りと、英雄灰燼バンディットという名の遊具は、すぐにでも飛び出して来るだろう。
「…………それだけじゃなさそうだけど」
「何か言ったか、リーダー」
「いんや?」
隣に控えるは、僕の忠実な仲間のcustom33、その背後には鬣全戦力が揃っていた。
「センセは本当に来てないの?」
通話の中で締め切りに追われていると言っていたが、この場にいないのを見るにどうやら本当に追い詰められているらしい。
「手伝ってやったらいいじゃねぇか、絵得意なんだろ」
クラン仲間で豚のSF着ぐるみスーツに身を固めたパウムの言葉を無視して、眼前に広がる絨毯爆撃の落下地点のような有様と化した広場を見下ろし、片手に装備した両端が緩やかな弧を描いた長杖で一度屋根を叩き合図を送った。
「いっちょ、やったりますか!」
「リーダー、もし俺が聖遺物を手に入れたら、リアルでデートしてくれよ」
「アンタには無理よ。私がもらうから。勿論両方ね」
どういう訳か、僕とデートの部分は殆ど確定していた事に肩の力が抜けるのを感じる。
仲間たちが順に地上へと下りる中、僕は一人屋根の上に残り、戦況を見守る。いつもの手順だ。
建物の影から、盆地から立ち上る煙の中から、次々に姿を見せるのは薄緑色の隊服を纏った僕よりも数段年を取った連中だった。
「お前たち、鬣の連中か!」
「だったらどうしたよ、正義のヒーローさん」
真っ先に降り立ったタムさんが、一刀のもとに一人の体を両断した事で戦争の火蓋が切って落とされた。
これもいつもの事。
僕の側近を名乗るくせに、同いう訳か対人戦では先頭に立つ根っからの殺人衝動保持者なのだ。
殺人衝動。それは、今を生きる人々の根に密かに残された過去の遺物だ。誰もが誰かを殺したがっている。それを押し隠し、息をひそめ、自身の肉体と精神を蝕んででも抑えつけようとしている。
まったく、バカバカしい事この上ない。殺したいのなら殺せばいい。奪いたいのなら奪えばいい。秩序が何だ、平和が何だ。現実はそれらで綺麗に見せられたって、人々の妄想が、理想が、夢が交錯するこの世界においては、どれ一つとして意味も価値もない。
無こそが、この世界をより一層彩り豊かにする尤も尊ぶべき金言だ。無価値、無意味、無謀に無駄。すべて素晴らしく心を揺さぶる言葉たちではないか。
「っと、また没頭しすぎた」
絶叫と怒号、覇気と殺意が入り乱れた美しい音色を奏でる戦場という絶景を前に、何故現実などと言う不要なものの事を考えねばならないのか。肉体をそこに置いてきてしまっているからという答えは、とうの昔に出ている。僕はきっと、それ以外の理由を探しているのだろう。
「そろそろかな」
一人屋根の上でしゃがみこんで景色を眺めていると、心躍る遊園地のような戦場の各地から、薄紫色の「毒です」と主張するいかにもな煙が、もくもくと言葉もなしに、その足を伸ばして立ち上がり始めた。
僕が仲間たちに持たせた新作の毒薬だ。
揮発性が高く、瓶の蓋を外した途端に蒸気を発するそれらの毒の瓶が、軽やかな音色を奏でて戦闘によって凹んだ鉄板の上を、砂鉄の地肌を見せる窪地の中心から、次々に阿鼻叫喚にも近いこの大合唱に加わった。
――心地よい。
耳で感じて鼻で捉える、これらの祭りの喧騒に、僕の心はすぐにも掴まれ引き込まれる。
僕はこの世界が大好きだ。愛していると言ってもいい。
人間が無力に悶え苦しみ、生というこの世界で尤も尊ぶべき無価値なものに縋り付こうと己の肉体を傷付ける凡夫たちの非力な抵抗も、愛玩動物を愛でるように、目で、手で、心行くまで愛撫したい。
「そこにいたか、死神!」
と、ここで僕の楽しみを邪魔する餓鬼が、あるいは僕をあの極楽のような景色に連れて行ってくれる天の使いが、深緑のマントを風にたなびかせながら背後に現れた。
マントの下に隠された白銀の胸当てと、同じ素材、同じ色の手甲を見るに、かなりの上級プレイヤーであることが窺える。
しかし、それ以上に僕の心は今、浮足立っていた。
「何処で殺り合う? ここ? それとも……あっちがいいかな?」
親指を立てた拳で指し示すは、極楽の地獄絵図を描き始めた地上の広場。
毒無効のパッシブスキルを保有している僕にとっては無害でも、目の前の男には有効となる。その事を暗に問うと、目の前の青年は首に下げていた、これまた防具と同じ色のガスマスクを持ち上げ、こちらに見せて来た。
「なるほど。僕らが来るの、最初から想定してたってわけか」
「出なければ、クランリーダーなんて務まらない。なぁ、そうだろう。アウタークラン<黒紅の鬣>のリーダー、死神のシナ」
「僕の名前は知ってるみたいだけど……ゴメン、僕は知らないや」
元から、人の顔と名前を覚えるのは苦手なのだ。
「クラン<橄欖岩>リーダー、オリビン・スターリンだ」
「わぁお。すぐに忘れそうな名前だね」
「口の減らない奴だ。それでも死神か? 死神なら死神らしく、さっさと俺の首に鎌を通してみろよ!」
『死神』それはいつからか僕に付けられた、くだらない二つ名だ。他には、『闇医者』だとか『泥沼研究者』とか、そんな埃っぽい名前ばかり。言い始めた者の中に、もっとネーミングセンスのあるプレイヤーはいなかったのだろうか。
今からでも、言い始めたプレイヤーを見つけ出してその首を跳ね飛ばしてやりたいところだ。この、愛武器<命刃杖ウィタム・フィニーレ>で。
歪曲した柄を両手で握り、内部の炉に火を入れる。キュイーンという高温で炉が回転するのを、耳と掌で感じる。両端から広げられた深紅のエネルギー刃からは、かなりの熱を感じられる。プレイヤーから大人気の<リノベスティゲーター>よりも温度は高く、切断力もこちらが勝っている。
唯一の難点としては、この武器を握るのに必要な筋力値がリノベスティゲーターよりも高い事だろうか。
「ウィタム・フィニーレ。死神の鎌には丁度良い武器だな」
「そういう騎士風の装備には似つかわしくない大剣って、随分ファンタジー寄りじゃない」
電気と熱とで淀んだ空気層によって一段と暗く見える夜の空に隠れるように、オリビンの肩には、その恵まれた体格と同じくらいの大きさの片刃の大剣が乗せられていた。
この世界において、実体剣は珍しい。理由としては至極単純、弱いからだ。
エネルギー成形の武器に比べて耐久値が低く、攻撃力は物によっては多少高いという程度。それに加えて、鍔迫り合いになれば放熱によって溶解して武器破壊の危険もある。
数多い短所と、ほんの少しの長所を比較して、その上で使いたがるのはよっぽどの自信家か、ただの馬鹿かのどちらかだ。
「こちらから行かせてもらう!」
その言葉と同時にこちらに飛び込んで来たレギルスクランのリーダーオリビンは、大上段から大剣を振りかぶり肉薄して来た。
それを前に僕は、何の躊躇いも無く屋根を蹴り、体を後ろへと跳ね上げる。
「なっ――!」
オリビンの驚きの声が、足裏から聞こえた。
体は重力に引かれて地上を目指して落ちて行く。視線は星一つ瞬くことのない夜空を映し、このままいけば十中八九、僕は落下ダメージで死亡する。
中空で体を折りたたみ、両手に握ったエネルギー鎌を軸に体を回転させ、足裏を地上へと向けて柔らかな着地を目指す。
風によって羽織ったパーカーコートが膨らみ、バサバサと耳元で軽やかな悲鳴を上げた。反対に、僕の口からは、軽快で快活、生気の籠った笑い声が上げられていた。
地上で行われた戦争は、思った以上に苛烈を極めていたらしい。
猫のように音も無く柔らかに着地してみると、足裏の地面がガタガタと揺れた。
地表に貼り整えられた無数の鉄板が、何者かの攻撃によって割れて捲れて吹き飛んだこの広場は、足場が安定しない。
これは失策だったかな。そう思った時には、ネオンで照らされた頭上に影が差した。
さっきの男も、同じく飛び降りたのだ。
着地地点から離れて得物を構えて待つと、こちらとは異なり盛大な着地音を周囲に金属片と共にまき散らして眼前に現れた。
「悪いが、逃げ場は何処にもないぞ」
マスクによってやや聞き取りにくい声だったが、確かにそう聞こえた。
「逃げるつもりはないよ。せっかくだし、皆で遊びたいじゃん」
ニコリと笑みを向けると、オリビンは呆れたように眉間に皺を寄せながら、下段に構えた大剣を握り締め、こちらに走って来た。
距離は五メートル。あと数歩で互いの得物の間合いに入る。
筋力では、恐らく向こうが上。こちらの得意とする毒もマスクによって防がれている。だから地上に降りた。
「俺らの大将をやらせるかよ!」
「リーダーが前に出るなんて、何処の脳筋だい」
クランメンバーがこちらの存在に気付き、それぞれに得物を携え、オリビンへとその切っ先を向けた。
「お前ら少数のクランのやり方はよく知ってるよ。だから、こちらも手を打たせてもらった」
その様子を静かに見ていたオリビンがそういうと、毒ガスの向こうから無数の人影がどこからともなく湧いて出た。
「おい、これちょっと不味くないか」
「何ビビってんだよ、リーダーの作った毒がありゃあ、あの程度…………マジか」
メンバーの半分が驚くのも無理はない。
毒霧の向こうに立っていた影が一つ二つとこちらに近づき、その姿を見せた。そこには、その顔には、オリビンが装備しているのと似たガスマスクがくっ付いている。
僕の職業である<調薬師>は上級職だ。その辺で手に入る防毒装備など貫通して継続ダメージが入る。が、そんな様子が見えないという事は、十中八九、それらは全て生産職プレイヤーお手製の装備アイテムなのだろう。
素材も製作時間もかかる高性能な毒の耐性を持たせた装備を身に着けたレギルスが、見渡す限りで百を超えていた。
「限りなく毒無効に近い耐性を備えた装備だ。死神の時代は終わったんだシナ。おとなしく降伏しろ。強制覚醒は本意じゃない」
オリビンの声が、どこか遠くから聞こえた。ここまで早く対策されるとは、正直想定外だった。
「逃げろリーダー。お前がいれば、クランは何度でもやり直せる」
耳元で、タムさんの声が聞こえた。
振り返れば、体中に傷を抱えた巨漢が立っていた。
「逃がすと思うのか?」
しかし、更にその背後。そこには周囲を取り囲んだ薄緑の統一された装備に身を包んだ連中とは異なる、地獄の業火を彷彿とさせる、黒寄りの赤に染まった軍服に身を包んだ男が仁王立ちしていた。
「灰燼バンディット。まだ帰ってなかったか」
ハハハと空笑いを向けると、向こうは逆に豪快な笑い声を返して来た。
「ハッハッハッ! 俺は元々、下水道に巣食ったドブネズミを一掃する為にわざわざ来たんだ。虫を駆除しに来た訳じゃあない」
「だっだら人違いだ。僕らはドブネズミでも虫でもない」
クランのシンボルマークにある通り、僕ら黒紅の鬣のモチーフは馬だ。人の手が必要な程繊細でありながら、人を容易く蹴り殺すことができる雄々しき生き物。
僕らも、この世界でなら自由に駆け回る事ができるんだ。
土道だろうが草原だろうが、鉄片が突き刺さる砂鉄の山だろうが。自由に、各々の想いを胸に、無価値で無駄で無用な生を謳歌する事ができるんだ。
「皆、僕の命令忘れてないよね?」
バンディットとオリビンに挟まれたこの位置は、並みのアウターなら地獄だと思う事だろう。しかし、僕が求めているのはその地獄だ。血の豊かな香りと、耳当たりの良い悲鳴が奏でる音楽が、どこからともなく聞こえて来る、真っ赤な炎と怪しげな毒ガスが充満した、天国のような地獄の景色。それが見たい。
まだだ。まだここは汚すぎる。整然としていて毅然としていて、それはまるで、現実のようで吐き気すら催す。
背の高いビル。整えられた街道。ランプを点灯させて宙を舞う無数のタクシー。そこに重なる、幸せそうに笑い合う人々の耳障りな話し声が途絶える事無く満たされた、活気に満ちた店々。どれも汚らしくて鳥肌が立つ。
「当然だろ。リーダー」
タムさんのニヤリと口角を上げた顔に続いて、皆こちらに視線を向けながらコクリと頷いた。
そうだ。まだ僕の命令は完遂されていない。まだ、僕自身が達していない。
「もう一度言うよ。——皆、全力で遊べ!」
『了解!』
声を揃えて了を唱えた仲間たちが、一斉に飛び出した。それを合図に、レギルスクラン<橄欖岩>のメンバーたちも一斉に得物を握り締めて包囲を狭めた。そんな垂涎の景色を前に、動かない人影が三つ。
死神シナ、灰燼バンディット、そしてレギルスクランのリーダーオリビン・スターリン。
「ここから逃げおおせるとでも?」
バンディットのいやらしい笑みがこちらを向く。その反対側からは、大剣を引きずり一歩一歩ゆっくり近づくオリビン。
「おとなしく降伏しろ。これ以上街に被害を出すは嫌なんだ」
「だったら、おとなしく夢でも見てなよ。システムに縛られるばかりのゲームがしたいなら、ここに来るべきじゃない」
「ああその通りだ。悪いが俺はアンタら程お行儀良くはないんでな。被害だとか味方討ちだとか、そんな細かいことは関係なくいかせてもらう!」
「待てバンディット!」
オリビンの慌てた制止の声はしかし、両の手を覆った一対の手甲がぶつかり合い、紅蓮に染まった灼熱の業火を迸らせた音によって遥か彼方へと吹き飛ばされた。
「それが聖遺物?」
「ああ、<業拳のソラリスゲヘナ>だ。悪いが、最初から全力で行かせてもらうぞ死神」
「あぁ、ハイハイ。そうしてもらえると助かるよ」
ふらりと体の重心を揺らして、僕の視線は地面すれすれにまで迫った。
タイミングが重要。それ以外はまぁ、正直何とでも修正がきく。
強く踏み込んだ足元から跳ね返って来た堅い感触が脳へと伝わるその瞬間、次の足を前へ、蹴り出した。
「逃げんな!」
「通しはしないぞ!」
二人の英雄さんは、どうも僕が逃げると思っているらしい。が、そうではない。
駆け抜けた戦場の中央近く、仲間たちが乱戦を享受しているそこへと割って入った。
「楽しそうだね、ヘンリー」
銃爆士のヘンリーへ、背中合わせに声をかける。
「ああ、これだよこれ。まったくアンタについていくと、飽きる気がしねぇ!」
握り締めたレーザーカッターを振り回し、次から次へと敵の首を跳ね飛ばすその軌道を利用して、両手で握っていたウィタム・フィニーレを大きく振る。
毒ガスを絡んだ空気が大きく揺れ動き、一瞬の間を空けてから四方はポリゴンの光であふれ返った。
「全く最高だ!」
ヘンリーの声を背後に、次の遊具へと駆ける。
「逃がさん!」
しかし、ここで敵に追いつかれた。
両手を真っ赤に染めた灰燼バンディットが、頭上から覆いかぶさるようにして進路を妨害する。
体を大きく横に倒して、間一髪地面を転がり躱したところで次の敵がやって来る。
「スキル<鱗滝>!」
大上段から振り下ろされた大剣の軌道から体を外へと出した。しかし、その判断は半分間違っていたと、剣に絡まったエフェクトを捉えた瞬間に悟った。
スキル<鱗滝>はその名の通り、竜の鱗のように鋭く尖ったエネルギー刃を剣身にまとわりつかせた、近~中範囲の攻撃だ。
エフェクトに触れた左腕が大きく切り裂かれ、そこから出血を表すポリゴンが飛び出した。
視界の端に設定した体力ゲージが大きく削られる。
ステータス振りの都合上、体力にはそこまで振っていない。この攻撃を後二発掠るか、直撃を一発喰らえば間違いなく殺される。
首筋にヒヤリと冷たい汗が流れるのを感じる。心臓は嫌に大きく痛みを発しながら鼓動して、呼吸が早くなる。
いいよ凄くいい。これだよこれ。これを求めていた。
システムに捉われない、本物の戦闘。本当の命のやり取り。そして、現実よりも現実な死の恐怖。
「フ、フフフ…………」
自然と笑みが湧いて出る。
「あ~あ、リーダースイッチ入っちゃった」
「こりゃあ、この辺りは更地になりそうだな」
「もうなってるようなもんだしいいじゃね」
仲間の声が聞こえた気がしたが、どうでもいい。今目の前に迫る二体の悪魔、あるいは天使と刃を交える方が楽しいに決まってる。
「スキル<桜嵐倒伏>」
体全体の回転に、電熱を迸らせたエネルギー刃を大きく膨れさせたウィタム・フィニーレを乗せて横に薙ぐ。
軌道に従いエネルギーで成形された刃は大きく揺らぎ、桜の花びらへと姿を変えて周囲に迫っていた二十を超えた殺意を、一斉に中空へと跳ね飛ばした。
ポリゴンの嵐が吹き荒れ、こちらの顔へと迫っていた灼熱の炎を纏った正拳の軌道を、拳一つ分横へと乱した。
「あれ? 全力って言ってたけど、もしかして……聖遺物ってそこまでじゃない? いや、使い手が悪いのかな」
振り抜いたウィタム・フィニーレを引き戻しもせず、顔前にまで迫った紅蓮の軍服に身を包んだ彫の深い男へと笑みを向けた。
「このっ! 調子に乗るなよ小娘が!」
拳を返して開いた掌が、こちらの首へと掛かる。そこから感じる熱は、確かに他のどの武器よりも高かった。が、やはりというべきか。この男は、聖遺物の何たるかをまるで知らないようだった。
「バンディット、そのまま抑えてろ!」
春一番を伴った嵐を避けようと大きく退いていたオリビンが、翻した大剣を後ろに構えてこちらに迫る。
「スキル<炎舞浄静>!」
「揃いも揃って炎が大好きか! スキル<枯葉転昇>!」
片手のみで引き戻したウィタム・フィニーレを、迫る大剣を側面から叩くように振り上げた。
金属とエネルギー刃の衝突によって生じた熱と光が視界を遮った。
「退けオリビン、殺されるぞ!」
「オリビン? まさか死人に話しかける趣味があったとは」
炉をスタンバイモードに切り替えた長杖形状のウィタム・フィニーレを肩に担ぎ、大剣の半ばと首を地面に転がした死体に足をかけ、視線を同じくらいに上げてから、語った。
「灰燼と呼ばれる英雄とは思えないね。いや、英雄ってのはそういう変態がなる者だって、歴史が語ってたっけ」
「貴様、何をした!」
驚きに染まったその顔を前にすると、血風舞い踊る折角の天国が少々濁ってしまう。
不勉強にもほどがあるだろ。
「武器破壊。もしかして、それ以上の説明も必要?」
「固有スキル<煉獄閃掌>!」
掌に迸る熱波が収縮し、それを握り締めたバンディットが大きく振りかぶり、こちらに敵意を滾らせた。
そう、それだ。それが僕の望む何より価値のある、無駄な人間の感情だ。
「スキル<菊花天蓋>」
高速回転する炉の振動を掌に感じる。それを筋力で抑え込みながら振りかぶったウィタム・フィニーレから弾け飛んだ火花が、無数の花びらとなって殺気立った空気に乗せられ螺旋を描く。
「灰となれ。死神ぃ!」
「綺麗な肥料となりなさい。灰燼!」
互いに覇気の籠った声と共に、スキルを起動した己の得物を掲げ、互いが最も殺したいと願ってやまない相手に叩き込んだ。
握り込んだ拳を開き、掌底を放つバンディットと、花びら舞う電熱の鎌を横薙ぎに振るシナ。二人の暴力が戦場の中心で花開く。
紫電が迸る熱風の竜巻が巻き上がり、殺意と敵意を巻き込み更に大きな渦となって、周囲に絶望と絶叫の大合唱を奏でながらより大きなうねりとなって、尊ぶべき平和を飲み込み忌避すべき阿鼻叫喚を作り出す。
何と美しい光景だろう。何と感動すべき景色だろう。今僕は、この世界の尤も意義のある中心から、天国を享受している。この地獄をもっと続けていたい。もっと広げたい。もっと全身で感じていたい。
しかし、そんな儚い夢を、この世界は認めてはくれない。だから僕は、この世界で生きているんだ。もっと夢を見る為に。もっと現実を切り離す為に。もっとこの世界を彩る為に。
「どうやら、こちらの方が優勢のようだな」
「みたいだね」
竜巻の中、地獄の中心で、上から抑えつけるように力を加えて来る英雄を前に、僕の心臓はどこまでも幸せに打ち震え、鼓動を続けている。
「でも、僕はアウタークランのリーダーだ」
これまでずっと焚き続けていた毒ガスが、竜巻によって近くまで集まり、ウィタム・フィニーレに吸い込まれて行く。それに相手が気付いた時、それはこの甘美な地獄の終焉を告げる一つの鐘となる。
「スキル<花葉不見>!」
吸い込んだ毒の量によって威力が上昇する補助スキルの発動の宣言によって、聖遺物の固有スキルと衝突する凶刃が息を吹き返した。
深紅に染まったエネルギーの塊である刃が赤紫に染まり、灼熱の手甲を押し返す。
「くっ……まだだ。まだ俺は――っ!」
「スキル<陽陰落花>!」
大上段からの振り下ろし、スキルによる切断力を底上げした一閃が、拳を握り直したバンディットの腕を肘から切り落とし、二撃目の刃が胸部を貫いた。
竜巻が解かれ、暴風と周囲に蔓延した毒ガスがどこか彼方へと、僕の堪能した地獄と共に持ち去ってしまった。
「リーダー生きてましたか」
「死にぞこないましたね、リーダー」
「こっちの被害はそこまででした」
クランメンバーの生き残りたちが、それぞれに今回の遊びの報酬を確認しながら、こちらに満足げな笑みを見せた。
「命令通り、楽しんだみたいだね。今回の遊びを」
「当然だろ。俺らを集めたのは他ならないアンタだリーダー」
タムさんが、疲労感を前面に押し出した顔でそう言った。
「そっか。それじゃあ、帰ろうか。僕らの家に」
『聖遺物<業拳ソラリスゲヘナ>を入手しました』




