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現実に主人公はいない  作者: 薪焚灯火


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2/19

001 現実世界

 朝目が覚めると、決まって心は穏やかになっている。

 昨日監獄から持ち帰った棘が生えた霧のような苛立ちが、嘘のように消えている。

 起き上がるのと同時に、脊髄に埋め込まれた接続端子から神経伝達用の赤い絶縁被膜に覆われたプラグを引き抜き、ベットから重々しく立ち上がる。

 代わりにとばかりに目尻から流れ落ちる二筋の小川を寝巻の袖で拭いながらカーテンを開ければ、ノイズの走った窓にはいつもの景色が映された。

 いつもの動き、いつもの景色、そこにいつもの音が入り込んで来た。

 文字も人も描かれていない、漫画の一コマのように見えるただのつまらない風景画のような毎日。そこに放り込まれた影も輪郭も持ち合わせていいない透明人間のような登場人物、それが自分だ。

『オハヨウゴザイマス、燈夜《トウヤ》様。朝食ノ準備ガ出来テオリマス』

「はいはい……メニューは?」

『源弥(ゲンヤ)様カラノオーダーデ、ミネストローネトナッテオリマス』

 ハウスサポートAI『ミゲル』の言う通り、プラスチック容器に注がれた暖色の液体が、食卓の上で波を打っていた。

 朝食を済ませれば、後はいつもの通り。学生服という身分の付けられた囚人服に袖を通し、ベルトという名の拘束具でそれらを肌に密着させる。

 内に秘めた行き場のない破壊衝動を抑え込まれて、モノクロ背景の外へと出る。

 囚人、囚人、囚人…………。

 歯車、歯車、歯車…………。

 何時からだろう。道行く者らが、同じ生き物として見れなくなったのは。

 何時からだろう。自分の事を、一人の人間として見れなくなったのは。

 白と黒の化粧を施された流れる景色を横目に、鉄でできたマネキンの腸詰に乗って監獄を目指す。

 歯車、囚人、囚人、囚人、囚人…………。

 目的地に近づいた事で、周囲には自分と同じ囚人服を身に纏ったマネキンたちが集まって来た。

「よぉ、燈夜(とうや)。今日も寝ぐせ凄いな」

「寝ぐせじゃないって。いつも言ってるだろミナ」

 背後から近づいてきたマネキンの一体、友人の水無月(みなづき)真司(しんじ)が、自分の癖っ毛を摘まみながら、いつもの人懐っこい笑みをこちらに見せて来た。

 同じ服でも、見せる表情一つでここまで変わるというのだから、囚人服は面白い。

 毎日変わる事のない景色にある大きな建物へと、ベルトコンベアに乗って鉄材が流れ込むように、自分と水無月は並んで大きく開かれた鯨の口のような昇降口の中に入って行く。

 ここまで来ると、右も左も変わりないマネキンたちが靴を履き替え、規則に沿った鞄を背中に奥へと向かう。

「じゃあ、また後でな」

 『2-A』と書かれた札が掛けられた牢屋の前で、水無月は片手を上げてこちらに振って見せると、たった一人の友は姿を消した。それを見送ってから、自分の牢屋である『2-B』と書かれた檻へと移動する。

 檻の中には、等間隔に並んだ高速用の机と椅子が計三十八個並んでいる。

 一年前は四十あったが、そこに囚われていた二人の不良品は、年度替わりと共に廃棄された。

 聞き慣れた鐘の音が脳を揺さぶったのは、決められた自分の席に腰を下ろした時だった。

「さぁさぁ、席に着きなさい。朝会を始めるわよ」

 鐘の音が鳴りやむと同時に入って来た、歯車生産工場の作業員。昼も夜も無く勤め続ける、社会人の鑑のような人物。

 僕がこの世で最も嫌う教師という職業の箱にはめ込まれた、綺麗に磨け上げられた錆一つない大人と言う名の歯車。

「——お知らせはこれでおしまい。ところで三浦さん」

 ぼんやり頭の中に広がった空想の世界に耽っていた僕を、現実に引き戻す鎖がこちらの心臓を締め付けた。

「はい」

「進路希望を提出していないのは貴方だけよ」

「はい」

 プログラミングされたゼロとイチの組み合わせを出力する。簡単な作業。

「親御さんときちんと相談して、明日までに提出して」

「はい」

 朝会の終了、それは囚人としての活動の合図でもあった。

 決められた時間に決められた科目を習い、決められた小休憩を挟んで、決められた場所で再度科目を受講する。これの繰り返し。

 毎日毎日変わることなく続く、自分の生無き生活の光景である。

 無色無臭、無意味で無駄ななこんな人生において、もっとも充実しているであろう時間はたった一つ。

 睡眠時間だ。

「…………さっさと帰って寝たい」

「分かるぞぉ。俺もさっさと帰って、昨日の続きがやりたいからな」

 放課後前の清掃時間。自分は出入り口で、靴裏から剥がれ落ちて踏み潰された、吐き捨てられたガムたちの欠片を、箒で鯨の口から外へと吐き出していた。

 隣では、友人マネキンが箒に体を預けながら笑いかけて来る。

「いい加減、モデル3のプラグに乗り換えろよ。いつまで型落ちの廃盤を使ってんだ」

「今のままでいい。記憶保持(セーブ)機能なんか必要ない」

 箒の先に着いた、胴長の虫の死骸を靴で踏みながら外して続けた。

「ノーツの記憶なんか持ち出す意味ないだろ」

「そう思ってる奴が少ないから、色んな企業が競争してプラグを販売してんだろ」

 呆れたと言いたげにため息を吐いた水無月の足元に箒を持っていくと、聞けよと弾かれた。

「誰だって現実にはうんざりしてるんだ。無能な政治家も、ただ上がり続ける物価も、逆に安くなってく俺らの持ち金もな」

「それが分かっていて、夢に逃げる方も逃げる方だろ。国の運営に文句があるなら、選挙に参加するか、自分で政治家になって国を引っ張れよ」

 弾かれた箒をくるりと回転させて別の場所を綺麗にし始めたところで、掃除終了の鐘の音が頭上から降って来た。

「とにかくプラグ変えろよ。どのメーカーでもいいからさ。今なら新生活応援セールで安く買えるし」

 別に、お小遣いが足りないなどという事はない。

 母は警察官だし父は科捜研に勤務している。二人とも、そこそこいい位置にいる。そのおかげもあり、買おうと思えばいつでも買えるだけの蓄えはある。

「はいはい、考えて――」

 言いかけていた途中で、視界の端から突然見知らぬマネキンの首が飛んできた。いや、言い方が悪かった。マネキン全身が飛んできて、視界の端にはその首から上が掠めた。

「あっ、ごめ~ん」

 陽気な声が聞こえた気がした。が、それよりも足元に転がったマネキンの方に意識が向いていた。

 一重の左目に二重の右目。小さな鼻と血の気の失せた唇から、血が滴り落ちている。

 不思議な見た目の少女。それが第一印象だった。こんな子、ここにいただろうか。

「折角綺麗にしてくれたのに、また汚しちゃうかも~」

 ケラケラと空気よりも軽い笑い声が耳を打つ。

「おいおい勘弁してくれよ。掃除の時間は今終わっただろ」

 水無月のため息が、笑い声よりも近くで聞こえて来た。

「ちょっとアンタ。いつまで床にキスしてんの? さっさと起きなよ先輩が困ってんじゃん」

 軽い笑い声のやや後ろから、小石を擦り合わせたような不快な声が飛び込んで来た。視線を向けていないからわからないが、恐らくは軽い笑い声とその取り巻きが、今目の前で転がる子を多対一で痛めつけ、貧相な征服欲を満たしていたのだろう。

「おい燈夜、もう行こうぜ。HR(ホームルーム)が始まっちまう」

「あ……ああ、そうだな…………」

 言葉でそう言っても体は動かず、視線は足元のマネキン囚人に固定されていた。

「どうしたんです先輩。もしかして、その子がそんなに気になる?」

 笑い声とも、その取り巻きであろう者の声とも異なる第三の声が飛んできた。

 どうやら取り巻きは二人いたらしいと分かったが、自分はそれにも答えず、悲し気に目を伏せた少女を二つの目で見つめていた。

「どこかで会った事があったか?」

 手を差し伸べながら、気付けばそう訊いていた。

「…………別に」

 しかし、少女はその手を取ることなく一人で立ち上がると、いじめて来たであろう三人すら無視して、監獄の奥へと、片足を引きずるような独特な歩き方で姿を消した。

「お前、何時からそんな色男になったんだ?」

 廊下を並んで歩いていると、水無月は心配半分、面白さ半分の感情で訊いてきた。

「別に、そんなんじゃない」

 何故、自分はあんなことを口走ったんだ?

 その疑問の答えを、自分自身、出せていなかった。

 あの少女、どこかで見た気がする。一体何処だ?

「それじゃあHRを始めるわよ。ほらそこ、さっさと座りなさい」

 担当者がそう言った事で、牢屋内の喧騒は引き潮の如く引き、代わりに時計の針が進む鋭利な音が鼓膜を震わせた。


 一日が終わった。

 帰り道の途中では、水無月から「さっさとプラグを買え」と再三同じことを言われ、別れた後は一人でマネキンが詰め込まれた機械仕掛けの腸詰の中に入った。

 定期的に伝わる足裏からの揺れに、体が自然と左右前後に倒れかける。が、情報に脳を喰いつくされたマネキンたちにぶつかりながら、目的の駅まで呼吸を浅く視線を遠くに向けていた。時折流れて来る生臭い吐息を首を背けて躱しながら、思考を辞めた脳で窓から見える夕暮れ時の無機質で無価値な景色を眺めた。

 家の前に到着した頃には、いつも通り夜の闇が空を半分以上塗り進めていた。

 目の前に聳える監獄とは異なる別の牢屋には、明かり一つ灯っていない。それはそうだろう、二人は今、凶悪犯罪を追っている。次に返ってくるのは、恐らく一週間後。

 今朝は父が帰って来ていたようだが、それも本当は着替えを取りに戻っただけで、ハウスサポートAIに促されて何も考えぬまま、加工肉入りのミネストローネを注文してたのだろうと、朝食を聞いた時既に思っていた。

「ただいまぁ…………一人だけど」

『オカエリナサイマセ燈夜様』

 迎え入れてくれたAIの声を無視して、一直線に脱衣所に入る。着ているだけで息が苦しくなり、体は鉛のように重くなる囚人服を無造作に脱ぎ捨てる。

 外に出た事で浴び続けた毒を洗い流すべく、シャワールームに入ると、熱湯のレバーを引き倒して全身を濡らす。

 ほんのり暖かいと感じるよりも、皮膚がピリピリする程度の熱が丁度良かった。

 体中の毒が流れ落ちたという感じはしないが、それでも帰宅直後よりもすっきりとした体は、気付けばベットの上に寝転がっていた。

『燈夜様、御夕飯ハイカガイタシマスカ?』

「いらない。それより、洗濯機起動して。電気も消しといて」

『承知イタシマシタ』

 ハウスサポートAIミゲルに端的な指示を送った後、脊髄に沿って埋め込まれた接続端子を開く。そこにベットから伸びた赤いケーブルを差し込んだ。

 端子同士がぶつかり合い、視界の奥で白い火花が散った。

 ベットの上で体の力が抜けて行くのを感じながら、重くなった瞼を下ろして、明日も続く今日に一時的に幕を下ろした。

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