016 最後の入眠
今日は、なかなか寝る事ができなかった。昼間の事があったからだろうか。あの刑事、ホント余計な事をしてくれたものだ。
無責任な事ばかり言って、言いきったらそれで満足げに帰ったあの刑事、確か名前は武蔵部と言ったか。しかし、それも今日はここまでだ。
辺り一面の白だけの空間で、僕は俺と向かい合う。
見た目のプリセットは十五個あり、どれも既に使用しているのだろうが、さて今日はどうしようか。
「………………一番でいいか」
レムシスで初めに作った、一番素朴で特徴のない見た目でまとめている。
黒髪に茶褐色の瞳という日本人で一番多い素朴な外見。そこに近未来デザインの青と白のバイカラーのパーカーの同い年の青年、それがこの世界での俺の姿だ。
職業を『簒奪者』に設定し初期設定を終えた事で、一面の白の中に観音開きの大扉が現れた。
さて、今日は何をして過ごそうか。
扉を潜ったその先に広がるは、最初の街<ウロ>というこの世界で生きる為に必要なすべてが揃った雑多街になっている。
各職業のチュートリアルを受けられるだけでなく、武具などの装備、消費アイテムの購入などが可能で、高レベルプレイヤーの姿も見られる第二の中央都市とまで呼ばれている。
「だったはずだけど………………」
なんだこれは。
街の方々で火の手が上がり、煙は高くたなびき、悲鳴の合唱が響いていた。
右を見ればプレイヤーがプレイヤーを斬り付け撃ち抜き、左を見ればプレイヤーがNPCの店から金品を盗んでいた。
「おぉ、お盛んですなぁ」
とはいえ、こちらは初期装備に加えてレベルは1。こんな状況でプレイヤーと接敵しては、瞬殺されてしまうだろう。
ここは逃げの一択。それしかない。
最初の街<ウロ>であれば初心者に優しい格安価格でアイテムの購入ができたが、こんな状況ではどこも店は閉まってしまっているだろう。
下手に店を探し回るくらいならば二番目の街に行った方が安全だ。
「問題は、どうやってプレイヤーに見つからずに移動するかだな」
初期スポーン地点である街の中央からやや西側の集会所から次の街を目指すには、北に伸びる街道から電気牛での移動が主になる。
騒ぎが大きいのは、やはり北の方角だ。面倒な事この上ない。
「さて、行きますか」
裏道を通って行ければいいんだけどな。
殺人現場を幾つも越えて、人の少ない裏通りを抜けて行く。右へ左へ曲がって折れて、時には回り込んだり引き返したり。だというのに、一向にプレイヤーの数が減らない。同じ考えに至ったのだろう初心者たちが大勢逃げていた。目に見える範囲だけで五十人以上という大所帯が、道幅の狭い裏通りを進んでいる。足の進みが遅くなるのも至極当然だった。
どうしてこんな事になっている? ここに至ってようやくその思考に至った。初心者狩りにしては派手過ぎる。これではトップクランがすぐにでも動くはずだ。正義感に支配されたレギルスは多くいる。しかし、クラン同士が衝突している様子は見られない。それに加えて、これまで見たどのプレイヤーも一方的に殺されていた。嫌な予感がする。さっさと次の街に行かなければ。
こういう時の嫌な予感は、よく当たる物だと相場が決まっている。
頭上から突然降って来た蒼銀の煌めきによって、大渋滞の中に捉われていたプレイヤーたちが一斉に光の塵となってその姿を崩した。
一体何が起きた? その疑問に答えたのは、他ならぬたった今、プレイヤーを瞬時に切り捨て光の粒子に変えた本人だった。
「やぁ初心者諸君。正直、夢の見始めの君たちを殺すのは少し気が引けるんだけど――ごめんね」
何処から声が聞こえて来たのかと見渡してみれば、水平線よりも下に黄金色の頭のてっぺんが見えた。見つけられたのは、きっと声がうら若き乙女の声だったからだろう。
蒼銀の稲妻を迸らせる二振りの刀の光を反射してキラキラ輝く夕焼けのようなきれいな長髪と戦闘衣のスカートを揺らして周囲のプレイヤーを煽っている様は、悪役令嬢そのものだった。
「何だとこの糞餓鬼!」
「チビの癖に何言ってやがる!」
「お前ら、袋叩きだ!」
当然の事ながら、初心者と言えど数では勝ると周囲に刃を向けるよう周囲を味方につけた。
しかし、マズイ。
あの武器も装備もかなりの高レベルだ。それに何より、あの少女プレイヤーはかなりのやり手だと見える。何処がどうなどと訊かれれば説明に困る。本能がそう告げているとしか答えられない。
そして、それが正しかったと知ったのは、初心者プレイヤーだけでなく、見るからに中堅、高レベルのプレイヤの首と胴が別たれ、体を三枚におろされてその死体を晒した事で証明された。
「ちょっと待て、お前まさか<黒紅の——」
「合成スキル<風燼雷滅>」
スキルの宣言によって雷光はさらに光を強め、振るわれた二振りの凶刃の輪郭が中空に溶けた。
一秒にも満たない刹那の剣撃。
残されたのは、俺と数人の初心者プレイヤーだけだった。
「君たちは残しておくよ」
意味が分からない。何か彼女の気にいる要素が自分含めて他の生き残ったプレイヤーにはあったのか?
視線を流してみれば、どれも自分と同じくらいの体格と背丈、更に年も近い見た目の男アバターだという事だった。
この幼女、まさか男好きか?
「もしあのプレイヤーだったら殺しちゃマズイし…………」
幼女プレイヤーは小さくぶつぶつ呟きながら、通りの向こうへと足を進めた。まさか、本当に見逃してくれるのか? もしそうならこちらとしても願ったりだ。
もし、ここで誰かが、彼女に喧嘩を売る馬鹿がいなければ、の話ではあるが。
「ま、待てよそこの女!」
馬鹿がいた。最悪だ。それも一人じゃなく、三人も。
「何かしら?」
生き残っているのは十人にも満たない少数だったが、まさかこの人数で叩こうなんて思ってるんじゃないだろうな。さっきの動きを見て分かっただろう。このプレイヤーはかなり危険だ。関わるべきじゃない。
「私が慈悲を与えたんだから、さっさと逃げなさいな」
「そんな訳いくか。俺はレギルスだ」
俺は違う。巻き込まないでくれ。ここはさっさと逃げに徹するか。
武器を携え勇敢に立ち向かう勇者たちの背後を通り、裏路地の細い道を駆けて逃げる。せっかくの夢を短時間で覚まされては、それは興ざめというものだ。
通りを抜けて崩れた店の中を通過、そうしてようやっと街道が見えた。その時だ、異変が四肢を蝕み始めたのは。
なんだ? 身体が言う事を聞かない。
足の力は抜け、まともに立ってる事すらできない。風邪をひいた時のような倦怠感が全身を襲う。
「何だお前、お前も俺を狙うのか?」
いつの間にいたのか、中堅プレイヤーが<リノベスティゲーター>を片手に立っていた。
「なんでだよ」
何処か様子がおかしい。彼もまた、この騒動で誰かに襲われたのだろうか。
「なんでみんな、俺を襲うんだ。俺はただ、夢を………そうだ、これは夢だ。夢、夢なんだぁ!」
誰かに襲われたからといって、こんなにも錯乱するものだろうか。いや、それよりもマズイ。こんな状態では逃げも抵抗もできやしない。
ここまでなのか。今日は何でこんなにも世界は彩りに満ちているんだ。
人が見せる生きる力。殺す力。奪う力。それらが今、夢の始まりを告げるこの最初の街<ウロ>には満ちていた。
ああ、なんてもったいない。もっと見ていたかったのに。
俺はこのプレイヤーに殺される。そして目を覚まして忘れてしまう。こんな事なら、馬鹿な意地を張らずにプラグを買い換えておけばよかったんだ。
退屈な現実とこの世界が混ざるなどと。混ざった方がいいものだったあるだろうに。
俺は、お前が嫌いだよ。
死を覚悟して諦めた自分の首へと、放熱刃が迫る。これで首を掻き切られると、きっと焼けるように熱い痛みが首に走るんだろうなぁ。
「こんにちは、プレイヤーさん。君の名前はなんていうのかな」
しかし、予想に反して首に来るはずだった痛みは、いくら待っても来る事なく、代わりにどこか飄々としていて、しかしこの世界を力強く生きているのであろう芯の通った声が頭上から聞こえて来た。
「………あ、アンタは?」
「僕はシナ。どうやら毒に侵されているみたいだね」
中空に指を触れてこちらには見えないウィンドウを操作し、インベントリから何やら薬液のようなものが入った瓶と、黒のガスマスクを取り出した。それから、迷いの一切ない手つきで薬液を頭から振りかけ、こちらの口元にマスクを当てがった。
「貴方の名前は?」
眼前にまで近づいた彼女の顔は、こんな混乱極まる街の中で咲く一輪の花のように明るく咲き誇っていた。
「カルガモ」
「そっか。いい名前だね」
本当にそう思っているのだろうか。この世界を生きるのに名前を考えなくてはいかなくなったときに、咄嗟に思いついた名前だぞ。
「どうしてこんな事を?」
「こんな事?」
首を傾げて不思議そうにこちらを見るシナに、先刻あてがわれたマスクを痺れの残る震えた指先で示した。
「ああ。さっきも言ったけど、この街には今毒が散布されているんだよ。君はまだ毒の耐性が全くないみたいだから、着けておくといいよ」
何故そんな事を知っているのかとか、どうしてこの街はこんなにも綺麗に彩られているのかとか、聞きたい事は山のようにあった。しかしそんな事よりも、優先して訊きたい事が一つ、考えるよりも速く口から出た。
「君は、一体誰なんだ?」
「は?」
変な事を言っているのは分かっている。
名前は自分から名乗ってくれていたが、そんな事が訊きたい分けじゃない。
正直、自分でも何が言いたいのかは分からない。考える前に言葉が口に出ただけだからだ。
「僕はシナ、さっきもそう言ったんだけどな」
「ああそうだった。それでアンタはここで何してたんだ?」
「僕? 僕はここで生きてるだけだよ。プレイヤーを殺したり、アイテムを奪ったり」
見れば、右手には古臭い鉄の剣が握られていた。柄の尻の方には鎖が繋がり、それが服の袖の中に入っている。こんな武器、見た事がない。
「中々いかつい武器を持ってるね」
「これは聖遺物の<聖剣ファキエス>。この世界で一番強い武器。そしてその持ち主は、世界で一番悪いアウタープレイヤー」
聖剣の名が泣くな。
「ところで、僕はアウターなんだけど」
「ああ、そうだった。アウターは他プレイヤーを助けたりしない。無償でなんかもっての他だった」
入眠してから一つもアイテムを入手していない。そして、初期装備は譲渡も窃盗もできないようシステムで定められている。つまり、このプレイヤーは俺を殺すしかない。
「できれば一撃で頼む。痛いのはあまり好きじゃないんでね」
できる事なら、もう少し話してみたかった。他とはどこか違うこのプレイヤーと。しかしそれは許されていない。この世界のルールだ。
「そうだね。それじゃあおやすみ、カルガモ」
「また明日、シナ」
嘘だ。俺の記憶は引き継がれない。この出会いも、これが最初で最後だ。
「それじゃあ、よい夢を」
どこか悲し気に笑って振り上げられたシナの剣の切っ先が、ネオンの照明を反射して妖しく輝く。
この世界には不釣り合いな旧文明の遺物を手にした少女が、確かな殺意を宿した翡翠のような瞳でこちらを見る。
君は、一体誰なんだ。
そんな事を思うなんて、俺はこの世界ではどう生きられたのだろう。現実では考える事のない他人を思うなんて、どうかしてる。
「そこまでだ殺人鬼」
「無駄な抵抗はするなよ。おとなしく降伏しろ」
しかし、そんな俺と彼女の現実よりも現実だと思いたい夢の世界に、干渉する無粋者たちが現れた。
「おや、なんだか今日は随分聖遺物たちに会うね」
こちらに向けていた殺意をさらに色濃く秘めた翡翠の玉が、通りの向こうからやって来た五人の断罪者を見渡し、中心のプレイヤーで止めた。
銀の長槍、あれも聖遺物だと言いたいのだろうか。
「僕はシナ、アウタークラン<黒紅の鬣>のリーダー。そちらさん方は?」
「私は、夢観測潜入係第四班の武蔵部真実。階級は警部補です、川向榀さん」
警察? 川向? 何を言っているんだこの人は?
「は? おいおい警察官サン、ここはサイバースシグマだよ。何つまんないモン引っ張り出してんだよ」
シナからは殺意とは異なる苛立ちが感じられた。それもそうだ、ここは夢の中。だのに、現実の肩書や、個人情報を引っ張り出して来たのだ。俺だってブチ切れる。
「固有スキル<炎浄>!」
剣に炎を噴出させ、袖の内に納めていた鎖を伸ばして剣先を黒光りするタイルへと触れさせた。
炎はかなりの高温らしく、タイルはドロドロに溶けて窪ませた。
「おとなしく降伏しなさい。これで二度目の警告です」
「警告? 命令の間違いだろ偽善者」
「貴女は、連続殺人の容疑がかけられています。武装解除しなさい今すぐに」
銀の槍を携えた警察官の女性は、切っ先を下に向けて構えた。
戦闘は避けられない。であれば、勝敗は見えている。彼女は、俺を助けた命の恩人シナは、あと三分で死ぬ。
アウタープレイヤーは人を助けをしてはならない呪いに侵されている。その呪いを解くことはできないが、回避する事はできる。助けたプレイヤーから何かを奪う事。それを、俺はまだ差し出していない。
シナの顔の高さには、一枚の警告ウィンドウが表示されていた。
『警告、アウター違反を確認
02:43』
カウントダウンは見る間に刻まれて行く。
40、39、38、37……………。
時間制限付きの戦闘。ゲーマーなら誰しもが楽しめるイベントだ。
炎を滾らせた剣に繋がれた鎖を握ったシナが先に動いた。
剣が宙で弧を描き、火の粉を散らせて銀髪の女戦士へと、その灼熱凶刃を向ける。銀の槍が高速で動き、銀光の軌跡を残して剣を弾き返した。
なるほど、かなりの手練れだ。これは厄介だ。
「再三の警告を無視、これ以上は実力行使で行きます」
事務的な口調で銀槍を手元に引き戻した女性警官、武蔵部真実は腰を落として構えた。
「固有スキル――」
二人の声が重なった。
剣と槍の刃に光が灯り、ネオンライトの光を跳ね除け影を伸ばす。
「<空絶>!」
「<海消>!」
この世界には珍しい満天の星空を描いた剣筋と深海の寂しげな光を絡めた矛先が衝突し、互いの衝撃を打ち消し合い光の粒をまき散らし、スキルは強制解除する。その余波が頬を撫で、暴力の中心地は小規模な爆発を起こした。
「それ、やっぱり聖遺物で間違いないね」
「そうね。貴女のその剣も。そうでしょ、川向さん」
「僕はシナ。アウタークランのリーダーだよ」
爆発の中心で語り合う二人の正義執行者の間で、短いやり取りが行われた。
「固有スキル<灼熱拳>!」
「スキル<川蝉時雨>」
焔を纏わせた拳を振り抜くシナと、その正面から足を折り腰を落とした武蔵部の視線が一度外れた。
「固有スキル――っ!」
「スキルに頼り過ぎよ、犯罪クランのリーダーさん」
単純な足払い。それがシナの両足を掬い取り、彼女の見た目以上に軽そうなその身体を中空へと晒した。
これで決着か。
地面を転がったシナの首筋に、槍の切っ先を突きつけた武蔵部が上から押さえつけた。
「覚醒しなさい。今すぐに」
武蔵部真実、俺はお前が嫌いだ。だから彼女の手を貸すのは当たり前の事。
この世界は自由で、俺はこの世界で生きている。
現実はそうじゃなかった。現実を見る為に目を開き、現実を感じる為に息をする。僕の五感も、生命活動も全て、生きる為ではなく、変化のない代り映えのしない無色で無意味な現実に存在し続ける為だけに行っている。
この夢の世界では、そんな在り方ではいたくない。
「そこのお前、動くな!」
背後で控えた刑事の警告なんかクソくらえだ。
「クソくらえだ――スキル<簒奪>!」
銀の槍が奪えるなど思っていない。しかし、職業専用スキル<簒奪>で強制的に相手の所持品を奪えるのだから、賭けに出るのは当然だ。
ここで武器が出れば俺の勝ち。それ以外なら、俺の負けだ。
『アイテム<ミランダの蛍石>を入手しました』
入手難易度Cの加工アイテム<ミランダの蛍石>、外れだ。
あーあ、こんな時に外すとは。ホント、俺の勝負運って奴はいい性格してる。
「っ、貴方!」
「それを寄こせ!」
視界の下から声が聞こえた。その瞬間、本能的にたった今入手した蛍光グリーンに光る掌サイズの石を落とした。
無意識にではなく、意図的に。
「これならどうかな、刑事サン!」
蛍光色の毒々しい石ころを左手に、インベントリから取り出し中空に放り出した暗赤褐色の別の石へと力一杯に叩きつけた。
瞬間、目の前に眩い光と熱が発生し、振りかざされた槍を構えた女性刑事の体を吹き飛ばした。
勿論、こちらの体も。
打ち上げ花火が目の前で爆発したのなら、きっとこんな景色なのだろう。色鮮やかな火花が目の前で咲き、爆音が鼓膜を突き破ろうとこちらの体に突き刺さる。
体がバラバラになるのではないかと思った。体力も一割以下にまで減り、後一発ビンタを受けただけでも強制覚醒になるだろう。
花火大会の後の夜空のような瞼に覆われた視界は真っ暗で、耳鳴りを発した聴覚は仕事をしない。今はただ、体の上に何か重いものが覆いかぶさっているのだけが感じられる。
建物を二つも突き抜けて飛ばされた先で、俺の上に横たわったシナがいた。
「………あー、大丈夫ですか、犯罪者サン」
「ぅん? ウン、寝心地のいいベッドがあるからね。ただ、枕はちょっと堅いかな」
渡して来たガスマスクに、桜色の爪に白雪のような指先で突きながら、悪戯っぽく笑って見せた。
「アンタが、渡して来たんだろ」
「毒はまだ広がってる。付けていて」
「カウントダウンは止まってるよな」
先程の『寄こせ』は、強奪認識されているはずだ。でなけば、彼女は今頃ポリゴンの塊となって消えているはず。
「うん、中々いいサポートだった」
「そりゃどうも」
鈍く痛む体を起こそうとしたけれど、それをシナは押しとどめた。
「ねぇカルガモ」
甘えるように口を耳元に添えて、シナは続ける。
「僕の仲間にならない?」
「俺は、明日を生きられない」
嬉しい申し出だが、それを受ける事はできない。悲しい事だ。
悲しい? 何故?
彼女とは今日初めて会ったし、関わりだってたったの十分にも満たない。
「知ってる。記憶保持機能が無いんでしょ」
「何で知って――ああ、そうか………前の俺と会ってるんだ?」
「うん、前もこうして仲間に誘った」
「押し倒して?」
もしそうなら、ありがたいことだ。彼女の熱を感じる。鼓動も、息遣いも。彼女の綺麗な視線も。
「あの時は、正面から見つめ合ってた。僕の仲間の首を掻き捌いた貴方が、とっても綺麗だったから」
「よく仲間にしようと思ったもんだね。普通、報復しない?」
「しない。僕が仲間に引き入れるのは、僕自身が殺したいと思った人だから」
不思議な人だ。きっと、他の人には理解されないのだろう。
「そっか、でもゴメン。無理だ」
「記憶が無くなるから?」
「ああ」
「でもこうして見つけた」
「時間がかかるだろ。見つからない日だってある」
「そうかもね」
「いつぶりに俺を見つけたんだ?」
「昨日ぶり」
「嘘だ」
「うん。嘘」
ずっとこうしていたい。
彼女と触れて、話して、感じていたい。生の実感という物を。
「本当は?」
「一カ月ぶり。本当に会いたかった」
「そっか………………そっか」
こんな事を言われたのは初めてだ。勿論、記憶が無いと言う点で詳細は不明だが。
「答えは?」
「………………ゴメン」
「そっか。またフられちゃったな」
起き上がったシナは、どこか後ろ髪を引かれるように二度こちらをちらりと見た。
俺だって、少し物足りなさを感じていた。本当はもっと話していたい、もっと近くに居たい、もっと彼女を感じていたい。そう思ったが、そんな時間がない事を、俺も彼女も分かっている。
あと数分で彼らが来る。
彼女を殺すために。
何故? 彼女はただこの世界を生きているだけなのに。
「僕、この世界で人を殺しているんだ」
「だろうね。アウターだもんな」
「でも、現実でも人を殺している」
「殺人の経歴でも?」
「それもあるし、現在進行形で殺ってる」
どういう事だ? この世界での殺人ならばわかるが、現実でも?
「この世界は綺麗だと思わない?」
「ああ。思う」
「この綺麗な世界は、現実の色褪せた世界にその色を映すことができるんだよ」
「それはつまり………………ここで死んだら、現実でも死ぬって事か?」
「うん。僕がこの世界で殺した人たちが、目を覚まさなくなってる。これまでは確立が低くて不安定だったけど、この剣があれば、それを確実にできる」
昼間、武蔵部という刑事が言っていた事が唐突に頭の中で閃いた。
シナというアウタープレイヤーが毒を用いてPKを行い、昏睡事件を引き起こしている事。そのプレイヤーが危険な武器を入手し、PKと現実での昏睡事件を加速させているという内容の話だ。
「なんで、そこまで殺しにこだわる?」
「現実の私が、殺されているから」
納得してしまった。彼女の現実は、僕の現実に近くはないが、遠いわけでもないのだ。
現実を現実として絶望している。
何処に行くこともできず、何をすることもできず、生きる事もできない。あの退屈で鬱屈した失望が蔓延し、絶望が闊歩する世界に閉じ込められている。
理解はできずとも、その心境に納得はできてしまった。
「ねぇカルガモ」
「ん?」
「僕がこの世界での人殺しの方法を教えてあげる」
「それで、君を殺せって?」
「そう。もう現実を見たくない。この世界で死にたい。ずっと、夢を見続けたい」
「それは俺も一緒だ」
「それじゃあ分かるでしょ?」
「ああ。だけど酷い犯罪者だなシナは。俺だけを残すつもりかよ」
一緒に連れて行ってくれ。そう言いたかったけれど、きっと彼女は首を縦に振らないだろう。その方法があったとしても。
「連続殺人犯だからね」
「それじゃあ教えてくれ。人を殺す方法を」
彼女の冷たい、冷めた声が鼓膜を擽り、脳を震わせる。心臓を締め上げ、喉を恐怖で竦ませた。
全身を包むのは生の実感、幸福の震え、そして、現実への絶望だった。
シナの胸へと突き刺した剣が、いやに重く感じる。
腕に絡みついた鎖が、こちらの右手に殺しの実感を与えてくれた。
「シナ。出会ったばかりでこんな事を言うのはおかしいと思うかもしれないけど………………好きだ」
「………………僕も……大好きだよ………………………カル、ガモ………………」
焦点の合わない瞳がこちらを見つめる。血に染まった手が頬を撫でた。最後の力で持ち上げた綺麗な顔が近づき、唇にそっと触れた。
現実で一度も感じた事のない、不思議な感覚が全身を包み込んだ。
『レベルが上がりました』
『聖遺物<業拳ソラリスゲヘナ>を入手しました』
『聖遺物<黄昏のオブスクルス>を入手しました』
『聖遺物<斧割シッチタス>を入手しました』
『聖遺物<映胴のアルテルエゴ>を入手しました』
『聖遺物<深弓アルトムマレ>を入手しました』
『聖遺物<シカムシロの鎖>を入手しました』
『聖遺物<聖剣ファキエス>を入手しました』
「………………君が殺したのか? 燈夜くん」
「その呼び方は止めろって言っただろ、おっさん」
見た目は見目麗しい淑女の風貌。しかし、その中身を俺は知っている。あの日家に来た無精髭のおっさん刑事だ。
「そうかい、じゃあ本音で行く。お前は今、殺人の容疑に掛けられた。分かるだろ?」
「ああ、そうだな」
殺した。殺したか。そりゃあいい、世界で初めて好きになった女の子を、俺は殺した。
最高な気分だ。そして最低な気持ちを味わっている。
極彩色の地獄を前に天国へ唾を吐き、俺は世界を謳歌する。
黄昏を切り取ったような藍紺色のパーカーコートを翻し、鎖に巻き取られた銀の手甲をはめた両手を握り締め、金髪女性アバターの男プレイヤーへと向かい合う。
「三浦燈夜、お前を拘束する」
「俺はカルガモ。職業は、簒奪者だ。――スキル<簒奪>!」
『アイテム<オーバーフロックス(+8)>を入手しました』
入手難度Aの片手装備アイテム<オーバーフロックス>。おそらくはこの男のメイン武器だ。強化値がとても高い。
勝負運は収束するらしい。
「このっ、クソガキが!」
「固有スキル――」
「避けて双葉!」
「<雷破>!」
「スキル<川蝉時雨>!」
「固有スキル<羽化暴風>!」
六十畳前後の広さの店へと飛び込んで来た武蔵部が、銀の槍をこちらに固有スキルの宣言をした。それが意味する事を察するよりも前に雷鳴が轟き、閃光が店の中を明るく照らし出した。
――どうなった?
瓦礫と埃に覆われた体の節々が痛み、喉が焼けるような痛みに悲鳴を上げさせた。
殺せたとは思っていない。雷がフロアを走る寸前で見たのだ。あの二人の刑事を飲み込む転移の光を。
「………………これからどうするかな」
シナを殺した。この街に居てもやる事が無い。かといって、これからどこに行っても、きっと生きているとは思えないだろう。
――モーリスに向かえ。お前の望みを叶えてやる。
突然、頭の中で何者かがそう言った。
——その聖剣の本当の力を手に入れろ。お前にはその資格がある。
正気じゃないのは分かっていた。しかし、ここまで酷い事になっていたとは。幻聴なんて、一度も聞いた事が無かったが……なるほど。中々の恐怖だ。
——幻聴ではない。俺は神だ。いいから言う事を聞け。お前には、この世界を終わらせる資格がある。
こっちの頭の中を読んで返事をくれる幻聴らしい。仲良くなれそうだ。
——なら、今すぐにモーリスのペリデュート・ストリートに行け。お前を待っている。
待ってるって誰が? まさか幻聴のアンタか?
——いいや、お前を王として迎え入れる力強い仲間たちだ。
仲間、ねぇ。人生において、一度でも仲間などというものを得た事がない俺にとっては、それは魅力的なものだ。
——そうだろう。
んなわけあるか。俺はのんびり一人で生きたいんだ。
——生の実感のなくなったこの世界でか?
うるさいよ。
——お前は、現実を変えることができる。退屈な現実が変われば、この世界はさらに美しくなるだろう。
そうかい幻聴さん、俺は別に現実を変えたいなんて思ってない。
——なら、あの娘と同じ夢を見たいとは思わないか?
それなら確かに。うん、魅力的だ。
——ならば、さっさとモーリスへ行け。
って言っても、ここからモーリスまで歩いて行けって? プレイヤーの大移動を考えれば、かなり時間がかかると思うけど?
——強欲な奴だ。嫌いじゃない。
そりゃどうも。
端から見ればおかしな奴だと思うだろう。俺だってそう思う。
頭の中に響いて来る声に返事をして、話して、取引をする。狂気の沙汰だ。しかし、その分の収穫はあったらしい。転移の穴が背後に開いた。
青と白のネオンライトを捩じって渦を巻けば、こんな景色が見られるだろう穴がそこにはあった。
——目的地直行の一方通行便だ、王様。
そりゃあどうも、我が忠実な臣下。
穴に飛び込むその瞬間、視界の端に彼女の姿が映った。こちらを捉える事のない、光を宿さないくすんだ翡翠の玉が、こちらを見ているような気がした。
二番目の街<モーリス>、その大通りの一つ<ペリデュート・ストリート>へとやって来た。
予想通り、プレイヤーは飽和状態に陥っていた。最初の街があんな状況では、皆避難して来て当然だ。
「さて、ここで何しろって?」
——通りの先にあるモニュメントは知っているな?
「ああ、あのうんこみたいなやつ」
——龍脈の源泉だ。
「源泉? 龍脈に源泉ってあったんだ」
よく小説などで出て来る龍脈。簡単に言えば、エネルギーの通り道。
その源泉がこのモニュメントだと言うのだから驚きだ。それより、なんで幻聴はこんな事知ってんだ?
——この世界の神だからだ。
「ほう、そりゃあアリガタイねぇ~」
——信じてないな。
興味がないだけである。
幻聴のくせにこの世界に詳しいし、きっと本当にカミサマなのだろうが、そんな事はどうでもいい。
神だろうが、地獄の閻魔だろうが、俺にとってはどちらも何ら変わらない背景画と同じだ。
——ハンッ、神を愚弄するか。
「どうでもいいだけだって。死ぬときゃ死ぬのが人間だろ」
——そうだ。人間など、こちらの匙加減だ。
まったく、ありがたいお言葉を頂戴したね。
鎖で右腕に憑りついた剣は、鞘に納めることができない。あの人がどうしていたのかは知らないが、まだ俺のレベルは三十二という中途半端なレベルの為、聖遺物の外套を外し、袖が隠れるポンチョに近い形の白と黒のモノクロカラーの外套を羽織り、腕を隠して通りを進む。
人が多いから、自然と歩幅も小さくなる。目的のモニュメントまで、十五分もかかってしまった。
龍脈の源泉とは言っても、自称カミサマの幻聴が言っているだけで、プレイヤーたちは何も知らない。だから、ただの街のオブジェクトだとして殆どがスルーしていた。
モニュメントの前にはプレイヤーの姿がちらほら見られたが、どれも誰かとの待ち合わせのようで、誰一人としてモニュメントに顔を向けている者はいなかった。
——源泉はモニュメントのてっぺんが中心だ。登れ。
「登れ?」
——てっぺんに剣を突き刺す溝がある。そこに剣を刺すだけでいい。
「いや、登れって………」
こんなプレイヤーが多い中モニュメントに登れば、いやでも目立つ。そんな事をすれば、正義に目覚めたレギルスたちが集まって来るだろう。
逃げるも戦うも、今の俺のレベルではできる気がしない。
——大丈夫だ。剣を刺すだけでいい。
それ以外に言う事はないのかコイツ。
「まぁ、いいや。ササっと行きますか」
——そうだ。ササっと行ってブスっと刺せば、仲間がドバっ。だ。分かったな。
いや、仲間がドバって…………魚かなんかでも出て来るってのか?
モニュメントは巻きぐそのように円柱を巻いている形で、平べったい円錐を描いている。
登るのはそこまで苦ではなかったが、モニュメントに手を掛け上に乗った時から、プレイヤーたちの視線が集まっていた。そして中心に立つ頃には、更にプレイヤーが足を止め、集まり、中には警告を発する者までいた。
「そこのお前、そこから下りろ。聞こえてるのか! とっとと下りろと言っているだろ!」
「うっさいな………」
確かに、モニュメントのてっぺんには剣の幅よりもほんの数ミリ広い溝が、深海魚がプランクトンを飲み込もうと小さな口を開いているように、口腔内の夜よりも深い暗闇をこちらに覗かせていた。
——そこに刺せ。ブスっとな。それで………………。
「仲間がドバっ、だろ。分かってるっての」
仲間など、産まれてこの方持ったことが無い。一体どんな感じなのだろう。一緒に戦うと言うのは。
心を通わせ、武力を構えて背中を任せる。そんな未来を、俺は築けたのだろうか。だとすれば、一体何処でその道を違えた?
小学生の頃、教師の聞き間違いで一方的に咎められた時か? それとも中学生の頃、無意識に発した言葉を忘れていた事で嘘を吐き、それを信じた教師が満足げな笑みを浮かべた事か? はたまた高校の頃、校則違反で校内謹慎を受け、自習室で謹慎時自習ルールを理解していない進路指導の教師から叱責を受けた時か?
思い返せば、どれも大人からのアリガタイお言葉を受けた時の景色ばかりが脳をよぎり、碌な記憶は一切出て来てはくれなかった。
自分が笑っている記憶も、周囲の人と仲良く何かをしていた記憶も、誰かの手を取り互いを励まし合う記憶もない。
今の今まで、自分は一人で何もせずに呼吸だけして過ごしていたのだと悟った。
無駄な人生だった。
無価値な人生だった。
無意味な人生だった。
——その人生を、俺が変えてやる。
「そんなもん、俺は望んじゃいない。——勿論僕も」
望みはただ一つ。瞬きすれば目の前から煙のように消えてしまいそうな、彼女のそばにいる事。ただそれだけだった。
モニュメントを叩き割る勢いで剣を突き刺した。古臭い錆びた鉄の剣は街中のネオンライトを吸い込み、怪しげな紫光を放ち出す。
「なんだ?」
「貴様、何をした!」
「さっさと降りて来い!」
レギルスプレイヤーは今なおこちらに敵意を見せ、それぞれに得物を携え警戒している。そんな彼らを、剣と溝の隙間から噴出した黒と緑の光が渦巻き作られた転移穴から飛び出した、たった一つの光球が飲み込み、体の一部を残して通りの向こうに鎮座していた一つのNPCの店を吹き飛ばした。
『聖遺物<穢剣アウェルサ>を入手しました』
外れかけていた鞣革のグリップは新品同様に綺麗に巻かれ、錆でまだら模様を浮かばせていた剣身は、これまで吸い取ったプレイヤーの血を吐き出しているかのように赤黒く染まった。
剣の形が変わり、両刃の西洋剣から、大きな返しの付いた片刃の剣、ファルシオンにも似た形状へと変化した。
——これで、この世界の主人公はお前だ。好きに暴れるといい。
「これが、俺の仲間…………」
——ああ、そうだ。ミノタウロス、ガーゴイル、ワイバーン、キマイラ、その他にも多くの魔物が、お前の指示を聞き、お前の代わりに命を賭して敵の首を取る。
「そう。それじゃあ手始めに………この街のプレイヤーを殲滅しろ。NPCは殺すなよ」
これが俺の仲間、ねぇ………………。




