013 夢転じて悪夢と化す
頭がおかしくなった。そうとしか思えない。でなければ、何故私はあまり知らない学校の先輩を家に招き入れて、その人に料理を振る舞ったりしているのだろう。
そりゃあ、買い物を手伝ってくれたし、荷物を持ってくれた。その報酬だと考えればそうなのだが……。
それより、早く切り替えなければ。宿題は膨大、時間は限られている。そして何より、睡眠時間を削りたくない。
——あの人の事、随分好いてるんだねぇ。
うっさい、黙ってろ。役割分担はもう決まっているだろ。こっちは私、アンタはあっち。
こっちの出来事は全て私が担当しているんだから、口出しは無用だ。アンタはあの地獄を楽しんでくれればそれでいい。
——元よりそのつもりだけど?
「それだけで十分だっての」
——それにしても、こちとらフられたばっかりだってのに、随分お愉しみじゃあないですかねぇ。今までは現実なんかつまんない。ずっと寝てたーい、って駄々こねてたくせに。
「駄々って……それにフられたって、相手が記憶保持機能のないプラグを使ってたからでしょ。あの人と同じ、無印プラグ」
——あの人ぉ? ちょっとちょっと、恋煩いで睡眠時間を削ったりしないでよ。こっちは今忙しいんだから。
「ごちゃごちゃと……それに恋煩いって、ふざけてるでしょ」
——それを決めるのは、そっちの担当でしょ。僕はあくまで、そっちの気持ちを汲んで言ってるだけだよ。
「言ってろ」
宿題が一向に片付かない。それに頭も回らない。
勉強は苦手な部類ではあった。勿論運動も。しかし、たかが捨て駒製造所の宿題など、一つ一つは大したものではない。ただ量が多すぎるだけ。
「多いってこれ………………」
——文句言ってないでさっさと片付けて~。こっちは早くベッドに入ってくれるの待ってるんだから。
「はいはい、分かってますよ~」
こんなもので、私を現実に引き留めるな。居場所のないこんな世界、一秒でも早く離れてやる。
宿題のノルマをこなした事でようやく睡眠がとれるようになったのは、予定よりも二時間遅れた午後十時を回った頃だった。
——ちょーいちょいちょい。もうサーバー開いてから二時間も経ってるんだけど?
「ッさいな。これから寝るんだから邪魔しないで」
パムテット社製モデル2の青いケーブルをレムシスから引っ張り出して耳裏に差し込みながら、心の中にいる夢の中の自分、シナへと文句を返す。
寝そべるのにも少しの抵抗を感じるベッドに身を投げ出して、四肢の力を徐々に緩めて行く。
意識が沈み込む、この感触が私は好きだ。
自分の体の感覚が抜けて行き、呼吸の音が聞こえなくなっていく。星一つない真っ暗な空へと吸い込まれる感触が体を包み、そのうち感覚そのものが曖昧になった頃、虹色のトンネルが姿を見せた。この流れも、私は好きだ。
——さぁさぁさぁ! ぼくの出番だね!
それじゃあ、後はよろしく、シナ。
——任せといて、榀。
私が作ったアバターへと意識が吸い込まれる。それに合わせて、胸の内に秘めていたシナの自我が強くなって行くのを感じる。
私の意識は浮き上がる水泡のように流れに乗って、そして弾けた。
午後十時半、中央都市ロートスの僕の拠点。
ラボに充満した植物と鉄の入り混じった香りが鼻腔を擽る。
半開きの扉から飛び込んでくる隣室にいる仲間たちの喧騒が、鼓膜を震わせこちらに彼らの気持ちを告げて来た。
さて、そろそろ行くか。
情報の収集に費やした一月、もう十分情報は集まったはずだ。
「やぁ皆、おはよう」
「いやリーダー、こんばんわっしょ」
「おやすみでしょ。昔の特撮作品ではそういう挨拶してたよ」
仲間たちからの返答に心を一段と弾ませながら、メインフロアへと移動した事で、それぞれにくつろいでいた者たちが一斉に集まり出した。
「は~いはい。雑談はここまで。それで? 情報は見つかったんだよねタムさん」
僕は確かにクランリーダーをしているが、基本好きな事しかしてないようにしている。そして会議は嫌いだ。進行などもってのほか。
「情報集めが趣味の変態なら、知らない事ないんだもんな」
「変態は余計だ」
虹の棘を揺らしたトッピンに揶揄われた事で、タムさんはフードの下で誰も見た事のないその顔を顰めた。
「タムさん、何か分かったわけ?」
このままいけば、話が逸れて殴り合いになりそうだ。それはそれで面白そうだが、ただでさえ二時間の遅刻。これ以上時間を無駄にするのはもったいない。
まったく、結局僕が榀の尻拭いをしているじゃあないか。
「ンッウン! 話を戻すが、中央大図書館の一冊に記載があった」
「あんな紙に囲まれた旧文明の遺跡に潜ってるのなんて、アンタぐらいのもんだよ、カスタム」
「茶化すなボルバ、今は俺が話してるだろ」
「はいよー」
今日は珍しくボルバが来ていた。
現実世界の年齢は知らないが、どうやら成人していて役場の職員で忙しいらしい。仕事のうっ憤を晴らすためにクランを荒らしていたところを、僕がスカウトした。custom33とは仲が良く、よく拠点内で殺し合っているのを見かける。
「記録によれば、聖剣はミミド山のどこかにあるとのことだ」
「何処かってどこよ?」
同人誌作家のミミックが、紫のライトが埋め込まれた黒兎のカチューシャを光らせながら、手を上げる。
この人も、今日は来れたらしい。
いつも納品ぎりぎりで、寝ている暇がないと言ってこれない事が多々ある変人である。
「ミミド山に登った事がある奴はいるか?」
「あんな枯山、登らんしょ」
「とれるアイテムもショボいし、大体スルーしちゃうからなぁ」
「僕も行ったこともない~い」
「散策癖のあるリーダーが行ってないんじゃ、誰も行ってないだろ」
実際、あの山に出かけるプレイヤーなど見た事もない。
「山のどこかに龍の棲家の洞窟があり、そこに残されていると記されていた」
「龍の棲家って事は、ワイバーンくらいは出るんじゃないかなぁ」
飛竜を追跡すれば、案外簡単に見つかりそうだ。
「索敵スキル持ちって、ウチにいたっけ?」
「おれですよ姉御、忘れてたんですか?」
いつもの三下ムーブを見せるタントンからの進言でようやく思い出した。
「そうだったねぇ、ゴメンゴメン」
「リーダーは今、あの時の男に御執心中だからな」
うるさいよ、タムさん。
「うるさいよ、タムさん」
思わず考えていた事が口から出てしまった。
「結局、あの日以降愛しの彼は見つからなかったのかい、シナ氏」
にやにやとこちらにいやらしい笑みを浮かべるミミック。
どいつもこいつもまったく………………。
「好色者どもが!」
「今日のリーダーも随分イラついてんね」
「そりゃそうだろ。でなけりゃおれらのリーダーじゃねぇや」
「無駄口叩いてんじゃないよ。さっさと出かける準備して」
目指すはミミド山のどこか。見つける為に、先ずはワイバーンを見つけなければ。
「それじゃあタントン、見つかったら教えて」
「りょ~かい」
ライドシフターに乗って山の中を飛び回り、刺々しい鉄片の葉を茂らせた鎖の柳の間を抜けて風を感じる。
ここに今まで来なかった事を今は後悔している。
インベントリから鈍化の毒瓶<ガーゴイルの涙>を一つ取り出し振り撒いた。
「血と錆の香り、そこにほんのり乗った油の臭い。そこに体を蝕む毒の香。最っ高…………」
肺をいっぱいにまで膨らませ、そこに漂う空気を感じる。
「あ~あ、始まったよ…………」
「ホント、シナ氏はイイ趣味してるよねぇ」
「ほっとけ。それよりタントン~、まだ見つからないのぉ?」
せっかく動きを妨げる鈍化毒を撒いてやってるんだから、さっさと見つけてくれよ。
こちらの願いがかなったのか、ゴム翼膜の大蜥蜴、飛竜ワイバーンが見つかったのは、それから五分後の事だった。
「見つけやしたぜ、姐さん」
「はいは~い。姐さん行っきまーす」
助走を付けて風を切り裂き移動する。生産職仲間のコークンお手製のライドシフター<バルチャー>の速度は、この世界においてかなりの速度を有する。それは、鈍化したワイバーンの飛行速度を軽く凌駕する程に。
山の中腹へと翼を広げて移動する飛竜を追いかけて、僕を含めクラン<黒紅の鬣>の面々は一斉に追いかけまわした。
追いかけっこは、ニ十分近くかかっただろうか。飛びつかれた飛竜が逃げ込んだが、件の洞窟だった。
「ここが洞窟。確かにお宝でもありそうな雰囲気」
盗賊衣装のパリントンが感動に打ち震え、僕は一人、壁に沿って伸びたチェインウィロウの根っこを指先でひっくり返した。
お宝だとか冒険だとか、そんなものに興味はない。僕の興味は、ただ一つ――可能性である。
「タムさん、タントン連れて先に入って」
「了解。行くぞタントン」
「えっ、俺あんまし防御に振ってないんスけど…………」
「大丈夫ダイジョブ、死んでもタントンの意志は継いでやるから」
絶対に嫌だけど。
「絶対嘘ですよね、それ」
バレてら。
「いいから行くぞ。せっかくの睡眠時間をこれ以上無駄にしたくない」
タムさんの言葉には十里ある。さっさと行ってこい。
こちらの想いが届いたのか、それともタムさんの剣幕が恐ろしかったのか。多分後者であろうが、ようやく斥候二人が洞窟探検へと赴いた。
「見つけたぞ」
そう言って報告に戻ったタムさんの言葉で、鬣メンバーは皆一斉に洞窟の中へと駆けだした。
どいつもこいつもまったく。
「楽しそうにしちゃってまぁ」
生きているんだ。僕も彼らも、この味わい深くて賑やかな世界で。
聖剣は確かに存在していた。
何かの死骸に突き刺さったそのままの状態でこちらに柄を伸ばしているような姿を見せている。
「これが聖剣?」
「なんて言うか、古びた剣って感んじだよね」
ミミックが僕の肩に腕を回し体重をかけて来る。僕よりも背が高くて、上からのしかかられているようで正直言って重い。
「これを引き抜くのにこの鎖を使う。で、あってるよねタムさん」
「ああ。情報によれば、素手で触れれば呪われるとあった」
「呪い?」
曰く付きの聖剣か。なるほど、面白い。
「その呪いってのに掛かってみたいけど………………やめておこうか」
言ってみたが、その瞬間に皆一斉に顔を曇らせた。皆僕が大好きかよ。しょうがないな。
「それじゃあ、サクッと入手と行きますか」
ここで止めない辺り、ホント物好きだと思う。
僕は現在、聖遺物の一つ<業拳ソラリスゲヘナ>を持っている。そこに更にもう一つ聖遺物を手にするなど、普通のプレイヤーなら止めるところだぞ。
止めるどころか、剣までの道を開けて催促する辺り本気らしい。その願い、クランリーダーが叶えてしんぜよう。
インベントリからアイテム<シカムシロの鎖片>を取り出し、手甲を装備した掌の上に落とした。
途端、それまでただの飾られた鎖の一片だったそのアイテムは、洞窟のあちらこちらに隠されていた他の鎖辺を呼び寄せ、一本の鎖へと姿を変えた。
「これが、聖剣を引き抜くのに必要なアイテム?」
「ああそうだ。それこそが、<シカムシロの鎖>だ」
シカムシロの鎖。それは側面に解読不能文字を刻まれた、太古の魔法を付与された不可思議な鎖。
その鎖の先端が突然、一人でに浮き上がり、錆び付いた古い剣の柄頭に引っかかり、釣り針に魚が掛かったようにピンッ、と張り詰めた。
「…………引けって事?」
「だろうな。手伝おうか?」
「いらない」
呪いを受けるのがもし鎖の持ち主以外の場合だったら、彼らが呪いを受けることになる。
僕が呪われる分にはいい。が、それが仲間に降りかかるというのならば話は別だ。
「それじゃあ行ってみよっか!」
両手で握った鎖を軽く引いてみたが、それでは剣はピクリとも動かない。あーこれ、筋力値足りないと引き抜けないんじゃないかな。
筋力値はそこまで強化していない。足りない場合はどうすればいい。これなら、筋力値重視の仲間に渡しておけばよかった。
「せぇーのっ!」
一声と共に鎖を強く引き寄せ手繰り、一本の剣と綱引きならぬ、鎖引きを始める。
「行けリーダー、引っこ抜いちまえ!」
「力入れ過ぎて、へし折んなよ」
「シナ氏、いいよぉ。めっちゃいいよぉ!」
何やら気持ちの悪い声援が聞こえた気がしたが、それは無視する。いつもの事だ。僕の体をいつも舐め回すように見て体を絡めて来るような奴で、一々反応を返していては相手を喜ばせるだけでこちらは疲れるだけだ。無視に限る。
「ふんぬぅ!」
体に引き寄せた鎖を肩に担ぎ、後ろに踏み込んだ足に合わせて勢いを付け、背負い投げの容量で一気に引っ張る。
体が痛みに悲鳴を上げた。筋繊維が引き延ばされ、骨に罅が入ったのを感じる。全身が軋み、噛み締めた口の端から血が滴った。
「リ、リーダー?」
「血、血だ……血が出てるぞ!」
はぁ? 血だぁ?
この世界では、出血はポリゴンの流出による表現に置き換えられている。血が出る事などあり得ない。
「うぉぉぉうらぁぁぁ!」
遊びの一切ない鎖を力任せに引っ張り、踏ん張り、背負い投げる。
体全身が悲鳴を上げ、鎖が食い込んだ方から血が噴き出した。それでも踏み込み、鎖が震え出した。
化石に変身した何かの魔物の死骸に突き刺さった剣が傾ぎ、死骸に亀裂を走らせた。
「うぉおおおリーダー! あと少し、もうちょっとだ!」
視界の端に映った体力ゲージが、いつの間にか三割まで減少していた。それに気づいた瞬間、自分の体がどうなっているか初めて知った。
肩から、いや肩だけじゃない。体のあちこちが裂けて血が滲んでいた。
いや、何だこれ。もしかして、呪われた? だとして、これは一体どんな効力がある。エフェクトが変わっただけで、それ以外には特段変調はない。とにかく、この剣を引き抜いて手に入れてから考えよう。最後の一踏みだ。これで決める。
一歩を踏み込んだその瞬間、頭蓋骨の内側で、骨が砕ける音が響いた。
どこだ、どこが折れた? この状況で足が折れでもしたら、剣は引き抜けなくなる。腕が折れていたら、鎖を握っていられなくなる。でも、僕は今両足で踏ん張ってるし、両手で鎖を握ってる。
どこだ? 四肢は問題ないのに、どこか体がおかしい事は分かる。
――血の味がする。
――鉄の臭いが鼻を抜けて行く。
ああ、そうか。歯を砕いてしまったんだ。
こんな顔で会ったら、あの人に嫌われてしまうだろうか。体の欠損は、次の入眠までは復活しない。今日は会いたくないなぁ…………。
「シナ氏~。よく頑張りましたぁ」
いつの間にか、洞窟の天井を見上げて寝そべっていた。
気を失っていたらしい。…………夢の中で、気を失っていた?
この剣の近くでは、変な事ばかり起きる。きっとそういうものなのだろう。そう、この世界の設計者がシステムを組んでいるのだろう。まったく、本当にありがたい事この上ない。
「剣は?」
「右手を見て見ろよ、リーダー」
「ぅん? 右手?」
ズシリと、確かな質量を感じる。これが、件の聖剣か。
『聖遺物<聖剣ファキエス>を入手しました』
ログウィンドウにも、キチンと書かれている。これでここでのクエストは終了だ。さて、この後はどうしようか。
「皆、何したい?」
鎖の繋がった古びた剣を肩にかけて立ち上がり、僕はクランメンバーへと問う。
「そりゃあ当然」
「決まってらぁ」
「締め切りも乗り越えて時間もあるし」
「リーダー、お前の遊びはまだ終わってないだろ」
皆、やる気は十分らしい。
「それじゃあ皆、全力で遊ぶよ!」




