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6.記憶

6.記憶

__その夜。


冬雪と別れたあと、星那は一人で星守神社へ戻っていた。


境内にはもう人がいない。


提灯の灯りも消え、夜風だけが静かに吹いている。


石段を上がる足音が、やけに大きく聞こえた。


「……ただいま」


社務所の引き戸を開ける。


中では、星里がお札の整理をしていた。


「あら、おかえり」


優しい声。


けれど星那は、すぐ返事ができなかった。


胸の奥がずっと落ち着かない。


__『島居さん見てると、懐かしくなる』


__『昔の俺、知ってる?』


そして。


今日、自分が初めて口にした名前。


__“冬雪くん”。


星那はそっと視線を落とした。


星里はそんな娘の様子を見て、小さく首を傾げる。


「どうしたの?」


「……お母さん」


少し迷ってから、星那は口を開いた。


「聞きたいことある」


社務所の奥で風鈴が鳴る。


星里は静かに手を止めた。


「志水くんのこと?」


その言葉に、星那は目を見開く。


「……やっぱり、お母さん何か知ってるの?」


星里はすぐには答えなかった。


代わりに、ゆっくり湯呑みへお茶を注ぐ。


湯気が立つ。


静かな沈黙だった。


「星那」


やがて星里が、静かな声で言う。


「あなた、あの子に会ったのよね」


胸が強く跳ねる。


「あの子って……」


星里はゆっくり星那を見る。


その目は、どこか覚悟を決めたみたいだった。


「八年前に」


空気が止まった気がした。


星那の喉が震える。


「……知ってたの?」


「気づいてた」


「どうして言ってくれなかったの!?」


思わず声が強くなる。


ずっと。


ずっと一人で抱えてきた。


夢じゃないって信じたかった。


でも誰も覚えていなかった。


誰にも信じてもらえなかった。


なのに。


「お母さん、知ってたんだ……」


震える声。


星里は少しだけ目を伏せる。


「ごめんね」


「なんで……!」


星那の目に涙が滲む。


「私、ずっと探してたんだよ……!」


夏祭りのたび。


裏山へ行った。


海を見た。


“また来る”って約束を、ずっと待っていた。


でも。


誰も知らないみたいな顔をした。


だから星那は、いつからか自分でも怖くなっていた。


本当にいたのか。


夢だったんじゃないかって。


星里は静かに言う。


「夢じゃないわ」


その一言で。


張っていたものが切れそうになった。


星那は唇を噛む。


「……じゃあ、やっぱり冬雪くんは」


その名前を口にした瞬間、胸が少し熱くなる。


星里はわずかに目を細めた。


娘の呼び方が変わったことに気づいたみたいに。


「……あの子と、同じなの?」


問いかける声は小さかった。


怖かった。


答えを聞くのが。


すると星里は、すぐには頷かなかった。


「同じ、とは少し違うのかもしれない」


「え……?」


夜風が吹く。


社務所の窓が小さく鳴る。


星里は遠くを見るような目をした。


「昔から、この島には不思議な言い伝えがあるの」


静かな声。


「“星が最も近づく夜、魂は海を越える”っていう言い伝えが」


星那は息を呑む。


「……なに、それ」


「昔話みたいなものよ」


そう言いながらも、星里の表情は真剣だった。


「でも、あの子を初めて見た時」


星里はゆっくり続ける。


「普通の子じゃないって、すぐ分かった」


星那の指先が震える。


八年前。


あの風。


薄くなった姿。


冷たい手。


全部が頭をよぎる。


「じゃあ……ゆきくんは」


言葉が詰まる。


消えてしまいそうだった、あの少年。


星里は静かに首を横へ振った。


「でもね」


優しい声。


「あの子は確かに、星那と出会ったことで変わった」


星那は顔を上げる。


「最初は本当に、空っぽみたいな子だったの」


星里は懐かしそうに目を細める。


「でも、あなたと一緒に笑ってる時だけ、ちゃんと“ここ”にいる顔をしてた」


胸が締め付けられる。


「だから私は、あえて止めなかった」


「……」


「きっと、あの子に必要だったから」


静かな沈黙が落ちる。


風鈴が鳴る。


遠くで波の音が聞こえる。


星那は小さく俯いた。


頭の中がぐちゃぐちゃだった。


でも。


一つだけ、はっきりしたことがある。


冬雪は。


“ゆき”は。


本当にいた。


夢なんかじゃなかった。


すると星里が静かに言った。


「ただ、気をつけなさい」


「え……?」


星里の表情が少し曇る。


「あの子、まだ不安定なの」


「不安定……?」


「この島に来てから、記憶だけじゃなく、“あの頃”のものまで戻りかけてる」


星那の胸がざわつく。


「あの頃って……」


星里は答えなかった。


代わりに、星那をまっすぐ見る。


「もし全部を思い出した時」


静かな声。


「あの子が、また消えようとするかもしれない」

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