第36話「名を出せぬ味方」
その屋敷は、町の外れにひっそりと建っていた。
石造りの重厚な門構え。けれど、装飾は最小限で、どこか質実剛健な印象を与える。
ゼントは一度深呼吸し、門を叩いた。
中から現れたのは、簡素な制服を着た使用人だった。
「ご用件は?」
「ギルドの……副長に、お話があって。ゼントと申します」
名前を告げると、使用人は一瞬だけ目を細めた。
だがすぐに礼儀正しく頭を下げると、「お待ちください」と言って奥へと消えていった。
やがて戻ってきた使用人に案内され、ゼントは屋敷の奥まった部屋へと通された。
そこにいたのは、あのギルドの男だった。
変わらぬ穏やかな口調で、彼は椅子に座るよう勧めた。
「来ると思っていたよ。——で、どうした?」
ゼントは、迷いながらも包み隠さず事情を話した。
供託金が足りないこと。仲間たちの協力でほとんどは集まったが、あと一歩だけ届かないこと。
ギルドの男は黙って話を聞き、やがて小さく笑った。
「なるほど。君が動けば、周りも動く。だが最後の一歩は……いつだって重い」
彼は机の引き出しから、封筒を取り出した。
そして、それをゆっくりとテーブルの上に置いた。
「これは、個人的な支援だ。ギルドとしてではない。……私の“賭け”だと思ってくれ」
ゼントが驚いた表情を見せると、男は目を細めた。
「君は“正しさ”だけでなく、“届かせる力”を持っている。私は、それに賭ける」
「……でも、なぜそこまで……」
ギルドの男は少しだけ視線を外し、苦笑を浮かべた。
「……私はギルドの立場もある。いまの市長と結びついている連中もいる。君を公然と応援すれば、彼らとの関係が崩れる。交易の許可も、物流の融通も止められかねん。ギルド全体の利益を考えれば、迂闊なことはできない」
その声音には、長年この世界で駆け引きを続けてきた者ならではの、深い疲れがにじんでいた。
「正面から名を連ねることはできない。……だが、私はずっと、この町の変化を願ってきた。名を出せずとも、背を押すくらいは、してやりたいんだよ」
しばし沈黙のあと、彼は静かに続けた。
「君のやり方なら、今度こそ火がつくかもしれない。——この国に、本当の意味での希望がな」
ゼントは、封筒を手に取り、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。必ず、無駄にはしません」
「ところで……お名前、うかがっていませんでした」
ゼントが思い出したように尋ねると、男は少しだけ口元を緩めた。
「そうだな……名前を出せない立場ゆえに、普段はあまり気にしてなかったが……」
男は、少し芝居がかった仕草で椅子の背にもたれた。
「駆け出しのころ、一日で百万の粗利を稼ぎ、商業ギルドで、こう呼ばれたことがある……」
その瞬間、部屋の外から声が飛んだ。
「手紙届いてますよ、大旦那!」
……沈黙。
「……ん、まあ、そういうわけだ。大旦那とでも呼ぶがいい。」
ゼントは思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、深く頭を下げた。
「わかりました、“大旦那”さん」
その帰り道、空には朝の気配が差し始めていた。
静かに燃える決意とともに、ゼントは自宅へと歩を進める。
すべての準備が、整いつつあった。




