3-66 王太子の裁定は
それからどれだけの時間がたったでしょうか。
空気がひどく淀む礼拝堂の中で、イドリース殿下が首だけをまわしてこちらを見ました。なんだか古いお人形みたいな動きです。
「ジゼル、さっきみたいにエヴレンと話せないのか?」
「えぇっ?」
「俺はエヴレンに謝りたい。たぶん、ハラーク公爵も……」
「うーん……」
困りました。
私は目の前に現れた精霊と話すばかりで、特定の個人を呼んだことはないのです。
だって亡くなった全ての魂がこの世に自分の欠片を残していくわけでもないし……。精霊に聞けばわかるのでしょうか。でも頼まれて誰かを呼ぶって、なんだかおかしな気がします。
などと思案していると、ハラーク公爵が手を振ってそれを否定しました。先ほどよりも少しは落ち着いたようですね。
「必要ありません、殿下。病に気付いてやれなかったことは悔やんでも悔やみきれないし、恐ろしいほどの悔恨が心を引き裂くようです。だが気付いてほしくなかったと娘が言うのなら、きっとこれでよかったのでしょう」
「でも、俺は」
「エヴレンはイドリースについて『ホッとする、安心する』と言っていましたよ」
未だ納得できずにいるイドリース殿下にそう声を掛けたのはナウファル殿下です。やっぱり懐かしい過去を思い出しているような、温かい表情で。
「安心って、俺に?」
「ええ。演技をしなくても気づかれないから楽だ、とね」
「は? 鈍感ってことか?」
「彼女はその鈍感さに安らぎを感じていたのです。あなたの存在もまた彼女を癒していました」
「そうかよ……あーくそ」
イドリース殿下もそれ以上は何も言わず、元々座っていた椅子へと腰掛けました。
そこでオルハン殿下がパチンと手を叩き、全員の注意を集めます。
「では話を戻そう。叔父上の行いは決して許されるものではない。国内をいたずらに混乱させ、禁じられた薬品を相当量使用してもいる。聖女に対する度重なる襲撃などに鑑みても、相応の刑罰が必要だろう」
「そうだ、その通り」
元老院のみなさんが深く頷き、静かな礼拝堂の中に衣擦れの音が響きました。
「一方でその動機や背景もよく理解できた。国を想う気持ちは確かで、私財を投じて他国から小麦を買い付けるなどの善行も目立つ」
「国民はみんなナウファルさんが大好きだよ」
ソニアの言葉にナウファル殿下がほんの少しだけ俯きます。
私も、彼が民に好かれているという意見には同意せざるを得ません。だって初めて彼にお会いしたとき、たくさんの荷物を運ぶ隊列を歓迎する民の様子はさながら凱旋パレードのようでしたから。
顔を上げたナウファル殿下が挙手し、発言を求めました。
「非才は死などもとより覚悟の上。しかしネルミーン姫は非才の甘言に乗せられただけの被害者に過ぎません。つまり彼女に罪はなく――」
「いいえ! あたくしはすべてを承知の上でここへ参りましたわ。ナウファル殿下が何を為すつもりであるか知っていながら、諫めもせず協力していたのです。だから――」
庇い合うふたりをオルハン殿下が手をあげて止め、全員の表情を確かめるように見回します。その彼のお顔もまた、薄らと笑みを浮かべていて。
「叔父上を処刑したとなればいたずらに民の不安を煽るだろう。此度の件は内密とし、民には病の静養のためタルカラを出たと発表したい。どうかな」
「それは……ナウファル殿を極刑に処す前提で話しておられるように聞こえますな」
「いや、私は彼らを神の裁定に任せてみようと思うんだが、どうだ」
「神の裁定?」
どれだけの人が同じ言葉を発したでしょう。まるで合唱のように「神の裁定?」って。私ももちろん聞き返してしまったけど、思い浮かべたものはきっと皆同じ。
「そう、天意の泉に入ってもらう。神なくして彼の功罪を判じられる者があるか? それに生きて戻ったとしても、今まで通りとはいくまいよ。労役を科すにせよ蟄居を命じるにせよ、静養と発表しておいたほうが道理が通る。異論があれば聞くが」
しばらく沈黙が支配していましたが、どこかで賛成を示す足踏みの音がすると元老院の方々は一斉に各々の足を踏み鳴らし始めました。
ていうか、最初に足踏みしたのセレスタン様だった気がするんですけど。……まぁ異論はないみたいなのでいいか。
「それでは、叔父上とネルミーン姫には天意の泉へ入るための準備をしてもらおう。その間に、我々は婚姻の儀を執り行いたいと思う」
再び足を踏み鳴らす音。
セレスタン様が泉に入ったときには、たまたまミズネコが顔を出したから助かったと言っていました。
手足を拘束して重りをつけて泉に沈めるのですから、神が許せば助かるなんて嘘です。……とはいえ、ナウファル殿下の行いを考えると何も言えません。
今日だって私がいなかったら、あるいは杖がなかったら、とんでもない惨状になっていたと思うので。元老院の方々もきっと同じようにお考えなのでしょう。
それから私たちはあらためて礼拝堂を出ました。広場には先ほどと変わらず大勢の民がいて、歓声で私たちを迎えてくれます。
その後は邪魔が入ることもなくスムーズに愛と献身の誓約を終え、ビビアナ殿下は晴れて正妃となったのです。
「このタルカーク幾百幾千の神々の御名のもと、アルカロマ王国息女ビビアナを王太子オルハンの正妃と認めます」
私が宣言するとともに掲げた杖にほんの少しのマナを注げば、白木の杖は朝日に照らされる砂漠のようにキラキラと輝きました。
人々は新たな正妃の誕生を祝い、地を揺らすほどの歓声をあげたのです。
オルハン殿下もビビアナ殿下もそれに応えるように手を振っているけれど、ふたりともとっても嬉しそう。時折、顔を見合わせて微笑み合う姿は羨ましいほどだわ。
そろそろ切り上げてくれと神官が合図をすると、オルハン殿下は私の耳元へ口を寄せました。
「……ジゼル、それにセレスタンも。このまま私たちの部屋へ来てほしい」
なんでしょう。何か大事なお話な気がします。




