保健室での秘め事
その後は、さらに懐かれたリーナにべったりされたまま登校する羽目になり、周囲の奇異と嫉妬の視線が痛かった。
それと、リーナに引っ付かれているせいか、体が火照って嫌な汗をかいていた。
「あああああああああ、疲れたああああああああ」
やっとの思いで、教室にたどり着いた俺は自分の席についたと同時に崩れ落ちた。
「大丈夫っ、火脆木君?」
すると横あいから慣れ親しんだ声が耳に入ってくる。
勿論、里見の声だ。なぜだろう、里見の声は聞いただけで、生き返るような気分になる。
「ああ、どうにか……………………」
「ごめんなさい、ダーリン。辛い思いをしているなんて気付かなくって」
「いや、いいんだ」
心底申し訳なさそうにしながら覗き込んでくるリーナに言った。
これは、自分に科した罰であり、『普通』を忘れないための戒めなのだ。
勢いでことをなしたら良いことはない。俺は今すごく実感している。
「それにしても、顔色が悪いよ」
「そうか? それよりも、お前はどうなんだよ。昨日は心配したぞ」
机の上で伸びていた俺は重い体をひねって里見の方を向いた。
「私もですっ。昨日のことを謝りたくて。本当にごめんなさいでした」
「あ、ああ、そのことなら本当に大丈夫。もうなんともないから、顔を上げて」
謝られた里見が逆に恐縮しながら言った。
「ごめんなさい。でも、大丈夫そうで、本当によかったですっ」
「そうだな」
肩の荷が一つ下りると、不意に疲れがどっと増えたように感じた。
「火脆木君、本当に大丈夫? 顔色がどんどん悪くなってるよ」
それに気付いたのか、再び里見が訊いてきた。
その声が少し遠くに聞こえた。
意識も遠のいたり、戻ってきたりを繰り返している。
「色々あったんだ。本当に色々な……………………今はなんだか眠いから、後で話す」
「えっ、眠いってもう授業だよっ︎」
「ああっ、そうだったな」
俺はなんのためにここに来たんだ。
授業を受けるためだろう。
そんなことも忘れるほどに寝ぼけたように頭も動かない。
これはいけない。
「ちょっと、トイレに行ってくる。冷たい水で顔を洗えば、目が覚めるだろ」
俺はそう言ってよろよろと立ち上がった。
すると、立ちくらみで今までになく意識が遠のいた。
「っ‼︎‼︎ 火脆木君っ‼︎‼︎」
そして、意識がそのまま戻ってくることはなかった。
──── ❖ ✥ ❖ ────
「うっ…………」
寝苦しさを覚えて俺は目覚めた。
まず、目に入ったのは見た覚えのない真っ白な天井。
「ここは……………………どこだ……………………」
体が思うように動かないから首だけ動かして周りを確認した。
自分はベッドに寝かされているようで首から下が分厚い布団で覆われていた。周りをカーテンで囲まれていることから、ぼやけた頭でも自分のいる場所がわかった。
「保健室か……………………」
それがわかると、徐々に意識を失う前のことを思い出していく。
「倒れたのか」
「そうだ」
「っ!」
俺の誰に対しても言ったつもりがなかったつぶやきに、誰かがカーテンを勢い良く開けて答えた。
急に開かれて差した日光に目を細めたが、すぐに目が慣れて、その人が誰だかわかった。
「鴉駕さん」
保険医の鴉駕だ。
保険医にあってはならない色っぽい瞳に、一つ一つ色気が漂う仕草、それを際立たせる鴉のような漆黒の長髪とそれに合わせた胸元が空いた黒の服とスリットの深いミニスカの上に白衣を着ている。
ここまで聞けば、ありきたりな妖艶な女医を思い浮かべるだろうが、残念そうはならない。
なぜなら、簡潔に言うと、胸がないから。
ぺったんこと言わずも、大胆にも胸元が開いている服を着るには全然足りていないし、ヒップもそれほどない。
「おい、どこ見てんだ? セクハラか?」
「あっ、いや、すいません」
無意識にその胸元を見ていると、流石に鴉駕が腕で隠して言った。
「まあ、そんなに元気なら大丈夫そうだな」
それほど気にならなかったのか、そのまま鴉駕がベッドの横の丸椅子に足を組んで座った。
「俺は……………………倒れたんですよね」
「ああ、ちっこいのと外国人がお前を担ぎ込んできたんだ」
ちっこいのと外国人って……………………。
もっと言い方があるだろう。
「急に体が熱くなって立ち上がろうとしてそこから記憶がないです」
「ふむ。まあ、過度の疲労で今まで鳴りを潜めていた風邪の症状が顕在化したんだろ。思い当たる節があるか?」
「………………………………すごくあります」
ありすぎて困るぐらいある。
頭の中で指折り数えてみる。
まず死んだだろ。
生き返っただろ。
で、神にあっただろ。
神から逃げ出しただろ。
トラックと追いかけっこしただろ。
リーナの親父が異常だっただろ。
リーナにダーリン連呼されただろ。
黒オーラを放つ里見に土下座させられただろ。
学校帰りに神が降ってきただろ。
両親が出ていくことになっただろ。
神を飼うことになっただろ。
リーナと妹が喧嘩しただろ。
…………………………………………。
………………………………。
……………………。
これ労災でないのだろうか?
もう一年分の苦労をしたぞ、俺。
「それは大変だったわね」
思い出したことでなお一層、ず〜ん、と落ち込んだ俺を見て、本当に心配してるとは思えない平坦な声で鴉駕が言った。
「はい、現在進行形で大変です」
特にエリーは永続的に俺の悩みの種になるだろうが、一度飼うと決めたから最後まで責任を全うするつもりだ。
「ほう。私に話せることなら、聞くぐらいできるが?」
「いや、到底言えないので良いです」
気持ちはたいへん嬉しいが、正気を疑われて病院送りにされる未来しか見えない。
「そうか……………………女を孕ませたのか」
「ん? ………………はっ‼︎‼︎‼︎ そんなわけ無いでしょうが‼︎‼︎」
なんつうこと言いやがるんだこいつはっ‼︎‼︎
思わず自分の正気を疑ってしまったわっ‼︎‼︎
お前の方の正気を疑わないといけねえのによっ‼︎‼︎‼︎
「そうか……………………なら、誰を孕ませたか?」
「まずは孕ませることから離れようかっ‼︎‼︎」
俺は目上に対してすべき態度をかなぐり捨てて叫んだ。
「うん? しかし、高校男子がそんな思い詰めた顔をするのはそれぐらいだと思うが?」
しかし、一般常識を語るように鴉駕が返してきた。
「まじか…………てか、俺そんな顔してるのか」
ていうか、それはどんな顔だよ。
「ああ、してるぞ……………………で、誰を孕ませたんだ?」
「いや、もうわかったんで」
「それとも子供ができたとか?」
「はっ? それは同じ、こと……………………」
鴉駕の言葉に引っかかりを感じた俺は、ふと意識を記憶に落とし込んだ。
そして、今朝の情景に至った、その瞬間だった。
脳天に雷が落とされたような衝撃を覚えた。
「おや? ヤッたのか? じゃあ、私は行くとするよ」
「おいっ、ちょっと待てっ‼︎‼︎ 今のタイミングでスマホ持ってどこ行くつもりだっ‼︎‼︎」
俺の反応を見てそそくさと去ろうとする鴉駕の腕をギリギリのところで掴んで静止することに成功した。
「いや、なに、警察で働いている友人に少し用があったことを思い出して、電話をしようと思っただけだ」
「嘘つけっ‼︎‼︎」
絶対嘘だと断言できる。
てか、散々孕ませたのかって訊いてきたくせに、この仕打ちかよっ‼︎
絶対離さないからなっ────
「うあっ‼︎‼︎」
体全体を使って思いっきり引っ張っていた俺は唐突につっかえが取れたように後ろに倒れ込む。
「……………………えーっと、これはどういう状態ですか?」
そして、なぜかベッドに倒れ込んだ俺に負いかぶさるように、目の前に鴉駕がいた。
「お前が……………………強く引っ張ったからだろう………………………………」
あれ、なんでこんなしおらしくなってんの?
顔もなんで赤くしてんの?
てか、早くどいてよ。
それになんで目を閉じるの?
と、意味不明な急展開に混乱していると、
「失礼します。火脆木夏海︎です。兄がいると聞いたのですが」
ドアが開いて、妹の声が聞こえた。
「(ちっ、邪魔が入ったか)ああっ、ここにいるから来なさい」
それに鴉駕が舌打ちしてからベッドから降りると、何事もなかったように応対した。
俺はなぜかこの時すっごくホッとしていた。
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