なぜにこうなった。
なぜこうなった。
食べ終わり、学校の支度を済ませた俺たち二人は、エリーに家でおとなしくていること、何かあったらどちらかの携帯に電話をかけることを言い含めて家を出た。
テレビもあるし、テレビゲームもあるから時間つぶしに困ることはないだろう。
「しかし、お前、部活はどうしたんだ?」
今更だが、家をゆっくり出ていつもの薙刀も担いでいない妹に言った。
「辞めたに決まってるでしょ」
「はっ、なんでだよ!」
あっけらかんと言ったセリフに、思わず声を大きくして言う。
俺はあまり知らないが、薙刀にはかなり力を入れていて、こないだは県大会出場するとかなんとか母さんと話しているのを聞いた。
その薙刀部をやめる決断をするにはかなりの葛藤があってしかるべきなのに、今の妹の顔にそんな類の感情は見えない。
「だって、家事をしないといけないんだから、当然でしょ」
「家事っつっても、部活する時間がないというわけじゃないだろ。大変だろうが、シングルマザーがいるくらいだし、できるんじゃないのか? それに、俺も手伝うしよ」
なおも平然とする妹になぜだかわからないが、俺は引き止めるような言葉を並び立てた。
「いいの、別に……………………だって、する必要がなくなったから」
「はっ、どういうことだよ、それ」
「ふふっ、内緒」
「………………………………?」
が、結局妹の意味深な笑みと言葉に煙に巻かれただけだった。
……………………まあ、落ち込んでる様子はないから、大丈夫なんだろう。
「友達にメールで事情を話して辞めるって言ってあるから、今日部室に行って皆に挨拶するつもり」
「そうか……………………」
吹っ切れたように言う妹を横目に俺は雰囲気を変えるべく次の話題を探って、
「そういえば、一緒に登校するのは何年ぶりだった?」
ふと浮かんだことを口にした。
ちなみに、妹とは三歳違いだが、今は一緒の学校に通っている。
まあ、つまり、俺たちが通っているのは私立の中高一貫校なのだ。
と言っても、中等部と高等部では校舎が違うからほとんど会うこともないんだが。
「四年と三ヶ月」
「ああ、それぐらいだったか」
心なしか答えるのが早かったように感じた妹の返事に俺は感慨深けに言った。
「俺が中学に入学して、別の学校に行くことになったからだったな」
「違うよ」
曖昧な記憶で言った俺のセリフを妹がきっぱりと否定する。
「あれ、違ったっけ」
「うん。『妹と学校に通うのは、普通じゃない』って六年生の終わりに言ってから」
俺、そんなこと言ったのか……………………全然記憶にないが…………言ってそうな気がする。
「そ、そうだったかな」
「そうなの」
俺の言葉尻に繋げるようにして妹に断言された。
根に持っていたりするのだろうか、と思って訊こうとした────
「な、なぁ────」
「あっ、ダーリンっ‼︎」
が、無駄に元気な声に遮られてしまった。
「あ、あいつっ」
その声の主は推して知るべし、リーナだった。
昨日別れたところで、ぱぁーっ、と輝く笑顔を浮かべてこちらにブンブンと手を振っている。
そう言えば、ここで待ってるね的なことを言っていたのを思い出した。
「ダーリン? お兄ちゃん、もしかしなくても、あれが例の転校生?」
その元気一杯のリーナを射抜くような眼差しで見据えている妹が目を離さずに俺に言う。
「ああ、あれが例の転校生だ」
リーナのことは昨日神様との遭遇の経緯を語ったときに、話の都合上妹に掻い摘んだ説明をしていた。
ただ、リーナが気になったのか、さらに説明を求められたのだが、あれは何だったんだろうな。
「ダーリン、おはようございますっ」
俺のところまで、たったっ、と走ってきたリーナが歯を見せて笑う。
それが似合うのだから、すごい。
普通の俺がすれば、さぞかし見れないぐらいにひどい絵になっているだろう。
「こちらの女の子はもしかして、妹さんですか?」
「ああ、こい────」
「はい。ご紹介に預かりました、火脆木夏海です」
リーナに答えようとした俺を力尽くで遮って、妹が自己紹介を始めた。
しかし、預かってねぇだろ、という野暮なことは言わない…………………………………………てか、言えない。
なぜか?
妹が見たことないような営業スマイルを浮かべているからだ。
「あら、夏海ちゃんというんですね。可愛い名前で羨ましいな」
普段の笑顔の少ない妹を知らないリーナが、まるで飼育されて天敵を知らないうさぎに見えたのは気のせいじゃないはず────天敵が誰なのかは、言わずもがなだ。
「いえいえ、ウッドマンさんこそ、素敵な名前をお持ちで。あなたのことは兄から聞かせてもらいました」
「あっ、そうなんだっ。それと、名前を褒めてくれてありがとう。でも、ウッドマンって呼ばないで、リーナさんって呼んでね。そっちの方が慣れてるから」
「それでしたら、そうさせていただきます」
「うん、じゃあ、一緒に学校に行こうっ!」
と、最後にリーナが拳を突き出したが、その掛け声に続くものはいなかった。
「ねえねえ、ダーリンの昔の話を聞いていいかな?」
「はい、いいですよ」
俺そっちのけで会話している二人の姿は一見あるべき姿にも見えるが、なんだろうか。
妹のリーナに対する態度は敬っているというよりかは、壁を作っているように見える。それに、妹がこんな丁寧語を使うなんて初めて見た。
「これは兄が四歳のときの話なんですけど、」
って、ちょっと待て。
俺が四歳って、お前まだ一歳だろうがっ。そういうのは自分の記憶にあるものを話すんじゃないのかよっ!
「縁日で、金魚すくいで金魚が取れなくて悔しがった兄が店主に向かって、『金魚すくいなのに金魚がすくえないのは普通じゃない。詐欺だ』って泣きながら言って金魚を一匹強請りとったことは記憶に新しいですね」
ほう、俺はすでに四歳から普通の伝道者だったわけだな……………………じゃないわっ‼︎
いやいやいやいや、全然新しくねぇだろっ‼︎
親から聞いたという意味で新しいということかっ?
てか、そんなエピソード、俺すら知らねえよっ‼︎
「あら、そんな頃から普通普通って言ってたんですねっ」
いや、もっと他に突っ込めべきところあっただろっ!
「ええ。私は、兄を小さいときから知っているんです」
お前のほうが小さかっただろっ‼︎
なんで、さっきから俺が年下みたいに扱われてんだよっ!
そして、なぜお前は誇らしげなんだ、妹よっ。
と、妹に無言のツッコミをしていたときだった。
「ですが、兄に恋人がいることは聞いたことないんですよね……………………」
わずかに語調を落とした妹がリーナにニコリと笑って言った。
その瞬間根拠のない危機感を覚えた。
「えっ。ああ、昨日、カップルになったばかりだからっ」
それに気付いていないリーナが照れたようね調子で話し続ける。
「カップル? 片思いではカップルとは言わないじゃないてすよね?」
「? あっ、そっか、ダーリンは恥ずかしがりやだから、夏美ちゃんには言ってなかったんですね」
という、核心に迫っているはずなのに決定的に食い違っていて、着地点の見えない行き違いに俺の心臓が万力に締め付けられるように痛んだ。
「いえ。兄はあなたのことを話してくれました────告白した覚えのない女にダーリンと連呼されてほとほと疲れていると」
その行き違いが煩わしかったのか、妹が一足に核心に触れた。
「お、おいっ! なつ────」
「お兄ちゃんは黙っててっ!」
その妹を制止しようと放った言葉がかき消された。
「えっ、そう、なんですか? 本当は、嫌…………だったんですか?」
「いや、そん────」
「お兄ちゃんは疲れたと言っていたよね?」
思い詰めたような顔をしたリーナにかけようとした言葉まで遮られ、逃げ場を潰すように俺をまっすぐ見据えて訊いてきた。
「い、言った」
たしかに言ったし、疲れたのも本当だっ!
だけど、だからといって、嫌いになったというわけじゃないんだっ‼︎
「っ‼︎ そ、そうですよね。一日しか一緒にいなかったのにダーリンをわかりきったつもりでいたなんて…………」
だから、そんな痛々しい顔をしないでくれっ‼︎
「いや、たしかに言ったが、嫌いということじゃないんだっ‼︎‼︎」
「っ、ダーリンっ‼︎」
俺のたった一言で一転して瞳を輝かせたリーナは本当にチョロいと思うが、嫌いじゃない。
ダーリンダーリンうるさいが、耳障りではなかった。
付き合うのは無理だが、話しかけてくるななんて思っちゃいな────
「ちょっとっ、お兄ちゃん! お兄ちゃんは利用されていることがわからないのっ!」
「利用っ⁈」
はっ⁈
自己解決しかけていた俺の脳にいきなり聞き慣れない言葉が飛び込んできた。
「やっぱり気付いていなかったんだね」
「わ、私がダーリンをどう利用したと言うんですかっ!」
流石に聞き捨てならなかったのか、終始穏やかだった語気を強めたリーナが妹に攻めかかった。
「しらばっくれないでくださいっ。貴方は私の兄を男よけに使っていることはわかっているんですよっ!」
「お、落ち着けっ、夏美っ」
それに応戦するように妹までもがヒートアップしてしまった。
「だから、お兄ちゃんは黙っててっ‼︎」
いや、お前が黙ってくれっ‼︎
見えないのかっ、通行人がこっちを見ているんだぞっ‼︎
あそこのおばさんなんて立ち止まって、「いや〜ね〜。これだからこの頃の若い子たちは」、と言いたそうな目でこっちを見ているんだぞ‼︎
絶対井戸端会議で拡散させられるぞっ‼︎‼︎
「おいっ────」
「ええ、ダーリンは口出し無用です」
「お前までっ」
あのリーナまでが闘志むき出しにして妹と相対していた。
「これは、譲れない戦い。ダーリンは待っていてください」
いや、普通にこれ以上足止めてたら遅刻するんだけどっ‼︎
という、心の声は届かず、論争の火蓋が切って落とされた。
その様相はまさに進行を無視した被疑者と検察の論による殴り合いだった。
「貴方は一度会っただけの兄に唐突に擦り寄り、ダーリンと連呼した挙句、つきまとったそうですね。それは兄を男を寄せ付けないための建前にしているようにしか見えないのですがっ」
「違いますっ。ダーリンは私をトラックから助けてくれた素敵な人ですっ。その人を好きになることの何かがおかしいというのですかっ。それに、私がどのように愛のの表現をしたって、表現の自由に守られているはずですっ」
「ふん、ボロを出しましたねっ。表現の自由が保証されるのは、他人の人権を侵害しない限りにおいてですっ。ですが、兄の証言によれば、あなたの発言によって兄は不自由を被っているとわかりますっ! 反論はまだありますよっ。兄はあなたを助けるために命を賭けたのですよっ。ですが、今回はまさに奇跡で兄は生還しました。本来ならば、死んでいてもおかしくないのですよ? 普通ならば、死なせてしまった後ろめたさに告白なんてできないはずですっ」
「っ…………はい。私はダーリンを死なせたとではないかと思い泣いて悲しみました────そして、何もできなかった自分の不甲斐なさに怒りました」
「ふんっ…………口ではなんとでも…………」
「でも、そんな私を許してくれたのがダーリンでしたっ。確かに私の発言を嫌がっていましたが、それでも止めるように詰め寄ったりしませんでしたっ‼︎」
「それは、あなたの勝手な解釈ですっ‼︎︎」
お互い最高潮にまでヒートアップした二人だったが、妹の言葉を最後に場が沈黙する。
それと同調するように、傍聴人たちが黙り込む………………………………劇の練習でもしてるのかと思ったのか、すでに二人を中心にして人だかりができているのだ。俺は無関係を装ってその人混みに紛れていた。
それはさておき、沈黙が行き渡ったのと同時に、リーナが高ぶった気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、心を胸の前で手を合わせ目をつむった。
さながら信託を受けた預言者のようだ。
その預言者がゆっくりと口を開いた。
「……………………いえ、違います……………………その証拠にダーリンは私にこう言いました。『俺がほしいのか、ならやってみろ』と」
……………………………………………………あ”。
ま、まさか。
「お兄ちゃん、それは本当?」
妹の身も心も凍結しそうな冷気を孕んだ声音で傍聴人を決め込んでいた俺が証人としていきなり召喚され、なぜか、ざざっ、と周りにいた人たちが一斉に離れる。
首に死神の鎌がかけられたような感覚に、生贄に捧げられた人の気持ちをわかったような気がした。
それでも、俺は意を決して言った。
「……………………っ、い、言った。た、確かに言った」
が、それはリーナに言ったんじゃないんだっ。
あのときは神様に話しかけているつもりで、リーナの存在を完全に失念していたんだよ!
しかし、ことここに至って言えるはずもなく、
「ふんっ。やっぱり、ダーリンはただ恥ずかしがっていただけですねっ。どうですか、やはり愛の力の前に悪は無力っ。立ち去りたまえっ」
「くっ………………………………ですが、まだ諦めませんよ」
リーナは勝ち誇ったように胸を張り、妹は捨て台詞を残して、人だかりが割れてできた道を通って去っていったのだった。
なぜにこうなった。




