第四十章:無様にRollしなさい!
「どこに行っていたのよ! 心配したんだから!」マリの声を聞き、亜紀は胸の激動を抑えきれず、思わず駆け寄った。
「ちょっと異世界に行っていただけですわ♪」マリは小悪魔的な笑みを浮かべ、亜紀を軽く押し返した。
「無事だったようね」優子が近づき、マリの肩に手を置いた。その口元がかすかに綻んでいるように見えた。
「月を戦場に選ぶなんて、先輩のセンスも少しはマシになりましたわね」マリは優子を一瞥すると、すぐさま敵へと視線を向けた。彼女が手を伸ばすと、虚空から浮遊した真紅の大剣をその手中に握りしめた。
「それでは、間奏は終了、斉唱の開始ですわ!」マリは踏み出して突進した。無数の光の槍が彼女へとなだれ込むが、後方からの支援射撃がそれらを撃ち落とし、彼女は余計な懸念なくサタンへと剣を振り下ろすことに集中できた。
手応えは硬質だった。相手は大盾で彼女の剣を受け止め、間髪入れずに突き返してきた。マリは瞬時に剣を引き戻してその一撃を防いだものの、強烈な衝撃に数歩後退させられた。
「女王陛下にまみえたようだな」魔王はマリを凝視した。彼女の身にはどこか既視感のある気配が漂っていた。突如、一羽の銀色の彩蝶がマリの肩へと舞い降り、その確信を強めた。
「やはり、あの女と浅からぬ縁があるらしい。過去の罪悪に向き合うことすらできぬ臆病者のくせに」サタンの瞳には狂妄な色彩が宿っていた。
「……聴こえますわ」重厚な衝撃でマリの両手は痺れていた。月面へと転送された魔王は、異界にいた頃よりも随分と弱体化しているはずだが、それでもなお恐るべき身体能力を保持していた。だが、マリには相手の関節が蠢く微小な音が、電波のごとく媒質を必要とせず、脳裏へと直接響き渡っていた。
「すべての『少女兵器』の原型であり、魔王に抗い得る唯一の存在だというのに、奴めは己の罪悪の泥濘に沈み込んでいる」
光刃が一閃し、マリは身を交わして回避した。魔王の剣が落雷のごとく振り下ろされ、月面の砂塵を巻き上げ、頑丈な岩塊を砕き割る。そこへ数発の銃弾が飛来し、魔王に盾を掲げて防ぐことを余儀なくさせた――亜紀による支援射撃である。
「サタン、ですの? なかなかロック(Rock)なお名前ですわね」マリは不敵に微笑み、低く身を屈めて相手の背後へと回り込み、攻撃を仕掛けたが、魔王の剣身によって阻まれた。
瞬間、白光が奏でられ、魔王の全周に爆裂する光幕が広がった。
光幕が晴れると、後退したマリが再び剣を掲げて肉薄した。彼女は同時に異界の亀裂を開き、爆発の衝撃を飲み込ませていたのだ。
「けれどあいにく、あたくしはクラシック音楽(古典)のほうが好みですの」
マリが突きを放ち、魔王は大盾で受け止める。だが次の瞬間、盾が消え去った――サタンの手首が剣先によって貫かれ、盾はマリの放った転送門を経由して異界へと放逐されたのだ。魔王が初めて後退を余儀なくされた。
「ロック(Rock)の時間はおしまいですわ。無様に転がり(Roll)回らして差し上げます」マリは小悪魔的に微笑むと、真紅の大剣を肩へと担いだ。
「さすがは女王陛下の異界体といったところか!」サタンは狂妄に大笑し、手を振り払うと鮮血が散り、負ったばかりの傷痕が瞬く間に再生した。
「いいえ、あたくしはマリ・ロザリアですわ。他の方と一緒にしないでくださる?」マリは首を傾げ、魔王に向けてウィンクしてみせると、体を翻して斬撃を放った。魔王が剣を掲げて防ぐ。
突然、無数の甲冑騎士たちが押し寄せてきた。マリが後退し、魔王が剣を振るう。騎士たちは幾重もの強光の中で一瞬にして灰燼と化した。しかし、騎士たちの自爆攻撃の中に潜まされていたのは、亜紀の空間魔法爆弾だった。その爆発が攻撃を空間ごと転送し、マリに決定的な隙を作り出した。
瞬刻、マリの真紅の巨剣が魔王の胸元へと突き刺さっていた。
だが――それだけではなお、勝利には届かない。
「ここまで抗ってみせるとは、誉めて遣わそう。お前は何のために戦うのだ、マリ・ロザリア?」
「貴族が戦うことに、特別な理由など必要かしら?」マリは首を傾げ、不思議そうに相手を見つめた。貴族として、彼女は生まれながらに平民以上の富、美貌、そして才能を享受している。それらを護ることに何の不審があろうか。
「お前は誰よりも理解しているはずだ。お前が護ろうとする人間どもなど、より強大な力の前にはいずれお前を裏切るのだと」魔王は冷徹な眼差しで彼女を射抜いた。
「人々を護る……? あたくしを何だと思っていらっしゃいますの?」マリはくすりと笑い声を上げた。確かに彼女は他者のために立ち上がることもあるが、ある意味でそれは彼女のパフォーマンス(魅せる芸術)に過ぎない――彼女はただ、全衆の視線をその身に浴びることが大好きなのだ。
「Für Sieg, für Schönheit – ich fechte!(勝利のため、美のために――我は剣を執る!)」
マリはかつてのある先祖の格言を口にした。華麗に着飾ったその美男子にとって、あらゆる戦場は己を輝かせる舞台に過ぎなかったのだから。
「庶民に何を期待するというのです。彼らはただ息をして生きていればそれで宜しいのですわ。ですが……どんな美しい存在であれ、それを愛でる観客が必要でしょう? 例えば――あたくしのような美少女にはね♪」マリが剣を引き抜いた瞬間、二人は初めて出会った異界の黄金宮殿へと戻っていた。
「ここは……」魔王の表情に僅かな困惑が走る。
「あたくしたちが最初に出会った場所ですわ。あの時、あなたはここに忍び込んだただの小泥棒に過ぎませんでしたけれど」
彼女は崩壊した玉座の上に立ち、見下ろすように魔王を見つめた。その背後には、無数の彩蝶が群がり舞い踊っていた。




