第三十六章:残酷な予兆
商店街のイベントが終わった後、通りにいた誰もが先ほどのパフォーマンスの余韻に浸り、店が閉まる前の時間を利用して割引商品がないか物色していた。突如として、賑わっていた大通りが静まり返り、人々は一様に茫然とした表情を浮かべた。マリの音波魔法がもたらした効果だった。
「Moin! おじい様、最後に良い思い出をお届けできましたかしら?」マリは大剣を手に取り、ベンチに腰掛けている一人の老人の前へと歩み寄った。
老人は無表情のままマリを見つめていたが、その身体からは紫色の結晶の破片がぽろぽろとこぼれ落ちていた。異界の残滓に憑依された被害者であった。
「あの子が……来る……」老人はうわ言のように同じ言葉をただ繰り返す。
「……それでは、ごきげんよう」マリは大剣を一閃させた。老人の姿は紫色の結晶へと変わり、そのまま地面に砕け散った。
「あの方たちと同じ言葉を口にしないでいただきたいわ」マリの表情にわずかな嫌悪の色が浮かんだ。老人の放った言葉は、今朝の夢で彩蝶たちが告げてきた警告を思い出させたのだ。
「お嬢様、相変わらず気分屋ね」傍らにいたジェニーが歩み寄ってきた。その腕には商店街の人々から貰い受けた大量の野菜が抱えられていた。
背が高く大柄なジェニーは屋台の片付けなどをかなり手伝っていたし、日本で暮らす外国人ということもあって、店主たちが感謝の印として多めに分け与えてくれたのだ。
「ただの日常業務ですわ」マリはいつもの笑みを戻し、手にしていた大剣も光の粒子となって消え去った。
「時々思うんだけど、お嬢様って本当にすごいわね。ただの生身の肉体で怪物を倒しちゃうんだから」ジェニーはくすりと笑った。現実世界で暗躍していたあの使徒が、最終的にマリの手によって討ち取られたのだ。
「あなただって、幾度となくあの方を殺したではありませんの」マリは清水のことを思い返した。狡猾な怪物であり、もしマリがただの凡人であったなら油断から殺されていたかもしれない。だが、マリには常人を遥かに上回る優れた聴覚があった。
「でも、正体を完全に看破するまでには至らなかったわ。一体どうやって見破ったの?」ジェニーは溜息をついた。もしもっと早くマリに出会えていれば、自分もこんな不法滞在者のような状態にならずに済んだのかもしれない。
「あたくし、とても耳がよろしいの」マリは不敵に笑った。彼女の祖父はかつて情報将校であり、幼い頃からあらゆる物事を察知・識別するよう叩き込まれていたのだ。そして一時期、彼女の周囲ではあまりにも多くの事件が起きていた。
「なるほどね。あなたみたいな貴族のお嬢様は、さぞかし慎重に生きてきたんでしょうね」
「……ジェニー、『魔王』って聞いたことはありますの?」ふと思い立ったように、マリはジェニーへと視線を向けた。魔法少女としてのキャリアなら、自分や優子の分を合わせたよりも彼女の方がずっと長いはずだ。
「魔王……?」
ジェニーは空を見上げ、物思いに耽るような表情を浮かべた。
「ええ」マリはジェニーを見つめ、異界を幾度となく潜り抜けてきた彼女から、思いもよらない情報が得られるのではないかと期待を寄せていた。
「なるほど……あなたたち、最近何か風の噂でも耳にしたのね」ジェニーは苦笑し、夕焼け空を見つめた。その脳裏に、かつての仲間たちの姿が浮かんでは消える。
「まさか……本当に何か知っていらっしゃいますの!?」マリは手を叩き、驚きに瞳を丸くした。ジェニーが本当に何かを掴んでいるとは思いもしなかったのだ。
「ええ、確かに『彼女』についての情報ならあるわ、お嬢様」ジェニーは冷ややかに笑うと、どこか愁いを帯びた表情を浮かべた。
「本当ですの!?」
「でも、もう時間も遅いわ。お嬢様はさっさと家にお帰りなさい。明日私のキャンプ場に来たら、ちょっといいものを見せてあげるから」ジェニーは頭を掻きながら、どこか困惑した様子を見せた。
「……分かりましたわ。明日、知っていることを全てあたくしに話しなさいね」マリは不思議そうな表情を浮かべつつ、踵を返して去っていった。だが、彼女はジェニーの異変を見逃さなかった。ジェニーの鼓動が、明らかに乱れていたからだ。
「今回の世界では、良いお友達ができたようだね」スーツ姿の男がジェニーの背後から姿を現した。サンジェルマン伯爵――すなわち『宝石商』だ。
「サンジェルマン伯爵……相変わらず神出鬼没な奴ね」ジェニーは冷ややかな視線を男に向けた。彼女はこの男と、並々ならぬ因縁で結ばれていたのだ。
「あの少女は……あのお方(陛下)と同じ顔をし、同じ業を背負い、同じ本質を秘めている」
男は軽薄な調子で語りかけ、ジェニーの怒りなど気にも留めていないようだった。
「ええ……そろそろ決着をつける時ね。これも運命なのかしら」ジェニーは溜息をついた。マリの面に、かつての『誰か』が重なる。残忍で冷酷でありながら、愛おしいほどに美しかったあの姿が。
「運命に縛られている、か」男は興味なさそうにジェニーを見つめた。
「あの子たちに隠し事をしたままだと、いずれ彼女たちも使徒のように醜い姿へ成り果てるわよ」ジェニーは蔑むような眼差しで男を睨みつけた。サンジェルマン伯爵……この男と関わって、ロクなことが起きた試しがない。
「ふむ、私はただ彼女たちにまだ伝えていないだけだよ……『次元兵器 No.666』。あるいは『魔王』と呼ぶべきかな。……そのお姿をいつまで維持できるのかね? 現世の大気は、君にとって少々刺激が強すぎるのではないかい?」男はジェニーの目の前まで歩み寄ると、まるで挑発するように、彼女の視界からかき消えるように姿を消した。
「……くそったれが!」
ジェニーはコンクリートの壁に力任せに拳を打ち付けた。あまりの衝撃に拳から血が滲み出し、それが紫色の結晶となってパラパラと地面へ落ちていった。




