第三十五章:明晰夢の警告
いつもの明晰夢の中で、マリは異界の残影との戦いを終えた。魔法少女として、それは毎日のように繰り返される日常の一コマに過ぎない。
しかし最近、彼女の見る明晰夢には明確な変化が生じていた。夢の中に現れる敵は、もはや異界のモンスターだけに留まらなくなっていたのだ。
「あなたたちは誰かしら?」マリは廃墟の石段に腰を下ろし、問いかけた。派手で華やかな衣装を身に纏った数人の少女たちが、神妙な面持ちでマリへと近づいてくる。その手には多種多様な武器が握られていた。
「あの子が……来る……」少女の一人がぽつりと呟き、手にした長槍を打ち振るって突いてきた。だが、マリは身を翻して軽々とそれをかわす。
彼女たちは以前遭遇した魔法少女の残影とは少々異なり、わずかに意志のようなものが残っているようだった。もっとも、マリからしてみれば強さに大きな違いはなかったが。
「夢の中のことですもの。あたくしが少しばかりわがままを通したところで、誰も咎めはしませんわね」
マリの足取りは軽やかだった。長槍や利剣の鋭い閃光をひらひらとかわし、激しい立ち回りが地上の沙塵を舞い上げる。突如、彼女は空高く跳躍すると、宙で不敵で悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「Das Lied fängt an!(奏曲ですわ!)」無数の砂粒が一瞬にして高周波で振動を始め、噴き出した鮮血と塵肺が世界を黒く染め上げていく。
「まだ足りない……あなたは……もっと強くならなきゃ……」倒れた少女は欠損した四肢を引きずりながら、かろうじて言葉を絞り出した。
やがて彼女たちの姿は静かに消え失せ、色鮮やかな彩蝶となってマリの肩へと舞い降りた。
「強さが足りませんの……?」マリがそっと手を差し出すと、一羽の蝶がその指先へと留まった。
夢が終わり、マリは目を開けた。視界に飛び込んできたのは、見慣れすぎた己の部屋の天井とベッドだった。あの彩蝶たちは戦死者たちの化身だ。
最近、それらがマリの夢の中に這い入るようになり、まるで何かに警戒を促しているかのようだった。
「単なる夢であればよろしいのですけれど……」
マリは頭を押さえながら溜息をついた。数日前に優子から聞いた言葉が脳裏をよぎる。すべての元凶――『宝石商』と出会ったという話だ。自らをサンジェルマン伯爵と名乗ったあの男の存在。
現世に現れたあの使徒を打ち倒して以来、マリの周囲に纏い付く彩蝶たちはにわかに騒がしくなり、時として夢の中で人の姿をとるようになっていた。
「あたくし……まだ強さが足りなくって?」
日課の朝稽古。剣を振り、ステップを刻んで舞うのは彼女のいつもの日常だった。
「マリ、ちょっと頼みがあるのだけれど」
突然、マリの祖母が姿を現し、彼女に声をかけた。
「どうなさったの、オーマ(おばあ様)?」
マリは不思議そうに目を丸くした。祖母は実に弱り切ったような表情を浮かべていた。
「実はね、商店街で周年記念のイベントをやっているんだけど、今朝になって司会進行を担当するはずだった人が事故に遭ってしまってね。大急ぎで場を盛り上げるのが得意な人を探しているのよ」
「あら、アイドルのようなお仕事ですわね」
マリはくすりと笑うと、祖母からチラシを受け取った。彼女にとって、それはいい気分転換になりそうだった。
「で、そんな理由で私を呼び出して、こんな事をさせるわけ? お嬢様」
街角で、ギターケースを背負ったジェニーが胡散臭そうな視線をマリに向けた。
「どうせジェニーはお金に困っていらっしゃいますし、優子は塾の補習ですわ。それに亜紀を呼ぶとなると出演料がかかってしまいますもの」
マリは小悪魔的な不敵な笑みを浮かべ、マイクを握りしめた。
「要するに私がいちばん暇そうだ、ってわけね」ジェニーは溜息をついた。本来なら今頃、のんびりと釣りをしているはずの時間だったのだ。
「ご安心なさって。商店街の会長さんとは、はずんだギャラで交渉しておきましたわ」マリは悪戯っぽくウィンクしてみせると、コホンと咳払いをして喉を整えた。
「皆さま、ごきげんよう! Moin!(モイン!) あたくし、今回のイメージキャラクターを務めますメリー(Merry)ですわ!」マリの声が響き渡る。可憐でいてどこか甘やかな声筋が、スピーカーの放送設備を通じて商店街全体に朗々とこだました。
「本日、この歴史ある商店街はめでたく三十周年の節目を迎えられましたの! 豪華景品が当たる福引大会だけでなく、会長さんが会場を盛り上げるための趣向を盛りだくさん用意してくださいましたわ!」マリは進行表を取り出し、すらすらと読み上げ始めた。
「気品あふれる地元の管弦楽団に、ハラハラドキドキのクラウン(ピエロ)パフォーマンス! 愛くるしいご当地アイドル、そして……大トリを飾るスペシャルステージ! でも、これはまだ秘密ですわよ♪」
マイク越しに、マリは小悪魔のように軽妙で蠱惑的な口調で司会を進行していく。かつてアイドルとして活動していた頃、こういった現場の経験も少なからず踏んでいたからだ。
「また、ご当地アイドル『Asuka』のメンバーの皆さんが商店街のあちこちで皆さまとふれあいを行っておりますわ。本日の福引の景品には彼女たちのCDも用意されていますの。中学生……なんだかあたくしのアイドル時代を思い出してしまいますわね」マリがしみじみと呟くと、商店街の各所に配置された少女たちが手を振って応えた。
その後も、司会進行役のマリは各屋台で起きた微笑ましい出来事や、福引で1等賞を引き当てた幸運な人物のニュースを臨場感たっぷりにアナウンスしていった。
「あなた……あの『メリ』さんですか!?」
出番を控えステージ裏で待機していたマリの元へ、若手アイドルグループの少女たちが目を輝かせて押し寄せてきた。
「ええ、あたくしがメリーですわ。あなた方アイドルにとっては、一応『先輩』にあたりますわね」
マリは優雅に微笑んだ。彼女たちの活動はおそらく趣味の延長のようなものだろう。だが、ひたむきな夢を無下に否定するなど、野暮というものだ。
「どうしてアイドルをおやめになったんですか?」少女たちが興味津々に尋ねてくる。
「もっと大切な果たすべき役割ができましたの。それに、あたくしのこの貴族的素養は、ステージの上の『キャラ作り』などではありませんしね」マリは気品漂う小悪魔のような笑みを浮かべ、優雅に身を翻した。
「なるほど……でも、メリーさんもきっとステージが大好きな人なんですね」少女たちは納得したように頷いた。中学生だというのに、誰も彼もマリより背が高かった。
「もちろんですわ」マリは不敵に微笑むと、傍らで退屈そうにポケットティッシュを配っていたジェニーへ楽譜を手渡した。
「お嬢様、私にこんな軟弱なポップスを弾かせる気?」楽譜に目を通したジェニーが顔をしかめた。弾けないわけではないが、彼女のプレイスタイルや好みとはかけ離れていた。
「あら、ならばソロパートは好きに暴れて構いませんわ」マリはペンを取り出すと、ササッと楽譜に手を加え、ギターソロの構成をより過激で激動的なものへと書き換えた。
「ふん……こうでなくっちゃね」ジェニーの口元に満足げな笑みが浮かんだ。マリはマイクを固く握りしめる。
「さあ、本日を締めくくる大トリの登場ですわ――!」マリの甲高いコールが響き渡る。ステージに上がったジェニーはシールドをアンプへ叩き込むと、咆哮のような圧巻のギターソロをかき鳴らした。
その狂乱の隙をつき、ノイズキャンセリングのヘッドフォンを装着したマリが軽やかなステップでステージ中央へと躍り出た。
「あたくし――メリーですわ!」マリは華やかに微笑み、スタンドマイクを握りしめて堂々と登壇を宣言した。
歌い出しは天使のごとき澄み切ったソプラノ。しかし曲の中盤、メロディが一変して激しさを増すと、マリの口から超高音のコロラトゥーラが炸裂した。
バックを固めるジェニーの目が見開かれる。せいぜい大人しいポップスでも歌うのだろう高を括っていただけに、重金属のハイトーンシャウトにも匹敵する圧巻の歌唱力に衝撃を受けたのだ。
興奮に触発されたジェニーの指先がさらに超絶技巧のドライブを加速させ、会場のボルテージは一気に爆発した。
ラストスパート、マリは意図的に高音域から深みのある低音域へとチェンジし、熱狂の渦にある観客の興奮を優しく宥めるようにコントロールしていった。なにしろフィナーレのイベントだ。
あまりに熱狂させすぎれば観客の興奮が冷めず、帰宅後に感情を消化できなくなってしまう。
これこそが、アイドル時代にマリが培った鉄則――ステージに立つ表現者として、特に大トリを務める者は、観客の感情の「クールダウン」まで計算に入れねばならない。
「ふふ……この曲は、本日のイベントのためにあたくしが書き下ろしましたのよ♪」
曲が終わり、舞うのを止めたマリは、客席へ向けて小悪魔的なウィンクを贈った。
「さあ、楽しかった宴もそろそろおひらきですわ。皆さま! 本日は楽しんでいただけましたかしら!?」マリが大きく手を振ると、会場全体がドッと沸き立つ。
「楽しかったー!」観客が一斉に歓声をあげ、興奮の余韻が立ち込める。
「素晴らしい思い出になりましたかしら!?」マリは悪戯っぽい笑みを浮かべ、甘やかな声で呼びかける。
「サイコーだったー!」観客たちは一斉に手を振り、割れんばかりの声を張り上げる。
「では最後に皆さま! 商店街へ向けて声を揃えて……お誕生日おめでとう!とお叫びあそばせ!」
マリはマイクを高く掲げ、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「お誕生日おめでとう――!!」観客たちの叫びが一丸となって響き渡る。
「あら、声が小さくて聞こえませんわよ? 皆さま、ご飯をお召し上がりになっていらっしゃらないの?」
小悪魔のような煽り。アドレナリンが出すぎて昂ぶった観客を、叫ばせることで意図的に疲弊させ、感情を平穏へ落とし込むための計算された誘導だ。
「お誕生日おめでとうーーー!!!」再び全力の地鳴りのような歓声が上がった。だが先ほどよりも勢いは散漫になり、観客たちの体には心地よい疲労感が広がり始めていた。
「それでは、本日のイベントはこれにて終了ですわ! 福引券をお持ちの方は、お忘れなく景品と交換していってくださいましね♪」
最後にもう一度極上のウィンクを投げかけ、マリはステージイベントを完璧なフィナーレへと導いたのだった。




