第三十一章:歓騰の学園祭
校内は地鳴りのような人声で溢れていた。今日は学園祭(文化祭)当日。一般公開の対象日ということもあり、校門の先には大勢の来場者が押し寄せている。
マリの所属するクラスの熱気は特に凄まじく、本物の高級サロンさながらの賑わいを見せていた。
「こちらがご注文の紅茶ですわ。どうぞ素敵な午後をお過ごしくださいませ」
メイド服に身を包んだマリが、洗練された動作で優雅に給仕を行う。動きやすさを重視して独自に裾を少し短く詰めたスカートからは、スラリと伸びた美しい脚のラインが覗いていた。
精緻な人形を思わせる整った容姿、小柄な体躯、そして胸元のグラマラスなギャップ。周囲を囲む男子生徒や他校からの来場者はもちろん、かつてのアイドル時代からの忠実なファンまでもが彼女の姿を一目見ようと殺到していた。
「あの……『萌え萌えキュン』的な、美味しくなる魔法をかけてもらえたりしますか?」客の一人が恥ずかしそうに頬を赤らめ、おねだりするように甘い声を上げる。
「あら、あたくしは今日、魔法使いではなくて凄腕の宮廷騎士(護衛)ですのよ?」マリは悪戯っぽいにやりと笑うと、背中に背負った巨大な大剣を指差した。
練習用の模造刀とはいえ、彼女が背負うと尋常ではない圧倒的な存在感を放っている。
当初、クラスで計画されていたのはごく一般的なメイドカフェだった。しかしマリの提案により、ロールプレイング要素を取り入れたコンセプトレストランへと変更されたのだ。
メイド服という基本コンセプトは残しつつ、各自が自由に「役柄」や「スタイル」を設定して接客を行う趣向は、予想以上の大反響を呼んでいた。
「キャー! マリちゃんマジで超絶カワイイんだけどー!」亜季がひょっこり顔を出し、楽しそうにスマートフォンを掲げてマリを撮影する。今日の亜季は髪を下ろし、メガネを外した馴染み深い「アイドルモード」だ。誰もが目を奪われるほどの圧倒的な華がある。
「シンデレラのお芝居……あまりに面倒すぎる」手にした脚本(台本)に目を落としながら、優子は氷のように冷ややかな無表情で呟いた。セリフを暗記すること自体は彼女にとって造作もない。難解なのは「自然な感情表現」を模索することだった。
「ロザリアさん、交代の時間ですよ」クラスメイトの女子生徒が歩み寄り、マリの肩をポンと軽く叩いた。
「あら? まだそんな時間ではありませんでしょう~?」マリは首を傾げて無垢な表情を装い、甘い声を漏らした。だが内心では十分に理解していた。自分がこれ以上フロアに立ち続ければ、厨房で紅茶を淹れ、調理を担当する生徒たちの業務が完全にパンクする。
何しろ、元人気アイドルという最強の客寄せパンダを招聘してしまったのだ。人潮の爆発に伴い、現場の負担は急増していた。
「お前がこのような衣装の着用を承諾するとはな」優子はどこか信じがたいといった様子でマリを見つめた。普段の高貴で洗練された令嬢のイメージと、目の前のメイド服姿のギャップがあまりに大きかったからだ。
「あたくしたち、昔の活動でも着たことがありましてよ?」亜季は笑いながらスマホのフォルダを遡り、かつてのライブイベントの写真を二人に見せた。画面の中では、メイド服を纏った少女たちが眩しい笑顔を弾けさせている。
「そもそもあたくし、身に纏う衣装の種類など大して気にしておりませんの。――だって、それを着ているのはこの『あたくし』ですもの」マリは唇の端を軽く持ち上げると、傍らの空き席に腰を下ろし、大剣を椅子に立てかけた。まるで高級なアクセサリーを扱うかのように、その所作は自然で優美だった。
「……確かに。お前らしいな」優子は静かに紅茶を啜りながら、再び脚本へと視線を戻した。
「ねえ先輩、舞台で緊張してガチガチになったりしない?」亜季が優子の隣に寄り添うと、その口元を指先でちょんと突っつき、笑顔を作らせようと試みた。
「緊張などしない。……ただ、人前に出て『笑う』という行為が上手くできないだけだ」優子の声は冷徹で、その瞳には幽かな迷いが残されていた。
「実を申し上げますと、《シンデレラ》というのは決して温かな童話などではありませんのよ」
マリは髪の毛を滑らかに撫で付けながら、思わせぶりに言葉を紡いだ。
ドイツ語圏の出身として《グリム童話》の原典を嗜んでいる彼女は、その物語が秘める陰惨で残虐な真の姿を熟知していた。
「聞かせてみろ」優子は視線を上げ、真剣な眼差しを向けた。
「端的に申し上げれば、それは魔女と意地悪な義姉たちのドロドロとした泥沼劇ですわ。ですが一点、決定的に異質な要素が存在します――シンデレラが動物たちと対話する能力。あれは彼女が人間の心を籠絡する『魔性』を秘めていることの象徴なのです。彼女のその瞳は、見る者の精神を揺さぶるのですよ」マリの口調は穏やかだったが、そこに込められた意味は驚くほど重厚だった。
「……なるほど」優子は小さく呟き、何かを掴み取ったように頷いた。
「可憐で哀れなヒロインを演じる必要はないわけか。重要なのは王子の視線を強烈に奪い去る『目力』……そうだな?」
「ですが、その解釈が舞台上で客席に伝わるかどうかは保証いたしませんわよ?」マリは悪戯っぽく微笑み、挑発的な視線を送った。優子の力量は誰もが認めるところだ。だがそれ以上に、彼女は学園内で「高嶺の花」として君臨している。ただそこに立っているだけで、観客の目を惹きつける圧倒的な存在感(スター性)を有していた。
「まあ……千人の観客がいれば、千通りの解釈が生まれるものですわ。役に命を吹き込むのは、いつだって演者の解釈ですもの」マリは立ち上がると、優雅に背伸びをして壁の時計に目をやった。いよいよ、優子が舞台へと登壇する時間が近づいていた。
体育館の舞台上。意地悪な継母と異母姉たちからの度重なる苛烈なイジメに晒されながらも、優子はただ空虚な瞳で冷ややかに彼女たちを見下ろしていた。
「黒炭の中に混ざった豆を、ひとつ残らず選別しなさい」継母が非情な命を言い渡し、あざ笑いながら去っていく。優子は黒炭の山をそのままタライへ放り込むと、容赦なく水を注ぎ込んだ。浮力によって、綺麗な豆だけが浮かび上がってくる。
「……舞踏会へ行きたいわ」感情の起伏を感じさせない低音で呟き、彼女は窓の外を射抜くような眼差しで睨みつけた。
次の瞬間、魔女役に扮した生徒が颯爽と登壇する。素早い早替えの演出により、優子は一瞬にして豪奢なドレス姿へと変貌を刺し、用意されたカボチャの馬車へと乗り込んで舞踏会へと向かった。
「十二時ですわ!」
王子役の生徒と舞踏を交わした直後、彼女はドレスの裾を豪快に持ち上げると、全速力で会場を脱出した。舞台を駆け降りる直前、片方のガラスの靴を床へとなぎ倒すように脱ぎ捨てて。
結末において、王子はガラスの靴を手がかりにシンデレラを捜し出し、かつて彼女を虐害した家族たちは深い後悔の渦中で没落していった。
客席で鑑賞していたマリと亜季は、思わず苦笑いを浮かべた。優子の演技はある意味で期待を裏切らないものだった。そもそも『シンデレラ』という役に高度な感情演技など必要ない。主演の圧倒的な容姿と存在感こそが、何よりも説得力を持つからだ。
「あたくしの想像以上に楽しめましたわ!」
マリは満足そうに微笑んだ。彼女にとって、日本の学園祭に参加するのはこれが人生で初めての経験だった。中学時代はアイドル活動のスケジュールに追われ、まともな校内行事の思い出など皆無に等しい。
またオーストリアの小学校時代にも似たようなバザーや展示会は存在したが、あちらは名家の令嬢や坊ちゃんたちが親の財力を誇示し合う見せびらかしの場へと化すのが常だった。
自由度の高さで言えば、やはり日本の文化祭の方が圧倒的に勝っている。
「あっちにはこういうのなさそうだもんねー。マリちゃん昔はずっと仕事でバタバタだったし」亜季は話しながら、マリの表情を伺っていた。
圧倒的なオーラと特権、そして巧みな心理術で何百人もの告白を一蹴してきた強者の令嬢。だが今の彼女は、ごく普通の少女として自分だけの「青春」を確かに謳歌していた。
「ねえマリちゃん……今回は本当に、一人で立ち向かうつもりなの?」
「……正直に申し上げますと、あたくしも信じられないのですわ。まさかこのあたくしが、あの者を疑う日が来るなんて」
マリの口調が低くなり、いつも陽気で高飛車な彼女が、酷く暗い表情を浮かべた。
頭に浮かぶのは、かつて堀町三郎が自分にもたらした数々のトラブルだ。あの時受けた屈辱と精神的苦痛。
もし自分が本物の貴族としての矜持を持たない柔弱な人間であったなら、自ら命を絶っていてもおかしくはないほどの仕打ちだった。
――だが、これこそが「使徒」の使う手口なのかもしれない。
魔法少女であれ、使徒であれ。この現世に存在する以上、何者も世界そのものが及ぼす強烈な制約からは逃れられない。魔力の行使効率は極限まで低下する。
かつてマリ自身も、その法則を極限まで利用することで、一見して絶対に倒せないと思われた怪物たちを打破してきたのだから。




