第三十章:恐れるべきもの
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重いスクールバッグを背負い、マリは一人で郊外の裏山へとやってきた。ジェーンがこの場所に寝泊まりしていると言っていたのを覚えていたからだ。
相手が不法移民だと知ってはいても、山奥でホームレスのような生活を選ぶ人間がいるとは、マリの常識では到底想像しがたいことだった。
「ここかしら?」小川に沿って進むと、その源流の突き当たりでジェーンのキャンプ地を見つけた。想像していたような荒れ果てた様子とは異なり、そこには居住用のテントだけでなく、いくつかの物置棚が組まれ、さらには小型家電を動かすためのディーゼル発電機まで用意されていた。
「お嬢様じゃないか」釣竿を手にしたジェーンが戻ってきた。彼女が持つバケツの中では、数匹の魚が激しく跳ねていた。
「あなたのお生活、あたくしが想像していたよりもずっと潤っているようですわね」マリはスクールバッグを下ろすと、中からいくつかのビタミン剤や医療用品を取り出した。
「これ……まさか私に?」ジェーンは目を見開いた。保存食は十分に蓄えていたが、身体が必要とするビタミン類までは補いきれていなかったのだ。
「本当に老派(古風)なやり方だね、お嬢様」ジェーンは吹き出した。確かに実用的ではあるが、これしきのもので彼女を命懸けの戦場へ引っ張り出せるとは思えなかった。
「あたくしも少し考え直しましたの。やはり、あなたの協力が必要ですわ」マリは不敵な笑みを浮かべ、悪戯っぽくウインクした。
「これっぽっちの物じゃ、私を戦場に行かせるには足りないよ、お嬢様」ジェーンは眉をひそめた。この貴族の千金が、ただのお見舞い(サプリメント)を届けにくるはずがないと分かっていた。
「分かっておりますわ。あなたがこんな小道具のために命を捨てるような人間ではないことくらい」
マリは物柔らかな口調ながらも、絶対の自信を持ってスクールバッグの二層目を開いた。そして、中から数本のリキッドファンデーションやアイシャドウを取り出し、ずらりと並べた。
ジェーンは瞬時に言葉を失った。
「こんな山奥にいながら、あなたはいまだにその大袈裟なメイクを落とそうとしませんものね」マリはニヤリと笑うと、さらに数本のスキンケア用品を取り出した。
同じヨーロッパの血を引く者として、彼女はどのブランドがジェーンの肌に最も適しているかを熟知していた。
「あたくしにはロック音楽のことは分かりませんが、ステージに立つあなたにとって、これらは日常の必需品のはずですわ。特にお肌のケア用品はね」
「お嬢様、あんた本当に商売上手だね」ジェーンはそれらの化粧品を見つめ、思わず笑みを漏らした。美妝店に行っても、彼女の独特な肌質に合うスキンケア用品などほとんど置いていなかったからだ。
「あたくし、ただ税金を搾り取るだけの無能な旧貴族ではありませんのよ?」マリは豊満な胸を張り、自信たっぷりに微笑んだ。
「……で、これで私の命が買えるとでも?」
「実は、あなたに偽造の身分証明書(ID)を手配するか、あるいは住居を用意して差し上げるべきかも検討しましたの。ですが、あたくしもまだ未成年。何でもできるわけではありませんわ。オーパに頼んで紹介してもらえる仕事といったら、せいぜい公園のトイレ掃除くらいですもの」
「ですが、どうやらドゥさんにはそんなもの不要のようですわね。Schau mal!(見てごらんなさい) 子供たちが羨むような立派な秘密基地があるではありませんか」マリは周囲の生活設備に目をやった。豪華とは言えないまでも、長期的な計画の元に構築された、見事な自給自足の環境だった。
「本当によく見てるね。……言っておくけど、いざとなったら私は逃げるからね?」ジェーンは半分冗談交じりに言った。
「それも含めて、あたくしたちの計算の内ですわ」マリは事も無げに返した。
「ロックはただの音楽じゃない――反逆そのものだ。メイクも、立ち振る舞いも、あらゆるディテールが、私という存在を人々に刻み込むためのものさ」見覚えのある化粧品たちを前に、ジェーンは快活に笑った。
彼女たち魔法少女は、夢を見る権利すら剥奪され、残されたのは来る日も来る日も繰り返されるシミュレーションと戦闘だけだった。
ジェーン・ドゥにとって、生きながらえ、かつこの冷酷な現実に正気で向き合えていること自体が、狂おしいほどの贅沢だった。ならば、今この瞬間を享楽的に生きる他に何がある? だが、生きるためには「生存」と「生活」の違いを知らねばならなかった。
「あの化け物と戦う覚悟は、本当にできてるのかい?」ジェーンの声が低くなり、警告を帯びた。
「あたくしが最も恐れているのは……実は、誰からも自分を覚えてもらえなくなることですわ」マリは相変わらず笑っていた。声はどこまでも甘かったが、その双眸はいつになく鋭かった。
「いかにもお嬢様らしい贅沢な悩みだね」ジェーンは肩をすくめた。もしマリのような富豪の令嬢が、突然自分と同じようにすべてを失った身分になれば、並大抵の精神では正気を保てないだろう。
「一族の後ろ盾がなければ、あたくしもどう生きていけばいいか分かりませんもの」
「あんたの考え方、ちょっと封建的すぎない?」ジェーンは鼻で笑った。
「『ロザリア』は、ただの苗字ではありませんわ」マリは静かに言った。
「それは、過去から現在に至るまであたくしを支え続けてくれた、先祖たちが掲げてきた『旗印』なのです」
「ですからあたくしは、その旗手として、絶対にこの旗を倒すわけにはまいりませんの」彼女はパチリとウインクし、ジェーンに向けていつもの不敵な笑みを浮かべた。
「この世界に潜む使徒はね……あんたみたいに目立つ奴から優先的に血祭りにあげるのが大好きなんだよ」ジェーンは真剣な面持ちでマリを見つめた。彼女たちは今や、この世界で最も危険な魔法少女であり、敵にとっては戦略的に真っ先に排除すべき標的なのだ。
「つまり、その怪物が向こうから能動的に近づいてくる、ということですの?」マリはジェーンを見返し、怪訝な表情を浮かべた。
「そうさ。私はあいつを何度も、それこそ数え切れないほど殺した。だけどあの化け物は、私の前に何度でも、何食わぬ顔で現れるんだ」
「ドゥさん、あなた……まさか国際指名手配犯か何かで、殺人を犯して逃亡中なのではありませんでしょうね?」
「違うに決まっているでしょ! ……だけど、『社会的死(社会的抹殺)』もまた、あいつが好んで使う手段の一つなんだよ」
「社会的死?」
マリは目を丸くしたが、すぐに意地悪な笑みを浮かべた。他者から見れば「ナチスと大日本帝国陸軍」という極めて罪深い血統を背負っている彼女にとって、そういった意味での『社会的抹殺』の重みについては、人一倍身に染みて理解していたからだ。
「お嬢様……まさか、何か良いアイデアでもあるの?」
「ええ、ジェーンさん。時に、魔法少女という生き物たちの間には奇妙な因果があるようですわ。――互いに惹かれ合う運命にありますの」
彼女たちの出会いを思い返し、マリは冷ややかに笑った。たとえ生まれや育ちが違えど、最終的に行き着く戦場は同じなのだ。
「あんたの言う通りだよ。まるで最初から仕組まれていた運命みたいだね」ジェーンは疲れたようにため息をついた。
「ええ、運命。……弱者ほど、そのような言葉を好んで口にしますわね」マリは平然とジェーンの簡易冷蔵庫を開けると、中から果汁の入ったグラスを取り出し、椅子に腰掛けて躊躇なく飲み始めた。
ジェーンはそのお嬢様らしからぬ突然の不作法な振る舞いに呆気に取られたが、大量の化粧品を貢いでもらった手前、これくらいの無礼はもてなしの一環として大目に見ることにした。
「お嬢様はそういう目に見えないものを信じないタイプ?」
ジェーンは冷ややかな目でマリを見た。目の前の令嬢は一見優雅だが、その時折見せる常識外れの行動は、いつも彼女の認知を激しく揺さぶってくる。
「いいえ、あたくしも『神の存在』くらいは多少信じておりますわよ。何しろ神様は、あたくしに特別な台本を授けてくださいましたから」
マリは左手を掲げた。その手首には、クラスメイトから贈られたロザリオの念珠が握られていた。
「この『マリ・ロザリア』という名の少女は、決して平凡な一生を終えるようには運命づけられておりませんの。彼女はこれまでのどんな物語とも異なる、全く新しいロマンを紡ぎ出すのですわ」
まるで地上に舞い降りた本物の天使のように、彼女は端麗で美しい笑みを浮かべた。




