第二十八章:忘れ去られた者
【重要なお知らせ】作者多忙のため、来週より毎週月曜日のみ(週1回)の更新に変更させていただきます。
「正直意味が分かんないんだけど、マリちゃん。うちをこんな場所まで呼び出して、一体何をやらせたいわけ?」
亜季は耳元のインカムを調整しながら溢した。通信の向こう側にいるのはマリだ。
『仕方がありませんわ。あのような場所、あたくしの高貴な耳には刺激が強すぎますもの』
通話の向こうのマリは、ライブハウスの外で待機していた。あの薄暗く混沌とした光の下では、狂乱する群衆の中に自分の存在が埋もれてしまうのが耐え難かったのだ。
「前さ、マリちゃんがステージに奇妙なヘッドホンつけて上がってたの、いつの間にかトレードマークになってたよねー」
亜季はため息をつきながら、楽屋の外の廊下でしゃがみ込んで出待ちを始めた。外のフロアからは、いまだ熱を帯びた歓声が響いてくる。
『そのジェーン・ドゥという人物ですが、非常に背が高く、顔に奇妙なメイクを施していますわ。おそらくゲルマン系の西欧人ですわね』
「その人に何の用があるの?」
『彼女、おそらく魔法少女ですわ。前に言いましたでしょう、もう一人、戦う意志を持たない生き残りがいると。それが彼女――ジェーンですわ』
「なんでそんな確信持てんの?」
『あたくし、以前あなたをお見かけした時も、発声の癖と身長だけで見抜きましたのよ? 今回も同じ方法ですわ。それに、日本人の舌の筋肉構造とヨーロッパ人のそれとでは、決定的な違いがありますの』
「あ、ターゲットお出ましだわ」
楽屋から出てきた高貴な影――あの高身長の人物が演奏を終えて歩いてくるのを見つけ、亜季はすぐさま後を追い、声をかけた。
「あの、すみません、ドゥさんですか?」
「……そうだけど。何か用?」
相手はひどく疲弊したような、低い声で応じた。
「実は、私『AKIAKI Channel』っていう配信をやってる者なんです。最近ライブハウスの特集をやってて、さっきのドゥさんの演奏と、その圧倒的な個性にめちゃくちゃ感銘を受けちゃって!」
亜季は相手を観察した。深い双眸には濃厚なスモーキーメイクが施され、レザージャケットに破れたジーンズという、いかにもな出で立ちだ。
「悪いけど、子供の有名人ごっこに付き合う興味はないの」
「そんなに時間は取らせないし、ギャラだってちゃんと弾むよ? うち、こう見えても登録者三十万人の元アイドルだし、大人の世渡りのルールくらいはちゃんと分かってるつもりだから!」
亜季はあっけらかんと笑いながら、スマホのチャンネル画面を見せ、その場で軽やかにステップを踏んでみせた。元プロとしての説得力は十分だった。
「……つまり、あんたは金を持ってるってこと?」
ジェーンは目を細め、値踏みするように亜季を上から下まで見つめた。
二人が移動したのは、近くにあるごく普通のファミリーレストランだった。席につくやいなや、ジェーンはメニューにある料理を次々と注文し、運ばれてくる端から貪るように食べ始めた。
「……当然、あんたたちの奢りなんだよね?」
ジェーンは口いっぱいに食べ物を詰め込んだまま、平然と言い放った。
「これくらいのお金……あたくしがいくらでも出して差し上げますわ」
同行していたマリは、そのあまりにも教養を欠いた食事風景を冷ややかな目で見つめていた。
「話が早くて助かる。さすがはお嬢様だね」
ジェーンは下俗に笑った。
「ねえ、あんた普段どうやって食い繋いでるわけ?」
隣に座る亜季は、その尋常ではない大食いぶりに呆れつつも、この女が普段まともな食生活を送れているのかどうか、純粋に心配になっていた。
「裏山にテントを張って暮らしてる。あそこなら川があるから魚も釣れるし、身体も洗える。簡単な畑も耕してるよ」
「生活サバイバルすぎでしょ……」
亜季は絶句した。この女が今日まで生き延びてこられたこと自体、一種の奇跡に近い。
「それではドゥさん。あたくしは単刀直入に伺いますわ。――あなた、魔法少女(同類)でしょう?」
ジェーンはピタリとフォークを置くと、まっすぐにマリの瞳を射抜いた。
「なるほど。あんたが、あの『背がめちゃくちゃ低いのに胸がやたらと大きくて、物言いがクソ生意気なやつ』か」
「ええ、そのような解釈で概ね間違いありませんわ」
マリは優雅に微笑んだが、その口元は怒りで微かに引きつっていた。
「私は無駄な戦いはしない主義なの」
「あたくしたちもそうですわ。ですが、あなたの身から溢れるその膨大な魔力量までは隠せませんことよ」
「そうだね。私が生き残れたのは、単に運が良かっただけ」
ジェーンの瞳に、一瞬だけ深い哀愁の色が過った。
「勝利の女神に微笑まれ続けることもまた、実力のうちですわ」
「あんたは見たところ、どこぞのお嬢様だ。何不自由ない環境で甘やかされて育ったんだろう?」
「平民がそう歪んだ見方をするのも無理はありませんわね。あたくし自身の恵まれた環境は否定しませんわ。ですが……あたくしを『か弱い』と侮るのなら、少々お仕置きが必要になりますわよ?」
「あんたが使徒を屠った時の映像は見てる。そんな勘違いはしてないよ。ただ……私は本当に、もう戦いたくないんだ」
「一つ伺いたいですわ。あなたが異界から持ち帰ったあの『戦利品』、どうなさったの?」
「売ったよ。あんなの私には何の役にも立たないしね。白銀の相場はそれほど高くはないけど、あっちの世界には腐るほど転がってる。……本当は黄金を売りたかったけど、そんなことをしたら数分で警察が私をマークし始めるからね」
ジェーンはため息をついた。異界にはお宝が山ほどあるが、この現世における「流通性」が問題なのだ。
「ドゥさん。それほどロックと野宿の生活を愛していらっしゃるのなら、ご自分の故郷の国へお帰りになった方が、いくらか生きやすいのではありませんこと?」
マリは純粋な疑問を投げかけた。お世辞にもこの極東の島国は、アウトローな芸術家に対して寛容な社会とは言えない。
「そうだね。だけどお嬢様。あんたは『異界の怪物に殺された人間』がどうなるか、本当に知ってる?」
「世間から『忘れ去られる』。違いますかしら?」
マリは断定的に答えた。
「その通りだよ、お嬢様。じゃあ、あんたに関わるすべての人間が消え去り、世界中から自分の存在を忘れ去られた時、一体何が起こると思う?」
ジェーンの自嘲的な笑みを見て、マリの脳裏に一つの冷酷な仮説が浮かび上がった。
「……なるほど。あなたは今、その状態にあるわけですわね。だからこそ――『ジェーン・ドゥ(名無しの権兵衛)』」
「ある日突然、両親や友人、親しい人間が全員この世から消え去るんだ。そうなれば、周囲の人間との間に深刻な認知のズレが生じる。それどころか、国のデータベースにある身分証明(ID)すらエラーを起こす。私はまさにその被害者さ。ヨーロッパにいた親族が全員使徒に殺され、私の存在を証明する記録の鎖が千切れた。結果、私は自分の故郷の国で、ただの不法移民と同じ扱いになったのさ」
「そういうことですのね……。それが、あなたの音楽がこれほどまでに人々の胸を刺す理由ですのね」
マリはジェーンの置かれた境遇を完全に理解した。現代社会における身分証明とは、親族や周囲の血縁関係の保証があって初めて機能するものだ。
それらが一瞬にして「忘却」という世界のバグによって消滅した今、彼女のデータはコンピュータの海に浮かぶただの暗号のゴミ(乱数)に過ぎない。
だからこそ、彼女は音楽という手段を用いて、自分がこの世界に生きていたという爪痕を残そうとしているのだ。
彼女は死を拒絶しながらも、自らの「完全な消滅(死)」を受け入れる準備をしている。
「私にできることは多くない。今の底辺の生活でも、それなりに満足してるよ」
「……分かりましたわ。平民に対して、これ以上の勇気や高潔さを期待する方が酷というものですわね。ですが、同じ魔法少女として、あなたにも最低限知っておいていただかねばならないことがありますの」
マリの表情が引き締まる。
「ドゥさん。あたくしの同伴者(優子)がある仮説を立てましたの。もし、使徒が本来この世界に直接干渉できない存在なのだとしたら、なぜ他の世界は滅び去ったのか、と」
「……そんなこと、私に関係ある?」
ジェーンは両手を広げ、心底どうでもよさそうに肩をすくめた。
「大ありですわ。原因は『魔法の行使』。そして、この世界において最も頻繁に魔法を使っているのは、あたくしたち魔法少女に他なりませんわ。この魔法という概念が世界に伝播し、普及すればするほど……使徒がこの現世へと侵攻するための『境界の障壁』が薄れていくのですわよ」
マリは微笑んだ。しかし、その瞳の奥には冷徹な警告が宿っていた。
「つまり、私は魔法の無駄遣いを控えるべきだってことか」
「ええ。それと、異界から持ち帰った物品の処理も慎重になさることですわね。まあ、あなたにはそのあたりの最低限の危機管理能力はあるようで安心いたしましたけれど」
「私に戦えとは言わないんだね?」
「テクノロジーがどれほど進化しようとも、最終的に勝敗を決するのは『戦う意志』ですわ。あたくしたちは、戦意の欠片もない人間を戦場に引きずり出すような真似はいたしません。それはただの『足手まとい(お荷物)』ですもの」
マリは端正で誇り高い笑みを浮かべた。高貴なる貴族として、彼女は戦うことから逃げない。むしろそれを血統の誉れとしていた。
「それに、あなたのような実力者が一人でも『後方の守り』を固めていてくれれば、あたくしたちも前線でより大胆に、思い切り暴れ回ることができますわ」
「……あんたたちが、もし本当に最後まで戦い抜くつもりなら、おそらく遭遇することになるよ。――『彼女』にね」
「誰のことですの?」
マリと亜季の二人は、同時に身を乗り出してジェーンを見つめた。
「この現世(世界)の底に、深く、深く潜伏している――本物の『使徒』だよ」
ジェーンは淡々と告げた。しかし、その虚ろな瞳の奥には、底知れない絶対的な絶望の影が揺らめいていた。




