第二十五章:脳みそはただの飾り
森の中を、マリは悠然と歩いていた。少し離れた場所からは、激しく燃え盛る濃煙が立ち上るのが見える。彼女の周囲には色鮮やかな蝶たちが群がり、復讐を渇望するように羽を羽ばたかせていた。
先ほどから、多くの魔法少女の残影がこの方向から優子たちのいる戦場へと飛び去っていくのを、マリは目撃していた。さらに、周囲の草地や樹幹には、長期にわたって無数の足に踏み荒らされたような痕跡が残っている。
そこから彼女は、敵の拠点がこの近くにあると合理的に推測した。
マリは足音を魔法で完全に消し、静かに歩みを進めた。やがて断崖絶壁の縁に達した時、彼女の目の前にそびえ立つ城が姿を現した――それは軍事的な要塞などではなく、まるでルートヴィヒ2世が築いたノイシュヴァンシュタイン城のように、白く輝く幻想的な城だった。
確かに優子は言っていた。敵は魔法少女を収集する趣味を持つコレクターなのだと。
ならば、それらの人形たちを飾り立てて愛でる場所は、必然的にこのような華麗な展示室(展示の間)でなければならない。
これこそが、彼女たち高貴な存在と、あの卑しい平民どもとの決定的な差異なのだ――このようにして初めて、他者へ向けて自らの富と虚栄を誇示できる。少なくとも彼女が幼い頃、貴族学校の同級生たちは、高級なビスクドール(陶器人形)を持ち寄って互いに競い合い、見せびらかしていたものだ。
「Merry Slaughter zog in das Feld!(出陣ですわ!)」マリは変身を遂げた。彼女は天空へと跳躍し、魔力で不可視の踏み台を構築しながら、高空を凄まじい速度で機動する。
数人の魔法少女の残影が空中で陣形を組み、彼女を迎え撃とうと立ち塞がった。散発的な矢や光弾が襲いかかるが、マリの身体はあまりに小さく、その上超高速で移動しているため、敵は完全に照準を絞りきれない。
彼女は瞬く間に火力網を突破し、大剣を激しく一閃した。慣性を乗せて放たれた一撃は、飛び散る真紅の花びらのような斬撃となり、敵陣の中に鮮血の血路を切り開いていく。
対戦相手の火力は強大だが、その動作にはどこか決定的な硬さがあった。マリ自身の身のこなしが異常に俊敏であることも理由だが、彼女たちは何らかの絶対的な制御や制約を受けているらしく、それゆえにその行動は奇妙にぎこちなかった。
斬り落とされた敵の残影は、次々と色鮮やかな蝶へと姿を変え、マリの周囲へと群がって憎悪の声を囁きかける。
「Betritt die Bühne!(登台ですわ!)」城の上空へと到達した彼女は、剣刃を高く掲げ、慣性を利用して垂直に急降下した。自らの身体を一本の砲弾へと変え、王座の間の天井を派手にブチ抜いて着地する。
真紅の絨毯の上に砕けた石片が飛び散り、周囲には鏡のように磨き上げられた黄金の回廊が広がっていた。
きらびやかな衣装を身に纏った無数の魔法少女が、武器を手にマリを包囲する――彼女たちは近接戦闘を主とする魔法少女の残影だ。
「あなた方のその派手さ、あたくしの祖先もびっくりですわね」マリは妖艶にニヤリと笑い、視線を部屋の奥の王座へと向けた。
そこに端座していたのは、背が高く豊満な肉体を持つ一人の少女だった。金糸で編まれた半透明の薄紗を身に纏い、頭上にはきらびやかな黄金の王冠を戴いている。
しかし、衣服の隙間から露出している彼女の関節は、球体関節人形のそれであった。金色に輝く長い髪と、琥珀色の瞳。彼女は非常に興味深そうにマリを見つめていた。
「面白い。単身で朕の宮殿へと乱入するとはな。刺客にしては、いささか高調(ド派手)に過ぎるのではないか、汝」華美と虚栄を司る使徒が口を開いた。その声は、まるでオペラを歌うプリマドンナ(歌姫)のように朗々と、広く響き渡る。
「よく言われますわ。あたくし、コソコソした陰気な真似はあまり好きではありませんの」マリは突き出された長槍を紙一重でかわし、流れるような剣振るいで二人の魔法少女の残影を胴体に沿って両断した。
王座の間にいる敵は約二十人。どうやらこの使徒の「コレクション」の中でも最高級の逸品たちのようで、一筋縄ではいかない苦戦が予想された。彼女たちは刀剣や長槍を巧みに操り、外にいた残影たちよりも遥かにしなやかに動く。
筋肉が収縮する微かな音を聴く限り、生前から近接戦闘に特化していた魔法少女たちであることは間違いなかった。
「どうやら……まずはあなた方をお片付けしなければならないようですわね」マリは不敵に笑うと、突き刺さる長槍と振り下ろされる利剣を巧みにかわし、半空へと高く跳躍した。
「Das Lied fängt an!(奏曲ですわ!)」空中を舞いながら、彼女がパチンと指を鳴らした。その瞬間、眼下にいた魔法少女の残影たちが、まるで血の噴水のように一斉に破裂した。マリは静かに着地し、黒く染まった絨毯の中央に降り立つ。
彼女たちはかつて魔法少女であり、かつては人間だった――その肉体の半分以上は、当然「水分」で構成されている。
ならば、彼女たちの体内にある水分を特殊な波長で振動させ、共鳴させてしまえばいい。電子レンジに入れられた動物のように、内側から爆発して絶命するのは自明の理だった。
「汝、優秀な戦士よな」使徒は右手に黄金の長剣を握り、もう一方の手には黄金の鳥籠を掲げた。瞬間、周囲に散らばっていた魔法少女の残影たちの残片が、掃除機に吸い込まれるようにすべて鳥籠の中へと収束していかった。
「朕自ら、汝の相手をしてやろう」瞬きをするほどの一瞬。その巨大な影はマリの目の前へと肉薄していた。凄まじい突進からの刺突をマリは間一髪でかわし、さらに側面から端的に薙ぎ払われる烈風のごとき斬撃を大剣の腹で受け流す。
マリの耳が、相手が行動を起こす直前の「筋肉が極限まで緊縛する音」を正確に捉えていたからこそ、辛うじて回避が間に合ったのだ。
「見事なり。朕の攻撃を躱しきった者は、汝が初めてぞ」使徒は狂ったように剣を叩きつけ、追撃の手を緩めない。マリは辛うじてその攻勢をいなし、弾き飛ばしていくものの、絶え間なく繰り出される豪腕の斬撃に押し負け、じりじりと後退を余儀なくされる。
「強大な魔力を秘めながら、必要最低限の魔力しか戦闘に使わぬか」
「さて、どうかしら!」相手が次の打撃を繰り出したその瞬間、マリは上空へと跳び上がった。足裏に地面がない空中。彼女は斬撃を剣で受け止め、その凄まじい衝撃を逆に利用して一気に距離を取った。
彼女が着地した場所は、先ほど自分が天井をブチ破って降下した際に生じた「瓦礫の山」だった。マリは着地の勢いのまま、無数の砕けた石片を相手に向かって激しく蹴り飛ばした。
「小賢しい!」使徒は迫り来る砕石など意に介さず、一振りでそれらを粉々に粉砕し、再びマリへと肉薄する。しかし、その砕いた石の感触があまりにも奇妙だった。質感が異常に脆く、スカスカとしていたのだ。
「実を言うと……これほど美しいお城を壊してしまうのは、あたくしも少し心が痛みましたのよ?」マリの口元に、勝ち誇ったような悪い笑みが浮かんだ。
次の瞬間、使徒の巨体がピきりと完全に硬直した。彼女の身体に浴びせられた「石灰の粉末」が、尋常ではない周波数で激しく振動を始め、彼女の皮膚や肉を内側からズタズタに引き裂き始めたのだ。使徒の動作が劇的に鈍ったその一瞬の隙を見逃さず、マリは神速の斬擊を繰り出し、その首を一刀両断にした。
「見事なり!」地面に転がった生首が、感嘆の声を上げた。驚くべきことに、首を失った胴体がのそのそと歩み寄り、その頭部を拾い上げて再び元の位置へと繋ぎ合わせたのだ。
「あなた、その脳みそはただの飾り(デコレーション)なんですの?」マリは冷ややかに蔑み、大きく距離を取った。純粋な肉弾戦の殴り合いになれば、自分に勝ち目がないことは分かっていた。
「朕の余命は、一万八千八十四条。これらの生命はすべて、汝らのような魔法少女から奪い取ったものよ」使徒は平然と言い放ち、再び剣をマリへと向けた。
「汝に、この一万八千八十四の生命を覆すほどの智謀と勇武があるか? さもなくば、彼らの仲間入りを果たすかだ」「一万回以上もあなたを殺さなければならないなんて、本当に面倒くさいお話ですわね」
マリは剣を構え、即座に次の対敵策を脳内で組み立てる。もし相手が単に「物量と命の数」で自分を圧殺しようとしているだけなら、対処法などいくらでもあった。何しろ、すべての魔法少女は、本質的に「殲滅戦のスペシャリスト」なのだから。
マリは地を蹴って突撃した。使徒はカウンターの剣を振り下ろし、マリの身體を腰から真っ二つに叩き斬ろうとする。
「諦めたか!」使徒が叫び、互いの双剣が激しく交錯した。しかしその瞬間、使徒の黄金の剣がガラスのように呆気なく粉々に砕け散り、彼女の肉体は再びマリの紅刃によって深く貫かれた。
何度か刃を交える中で、マリは相手の武器の「共振周波数」を完全に割り出し、一撃でそれを自壊させたのだ。
「……汝、その小細工が、あと何度通用すると思うておる」使徒は再び立ち上がり、胸口から流れる血の傷痕を執念深く撫で平らげた。彼女は砕けた武器を捨て去ると、その両腕を異様に肥大化させ、さらに背中から新たな二対の豪腕を生やした。計六本の腕。
「ついでに天使の羽でも生やしたらどうかしら? 少しは可愛らしくなりますわよ」マリは冷笑した。あらゆる戦闘形態に適応し、なおかつ不老不死の魔法生物。そんな化物を確実に「無力化」するにはどうすればいいか?
使徒が猛烈な速度で迫り、雨あられのような拳の嵐が、マリの華奢な身体へと容赦なく降り注ぐ。筋肉の収縮音で攻撃の軌道は予測できるものの、絶え間なく押し寄せる肉体の暴力は、彼女に反撃の隙を一切與えない。
だが、マリの回避する身のこなしは、まるで王座の間を優雅に舞う一頭の蝶のようだった。使徒の放つ絶対的な暴力は、まるで綿を殴っているかのように虚しく空を切る。
使徒が激しく瓦礫を踏み砕き、振り下ろされる拳が床に次々と巨大な大穴を穿っていく。その凄まじい衝撃は城全体を激しく揺らし、絢爛な天井から無数の塵を降らせた。
「汝のそのステップ、一体いつまで持つかな!」使徒が冷酷に言い放った直後、死角からの強烈な一撃がマリの身体を捉え、外側へと吹き飛ばした。
重砲の直撃にも等しいその一撃を、マリは辛うじて大剣で防御したものの、突き抜けた凄まじい衝撃波が彼女の内臓をズタズタに破壊し、その口から鮮血が激しく吐き出された。
「汝は強い。もしもう少し成長していれば、あるいは己の世界を救えたやもしれぬな」使徒がマリへと歩み寄り、彼女の小さな身体を巨大な絶望の陰影が覆い尽くしていく。
「Tanzen wir(踊りましょう)!」マリは自らの鮮血を指先で唇へと塗りたくった。彼女が顔を上げると、使徒の影の中に、妖艶で、狂気じみた笑みが浮かび上がる。
次の瞬間、視界を遮るほどの猛烈な砂塵が爆發的に舞い上がった。マリが魔法で発動させた、大量の「石灰の嵐」だ。
「徒労な抵抗を!」使徒はその巨体を大きく回転させ、四面八方に向けて盲目的に拳を振り回した。しかしその刹那、彼女はガクリとバランスを崩して無様に傾いた。
マリは極限まで体勢を低く沈めていたのだ。その小柄な身体を利用して相手の拳の完全な死角(懐)へと滑り込み、至近距離から相手の足首を容赦なく一刀両断に切り裂いていた。
「汝、まさか……!」拳風によって煙塵が吹き飛ばされ、使徒の眼球がようやくマリの姿を捉えた。だがすでに遅い。マリの放った真紅の剣刃が瞬時に左右の腕を次々と削ぎ落とし、最後は脳天からの強烈な縦一文字の唐竹割りによって、その巨体を真っ二つに叩き伏せた。
「Das ist mein Sieg!(あたくしの勝ちですわ!)」マリは反手で大剣を突き立て、使徒の身体を床へと深く縫い留めた。
敵の再生速度は相変わらず異常なほど早かったが、彼女の下にある地面は、いつの間にか異様なほど柔らかい「底なし沼」へと変貌しており、じわじわと使徒の巨体を飲み込み始めていた。
マリは城の基礎(地盤)そのものを魔力で共鳴させ、さらに使徒自身が激しく拳を叩きつけていた衝撃を利用して、強固だった大理石の床を完全に細かな砂塵へと粉砕、液状化させていたのだ。
「真に……既定の……破滅を……超え……救世主に……!」彼女の巨大な身体は、なす術もなく完全に砂の丘の底へと沈み込んでいった。
たとえ一万以上の命を持っていようとも、動くことすら許されない砂の牢獄の底にあっては、ただマリによって永遠に一方的に屠られ続けるだけの存在に過ぎない。
「救世主? ――お笑い草ですわね。あたくしはただ、ジークフリートの気取った竜退治の旅を楽しんでいただけですもの」マリは砂の丘にさらなる魔力振動を加えた。
細分化された一粒一粒の砂が、今度は一万、数百万の目に見えない剃刀の刃と化し、砂の中にある使徒の肉体を何度も、何度も、細胞レベルで微塵切りに引き裂いていく。
やがて、砂丘の隙間から眩い黄金の魔力の光が大量に噴き出し、それが霧のように霧散したのを見届けて、マリは初めてその動作を止め、敵の完全な「死」を確認した。
「舞台の上に立つ者にとって、一睡もせず見つめてくれる観客ほど、素晴らしい励みはありませんわ」マリは血に濡れた剣を床に突き立て、背後にある巨大な大理石の柱へと視線を向けた。
戦闘が終了したその瞬間から、彼女はある一人の人物がずっと物陰から自分を観察していたことに気づいていた。戦闘中、その人物は一切手出しをする様子を見せなかったため、マリもあえて今の今まで放置していたのだ。
「わあ、すごーい。まさか、あんなに恐ろしい使徒をたった一人で倒しちゃうなんてね」柱の影から姿を現したのは、背が高く、鮮やかな赤髪を持つ一人の少女だった。
彼女は一見すると修道服を身に纏っているが、その外側には銀白の重厚な鎧を装着していた。手には大きなカイトシールド(鳶盾)與長劍を携えている。
彼女の身体からは非常に強力な魔力が放たれていたが、純粋な出力の面では、マリのそれとはまだ僅かに距離があった。
「このような場所にわざわざやって来て、あたくしと戦うつもりはなさそうですわね?」
マリは首を少し傾げ、不審そうに相手を睨みつけた。
「誰もが自ら進んで戦っているわけじゃないんだよ。私みたいに、ただ運良く生き残っちゃっただけの人間だっているしね」赤髪の少女はどこか自嘲気味に苦笑し、手にした長剣をカチャリと鞘へと収めた。
「ならば、あなたは何をしにここへ?」
「宝探し(スカベンジ)、かな」
もう一人の魔法少女は周囲の惨状を一度見回すと、先ほど黄金の鏡面回廊から力任せに剥ぎ取ってきたと思わしき、きらびやかな破片をいくつか取り出してみせた。
「これ、本物の純銀なんだよね。結構いい値段で売れるんだよ」少女はどこかあどけない笑みを浮かべた。
「なるほど、略奪者というわけですのね。確かに城を落とした後、勝者には戦利品を強奪する権利がありますわ。ですが、あたくしは異界の物品をわざわざ現世に持ち帰ろうなどとは、一度も考えたことがありませんでしたわ」
「でしょ?」
「ですが、この戦いの勝者はあたくしですわ。ですから、あなたが今手にしているそれらは、本来すべてあたくしの所有物なのではなくて?」マリは面白そうにクスクスと笑った。もちろん、この薄汚れた略奪者から小銭を巻き上げるつもりなど毛頭なかったが、彼女の言葉は、マリにとって「新たな資金源(大儲けのルート)」の存在を気付かせる格好のヒントとなった。
「そんなにたくさん持って行かないからさ……」赤髪の少女は両手を合わせて拝むように、哀願するようなポーズをとってみせた。
「好きなだけ持って行くとよろしいわ。あたくし、下俗なお金にはあまり興味がありませんの。……ただ、この期に及んで、まだ生き残っている他の魔法少女にお目にかかれるとは思っていませんでしたから、それは少し嬉しい誤算でしたわ」マリは心の底から満足そうに微笑んだ。自分と優子、長年戦い抜いた亜紀の三人こそが世界で最後の生き残りだと思い込んでいたが、どうやらまだ他にも、こうして泥臭く生き延びている同類がいたらしい。
「そうだね。……お互い、必死に生き延びようね」赤髪の少女の瞳が、一瞬だけひどく陰鬱で、疲弊しきった色へと曇った。彼女は自らの手で次元の通路を開くと、そのままマリの目の前から静かに姿を消した。
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