ep.94 吐き気がする
◇◇◇
私は褥に入ると、毛布をいじって気を紛らわせていた。
体育座りをしながら、爪先をばたばたさせる。
しばらくすると、チェーザマリーが寝室に来た。
「リト。待っててくれてありがとう」
「いいえ! 待ってないです!」
長身の彼がベッドに乗り上げると、ベッドがきしむ。シーツと毛布が擦れる。その音が、鼓動を速くした。
肩が触れ合うか触れ合わないかの距離で、チェーザマリーが私の隣で足を伸ばす。
私は恥ずかしくなって毛布に潜り込もうとした。その瞬間、背後からチェーザマリーが私を抱きしめた。
「今日が初夜だね。何もしないから、抱きしめるのだけは許してくれ」
「……うん」
「可愛いな」
チェーザマリーの腕に導かれて、私は彼の胸に額を押し付けた。
彼の心臓の音が聞こえる。
私の鼓動だけが、早い。
背中を撫でられると、少しだけ怖いのに、力が抜けてしまった。
「おやすみ」
耳元で囁かれ、心臓が壊れそうになった。
「おやすみなさい」
彼は今、どんな表情をしているのだろう。
もう目は閉じただろうか。私を見つめているのだろうか。
鼓動だけが異様に速いのに、私の瞼はすぐに落ちてしまった。
◇◇◇
目覚めると、ぬくもりを感じた。
逞しい腕にしっかりと抱かれ、彼の胸に頭を預けていた。
寝ぼけて、頭をすりすりした後に、はっとした。
――やばいー! 甘えてるー! 一緒に寝てたー!
私は腕の中から逃れようとした。けれど、チェーザマリーがその気配を察したのか、強く抱きしめ直し、腰に腕を回してきた。
「おはよう。昨日は良い夢を見られたよ」
耳元で低く囁かれて、思考が停止した。
私がチェーザマリーと目を合わせると、彼はクスリと楽しそうに笑った。
そして、左手を私の頬に添えて、指先でゆっくりなぞると、顎を上げさせられた。
息をつく暇もなく、唇を重ねられた。
「……っう」
角度を変えて、何度も口づけられる。体の力が抜けて、されるままになってしまった。
――どうしよう……。嬉しい……。
キスが終わると、チェーザマリーは微笑んで、目元を和らげた。
左手で、頬を何度も撫でられた。
「気持ち良かったか?」
――ちょっと待って! この新婚生活、危険かも!
「うん……良かったよ」
私が視線を逸らすと、彼は再び顔を近づけた。
唇が重なると、私は目を閉じた。
◇◇◇
翌日から、私とチェーザマリーは観光と乗馬に興じた。
特に私が熱中したのは乗馬だ。森林の中で乗馬をしたのは初めての経験だった。
森の中を馬で駆け、木の皮の香りや草の湿った香りを胸いっぱいに吸い込む。それがこんなに楽しいとは知らなかった。
森の道は乗馬がしやすいように舗装されていたので、遠乗りにも快適に行くことができた。
朝食を食べ終わると、ほぼ毎日のようにチェーザマリーを乗馬に連れ出した。
彼は嫌な顔一つせずに乗馬に付き合ってくれた。
乗馬をしない日は、観光を楽しんだ。チェーザマリーは私が行きたいと言った場所には、どこへでも連れて行ってくれた。
その日も、私は遠乗りに出かけていた。
二時間ほど、森の中を散策したときだ。
「チェーザマリー、そろそろ馬を休息させましょう」
「そうだな。そこの草でも食べさせてやるか」
私たちが馬から降りると、二頭の馬は草を食べ始めた。
「ふふっ。可愛いですわね」
美味しそうに草を食べる馬の首を私が撫でていると、チェーザマリーは目を細めた。
「リトは本当に馬が好きだな」
「そうなんです! 馬ってなんでこんなに可愛いんでしょう!」
「ハハハッ。こんなに綺麗なレディに好かれて、馬も嬉しいだろうな」
チェーザマリーは楽しそうに笑い、愛おしそうに私を見つめた。
そのときだ。
――チェーザマリーの子どもが欲しいな。……!? え!? 突然何!?
唐突に湧き上がってきた感情に、自分で戸惑った。
それでも思った。
――彼との子どもが欲しい。赤ちゃんってどんな感じかな? もし子どもができたら、どっちに似るかな? もしチェーザマリーに似たら、髪と瞳の色が綺麗でいいかも……。
二人で笑顔で子どもを抱っこするシーンを想像した。
――妊娠、してみたいかも。そしたらどんな感じかな?
私はチェーザマリーをじっと見つめた。
――チェーザマリーって何でもできてかっこいいし、父親に似たら嬉しいかも……。
◇◇◇
「あの……。私、あなたとの子どもが欲しいんだよね」
数日じっくり考えて、私は切り出した。
チェーザマリーは大きく目を見開くと、急に真剣な顔になった。
「いいのか? 出産が怖いんじゃなかったのか? 無理してないか?」
「やっぱり、欲しくなったの……。子ども産みたい。赤ちゃんと過ごしてみたいな。つわりも陣痛も、青い色炎があれば楽になるし。あなたの子どもだから欲しい」
私はじっと彼の目を見つめた。
本心だと伝わったのだろう。
チェーザマリーは私を勢いよく抱きしめた。
「嬉しいよ! 子どもが欲しいって思ってくれてありがとう! 子どものことは大事にする! リトに似たら可愛いだろうな!」
「私はチェーザマリーに似てほしいけど……」
「どっちに似るかな? 俺はリトに似た可愛い女の子がいいな」
――チェーザマリー、私に似て欲しいんだ……。嬉しい!
「次代のワルシャワ公爵は、俺たちの子どもだよ!」
「……うん!」
――喜んでくれて、嬉しい……!
私は彼の背中に腕を回すと、強く抱きしめ返した。
◇◇◇
七月一日。新婚旅行から約二カ月が経った頃――。
私とチェーザマリーは、十二時に遅めの朝食を食べていた。朝から遠乗りに行く予定だったのに、二人で寝過ごしてしまったのだ。
管理人夫妻は気を利かせて、私たちを起こしに来なかった。
「もうすぐ新婚旅行も終わりですわね」
「そうだな。二人で人間界に帰るか」
「アンとリコに再会するのが楽しみですわ。シバ家の猫生活はなかなか快適ですわよ?」
楽しく会話しながら、私はエッグトーストを一口噛んだ。
その瞬間、吐き気が込み上げてきた。普段は大好きなたまごの香りが、いやに鼻につきまとう。
――気持ち悪い! 何これ……!
私は皿に口の中のものを吐き出した。さらに、むせて何度か咳をした。
「リト!? どうしたんだ!」
チェーザマリーは血相を変えた。そして、側に控えていた使用人に命じた。
「すぐに医者を呼べ!」
使用人は即、駆け出して行った。
咳が収まると、チェーザマリーは私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? 水飲むか?」
「いらないです……。なんか、気持ち悪くて……。吐き気がするんです」
「横になって休もう。この近くに貴族向けの医者の駐留所がある。医者はすぐに来てくれるからな」
チェーザマリーは私を抱き上げて寝室に運んでくれた。




