ep.91 各国は魔王の首を絞める
◇◇◇
「陛下。十日ぶりですね。療養生活はどうですか?」
私が入室すると、化け狐の魔王は机で書道をしていた。
その麗筆に、思わず感嘆のため息を漏らしたくなる。
――無能でも、書の才があるのはありがたいわ。
「なんだ? 王妃? 僕のみじみな姿を嘲笑いに来たのか?」
彼は顔を上げた。その表情は、苛立ちと屈辱に満ちていた。
「まあ。顔色が悪いですわよ? あとひと月は、横になっていた方が良さそうですわね」
「白々しい。あとひと月も軟禁生活をさせる気か。それで? なんの用だ」
私はあえて、優しく微笑んだ。腹の中に激情を押し隠しながら。
「ユリジェンヌ侯爵令嬢を侮辱した件について、ヴァンパイアの国と化け猫の国が、国家として正式に抗議をしてきましたわ。
ヴァンパイアの国からは公爵家の連名の署名が、化け猫の国からは公侯爵家から連名で抗議文が届いております」
「はあ?」
魔王はさっと青ざめた。
「もちろん、ヴァンパイアの魔王様と化け猫の魔王様の署名入り。しかも、ワルシャワ公爵家からは賠償請求と謝罪の要求が届きましたわ」
「なんだってそんなに事が大きくなってる? なんでヴァンパイアの国とワルシャワがそこまで出しゃばってくる!」
「リト=ユリジェンヌが、リト=ファル=ワルシャワ公爵夫人になるからですわよ! とんでもないことしてくれましたね!
よりにもよって、序列一位公爵夫人を侮辱するなんて! しかも、ワルシャワは何人もの宰相を輩出する権門! この不始末をどうつけてくれるのですか!」
私が怒鳴ると、魔王は肩を震わせた。
「リト=ファル=ワルシャワ公爵夫人になる? まさか、ワルシャワとユリジェンヌが婚姻するのか!?」
「そうですわよ。世間はこのニュースに沸いておりますわ。
名門侯爵令嬢が魔王に侮辱され、怒った恋人の公爵が令嬢にプロポーズ。世紀のロマンチックストーリーが生まれてますわ。あなた、このロマンスの悪役になってますわよ?」
「……なんだって?」
「特に、マリアンヌ男爵夫人がストーリーを仕立て上げて、女社会で触れ回ったんですわ。
レディたちは世紀の大恋愛に夢中よ。各国に、マリアンヌによって脚色された伝説のラブストーリーが広まりました。
陛下は各国のレディたちからひどく批判されてますわ」
「なっ……。たった十日で?」
「レディの情報網を舐めてもらっては困ります。そうそう。悪魔の国からも、抗議同然の対応をとられました。
ほら、親善大使で書聖のダータン伯爵が、長期間化け狐の国にいらっしゃる予定だったでしょう?
化け狐の国の史書の再編のため、代筆をお願いする予定でしたが……。悪魔の魔王様が、それを撤回されました」
「はあ? なんで悪魔の国がそんなことをする!」
「マリアンヌは悪魔の魔王様のお気に入りです。ユリジェンヌ侯爵令嬢はマリアンヌの孫。
しかも長年、悪魔の魔王様に色炎を献上してきたのですよ? 彼女自身が魔王様のお気に入り。
魔王様とユリジェンヌ侯爵令嬢は色炎の優先提供契約も結んでますしね。悪魔の魔王様は一連の話を聞き、眉をひそめられました。それで、どうされたと思います?」
「なんだ。また抗議文か?」
「いいえ。悪魔の魔王様は、今年の年末王城パーティーはユリジェンヌ侯爵令嬢をパートナーにされることにしたんですよ」
「はあ!? 女同士でパートナー!?」
「悪魔の王家では王女姉妹がパートナーになった前例がありますし、構わないでしょう?」
「何言ってる! ユリジェンヌ侯爵令嬢は魔王様と姉妹どころか、化け猫だから外国人だろ!」
「ユリジェンヌ侯爵令嬢はマリアンヌ男爵夫人の孫だとさっき言ったでしょう?
令嬢の祖父にあたるマリアンヌの夫は悪魔よ。だから、令嬢は悪魔の血を引いてますわ。完全な外国人じゃありません。
悪魔の魔王様はこうおっしゃいました。『次期ワルシャワ公爵夫人は、十四歳の頃よりわらわに色炎を献上してくれた。その忠義と功労を労い、結婚祝として、映えある席でわらわの隣に立つことを許す』とね。
流石悪魔の魔王様。王権が強い君主はやることが粋ですわ」
「僕への当てつけか……」
魔王は顔面蒼白になった。
「怒った悪魔は魔王様に留まりませんわ。魔王様の第十四夫アルフィス=デ=ゴスメーデから、ゴスメーデ公爵家として抗議文が届きました!」
「は? バーテンダーから宰相になって、またバーテンダーに戻ったあの酔狂な男が?」
「酔狂? 彼は序列一位のゴスメーデ公爵家唯一の後継者ですわよ!
ワルシャワとゴスメーデは何度も婚姻していて、家ぐるみで仲が良いんですよ! チェーザマリーとアルフィスは友人。
しかも彼は、人間界でユリジェンヌ侯爵令嬢の面倒を見てたとか? ぶちギレて当然ですわ!」
「アルフィスはまだ爵位を継いでないだろ!」
「当然、抗議文には現公爵夫妻の署名も入ってますわよ! "ゴスメーデ公爵家として"ってさっき言いましたでしょ!」
「くっ……」
「これだけじゃありませんわ。セイレーンの国のペネロペ公爵からも抗議文が届きました。私の命の恩人を侮辱するなとね。
しかも、ペネロペ公爵は王城交易課の課長ですよ。これを機に、我が国との交易品目を今一度見直したいとか?
せっかく素晴らしい交易関係をセイレーン国と築いていたのに……! 亀裂が入ったらどうしてくれるのですか!」
私は声を荒げた。苦労して交易協定を結んだのは、私の従兄弟だからだ。
「怪鳥の国の毒鳥一族、ハディッシュ公爵家からも抗議文が届きましたわ! 研究のために、我が国にハディッシュは毒鳥を数匹譲渡する約束でした! なのに、ハディッシュが取りやめたんですよ!
毒鳥一族が力を貸してくれなければ、毒鳥は扱えません! この不始末、どうしてくれるのですか!」
私の一喝が空気を震わせた。魔王は俯いたが、私はさらに続けた。
「花人魚の国序列一位、ウララ公爵家からも抗議文を頂きましたよ? 聞けば、ケイミル公爵夫人の出産を色炎で手助けしたのはユリジェンヌ侯爵令嬢だとか? 夫妻は大変お怒りですわ」
「ありえない……。相手は侯爵令嬢だぞ? そのために、各国が動くなんて……」
「なぜ読み間違えたのか。愚かな夫を持って、恥ずかしいわ。それにお前は、私たち妻の心も分からないようね?」
「妻の心……?」
「私という正室や権門の令嬢を側室に迎えながら、他の女を望むなど……。女として私たちは怒っているのですわ! 手始めに、私たちにも謝罪してもらおうかしら?」
「お待ちください。手始めに、事情聴取をしなくてはね」
背後から聞こえた声に、私は振り返った。
そこには、ファウバブト公爵が立っていた。
頭に血がのぼっていたせいで、扉を開く音が聞こえなかったみたいだ。
「まあ。お義兄様。来てくださったのですね」
私が微笑むと、ファウバブト公爵は私に微笑んだ。化け狐の魔王には一礼さえせずに。
魔王は忌々しそうにファウバブト公爵を睨んだ。
「王妃様にお会いできて光栄ですね。本日は、国際警察署長として参りました。なにしろ、国際問題ですから、調査と調停の必要があります。これから、魔王に事情聴取させて頂きますよ」
「なんだって!? 魔王を取り調べ!? 正気か!」
魔王が声を荒げると、ファウバブト公爵は冷たく笑った。
「あなたは化け狐の魔王、私は序列一位の公爵です。だから、取り調べ可能です。この意味がお分かりですよね?」
「まあ。お義兄さまって、お上手ね。"国家は化け狐の魔王ではなく、公侯爵家のもの"という名言は正鵠を射てるわ」
「ええ。ところで、王妃様にも取り調べには同席願いたいですね。王妃様が"魔王がこう言った"と言えば、言ったことになりますから」
私とファウバブト公爵はクスクスと笑い合った。
「まさか! 事実を捏造する気か!?」
魔王は椅子から勢いよく立ち上がった。
ファウバブト公爵は魔王の側に歩み寄ると、にっこりと笑った。
「まさか。調査には透明性が必要ですからね」
私は吹き出しそうになった。




