ep.85 嫉妬にうんざり
◇◇◇
「オローズの奴、正妻だからってずるいわ! 案内役は私になるべきだったのよ!」
「シェイ様! 落ち着いてくださいませ!」
侍女が宥めてきたが、私は枕を彼女に投げつけた。
枕は侍女の顔に当たり、床に落ちた。柔らかいから痛くはないだろう。
「うるさいわね! 男爵令嬢の分際で生意気よ!」
「申し訳ありません!」
侍女は頭を下げたが、私の苛立ちは募るばかりだった。
「せっかくユリジェンヌ侯爵令嬢とチェーザマリー公爵を案内しようとしたのに……! 色使いの名門令嬢と序列一位公爵よ! 会話して仲良くなれば、私の人脈は広がるわ! 旦那様からの評価もあがるのに! 他の妻がしゃしゃり出てきたのよ! 自分もやりたいって! 言い出したのは私なのに!」
「おっしゃる通りです。他の奥様が悪いのです」
私は歯ぎしりした。
「でも、最悪なのはオローズよ! 私たちを叱責して! 旦那様とお客さまの前で恥をかいたわ! 結局、案内役になった妻はオローズじゃない! いいところ持っていきやがって!」
私は側の円卓にあった酒の杯を払った。中身が床に飛び散り、杯がごろごろと転がった。
「序列二位のカタビラが何よ! 私の実家は序列三位のコウガ公爵家よ! 一個しか違わないわ! お父さまにまた言いつけてやるんだから! 旦那様がオローズばっかり寵愛するって……」
「そういうことは止めなさい。実家を使って圧力をかけて。また、旦那様に迷惑をかける気?」
澄んだ声が聞こえて、私は振り返った。
侍女は青くなっていた。
扉を開けて立っていたのは、オローズだったのだ。
「オローズ公爵夫人、ようこそいらっしゃいました。どのようなご要件で?」
侍女は慌てて頭を下げたが、私はオローズを睨んだ。
「何よ! お前が悪いんじゃない! 私から案内役を横取りして!」
オローズはゆったりとした足取りで私の正面まで歩み寄って来た。
「私を案内役にされたのはファウバブトです。シェイは旦那様の決定にケチをつけているのですか?」
私が詰まると、オローズは淡々と続けた。
「父君に言いつけるとか? 半年前にも言いつけていましたよね? ファウバブトは困っていましたよ。あなたはファウバブトを困らせたいの?」
「うるさいわね! 正妻だからっていい気になれるのも今のうちよ! 私の息子が次期当主になれば、私はミンチェ公爵の母よ!」
「そうですか。ですが、誰を次期当主にするかを決めるのはファウバブトです。私たちがどうこうすることじゃありません。頑張るのもあくまで息子たちですしね」
冷静な声で言うと、オローズは手に持っていた漆の箱を侍女に渡した。
「これはユリジェンヌ侯爵令嬢からよ。私たち妻全員に、化け猫の国のお土産をわざわざ持ってきてくださったの。主人が落ち着いたら渡しなさい。私はこれを渡しに来ただけよ」
「かしこまりました!」
侍女が丁寧に頭を下げると、オローズは踵をかえして去ろうとした。
だが、私はオローズの肩を掴んだ。
「待ちなさい! お高く止まって生意気なのよ! この女狐が……」
「一体、なんの騒ぎかな?」
そう言って扉を開けた男を見て、私は息を呑んだ。
旦那様だったからだ。
「なんとなくシェイに会いたくなって、来たんだけどね。酒の杯が倒れてるよ? 飲み過ぎたんじゃないか? 大丈夫かい?」
私は心の中で舌打ちした。
――旦那様ってば。きっと、全部聞いてらっしゃったのね。
その上で、口論には触れない。酒のせいにでもするつもりか。
女同士の揉め事はめんどくさいから触れたくないのだろう。
ファウバブトはそういう男だ。
私が口を開こうとしたときだ。オローズが旦那様に微笑んだ。
「シェイは、久しぶりにお客さまがいらっしゃって、浮かれているようです。あんなに若くて可愛い令嬢がいらっしゃったんですもの。『娘がいたらあんな感じかしら?』と言ってました。シェイは娘が欲しかったんですって」
――はあ? 何、嘘をでっち上げてるのよ! 娘なんていらないわ! 息子じゃないと家を継げないじゃない!
旦那様は微笑ましそうに笑った。
「そうか。テンションが上がって飲み過ぎたんだね。侍女は早く片付けなさい」
「はい! 布巾をとって参ります」
侍女は慌ただしく退出した。
「飲み過ぎは体によくないよ。今日はゆっくり休みなさい」
「ええ……。そうさせて頂きますわ」
私はぎこちなく微笑んだ。
なかったことにして面倒を避ける。そんな旦那様を恨みがましく思いながら。
◇◇◇
「いやぁ。シェイの癇癪持ちには困ったな。また父君に言いつける気か? そろそろ父君がうんざりしていることに、なぜシェイは気づかないのかな?」
ファウバブトはめんどくさそうにため息を漏らした。
私はそんな彼に笑顔を向けた。
「シェイは旦那様が大好きなのです。愛しさゆえに、嫉妬で暴走しているのです。寛大な心でお許しくださいませ」
「オローズは優しいね。あんなにめんどくさい第一夫人がいるのに、寛大で冷静な君は凄いよ。頼りになるな」
ファウバブトは私を抱き寄せた。彼は顔を近づけてくる。
「ちょっと旦那様……! ここは回廊ですわよ。誰かに見られたら恥ずかしいですわ」
「別に構わないよ」
そう言うと、彼は私に口づけた。長いキスが終わると、漏れた吐息が重なった。
「今晩は、やっぱり君を訪ねようかな。ヒガシを尋ねる予定だったけどね。気が変わったよ」
「いけませんわ。そんなことをしたら、ヒガシが嫉妬してしまいます。今晩は予定通り、ヒガシの元をお尋ねください」
「嬉しくないのかい? 他の妻が君の立場なら狂喜乱舞だよ?」
――ほんとは嬉しいけど、嫉妬されるのは嫌だわ。後々爪痕を残すもの……。
「私、先ほどのキスだけで十分です」
「そうか。オローズは控えめだね」
ファウバブトは愛しそうに目を細めた。直後、瞳に冷たい光を宿した。
「ユウを次期当主にしたら、母親のシェイがつけ上がる。ユウは優秀だが……。次期当主にするのはやっぱり止めようかな。前から外そうと思っていたが……。いっそ第一試験で落ちてくれれば良かったのに」
――ざまあないわね。シェイ。あなたの軽率な行動で、ユウは落選よ。
私は心の中で歓喜した。これで、自分の息子が当主になれる確率が上がるというものだ。
そんな内心は欠片も見せずに、私はあえて困った顔をした。
「そんなことをしたら、ユウが可哀想ですわ」
「いいんだよ。ユウ自身、オローズを嫌ってるじゃないか。シェイがユウに、君についてあることないこと吹き込むからだ。それをあっさり信じてる時点で、ユウは減点だな」
先ほどの甘い雰囲気はなく、ファウバブトの声は冷え切っていた。
「仮にユウが当主になって、私がオローズより先に死んだらね。ユウとシェイは君をいじめ倒すよ。それは耐えられないな」
「まあ。ファウバブトったら。お優しいのね」
――嘘つき。カタビラとミンチェの関係を悪くしたくないだけでしょ。
私は知っている。ファウバブトはミンチェ家とカタビラ家の結びつきを強めたいのだ。
だから私を他の妻より寵愛するし、私の息子のガルシアンを次期当主に据えたいのだ。
――私の出身がカタビラで良かったわ。じゃなきゃ、こんなに愛されないもの。
「ところで、ユリジェンヌ侯爵令嬢とチェーザマリー公爵をくっつける作戦は上手くいきそうですか? チェーザマリー公爵にパーティーで頼まれて、わざわざ追加で招待されたんでしょう?」
私が微笑むと、ファウバブトは可笑しそうに笑った。
「ハハハッ。環境を作る協力はするけどね。あとは自分の魅力で頑張れ。やれやれ。『ユリジェンヌ侯爵令嬢をミンチェ邸に招待されたとか? いつか、美しい化け狐の国を俺も彼女と観光したいな』なんてチェーザマリーが言ってきたときは吹き出しそうになったよ」
「それで全てを察するファウバブトも凄いわ。親切に二人一緒に招待してあげたんですから。チェーザマリー公爵に恩が売れましたね」
「そうだね。ところで、ユリジェンヌ侯爵令嬢にその気はなさそうだが……。チェーザマリー公爵は大丈夫かな?」
「まあ。あなたったら、高みの見物ですか。でも、私も感じました。ヴァンパイア年末王城パーティーでのラブストーリーは聞きましたけどね。本当かしら? 二人は付き合い始めた初々しいカップルには見えませんわ」
「一見、仲がよさそうだけどね。ユリジェンヌ侯爵令嬢の目は恋している女性のそれには見えないな」
「でも、二人は恋人なんでしょう? どういうことでしょうか?」
「今晩、チェーザマリー公爵とユリジェンヌ侯爵と晩酌するんだ。その席で問い詰めてみるか」
「面白そうですね! ぜひ、私にも内容を教えてください!」
「もちろんだよ」
私たちは微笑み合った。




