ep.72 泣きたいときは、泣いていい
◇◇◇
私はその夜、服薬しようとして、藤婦粉の包み紙を開いた。そして、じっと青い粉をみつめた。
私は服薬しなかった。火鉢で、藤婦粉を焼いた。泣きながら焼いた。
焼きながら、近くにあった鏡を見た。自分がどんな顔をしているか気になった。
鏡の中の青い瞳は、鬼女の目をしていた。
――エルも胎児も死ねばいい。愛するアルバートと他の女の子どもなんて、耐えられない! 私だけを愛して! ……ううん。無理よ。彼は毒鳥一族だもの。毒鳥一族じゃなかったら、アルバートは私だけの夫だったわ。
毒鳥一族の血統も、通い婚も、一夫多妻制も憎い。毒鳥一族なんて、初めから存在しなければよかったのに。
――エルと胎児を殺すなら、あなたも道連れよ、アルバート。後悔するといいわ。私の悲しみに気づかなかったことを。
私は毒鳥功労祭でエルを毒殺することにした。
エルには華々しい舞台だ。きっと、ハディッシュ家の体裁は地に落ちる。
ラムダは殺さないことにした。ハディッシュ家には一応、跡継ぎが必要だからだ。
――殺したら、自白しよう。罪の重さに耐えられない。そして、この日々を終わらせるんだわ……。
もう、涙は出なかった。
◇◇◇
全てを正直に打ち明け、取り調べが一段落すると、私は牢獄に入れられた。
ひんやりした牢獄より、心臓の方が冷たくなっているのが感じられた。
私は、隠し持っていた婦毒を取り出した。
婦毒は強力な毒だ。飲めば、ほぼ確実にあの世行きだ。
――処刑台で醜い姿をさらして、罵倒されるくらいなら、私の手で全てを終わらせる。
私は婦毒を一息に飲み込んだ。そして、石の床に横たわった。
――アルバート。大好きよ。愛してるわ。……ごめんなさい。
涙が、頬をつたった。視界の裏には、彼の姿しか浮かばなかった。
◇◇◇
エンダ公爵夫人は、事件の翌日に自害した。
エンダ公爵夫人の自白内容を聞いたエル公爵夫人は、ショックで寝込んでしまった。ラムダ公爵令嬢は一切泣かずに、母を献身的に看病した。
しかし、打ちひしがれてばかりではいられなかった。
アルバート公爵とエンダ公爵夫人の実家のランス侯爵家は、怪鳥王家から厳しく責任を追及された。
さらに、ペネロペ公爵の実家のシュシュラン公爵家と、セイレーン王家からも正式に抗議をされたのだ。
アルバート公爵とエンダ公爵夫人の父親のパリス侯爵は、平身低頭で謝罪。二家はシュシュラン公爵家に莫大な慰謝料を支払った。
さらに、アルバート公爵自らが責任をとり、公爵の座を降りた。娘のラムダに爵位を譲ったのだ。
ペネロペ公爵は生死の境を彷徨ったが、奇跡の回復を遂げた。
治療に貢献したのが、色使いのリト=ユリジェンヌだ。彼女の青い色炎がなかったら、ペネロペ公爵は亡くなっていたと言われている。
ユリジェンヌ侯爵令嬢とファウバブト公爵は、事件に大きく貢献したとされ、後日怪鳥王家から表彰された。
しかし、ファウバブト公爵は表彰の辞退を申し出た。エンダ公爵夫人が自害してしまったからだ。
けれど、王家はファウバブト公爵を表彰した。エンダ公爵夫人が毒を隠し持っていたのは、王城騎士団の検査が不十分だったという理由から、辞退を退けたのだ。
毒鳥功労祭での出来事は、婦毒の変と名付けられ、史書に爪痕を刻んだ。
◇◇◇
「朝早くにすまないね。ペネロペ公爵を青い色炎で治療してくれ。彼女が目覚めるまでは、ユリジェンヌ侯爵令嬢には帰国しないで欲しい」
事件の翌日の早朝、私はファウバブト公爵に呼び出された。
「君にとっても悪い話じゃないだろう? ペネロペ公爵が死ねば、序列二位のハディッシュ公爵家といえどただでは済まない。ペネロペ公爵が助かれば、ハディッシュ公爵家とシュシュラン公爵家に恩が売れる」
――なんなのこいつ。純粋に助けたいって思考はないわけ?
「君を治療役に推薦した判断は、私の実績にもなる。君は名声を手に入れられる。私たちにとってもウィンウィンだ」
――言われなくても、治してやるわ!
「やります! ペネロペ公爵は私が救います!」
私の声量は、叫び声同然だった。
ファウバブト公爵は満足そうに口角を上げると、机の引き出しからファイルを取り出した。
「これは青い色炎についての資料だ。現在分かっている治癒能力の効能などについて書かれている。ちなみに、青い炎では、変色した蝋燭の燃焼時間は丸一日らしい」
――ええ!? 銀色と虹色の燃焼時間は、炎玉じゃないと一時間なのに!?
「今日から毎日、ペネロペ公爵の病室を訪ねてくれ。完全回復するまで、側にいてやってくれ。婦毒は強力な毒だ。医務官では不十分かもしれない。青い色炎の治癒力と解毒の力に賭けるしかないな」
「あの……。取り調べはまだ終わらないんですか?」
「ああ。昼まではかかりそうだな」
「そうですか……。ところで、取り調べをしながらこの資料を用意したんですか?」
「そうだ。私は焼き付けの魔術のおかげで、色炎の知識も豊富に備えているからな。取り調べも大事だが、人命救助も大切だ。高速筆記魔術を使えば、資料なんてすぐに出来上がる」
――ファウバブト公爵……。色々とぶっ飛びすぎてるわ……。
◇◇◇
その日から、私はペネロペ公爵の元を毎朝訪ねた。
治療室では、医務官が交代で治癒魔法を施していた。しかし、彼らの表情は暗かった。
それだけで、助かる見込みが低いことが分かった。
部屋には、私が来る前から蝋燭が百本用意されていた。
――ペネロペ公爵を助けたい!
強く願い、指を鳴らすと炎は青色に変色した。治療室は、海のように様変わりした。
私はペネロペ公爵を心配するあまり、変色し終わった後も彼女の側に付き添っていた。
眠り続けるペネロペ公爵と、必死に治療を施す医務官を何時間か見つめていた。
それに、ファウバブト公爵以外の貴賓は帰国してしまったのだ。貴賓のほとんどは、毒鳥功労祭がお開きになってすぐに、荷物をまとめて馬車に乗り込んでいた。
話し相手だったマリア公爵もいなくなり、心細くなった私は、ペネロペ公爵の治療室で過ごすことが多くなった。
事件に落ち込む私を、メイドのアトリが励ましてくれた。
彼女は私を王都の観光に連れ出してくれた。夜はリラックスできるようにマッサージをしてくれて、アロマオイルも焚いてくれた。
そのおかげで、私は少し元気になった。
そして、十一月二十八日になった。
ついに、ペネロペ公爵が目を覚ましたのだ。
◇◇◇
意識を取り戻したペネロペ公爵は、私に何度もお礼を言った。
「ユリジェンヌ侯爵令嬢! あなたは命の恩人よ! あなたが困ったときはいつでも手を貸すわ! 恩返しするから気兼ねなく頼ってね!」
「そんな……! 当然のことをしたまでです! 回復なさって、本当に良かったです」
嬉しくて、私は泣いてしまった。ペネロペ公爵は私の頭を優しく撫でてくれた後に、強気な笑みを浮かべた。
「ハディッシュからは、ぶんどってやるわ! 私は兄二人を蹴落として公爵位を手に入れたのよ! 死んでたまるものですか!」
――ペネロペ公爵、メンタル強すぎ……。
私は思わず笑ってしまった。
◇◇◇
ペネロペ公爵が目覚めた翌日、ラムダ公爵が瞳の館を訪ねてきた。彼女はすでに、公爵位を継いでいた。
「父の代わりに、お礼申し上げます。ユリジェンヌ侯爵令嬢のおかげで、ハディッシュ公爵家は首の皮一枚繋がりました。……ペネロペ公爵が亡くなっていたら、どうなっていたか……。ハディッシュ家は、このご恩を一生忘れません!」
真剣な表情で頭を下げられると、私は胸が痛くなった。
――ラムダ公爵……。きっと大変だろうな……。公爵位を継いで、エル公爵夫人の看病までしてるなんて……。一度も泣いてないって聞いたけど、本当なのかな?
「あの……。辛かったですね。しんどいときは、泣いていいんですよ。無理しないでください」
私がそう言うと、ラムダ公爵は急に声を上げて泣き出した。
私はアトリに頼んで、温かい紅茶を用意させた。それを飲むと、しばらくしてラムダ公爵は泣き止んだ。
「私、泣いちゃいけないんです! だって、公爵だもの! 泣いたことは秘密にしてください!」




