ep.62 あなたにドキリ
ササラ公爵は、軽くケイミル公爵夫人の肩を叩いて呼びかけた。しかし、ケイミル公爵夫人は返事をしなかった。目も閉じたままだ。
――ええ!? どうしたの!?
私は焦ったが、チェーザマリーはすぐに椅子から立ち上がって言った。
「すぐにタシュビッツ邸に帰ろう。屋敷にはノワール卿の専属主治医がいる。足以外も診てくれる優秀な医師だとノワール卿が言っていた。病院より屋敷の方が近い」
「オッケー。僕が馬車まで夫人を運ぶよ」
ササラ公爵はケイミル公爵夫人を抱き上げた。
私たちは急遽、タシュビッツ邸へ帰ることになった。
◇◇◇
「ケイミル公爵夫人は大丈夫ですか?」
タシュビッツ邸に着くなり、私たちは夫人を寝室へ運び、医師を呼んだ。
ササラ公爵とチェーザマリー、クレイ侯爵、ノワール卿も心配そうにベッドを囲んでいる。
医師は夫人の脈を取り、しばらく診察を続けていた。
やがて、その表情がふっと緩んだ。
「大丈夫ですよ。おめでたいですね」
「……おめでたい?」
思わず聞き返した。
――何が? ケイミル公爵夫人、倒れたんだけど?
医師は笑った。
「ご懐妊ですよ」
「えっ!?」
思わず夫人を見る。
「倒れたのもその影響でしょう。先ほど回復魔法で処置しましたし、このまま安静にしていれば問題ありません」
――懐妊!?
ササラ公爵たちと顔を見合わせる。
一瞬の沈黙のあと、全員の顔がぱっと明るくなった。
「それはおめでたい」
「病気じゃなくてよかったよ」
「すぐに連絡鳩を飛ばして、リドル公爵に知らせよう。ノワール、行くぞ」
「はい」
クレイ侯爵とノワール卿が足早に部屋を出ていく。
私はもう一度、眠っているケイミル公爵夫人を見た。
「先生。夫人はいつ頃、目を覚ましますか?」
「もう少しすれば目覚めますよ」
その言葉に、ようやく肩の力が抜けた。
――よかった……。きっと、リドル公爵は喜ぶだろうな。
「リドル公爵、喜びそうだな」
「まあ! チェーザマリーもそう思います?」
「ああ。生まれる子どもはどっちに似てるかな?」
「ケイミル公爵夫人に似ても、リドル公爵に似ても、天使みたいな子が生まれそうですね」
私たちが微笑み合ったときだ。ぱちりとケイミル公爵夫人が目を開いた。
「ケイミル公爵夫人! 大丈夫? 気分はどう?」
ササラ公爵が即座に声をかけると、夫人はゆっくりと身を起こした。
「あれ? 皆さん、どうしたの?」
「あなたは食事中に倒れたんですよ! でも、もう大丈夫! 医師が診てくれて、原因は懐妊だって! おめでとう!」
「え? 懐妊……? 赤ちゃんができたの?」
ケイミル公爵夫人は一瞬、呆然とした顔をした。直後、輝くような笑みを浮かべた。
「嬉しいわ! ついに子どもができたのね!」
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
「リドル公爵も、後から来てくれるよ。王城で勤務中だから、ちょっと時間はかかるだろうけど」
「そう……。でも、観光案内中に倒れて申し訳ないわね」
私は慌てて両手を振った。
「そんな……! 気にしないでください! 楽しい観光より、懐妊の方が嬉しいですよ! 観光はまた明日行けばいいですし! ササラ公爵とチェーザマリーと三人で行きます!」
「そうですよ! 無理しないで休んでいてください。……妊娠すると、倒れるくらい大変なのか?」
チェーザマリーが医師に聞くと、医師は落ち着いた口調で答えた。
「フェアリーは体質で、妊娠すると意識を失ったり、吐いてしまう方が多いのですよ。安静にするのが大切です」
――そうなんだ!? 妊娠ってやっぱり大変なんだ……。
「ケイミル公爵夫人、安静にしていてくださいね! あっ! 蝋燭を持ってきましょうか? 銀色の炎にはリラックス効果がありますし」
「ユリジェンヌ侯爵令嬢ってば。優しいわね。ありがとう」
ケイミル公爵夫人は腹部を押さえながら、幸せそうに笑った。
「あの……。やっぱり妊娠って嬉しいんですか? どんな感じですか?」
「それは嬉しいわよ。私はずっと子どもが欲しかったの。それに、跡継ぎを産めば、自分の立場も盤石になるわよ?」
「立場が……盤石?」
「そうよ。私は自分が爵位持ちじゃないもの。だから、自分の立場をばっちり固めたいのよ。子どもを産んで、夫とも仲睦まじく過ごしていれば安心よ」
「……なるほど」
「子どもが生まれなければ養子をとればいいけどね。私は嫌よ。私とリドルの子に公爵になってもらいたいの。女なら誰だって、自分の子どもを跡継ぎにしたいでしょう?」
「えっと……。そうなんですか?」
私が戸惑った声を出すと、ケイミル公爵夫人は不思議そうな顔をした。
「あら。ユリジェンヌ侯爵令嬢は違うの……?」
「……」
私は少し迷ったが、正直に言うことにした。
「実は……。出産が怖いんです。祖母が出産の後遺症で、子どもが産めなくなったって聞いて……。凄く苦しかったらしくて……。だから、結婚したくないんです。貴族は結婚したら、子どもを産まなくちゃいけないし……」
「ええ!? 産みたくないの!?」
ケイミル公爵夫人は驚いた顔をした。チェーザマリーとササラ公爵も同様だった。
――やっぱり、変って思われるかな。
この思いは、今まで誰にも話したことがない。話さない方がよかっただろうか。
私は手をぎゅっと握りしめた。
すると、ケイミル公爵夫人は優しく微笑んだ。
「そっか……。そういう選択もありよね」
――ええ!? いいの!?
「なら、爵位持ちじゃない卿の男性と結婚したら? 卿なら跡継ぎ不要よ。理解のある優しい男性をお相手にするといいわよ。もちろん、無理して結婚する必要はないけどね。少数だけど、独身の貴族もいるし」
「……いいんですか? 私、貴族令嬢なのに?」
「そりゃそうよ。自分の体だもの。産むか産まないかは自分で決めればいいのよ」
――理解されないと思ってたのに……。変だって言われるかと思った……。
「あの……。ありがとうございます」
私は少しだけ、涙が出そうになった。
◇◇◇
深夜になると、リドル公爵が駆けつけてきた。
「ああっ! ケイミル! 懐妊だって!? おめでとう! 体は大丈夫かい? すぐに王都の屋敷に戻ろう! 産休も育休も申請済みだ! 安心してくれ!」
慌ただしく部屋に飛び込むなり、リドル公爵は、ケイミル公爵夫人を抱きしめた。
「子どもの名前は、アイミルはどうかな? 銀色の薔薇の名前だよ? ケイミルと対になるよ? ああ! ベビードレスも仕立てよう! 子どもの部屋やおもちゃも用意しなきゃ!」
「あなたってば。気が早いわ。まだ妊娠十日目らしいわよ? 産まれるのは三ヶ月後よ」
「たった三ヶ月しかないよ! 早く準備しなきゃ!」
――リドル公爵、なんだか可愛いかも。
幸せそうに笑い合うケイミル公爵夫人とリドル公爵を見て、なんだか私まで幸せな気持ちになった。
◇◇◇
次の日、私とチェーザマリーはササラ公爵に案内されて、タシュビッツ観光を再開した。
午前中は秋向日葵園を見て回り、午後はぶどう狩り体験とジュエリー工房見学をした。
最後に、工房が運営するジュエリーショップに来た。
私たちは店長に特別室に案内されて、もてなしを受けていた。
「こちらのスターサファイアのイヤリングは特におすすめですよ。透明感が美しく、ご令嬢のスカイブルーの瞳にも映えるでしょう」
「へえ。そうですか……」
――まずい……。デザインが全部素敵すぎて選べない……!
ベルベットのケースの上には、イヤリングやネックレスなどが整然と並べられていた。
どれも店長のおすすめで、好きなものをお土産にしていいらしい。
――どれにしよー!
私が目を泳がせると、チェーザマリーがハート型のイヤリングを手に取った。
「チェーザマリーはそれをお土産にするんですか?」
「アハハハッ。違うよ。リトに似合いそうだなって思ったんだよ。ほら」
チェーザマリーは私の耳に、軽くイヤリングを当てた。
「やっぱり似合ってるよ。タンザナイトのブルーは、ダークブラウンに映えそうだからね」
チェーザマリーは優しく目元を緩めた。
その表情に、私はどきりとした。
耳に直接触れられたわけでもないのに、少しだけ鼓動が早くなった。
――……なんで?
私は誤魔化すように、ベルベットのケースへ視線を落とした。
――なんか、チェーザマリーって気さくなのに、大人な男性って感じかも……。五百年生きてるからかな?
「えっと……。じゃあ、そのハートのやつにします。チェーザマリーはどれにするんですか?」
「うーん。どれにしようかな。アクセサリーはあまりつけないんだよな」
――そうなんだ……。そういえば、チェーザマリーがアクセサリーつけてるところは見たことないな。
「あっ! これとかよくないですか?」
私は近くにあったブレスレットを手に取った。
「赤サンゴですよ! 色も濃いし、チェーザマリーのターコイズブルーの髪と瞳と相性抜群です! つけてみてください」
チェーザマリーはブレスレットを右手につけると、嬉しそうに笑った。
「そうか。せっかくリトが選んでくれたし、これにするよ」
「ほんとですか? とっても似合ってますよ! 素敵なお土産ですね!」
◇◇◇
「ほんとですか? とっても似合ってますよ! 素敵なお土産ですね!」
「ありがとう。嬉しいよ」
微笑み合う二人を見ながら、僕は心の中で突っ込んでいた。
――やべぇ。恋人にしか見えん。いや、恋人まではいかなくても、"なりかけ"じゃないか?
チェーザマリー公爵がユリジェンヌ侯爵令嬢を見つめる目は優しい。
なんとも思ってない女を、あんな目で見るだろうか?
――友人とか言ってるが、チェーザマリー公爵は、気があるんじゃないか? 友人ポジションから好きな女を狙う気か?
ユリジェンヌ侯爵令嬢は美しく、希少な力を持っている。だが、まだ若い。交際経験だってないはずだ。
魅力的な男たちにアタックされる前に関係を深めておけば、他の男への牽制にもなる。
――チェーザマリー公爵はすすきパーティーで、"結婚する気がある。跡継ぎが欲しい"と言ったらしいな。……公爵夫人にしたいのはユリジェンヌ侯爵令嬢か?
だが、ユリジェンヌ侯爵令嬢は子どもを産みたくないらしい。
僕は心の中で笑った。
――チェーザマリーの奴、どうすんだ? 公爵だから跡継ぎは必要だろ? 養子でも迎えるか? まあ、高みの見物といこうか。
チェーザマリー公爵がユリジェンヌ侯爵令嬢と結婚しようが、しまいがどうでもいい。
――次期宰相と色使いと距離を縮められれば、目的は達成だ。退屈なタシュビッツの試食会に参加したかいがあったな。ケイミルがいなくなった分、密に話せたし。




