ep.36 初めてのチョコレート
「まあ! 本当ですか? なら私、サイモンに行って香水を見てみたいです。ニールを打倒したサイモンの香水が気になりますわ。チェーザマリー公爵の三百年のお話は面白かったですし。あなたの作った香水が見てみたいです」
「ありがとう。いつ空いてる? 首都のサイモン香水の本店を俺が案内するよ」
「チェーザマリー公爵はいつ空いてます? 私、猫だから時間の融通は利きますわよ?」
「明後日の夕方の、四時はどうだ? 仕事が早く終わる日なんだ。ついでに、美味しいレストランで奢るよ。人間界にも美味い食べ物はいっぱいあるからな」
「嬉しいですわ。では、明後日の四時に、本店の前で集合しましょ」
私がチェーザマリー公爵に微笑むと、マスターがチェーザマリー公爵に冷たい視線を送った。
「ユリジェンヌ侯爵令嬢へのナンパは禁止です。マリアンヌ男爵夫人から頼まれてるのでね。友好交流か真剣交際のみ、可能です」
「友好交流だから問題ないよ」
チェーザマリー公爵が笑ったので、私はマスターに微笑んだ。
「マスターがいれば安心ですわね。ナンパ男は追い払ってくれますから」
◇◇◇
サイモン香水本店の見学当日になった。
私は髪を三つ編みに結い、上品な紫色のワンピースを着て本店に向かった。
――楽しみだなー!
賑やかな商店街を抜けてしばらく歩くと、高級店が立ち並ぶ大通りに出た。
――えっと……。確か、サイモンの本店はこの辺りなんだけどな……。
私はきょろきょろと辺りを見回した。
周囲には紙袋を持った身なりの良い女性や男性たちが何人も歩いていた。
私の右手の店には大行列ができていた。店先の大きな看板を見ると、ウルティカと書かれていた。
そして、店からはバニラのような甘い匂いが漂っていた。ほんのりとローズの香りもする。
――なんのお店だろ? 良い香りだな。
そう思ったときだ。後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「ユリジェンヌ侯爵令嬢? ウルティカが気になるのか?」
私は反射的に振り向いた。
「チェーザマリー公爵! ああっ。びっくりしましたわ。こんばんは!」
背後に立っていたのはスーツ姿のチェーザマリー公爵だった。
チェーザマリー公爵はクスリと笑った。
「サイモンの入口で待ってたら、きょろきょろしてるユリジェンヌ侯爵令嬢が見えたんだよ」
「ええ!?」
「ほら。あそこのガラス張りの店がサイモンの本店だ」
チェーザマリー公爵は十メートルくらい先の店を指差した。
そこには、ドーム型で、全面ガラス張りの店があった。
「まあ。あそこですか。おしゃれな外観ですわね」
「サイモンの本店には看板がないから分かりづらかったかな?」
「え? 看板がないんですの?」
「ああ。超有名店だからな。看板を置く必要すらないってのがステータスなのさ」
「へえ。人間界って変わってますわね」
「ところで、ウルティカが気になるんだろ? サイモンに行く前に入ってみるか?」
私ははっとして、右手の店を見た。ウルティカは、よく見るとセピア色の壁と屋根に、細かな薔薇の模様が描かれていた。花屋なのだろうか?
「あの店は、なんの店ですの?」
「チョコレートの店さ」
「チョコ……レート? それはなんですか?」
「カカオっていう実から作るお菓子さ。甘くてビターで美味しいよ」
「ふーん。でも、大行列ですわよ?」
私は目視で人数を大雑把に数えた。七十人近くの人間が並んでいた。
だが、チェーザマリー公爵は余裕のある笑みを浮かべた。
「ああ。ウルティカの店長とは知り合いなんだ。だから顔パスで並ばないで入れる」
「え!? それは凄いですわ。チェーザマリー公爵ってば流石です」
「ありがとう。ところで、俺のことはチェーザマリーって呼んでくれないか? 人間界だと俺は平民だから、公爵呼びはまずい」
「分かりましたわ。では、私のこともユリジェンヌ侯爵令嬢ではなく、リトとお呼びください」
「ああ。俺の知り合いに会ったら、リトは俺の親戚ってことにしよう。じゃあ行こうか」
「はい」
私はチェーザマリーの一歩後ろをついて行くことにした。
ウルティカの正面の扉まで行くと、チェーザマリーは客に声をかけて列の整理をしていたエプロン姿の男性に声をかけた。
「こんばんは。俺の名前はチェーザマリー=アヴェランだ。前にチョコレート香水キャンペーンでこの店舗に来店したんだが……」
店員はチェーザマリーを見ると、はっとした顔をして言った。
「チェーザマリー様。ご来店ありがとうございます。すぐにご案内します。少々お待ち下さい」
そう言うなり、彼は店の中に入っていった。
そして、三分もしないで戻ってくると、私たちに言った。
「お待たせしました。どうぞお入りください。店長にもチェーザマリー様がお見えになったことはお伝えしてあります」
「ありがとう」
チェーザマリーは微笑むと、列の先頭にいる女性に声をかけた。
「すみません。俺たちは店長の関係者でして。お先に失礼します」
「あら。そうなんですね。どうぞ」
チェーザマリーが丁寧に礼をすると、女性は微笑んだ。
チェーザマリーが扉を開けて私を先に店内に入れた。
私たちは、すんなり店内に入れた。
「わあ! 茶色くて可愛い形のお菓子がいっぱいありますわ!」
店内のガラスのショーケースには、薔薇や動物の形をしたチョコレートが美しく並べられていた。
「ショーケースの中のチョコレートを自由に選んで箱詰めしてもらうんだよ。ここには、始めから箱入りの商品は置いてない。ちなみに、箱も好きなやつを選べるぞ」
「へえ。これが人間界の店なんですね」
私が感心すると、チェーザマリーはクスリと笑った。
「いや。普通の店は箱入りのチョコレートしか置いてないぞ? ここは値段が書かれてない高級店さ」
そう言うと、チェーザマリーは近くでチョコレートを並べていた店員に声をかけた。
「すみません。俺はチェーザマリー=アヴェランです。店長に挨拶したいのですが、お忙しいようでしたら、また後日伺うとお伝えください」
店員ははっとした顔をすると、すぐにチェーザマリーに微笑んだ。
「かしこまりました。お伝えしておきます」
言うなり、店員はすぐにバックヤードへ行ってしまった。
――顔パスって、本当なんだ……。
私は感心しながら店内を見渡した。
天井からは、薔薇の形のシェードランプが垂れ下がり、照明はオレンジ色で柔らかだ。
お客さんたちも楽しそうにチョコレートを選んでいる。
「チェーザマリーはよくチョコレートを食べるんですか?」
「ああ。俺は甘いものが好きだからな」
「まあ。そうなんですね」
二人で会話をしていると、バックヤードから茶髪の男性が出てきた。他の店員は黒いエプロンを着ているのに、彼だけは赤いエプロンをつけていた。
彼はチェーザマリーを見た瞬間、にっこりと笑い、私たちの前まで歩いてきた。
「こんばんは。チェーザマリー様。今日はどういったご用件で?」
「こんばんは。カシュ店長。実は、親戚の子に首都を案内してるんだ。ウルティカは外せない名店だからね。寄ったついでに挨拶しようと思って」
男性は嬉しそうに笑った。彼が店長なのだろう。
「それはそれは。ありがとうございます。チェーザマリー様なら、いつでも歓迎です」
「ありがと。ところで、この子はチョコレートが初めてなんだって。何かおすすめはある?」
チェーザマリーが私を手で指し示すと、店長は私に柔らかな笑みを向けた。
「こんばんは。チェーザマリー様のご親戚なんですね。来店してくださって嬉しいです。店長の私がおすすめをご案内しますよ」
「まあ。ありがとうございます」
店長は私を中央の広いショーケースまで丁寧に案内した。
そこには、様々な鳥の形をした精巧なチョコレートが並んでいた。
色も、ピンクから緑色まで様々だ。
「お客様は、甘いものがお好きですか?」
「ええ。好きですわ」
「では、苦味はどうですか?」
「……あんまり好きじゃありませんわ。苦い飲み物は、砂糖を入れないと飲めないくらいです」




