ep.34 初恋と王女様の危機
◇◇◇
僕がソファに座ると、ディスシーン卿は鞄から、ネイルチップの見本が五種類入ったファイルを取り出した。
「はい。好きなの選んでね」
――どれにしようかな……。
見本には、薔薇柄、豹柄のネイルなど、美しいネイルチップが並んでいた。
僕はなんとなく、ちらりと周囲を見た。先ほどダンスタイムが始まったので、招待客は皆、踊っている。ソファに座っているのは、ディスシーン卿と僕だけだった。
「じゃあ……。この花のネイルにします。蔓模様が素敵なので」
「分かったわ! じゃあ、両手を出してね」
僕は両手をテーブルの上に置いた。
テーブルの上には、マニキュアや筆、爪やすりなどが並んでいた。
ディスシーン卿は、爪やすりなどを使って、まずは爪の形を整えてくれた。
――へえ。こするだけで、爪ってこんなに綺麗になるんだな。
僕は素直に感心した。
次に、ディスシーン卿は、筆を使って透明な液体を僕の爪に塗り始めた。
「この透明な液体はなんですか?」
ディスシーン卿は塗りながら答えた。
「これはベースコートよ。下地みたいなものね。塗ると爪の凹凸もなくなるのよ」
「へえ……」
「ところであなた、ネイルは初めてなの?」
「ええ。そうなんです。ところで、ディスシーン卿はなぜネイリストになったんですか?」
「侯爵になりたくなかったし。ネイル大好きだったから」
――はあ? 侯爵になりたくないだと?
さらっと言われた一言が、僕には理解できなかった。
「私は四人兄妹で、上に兄が三人いるんだけどね。私がネイリストになるって言ったら、家族は皆賛成してくれたわ」
――そりゃそうだろうな。競争相手が一人いなくなるんだから。……ていうか、ライバルが三人しかいないのに侯爵を目指さないとか、腰抜けか? 最初から侯爵位は諦めたのか? なら負け犬だな。
ディスシーン卿は、ネイルをしながら身の上話をしてくれた。
ディスシーン卿は、五歳のときに初めてネイルをした。そのときに、あまりの可愛さに衝撃を受けたらしい。
以来、子ども用のマニキュアを塗っては、自分の爪に塗って遊んでいた。しかし、本格的に学びたくなり、ドラゴンの国一番のネイル人気店で十歳から修行を始めたそうだ。
猛勉強とたゆまぬ努力により、ディスシーン卿は三十歳で店一番人気のネイリストになった。だが、他国のデザインを学びたくなり、グリフィンの国の名店に移籍して、二十年間修行を積んだらしい。
僕は、衝撃を受けながらその話を聞いていた。
――つまり、四十年もネイル修行をしてるのか? 彼女にとっては、爵位を継げないことは烙印じゃないんだ……。ディスシーン卿は誇りをもって仕事をしているのか。こういう生き方もあるんだ。……なんてかっこいいんだ……。
彼女を負け犬だと思った自分が、恥ずかしくなった。
「はい! できたよ! 完成!」
話をしている内に、ネイルが終わった。
――なんて美しいんだ……!
完成した爪を見て、僕は息を呑んだ。
それはまるで、爪の上に名画がのっているようだった。
複雑に絡み合う蔓模様は芸術的。花びらは本物のような艶を持ち、見ただけで柔らかな感触なのだろうと分かる。
自分の爪を見て、初めて気分が高揚した。
――これが修行の成果なのか! 彼女は天才だ!
「素敵です。ありがとうございます」
僕が心からお礼を言うと、彼女は嬉しそうに笑った。その笑みは、職人としての達成感と誇りに満ちていた。
――なんてかっこいいんだ……。
僕は生まれて初めて恋に落ちた。
◇◇◇
恋に落ちてから、僕は占星魔術と仕事により一層打ち込んだ。
――僕はディスシーン卿と結婚したい! 将来、公爵になって求婚したら喜んでくれるはずだ!
僕はディスシーン卿に会いたくて、何度もネイルを予約した。予約は通常なら困難だったが、公爵家の権力と、自分の立場を使って予約枠を獲得した。
それに、美しい男女にネイルをすることが大好きなディスシーン卿は、喜んでネイルをしてくれた。
僕はネイルの施術時間に彼女と沢山お喋りをして、友人になることに成功した。
――恋心がばれたら、ディスシーンは僕をどう思うかな? 彼女はネイルにしか興味ないし、恋愛への関心はゼロだ。ひとまず、この友人関係を維持したい! 恋心がばれて、公爵になる前に振られたら嫌だ!
そう思った僕は、欺きの魔術で自分を騙した。
――ディスシーン卿には惚れてない。彼女はただの友人だ。
自分に暗示をかけて、彼女に会った。この程度の欺きの魔術であれば、体に負荷もかからなった。
――公爵になって、もっと実績を積んだら告白しよう! 身分も地位も実績もあれば、振られないはずだ。なんていったって、公爵夫人になれるんだし……!
そんなことを考えていた矢先、事件が起こった。
元々病弱だった第二王女の容態が悪化したのだ。
彼女は高熱を出して、毎晩苦しむようになった。
「第二王女様は長くないかもしれません」
そう、大医に告げられた竜王は激怒した。
「なんとしても治せ! ムーンは私の愛する娘だ!」
第二王女は、竜王からの寵愛を最も受けていた子どもだったのだ。
しかし、病状は悪化するばかりだった。
そんなときに、僕は第三王子に呼び出されて頼み込まれた。
「頼む! 星の力でムーンを救ってやってくれ! 可愛い妹なんだ! 昔から、『アメシストお兄様読み聞かせして!』って甘えられてたんだ。あいつが死んだら耐えられない。妹と争いたくなくて、後継者争いから降りたのもあるんだ」
「分かりました。ベストを尽くします!」
――苦しんでいる王女様を救いたい! それに、成功すれば王家に恩が売れる! 公爵の夢に近づく! やるぞ!
僕は決心した。
◇◇◇
まずは、ベラに聞いた。
――第二王女様の病は、どうしたら治るのか? そもそも治るのか?
すると、ベラは囁いた。
――それは教えられない。だが、薬草で治る。
――薬草?
不思議に思った僕は、質問の仕方を変えてみることにした。
――それはドラゴンの国の固有種の薬草か?
ベラは今度は答えてくれた。
――そうだ。アマ地方に生えている。
――アマ地方の固有種の薬草ってことか。
僕はさらにベラに聞いた。
――その薬草は、苦いのか? 辛いのか? 甘いのか? 酸っぱいのか?
ややあって、ベラは答えた。
――苦い。
僕はさらに対象を絞ることにした。
――その薬草は、明るい色をしているか? 暗い色をしているか?
――明るい色をしている。
――赤、黄色、緑、この三種類の色に薬草は該当するか?
――する。黄色の薬草だ。
――風邪薬に使われるか?
――使われない。
――解熱作用はあるのか?
――ある。
僕は歓喜した。
――つまり、第二王女の病は薬草で治る。それはアマ地方の薬草で、苦くて黄色い薬草。しかも、風邪薬には使われないが、解熱作用がある薬草だ!
僕はすぐに、竜王に報告に行った。
竜王は即、医療チームを編成して、アマ地方の薬草を調べさせた。すると、該当する薬草が五種類あった。
薬草が見つかった晩、僕はベラに質問をした。
――この五種類の中に、第二王女を治す薬草はあるか?
ベラは囁いた。
――ある。しかし、どれかは教えられない。
深夜だったが、僕は竜王に占星魔術の結果を報告しに行った。
竜王は喜び、その日からどの薬草が効くのか研究が行われた。
そして、五種類の内、ピルとテルーという名前の薬草が病に効くと分かった。
ピルとテルーとその他の薬剤を調合し、新薬が作られた。その新薬で第二王女は回復した。しかも第二王女は、ドラゴンの姿に変化して、空を飛べるようになったのだ。
竜王も、王妃も第三王子も皇太子も第四王子も、これには喜んだ。
盛大な回復祝いの宴が開かれた翌日、僕は竜王に呼び出された。竜王の座る玉座の隣には、第二王女がいた。
竜王は満面の笑みを浮かべて僕に言った。
「褒美をやろう。何がいい?」




