ep.130 兄妹の幸せとヴァンパイア魔王の苦悩
◇◇◇
それから十年後――。
「チェーザレお兄さま! 今日はどこに行かれるのですか?」
身支度を整えて部屋を出ると、廊下の向こうからセツナが駆け寄ってきた。
僕はセツナに笑いかけた。
「おはよう! セツナ。今日から花人魚の国に行くのさ」
「花人魚の国へ?」
セツナは可愛らしく小首を傾げた。
「ああ。タシュビッツ領に行くんだ。領主のクレイ侯爵の兄、ノワール卿の足を治療するんだよ」
「まあ! タシュビッツですか! クレイ侯爵にならお会いしたことありますわよ! 頭が切れる商売人の女性って感じでした!」
「そうか。セツナは今日はどこに行くんだ? ずいぶんめかしこんでるじゃないか?」
「シトリン侯爵とデートです! 昨日、彼がヴァンパイアの国に到着したんですよ!」
「そうか。楽しんでね。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ!」
僕はひらりと手を振ると、螺旋階段を下り始めた。
◇◇◇
色使いとして覚醒してから、色々なことがあった。
まず、カノン領地から帰国するなり、治療の申し込みが殺到した。
魔界には、不治の病や治療が難しい病がまだまだ沢山ある。
灰色の色炎は、それら全てを治すことができたのだ。
折れた足を焼けば、足はたちまち元に戻り、重い心臓病に苦しむ者を焼けば、心臓が健全な動き方をするようになった。
当然、僕は各国から引っ張りだこになった。
青い色炎と灰色の色炎によって、気づいたら僕は医者扱いされるようになっていた。
――病に苦しむ魔族を助けたい!
強く思った僕は、就くはずだった寝室侍従の仕事を辞退した。そして、各国を駆け回るようになった。
灰色の色炎は二日に一回生み出すことができる力だったので、僕は多くの魔族を救うことができた。
身分制度の関係で、どうしても貴族優先にはなってしまうが、平民にも治療を施した。
医者として充実した日々を過ごしている内に、ある日ふと気づいた。
――公爵になる必要、なくないか?
各国を馬車で駆け回る僕は、移動に大量の時間を使う。公爵になれば、社交や領地管理に時間を割かなければならない。
その時間があれば、苦しむ患者をより多く救うことができる。
十五歳になった頃、僕は公爵位継承戦を辞退した。
あれだけ公爵になりたかったのに、自分からやめるなんて不思議な話だ。
意外なことに、セツナも継承争いを辞退してしまった。
ワルシャワ公爵家の爵位継承者はアヤナお姉さまだけになり、後継者の座はアヤナお姉さまのものになった。
◇◇◇
「セツナ、俺と結婚してください!」
「喜んで、シトリン侯爵!」
私は笑顔で赤薔薇の花束を受け取った。
花束を抱きしめると、ドラゴンレッドローズの甘い香りが鼻先をかすめた。
「結婚したら、セツナは侯爵夫人だよ。でも、本当にワルシャワ公爵にならなくていいのかい?」
シトリン侯爵はクスリと笑った。
「もー! からかってるのね!」
私はほおを膨らませて、そっぽを向いた。
「五年前に、爵位継承戦は辞退しました! アヤナお姉さまってば、強すぎるんだもの。それに、政治と社交の泥沼の世界は、私には難易度高すぎたわ! 公爵なんて、無理!」
「……今なら我がメイズ侯爵家が力になってあげられるよ?」
シトリン侯爵は悪戯っぽく笑った。私が公爵になる気がないと分かった上で言っているのだ。
「昔の私は、劣等感の塊だったのよ。姉妹は皆特別な存在だし……。
特に、爵位継承争いのライバルのアヤナお姉さまのこと、憎んでたわ……。
でもね、気づいたの。私は私のままで良いんだって。無理して公爵になる必要ないってね。
ワルシャワ公爵への要求水準、高すぎよ! 公爵になるなんて無理!」
「それはそうだ。ワルシャワは世界有数の権門だからね」
「うん……。それにね、アヤナお姉さまってば、私のこと大好きなのよ。マラリアで死にかけて生還したとき、号泣してたわ。
その日は一緒に入浴したんだけどね。お姉さまの涙でバスタブがいっぱいになりそうだったわ」
私は思い出して、クスリと笑ってしまった。あの日は、あんまり泣いてばかりいるから、水鉄砲で遊ぼうなどと提案してしまったのだ。
「私、アヤナお姉さまに嫉妬するばかりだったのよ。でも、お姉さまが私のことをこんなに愛してるって分かって、嫉妬がどっかいっちゃった!」
「そうか。助かって本当に良かったよ……。じゃなきゃ、こうして君に出会えなかったからね」
シトリン侯爵は荒っぽく私を抱きしめた。
本気で言っているのが伝わってきて、自然と笑みがこぼれた。
「あなたに『俺にとって世界一美しくて魅力的なレディはセツナです』って告白されたときはびっくりしたわ。それ、アヤナお姉さまだと思ってたから」
「アヤナ公爵夫人は魅力的だが……俺にとっては君が一番だよ!」
「嬉しい! ありがとう! そうだ! 来週の全魔界ピアノコンテストには絶対に来てね! 今年こそ、世界一位になるんだから!」
「もちろんだよ。でも、毎年二位でも十分凄いよ。コンテスト結果がどうであれ、俺にとって世界一美しい音色はセツナの奏でる音さ」
「ありがとう!」
私たちは笑い合った。
◇◇◇
側近が青い顔で俺の執務室に駆けこんで来た。
「大変です! ヴァンパイアの魔王様! ワルシャワが……ワルシャワが!」
俺は持っていたペンを置き、即座に身構えた。
「なんだ!? ワルシャワがどうした!? 今度はなんなんだ!」
側近は倒れそうな顔で告げた。
「セツナとチェーザレがそれぞれ結婚するんですよ!」
「くそ……! 何年も前のデジャヴだ! ついに結婚か! で、相手は誰なんだ? いや待て、セツナの相手はシトリン=デ=メイズ侯爵か? 一年前から交際していた気がするが……」
「おっしゃる通りです!」
「まじかよ。ワルシャワはどんだけジュエルドラゴンと結婚するんだ。どこまでドラゴンの国にパイプを作るんだよ」
「次女のエンナ竜王妃様と三女のルージュナ親王妃様に続いて、末っ子のセツナまでドラゴンの国に嫁入りです」
「だが、メイズ侯爵家はドラゴンの侯爵家中、序列は二位だ。ワルシャワにしては平凡な嫁ぎ先だな」
「魔王様! ワルシャワが強い婚姻ばっかりするから、基準がおかしくなってます! 侯爵夫人は十分上澄みです!」
「……お前の言う通りだよ」
俺は盛大なため息をついた。
「で、チェーザレの結婚相手は誰なんだよ? あいつ、医療一筋だろ? 大量の縁談を断り続けていたが?」
側近は叫び声を上げた。
「お相手が、クレイ=デ=タシュビッツ侯爵です! チェーザレは半年前にクレイの兄のノワール卿の足を治しに行ったでしょう?
そのときに親密になり、二人は恋に落ちたとか。結婚式は半年後です」
「なにぃ! タシュビッツだと? あれは花人魚の国一番の大富豪だぞ!
ワルシャワめ! 宰相ポジションに飽き足らずに竜王家と婚姻したばかりか、魔油まで獲得したくせに……! 次は財力か!?
どれだけ俺を脅かせば気が済む!?」
「魔王様! 落ちついて! 今のところ、アヤナもチェーザマリーも忠実です!」
「良い臣下と忠実な臣下は別だ……くそお! ワルシャワ家はどれだけ権力拡大すれば気が済むんだ?」
頭を押さえたときだ。
――コンコン。
扉をノックする音が響いた。
「魔王様、アヤナ公爵夫人がいらっしゃいました」
「何!? アヤナが? 通しなさい」
命じると、ほどなくしてアヤナが姿を現した。
「魔王様にご挨拶いたします」
「やあ。よく来てくれたね。用件はなんだい?」
先ほどまでのやりとりが存在しなかったかのように、俺は明るい笑顔を向けた。
魔王とはいえ、ワルシャワ一族の者には、好意的に接する必要がある。最悪なことに、魔王の俺ですら気を使わざるを得ない家門だからだ。
「実は、甥のカリヌス=デ=アーチャーから、魔王様への贈り物と文を持って参りました」




