ep.129 決着
そして、気づいてしまった。右手が燃えていないことに。炎なのに、ひんやりと冷たい異常さに。
呆然としていると、セツナに治癒魔法を施していた医師が声を上げた。
「それは……伝説の灰色の色炎では!?」
「灰色の色炎……? 伝説?」
「ええ! 史上二人目の色使い、サラン=デ=バレードリ子爵が操った色炎ですよ! その炎で体を焼けば、どんな病も治せると言われています!」
「体を焼く!? 炎で!?」
僕ははっとした。
右手は火傷していない、炎は冷たいではないか。
「なんだって!? チェーザレ! 今すぐセツナを焼いてくれ!」
父上が声を上げた。
ギョクリンお兄さまとアヤナお姉さまと母上の顔つきも変わった。全員が、縋るような目で僕を見つめてくる。
ハノン公爵と研究者だけが、呆然としていた。
「さあ! 早く! セツナ様の胸に、右手を当ててください!」
そう言うなり、医師は治癒魔法を解除して、セツナの胸元から手を離した。
その瞬間、医師の手が放っていた治癒魔法の青白い光は消えた。しかし、僕の右手はわずかに灰色の鈍い輝きを放っている。
僕は夢中でセツナの胸に右手を当てた。
灰色の色炎は、瞬きする間もなく、一瞬で燃え上がった。その炎は、セツナの全身を包みこんだ。
それなのに、セツナはどこも火傷していない。肌も白いままだ。髪の毛や服が燃える気配もない。
――炎の中で、セツナが眠っている……。
その幻想的な光景に、僕は思わず魅入られてしまった。
誰もが固唾を飲んで見守り、部屋には炎が燃えるパチパチとした音だけが鳴っていた。
やがて、三十秒ほどが経過した。
突然、セツナがパチリと瞼を開いた。
その瞬間、灰色の色炎は消えた。一瞬でかき消えたのだ。
「チェーザレお兄さま……?」
セツナはきょとんとした顔で僕を見つめた。
今まで青白かった顔には、健康的な赤みがさしていた。
「セツナ! ああ! 良かった!」
僕は胸元から手を離し、セツナを抱きしめた。
涙がとめどなく両目から溢れた。
◇◇◇
僕たちはセツナを順番に抱きしめると、今までの出来事を詳しく説明した。
「嘘……私、マラリアだったの? 治っちゃったの?」
セツナはぽかんとした直後、僕をじっと見つめた。
「チェーザレお兄さま、ありがとう……」
「良いんだよ! セツナが治って、本当に良かったよ」
僕はセツナに微笑んだ。セツナは弾けんばかりの笑顔を向けてくれた。
「お兄さま! 凄い! 史上八人目の色使いだよ!」
「本当に凄いわ……チェーザレ!」
「よくやったな!」
家族も口々に僕を褒めてくれた。皆で喜びを噛みしめた。
気づいたら、遠巻きに眺めていた医師と研究者も涙を流していた。
すると、研究者の隣に立っていたハノン公爵が歩み寄って来た。
「いや……驚いて呆然としてしましたが……。これは大事件ですよ……。それより……」
ハノン公爵は一拍置いて、父上に微笑んだ。
「マラリアが本当に治ったか、念の為検査をしましょう」
「ああ! そうだな!」
「すぐに血液検査をしましょう。魔力の検査もしなくては! キットを取ってまいります!」
研究者はそう言うと、早足で退出した。
扉が閉まると、ハノン公爵は笑顔で僕の肩を叩いた。
「素晴らしい覚醒だよ。セツナが助かって、俺も嬉しいよ」
ハノン公爵は目を細めた。その銀色の瞳の奥底を見た瞬間、僕は気づいてしまった。
――ハノン公爵……。あなたは、セツナに死んで欲しかったのですね……。
ハノン公爵は嬉しそうに笑っている。しかし、その瞳は、全く笑っていなかった。
その黒い瞳孔の奥に、怒りと憎しみを感じた。
それは、間違いなく僕にも向けられていた。
◇◇◇
その後の検査で、マラリアが完治したことが判明した。
僕たちは大いに沸き、喜びを噛み締めた。
「セツナ、回復おめでとう。チェーザレも覚醒おめでとう」
ハノン公爵はそう言って、ごちそうを用意してくれた。
翌日には、セツナは元気に庭園を駆け回るようになった。
もう一つ嬉しいことがあった。
母上と一緒に、炎を変色させて色炎の力を確かめると、僕が青色の色炎まで使えることが判明したのだ。
しかし、ずっと喜んではいられなかった。
回復から三日が経つと、父上がセツナに厳しい説教を始めたのだ。アヤナお姉さまとハノン公爵に失礼なことを言った件についてだった。
セツナは自分から二人に謝りに行った。
ハノン公爵は意外なことに、あっさり許していた。アヤナお姉さまは特に咎めることなく許していた。
こうして、僕とセツナの失言の件は決着した。
四日目になると、父上と母上は帰国した。
父上には宰相と公爵としての仕事があるからだ。
それから何日も経ち、八月三十日になると、僕たちは船に乗り込んだ。ヴァンパイアの国に帰るからだ。
「王城見学から魔油の森まで、色々な体験をさせて頂き、ありがとうございました」
見送りに来てくれたハノン公爵に、僕とセツナは丁寧に頭を下げた。
アヤナお姉さまとギョクリンお兄さまも、何度もお礼を言っていた。
「いいよいいよ。楽しんでくれて嬉しかったよ」
そう言って、ハノン公爵は僕たちを送り出してくれた。
◇◇◇
時は少し遡り――セツナが灰色の色炎で回復した夜になる。
オオムラサキの私は羽をパタパタさせて、主の怒りを宥めていた。
「ハノン公爵! 落ちついてください!」
「落ちつけるわけないな……。不愉快極まりない! セツナは完治して、チェーザレは史上八人目の色使いに覚醒! 計画は狂った! 最悪の結末だ」
ハノン公爵は怒鳴り声を上げた。その迫力に、私の羽はぶるりと震えた。
「……では、別の手段でセツナを暗殺しましょうか?」
私が聞くと、ハノン公爵は急に苦い顔をした。
「いや……しないよ。もう、双子は殺さない」
「ええ!? なんでですか!?」
「……アヤナが泣いていたからさ。双子は潰したいが、俺はアヤナを泣かせたくない。あのガキが死ねば、アヤナを泣かせてしまう」
――理由、それ? ハノン公爵の倫理のストップラインって、アヤナ公爵夫人ですか……。
だが、ハノン公爵は暗い笑みを浮かべた。
「チェーザレはますます排除しづらくなったが……まあ、良い。やれることをやるだけさ。だが、攻撃するならセツナの方がやりやすいかな?」
――うわあ……。子ども相手に黒……。容赦なさすぎ。
ドン引きしていると、急にハノン公爵は優しい笑みを浮かべた。
「休み明けに、ヴァンパイアの国と会談がある。俺はカノン領主として、魔油の販売についてヴァンパイアたちと交渉する。
できるだけ、アヤナとグリフィンの国益になるように尽力するつもりさ。双子を攻撃するより、アヤナを直接支持した方が効率が良い」
「……暗殺がショートカットコースっていう独自理論はなくなったんですね」
「アヤナが泣くからな。ていうか、セツナを危篤にさせたら、チェーザレに灰色の色炎で救命されてしまう。チェーザレだって、なんかあったら自分の色炎でなんとかするだろ?」
「でしょうね」
「非効率だし、暗殺は止めだ。ひとまずチェーザレは様子見だ。史上八人目の色使いだなんて、影響力が大きすぎるからな」
ハノン公爵はため息をついた。
「早くアヤナを公爵にしてやりたいよ……。俺はアヤナの望みを叶えたいんだ」
――歪んだ愛情表現ですね……。
でも、仕方ないかもしれない。ハノン公爵は血みどろの公爵家を生き抜いた男だ。
冷え切った環境で育った彼には、健全な愛し方なんて分からないのかもしれない。
聞いた話だと、両親に抱きしめられたことが無いらしい。
――そういえば、ハノン公爵はなんでアヤナ公爵夫人に惚れたんだ? ……いや、不機嫌の真っ只中だし、聞くのは止めておこう。
心の中で何度も頷いたときだ。
――コンコン。
扉をノックする音がして、アヤナ公爵夫人が寝室に入ってきた。
「ハノン! お待たせ! セツナと浴場で遊んでたら、遅くなっちゃった。入浴してたら、水鉄砲戦争に発展しちゃったわ」
「全然待ってないよ。楽しかったなら何よりさ」
ハノン公爵は優しく笑った。
アヤナ公爵夫人を見つめるその瞳は、先ほどとは同一人物とは思えないほどに、愛情に満ちている。
アヤナ公爵夫人はハノン公爵に抱きついた。
ハノン公爵は抱きとめると、夫人に口づけた。
――早く機嫌、直んないかな? アヤナ公爵夫人が来たし、ひとまず今晩は大丈夫だな。
私はベッドの影に隠れて、ハノン公爵が彼女を押し倒す様子を眺めていた。
――さて、お邪魔虫は退出するか。
開いた窓の隙間から出ていこうとしたときだ。
「あなた、セツナに死んで欲しかったんでしょう?」
アヤナ公爵夫人の冷たい声に、私は振り返った。
彼女は非難がましい眼差しでハノン公爵を見上げていた。
「チェーザレが色使いになったのも嫌なんでしょう? 今日、ずっと不機嫌よ?」
「そんなことないよ」
「嘘! 本当は、セツナがマラリアになったときから、ずっと喜んでたんでしょう?」
「バレてたか……。せっかく不幸な事故でライバルが消えるとこだったのに。アヤナはなんで喜ばないんだい?」
ハノン公爵はあっさり認めると、冷たい声を出した。
「……そんな顔しないで。セツナは私の大事な妹よ」
「でも、公爵になるなら障害だよ。いやむしろ、チェーザレの方が障害だな」
「私だって、公爵になりたいから複雑な気持ちはあるわ! でも、公爵になってみせる! 競争と愛情は別よ!」
「そうか……俺にできることはなんでもするよ。必要なら頼ってくれ」
「あなたも、困ったら私を頼ってよね! 私たち、夫婦なんだから」
「……ありがとう。嬉しいよ」
アヤナ公爵夫人がハノン公爵の頬を両手で包み込むと、ハノン公爵は心から嬉しそうに笑った。
その笑顔を見届けると、私はそっと窓から出た。
――良い奥様を持てて、良かったですね。
他の蝶仲間から聞いた話では、アヤナ公爵夫人は利益のためにハノン公爵と結婚したらしい。
ハノン公爵自身が、「アヤナは俺を愛してないけど、それで良い」と言っていたそうだ。
しかし、彼女の瞳は愛情に満ちているように見える。
私はなんとなく、ハノン公爵が彼女に惚れ込んでいる理由が分かった気がした。




