ep.128 悪意と覚醒の瞬間
◇◇◇
「息子が無礼を働き、申し訳ありませんでした!」
父上は僕の代わりに頭を下げていた。その姿に、胸が痛くなった。
ギョクリンお兄さまから事の次第を聞くなり、父上は一瞬で顔色を変えた。
僕は説教をされ、父上に連れられて、ハノン公爵の元に再度謝罪させられに来ていた。
部屋には、ソファに座るハノン公爵と、立ったまま謝罪する父上と僕の三人だけだ。
「チェーザマリー公爵に頭を下げられる筋合いはないかと。不愉快な発言をしたのはあなたの令息なのでね」
冷え切った目でハノン公爵に見られ、僕は頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
ハノン公爵は僕から目を逸らすと、父上に微笑んだ。
「チェーザレの言う通りかもしれませんね。わざわざ向日葵園を貸し切らない方が良かったかも。
王城にも連れて行かない方が良かったかもしれない。
蚊が多い魔油の森に連れて行こうとしたことなんて論外。
そもそも、屋敷に招待しなきゃ良かったかな? 俺なりの親切だったんだけど。余計なことをしたね」
ハノン公爵の一言一言が、僕を刺した。
「そこまで親切にして頂いたのに、不愉快にさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
――宰相の父上が、こんなに謝るなんて……。
父上が顔を上げると、ハノン公爵は笑顔でソファを指し示した。
「二人とも、座ると良いよ。立たせたままなんて悪いからね」
僕と父上が並んで腰掛けると、ハノン公爵は笑顔を消し、別人のように冷たい顔をした。
「十歳になれば、分別がつくだろう。ワルシャワ家のしつけがなってないんじゃない?
最も、アヤナもギョクリンも素晴らしい後継者だから、チェーザレの資質と性格の問題かもしれないね」
「……息子にはよく言って聞かせます」
「失言をする前に、言って聞かせておくべきじゃない? 君の教育スタンスは、事後処理だったのか?」
「……本当に申し訳ありません」
「あまり恩着せがましい言い方はしたくないが……。俺はこんなにもてなしたんだよ?
セツナのことは不幸な事故だったけどね。俺のせいにされたのは、好意を蔑ろにされたみたいで嫌だな」
「おっしゃる通りです。こんなに厚遇されたのに……。息子が礼儀知らずなのです。どうか、広い心でお許しを」
いたたまれなくなり、僕は膝の上で強く両手を握りしめた。
すると、ハノン公爵が僕を見た。
「ところでチェーザレは、公爵になりたいのかい?」
――な!? なんで今、そんな話を!?
僕は即座に気づいた。
この場でなりたいと言えば、最高に気まずいことに。
――どうしよう……。父上には、公爵になりたいですって伝えてしまっている……。
「なりたいです……」
僕は蚊のなくような声で答えた。
すると、ハノン公爵は馬鹿にしたように笑った。
「へぇ。これがワルシャワ家の後継者レースですか」
僕は唇を噛んだ。すると、父上が口を開いた。
「誰でも、失敗は犯します。今回、息子は絶対にしてはいけない失敗をしました。
失敗を教えて正すのが親の役目だと思っています。俺に免じてお許しください。よく言い聞かせますから」
「……そうか。なら、もしセツナが目覚めたら、セツナにも言って聞かせてあげてくれないか?」
「……セツナに?」
ハノン公爵はゆったりと足を組み替えると、冷たく笑った。
「セツナは姉への礼儀を知らないようです。
アヤナが宰相になるとワルシャワは警戒されるから、自分が公爵に相応しい、アヤナはヴァンパイアの魔王様から嫌われている……というようなことを食事の席で言っていました」
「なんだって!?」
父上はぎょっとした顔をした。
――は? ハノン公爵は突然、何を言い出すんだ?
セツナはマラリアで苦しんで寝てるんだぞ!?
「俺も言われましたよ。俺が魔油の採掘権を分けたから、アヤナはますますヴァンパイアの魔王様に嫌われたとね」
「……セツナが、そんなことを言ったのですか? 本当に?」
「そうだよ。ギョクリンとアヤナに確認したら? その場にいたからさ。そのときは聞き流したけどね。実は、内心では不愉快だったんだ」
「……すぐにアヤナとギョクリンに確認します」
「そうか。でも、話はセツナが元気になってからにしておやり。俺は苛立ったけど、それと義妹の回復を願う気持ちは別だよ」
ハノン公爵は冷たい表情から一転、優しい笑みを浮かべた。
「まだ回復の兆しは見えませんが。青い色炎もありますし、専門家もついてます。俺にできることがあれば何でもしますので、気兼ねなく頼ってください」
「……ありがとうございます」
父は深々と頭を下げた。すると、ハノン公爵は僕に微笑んだ。
「チェーザマリー公爵とアヤナに免じて、今回のことは水に流すよ。忘れるから、もう気にしないでくれ」
◇◇◇
部屋を出て回廊を歩き始めると、父上は急に優しい声を出した。
「今回の感情的な失言は問題だが……。失敗は誰でもするものだ」
――え?
俯いていた僕は顔を上げた。
父上は微笑んでいた。
「一度した失敗は、二度としないようにしなさい。でも、沢山失敗していいよ。してはいけない失敗も世の中には沢山あるけど……。
失敗から学べることも沢山ある。何か問題が起きたら、父親の俺も対処する。過剰に自分を責めすぎないようにね」
「……ありがとうございます。父上」
僕は泣き出してしまった。父上は頭を撫でてくれた。
「セツナが心配だったんだな。リトもついてる。きっと良くなるよ……」
「はい……」
僕が泣き止むと、父上は辺りを見回した。そして、誰もいないことを確認すると、声を潜めた。
「悪意ある者の前では、発言に慎重になりなさい。今回のように揚げ足をとられるからね」
「悪意……?」
父上は急に視線を鋭くした。
僕ははっとした。父上が公爵と宰相の顔をしていたからだ。
「そうだ。気づいていないのか? ハノン公爵がチェーザレとセツナを疎んじていることに。いや、攻撃したがっていることに」
「……どういうことですか?」
「ハノン公爵はアヤナのためなら何でもやる男だ。アヤナが公爵になりたいなら、チェーザレとセツナは邪魔だ。いくらでも引きずり降ろそうとしてくるだろうね」
「ハノン公爵が僕たちを? こんなにもてなしてくれたのに」
「心の中と表面的な態度は、必ずしも一致しない。……ハノン公爵に招待されて親密に過ごせば、そういうことに気づくかと思ったんだが」
僕はびくりとした。これは、減点されたときの顔だ。
急に、僕は違和感に気づいた。
グリフィンの魔王様とお茶をしたときのハノン公爵――あのときの発言が、今になって妙に引っかかる。
――まさか、セツナに恥をかかせた? 無理して覚えなくていいってのもわざと?
「公爵になるなら、相手を見抜かないといけないよ。悪意ある者の前では、特に言動に気をつけなさい。細心の注意を払うように」
「……はい」
急に、父上は渋い顔をした。
「それにしても……。今回は相手が悪すぎる。ハノン公爵はワルシャワだろうと気を使う権力者だ。子どもの相手にはきついな」
そこまで言うと、急に、試すような眼差しを向けてきた。
「公爵になるということは、ああいう大物とも渡り合うということだ。分かったかい? ワルシャワだからと普段からもてはやされるのとは、別物なんだよ」
――公爵になるって、こんなに大変なことだったんだ……。
◇◇◇
八月十四日の黄昏時になった。
広い窓から差し込む光が、部屋をぼんやりとオレンジ色に染め上げていた。
青色の色炎が染め上げた青い空間と、夕焼けの赤色がわずかに混じり合っている。
部屋には沈黙だけが落ちていた。
母上の青色の色炎のおかげで、セツナの熱は下がった。
しかし、その呼吸は荒く、目を覚まさないままだ。
刺されてから、すでに九日目になっていた。
家族全員でセツナに付き添っていると、ハノン公爵と研究者が暗い顔で部屋に入ってきた。
研究者は静かな声で父上に告げた。
「血液中のマラリアの量を調べたところ、致死量に達しています。明日まで持つかどうか分かりません……。お心の準備をされた方が良いかと……」
「なんてことだ……ああ! セツナ!」
父上はセツナの片手を両手で包みこんだ。その両目は潤んでいた。
「セツナ……親より先に逝ってはだめです……」
母上がそう言って泣きながら崩れ落ちると、ギョクリンお兄さまが母上の肩を支えた。しかし、お兄さまも泣きそうだ。
アヤナお姉さまも泣き出してしまった。
「セツナ……まだこんなに幼いのに……死なないでちょうだい……」
アヤナお姉さまがしゃくり上げると、ハノン公爵はさっと顔色を変えた。そして、アヤナお姉さまを抱きしめた。
「アヤナ……大丈夫か?」
「大丈夫なんかじゃないわ! セツナを喪うなんて、耐えられない! ああ!」
――アヤナお姉さまが泣くなんて……。
アヤナお姉さまが泣くところを、僕は初めて見た。
気づいたら、僕も泣いていた。
――セツナ……。君を失ったら、僕はどうすればいいんだ……。
もう、笑いかけてもらえないのだろうか。可愛い声を聞けないのだろうか。
――もう、セツナと話せないんだ……。冥界に行ってしまうんだ……。いやだ。いやだ。そんなことは耐えられない!
胸をかきむしられるような心地がした。体が引き裂かれそうだった。
――セツナ! お前を失いたくない! 愛してる!
そう思った瞬間だった。
全身が、焼かれたかのようにかっと熱くなった。
しかも、右手が異様に熱い。
「うわあああ!」
熱した鉄を当てられるような痛みを右手に感じて、僕はその場にうずくまった。
「チェーザレ! 大丈夫か!? 辛いのは分かるが、落ち着くんだ!」
父上がすぐに僕の側にしゃがみ込んだ。
「違う! 右手が……痛い! ああ!」
叫び声を上げたその瞬間だった。
握り締めた右手が、今度は急に冷たくなった。
手が一瞬で、氷になってしまったかのようだ。
――なんだ?
握りしめた拳を開いた。そのときだ。
手のひらに、小さな灰色の炎が宿った。
「え……」
父上が息を呑んだ。次の瞬間、灰色の炎は勢いよく燃え上がった。
右手が炎に包まれ、焔は生き物のように揺れ動いた。
全員が、あっけにとられて僕を見ていた。
――なんだ……!? この炎は!?




