ep.124 公爵と魔王の真っ黒で優雅な会話
ハノン公爵は紅茶一口飲むと、セツナを見ながら言った。
「白神の奏でる音色が地上に響き渡り、陛下が琴を取り出す」
――? なんだ?
セツナがきょとんとした顔をすると、ハノン公爵は不思議そうな顔をした。
「あれ? 知らない? 王妃様の逸話を集めた古典の出だしなんだけど……」
「えっと……知らないです」
「そうか。『様々な逸話に感動した』って言ったから、知ってるかと思ったよ」
ハノン公爵は優しく微笑むと続けた。
「白神の奏でる音色が地上に響き渡り、陛下が琴を取り出す。これは、上の句。
下の句は"弦が奏でる音は黒神の泣き声のよう。臣下たちが耳を澄ます"だよ。上の句を言ったら下の句を返すのが、古典を語るときのオーソドックスだよ」
「確か、グリフィンの国では古典の一節を会話でよく引用するんですよね?」
セツナが聞くと、ハノン公爵は頷いた。
「そうだよ。グリフィンの国を訪れる外国貴族も、ある程度古典の一節を頭に入れてる。突然上の句を振られることがあるからね。
セツナはまだ十歳だけど、史書を語るなら覚えておいた方が良いよ。教養は大切だし」
「……分かりました。ありがとうございます」
――なんか、嫌だな。
ハノン公爵は親切に教えてくれているのに、僕は微妙な気分になった。
魔王様の前で下の句が言えないなんて、なんだかかっこ悪い。
「セツナは公爵になりたいんだっけ? ワルシャワ公爵になるなら、グリフィンの古典の赤の巻から白の巻までは暗記したほうが良いよ。グリフィンの高位貴族に呼ばれることもあるだろうし」
ハノン公爵がそう言うと、セツナは少し青くなった。
「赤から白って、三十巻ですよね!? そんなに?」
「普通なら他国の古典を三十巻も覚えないけどね。グリフィンの国は強国だからって理由で、他国の高位貴族たちは最低三十巻暗記してるよ?
我が国を尊重してもらえて嬉しいな。ねえ、魔王様?」
「ああ。ハノンの言う通りだ。実に嬉しいことだね」
「セツナは何巻まで覚えてるんだい?」
ハノン公爵に笑顔で聞かれて、セツナは俯いて答えた。
「私、暗記が苦手なんです。グリフィンの古典は読んだけど、有名なやつしか覚えられませんでした」
「なんだ。そうなのか。苦手なら無理して覚えなくて良いと思うよ」
――いやいや! 公爵になるなら覚えるしかなくない? グリフィン貴族から、上の句を振られるときあるだろ!
心の中で突っ込んで、はっとした。
もしセツナが覚えられないなら、爵位継承戦では減点。
無理して覚えなくて良い。その言葉に、妙な引っかかりを覚えた。
――そのアドバイス、真面目に聞いたらまずくない?
「チェーザレ令息はいくつ覚えているんだい?」
魔王様に聞かれて、僕は居住まいを正した。
「赤の巻から黒の巻までです!」
「へえ。四十巻? 凄いね。じゃあ、これは分かる? 風の車が走り抜け、海がざわめく」
「確か、下の句は"水鳥がしぶきをすらあげず、獲物を仕留める"だったと思います」
「そうだよ。ちょっとマイナーな句なんだけど、よく知ってるね」
「ありがとうございます!」
魔王様に褒められて、僕は笑顔になった。直後、はっとした。
――やば……。なんかちょっと、セツナに悪いな。
罪悪感を感じたときだ。魔王様がアヤナお姉様とギョクリンお兄様に微笑んだ。
「そう言えば、アヤナ公爵令嬢とギョクリン令息は、グリフィンの王城古典詠唱会に参加されたことがあったな。あれはグリフィン貴族も舌を巻く創作だったよ」
「まあ。ありがとうございます」
「頑張って全巻覚えた甲斐がありましたよ」
アヤナお姉さまとギョクリンお兄さまは嬉しそうに笑った。
すると、ハノン公爵が僕とセツナに言った。
「王城古典詠唱会はね、高位貴族で集まって上の句を振り合う。下の句を言うときは、原文とは違うアレンジで切り返す遊びの会だよ。
自分でアレンジしなきゃいけないからね。センスがいるんだ」
――うわ……。アヤナお姉さまとギョクリンお兄さまが得意そう……。
「アヤナとギョクリンは合計三回参加してる。二人は百巻全て覚えてたんだよ。俺もその場にいて一緒に遊んだけどね。二人はアレンジも上手かった。……そうだ!」
ハノン公爵は名案を思いついたかのように、魔王様を見た。
「チェーザレはよく古典を覚えているようですし、今期の秋の王城古典詠唱会に招待してはどうでしょう?」
――ええ!? 何それ!? 嬉しい! グリフィン高位貴族と人脈を作るチャンス!
「それは良いね。良かったら来るかい?」
魔王様に聞かれて、僕は力強く頷いた。
「ありがとうございます! ぜひ行きたいです!」
「そうか。なら、秋になったら招待状を贈るよ」
――まじか!? 嬉しすぎる!
「良かったわね! チェーザレ」
「ハノン公爵にもよくお礼を言いなさい」
アヤナお姉さまとギョクリンお兄さまに言われ、僕は頭を下げた。
「ハノン公爵! ありがとうございます!」
「いいよいいよ。経験は大事だからね。……そうだ! 良かったらセツナもどうだい?」
「ええ!? 私ですか?」
セツナはびくりと肩を震わせた。
「うん。もちろん苦手なら無理しなくていいけど……。良い経験になると思うよ?
秋までに頑張って覚えてみたら? 参加したいなら俺が推薦してあげるよ」
――いやいや! 秋までに三十はセツナには無理じゃない? せっかくのチャンスだけど、句を覚えられなかったら恥かくよ!
「すみません……。私には難易度が高いかもしれません」
「そうか。機会があったらぜひ来ると良いよ」
ハノン公爵は優しく微笑んだ。
◇◇◇
「それじゃあ、俺は魔王様と仕事の話をしてから帰るよ。皆は馬車で先に帰ってて」
「分かったわ。さあ、チェーザレ、セツナ、ギョクリン、帰りましょう」
「本日は本当にありがとうございました」
ギョクリンとアヤナが頭を下げると、チェーザレとセツナもお礼を言った。
「なかなか楽しい時間だったよ。またね、ワルシャワの子どもたち」
魔王が笑顔で手を振ると、チェーザレとセツナは緊張した顔で礼をした。
「では、失礼します」
アヤナがそう言って扉を閉めると、魔王の顔から笑顔が消えた。
その表情は冷え切っている。先ほどまでの優しい君主の顔が嘘のようだ。
俺は冷めた紅茶の残りを飲み干すと口を開いた。
「で、双子の感想はいかがですか?」
「ハノンが厚遇するくらいだから、どんなものかと思って招待したら……。大したことはなかったな。時間を無駄にした気分だ」
「俺が魔王様なら、双子が挨拶をした時点で減点ですかね。
なにせ、陛下は外見を褒められることがお好きですから。俺なら、黄金色の髪と瞳が美しくて素敵です、と一言添えます。
美貌で一国を滅ぼしたと言われるイチョウ姫の古典詩も引用して、陛下を賞賛してからソファに座るかな?」
「おいおい。俺がナルシストみたいじゃないか?」
魔王様が可笑しそうに笑ったので、俺も笑った。
「論点はそこじゃないですよ、魔王様。わざわざ公爵が魔王様に許可をとって、普段ならグリフィン貴族しか入れない聖堂の部屋にまで連れていくと、俺は事前に伝えていました。
ここまでされたら普通、グリフィン文化も歴史も徹底的に調べ上げるでしょう?」
「そうだな。相手をよく知ることが大切。それが我がグリフィン特権階級の考え方だからな。
その考え方を尊重して、もうちょっと我が国を理解してから来訪して欲しかったな。
ここまでもてなしたんだから、最低でも古典を六十は覚えてくるべきだと思うんだが……」
魔王は足を組み替えると、ため息をついた。
「古典は我が国のプライドですからね。外見の賞賛も同じことです。相手の要求水準に合わせる。それがあの双子にはできないようです。
事前に調べれば、魔王がルックスを褒められるのが好きだということくらい分かるでしょう。招待を受けた城の君主について調べずに来るとは……。
船に乗るまで何してたんですかね?」
「あれで公爵になりたいとは。笑えない話だな」
――さて。さらにイメージを落としておくか。
「俺はセツナが嫌いです。アヤナに対して、『あなたはヴァンパイアの魔王様から嫌われてる、成功すればするほどワルシャワが警戒されるから、グリフィンの国で俺と暮らしたら?』という趣旨のことを昨日言ってました」
「は!? アヤナ公爵夫人に!? あのガキは正気か?」
魔王は信じられないという顔をした。
「ええ。しかも、俺がアヤナに採掘権をあげたのは余計なことだと言われましたよ。
採掘権贈与は陛下も認めてくださった正当な権利なんですが。魔王様の決定にケチをつけてるんですかね?」
「……はあ?」
魔王は露骨に不愉快そうな声を出した。
「ハノン=オン=カノンにそんなことを言ったのか? ワルシャワ家は子どもをちゃんと教育してないのか?
……いや、上の五人は超がつくほど優秀だ。セツナ公爵令嬢に問題があるだけだな」
「そうなんですよ。俺はあいつには脱落して欲しいですね」
「……そうか。なら、俺が明日大臣たちと食事をするときに一言添えてやろう」
魔王はにやりと笑った。俺は自然と口角が上がった。
「ほう……。一言ね。何をですか?」




