ep.123 歪んだ愛を持つ夫
◇◇◇
「だからね、アヤナお姉さまにはっきり言ってやったわ。"あんたはワルシャワにとってむしろ邪魔よ"ってね」
侍女に髪をといてもらいながら、私は満足気なため息を漏らした。
「精神的なダメージを与えたんですか?」
侍女――コノハは聞き返して来た。コノハはワルシャワ邸から連れてきた私の専属侍女だ。
「そうよ。お姉さまは自覚した方がいいんじゃない? 自分はヴァンパイアの魔王様から嫌われてるって。"自分が成功するほどワルシャワが警戒される"って、葛藤すればいいのよ!」
私は手に持っていたシュシュを握りしめた。
――アヤナお姉さまはずるいわ!
私より二十一年先に生まれたというだけで、政治力も人脈も夫の支援というアドバンテージまでをも持っている。
宰相の父からは信頼されていて、父が引退したら宰相の座はアヤナのものだと皆が言う。
その上、アヤナお姉さまは、竜王妃のエンナお姉さまと凄く仲良しだ。なぜか私はエンナお姉さまから嫌われているのに……。
それに、私とアヤナお姉さまの顔立ちはそっくりなのに、どういうわけかお姉さまの方が美しい。
まだ私が十歳だから敵わないのかもしれないけど。アヤナお姉さまはお母さまよりもずっと美しいのだ。
――こんな姉にどうやって勝てばいいのよ!
優秀な姉とは対照的に、私は座学も魔法操作も苦手だった。同じ姉妹とは思えない。
だから、音楽分野で自分の実力を伸ばしたのだ。
毎日毎日、ピアノを引き続けた。爪が割れるくらい練習した。
なのに、社交界で注目されるのも、お父さまから評価されるのもアヤナお姉さまばっかりだ。
「間違ってる! 私が評価されるべきよ! 私は十歳で世界三位よ! お姉さまなんて、ヴァンパイアの国から出ていけばいいんだわ!」
私はドレッサーを叩いた。机の上のヘアオイル瓶や櫛が、がたがた揺れた。
「セツナお嬢様、唐紫花のヘアオイルをつけて差し上げます。入浴前につけると、髪艶が増しますよ」
コノハは穏やかに笑った。私を落ち着かせようとしているのだろうか。
「いつか、お姉さまを引きずり降ろしてやるわ……」
コノハは無言で私の髪にオイルを塗った。しばらくするとぽつりと言った。
「アヤナ様はセツナ様を可愛がっているので甘いですが……。
ハノン公爵の前でアヤナ様を攻撃するのはまずいですよ。ハノン公爵はアヤナ様にベタ惚れですからね」
「アヤナお姉さまって、趣味悪いんじゃない? ハノン公爵って変人じゃん。美形だけど、社交界でも気配消してるのよ? だったら始めから社交界なんて来なきゃいいのよ……」
毒ついたときに、ふと気づいた。ドレッサーの引き出しの取っ手に蟻がいたのだ。
「ねぇ、虫がいるんだけど! 気持ち悪い!」
「蟻ぐらいいいではありませんか。ほっときましょう」
◇◇◇
「はあ? つまり、セツナはわざとアヤナを傷つけたのか? 国から出ていけばいいだと? ふざけるな!」
俺は怒鳴った。オオムラサキはびくりと震えた。
「そうか……。アヤナを引きずり降ろす気満々か……。なら、自分が引きずり降ろされても文句は言えないな」
――決めた。徹底的にやる。アヤナを傷つけるなら叩き潰す。
決心したときだった。
――コンコン。
ノックの音が寝室に響いた。そして、扉が開いた。
「ハノン! お待たせ! 長風呂しちゃった」
寝間着姿のアヤナが笑顔で寝室に入ってきた。
俺はすぐに笑顔を向けた。
「全然待ってないよ。本を読んでたところさ」
「そう? あれ? 綺麗な蝶が飛んでるよ?」
「さっき、窓を開けたら入ってきたんだ」
「へーえ。カノン邸の庭って、綺麗な蝶が沢山いるもんね。花が多いからかな?」
そう言うと、アヤナは俺に抱きついてきた。
アヤナの頭を撫でると、俺は彼女を抱き上げてベッドに運んだ。
そっとベッドに降ろすと、彼女に覆いかぶさった。
そのまま何度も口づけると、アヤナは甘い息を零した。
◇◇◇
「ねえ……セツナに怒ってない?」
ダークブラウンの髪を撫でていると、アヤナは不安気に俺を見上げた。
「なんだ? 今はセツナのことなんてどうでもいいんだが」
「でも、キレてたよね? あなたは笑顔だったけど、私には分かるよ?」
「後でチェーザマリーに文句を言うよ。説教は俺の役目じゃないんでね。セツナの評価も下がって調度良い」
「そりゃあ、公爵位を巡るライバルだし、評価が下がったら嬉しいけど……。セツナはピュアすぎるのよ。今回だけは多目に見てあげて」
「無理だな。セツナの言い方は失礼だ。ワルシャワ夫妻の教育はどうなってんだ?」
低い声で言うと、アヤナはびくりと震えた。
「でも……セツナは良い子よ?」
「妹を可愛がるあまり、ぬるくなったんじゃないか? 君がそういうスタンスなら、俺がセツナを排除するよ」
「ちょっと! 私は自分の実力で公爵になるわ! セツナはセツナで頑張れば良いのよ」
「……そうか。俺が勝手にやるだけさ。止められるなら止めてみな」
俺はアヤナに口づけると、それ以上言えないように唇をふさいだ。
――まずは明日の王城見学でいじめてやるか。
◇◇◇
「王城見学は楽しかったかい?」
「はい! とっても楽しかったです! 特に、地上の神々と天使の名画が素晴らしかったです! あんなに大きい絵画は初めて見ました!」
グリフィンの魔王様に聞かれて、セツナは元気に返事をした。
「そうかそうか。気に入ってくれて嬉しいよ。チェーザレ令息はどうだった? 楽しんでくれたかな?」
「聖堂の壁に描かれたアラベスクの模様が素晴らしいと思いました」
「そうか。あれは職人の力作なんだよ」
旅行二日目、八月四日――僕とセツナはグリフィンの国の王城見学に来ていた。
グリフィンの王城には、両親に伴われて何度か来たことがあるが、今回は見たことのない場所も色々見せてもらえた。
厩舎に中庭、大広間から聖堂まで。なんと、ハノン公爵が直々に案内してくれたのだ。
こんな贅沢な体験ができたのは、ハノン公爵が
グリフィンの魔王様から重用されているからだ。
ハノン公爵は僕たちのために、魔王様から聖堂見学の許可まで取ってくれた。普段なら、グリフィン貴族しか入れない聖堂の部屋にも入れてもらえたのだ。
今は見学が終わり、応接室に通されていた。魔王様とハノン公爵とアヤナお姉さまとギョクリンお兄さまとセツナと僕で広い机を囲み、お茶を飲んでいる。
――やばい! めっちゃ緊張する!
パーティーなどで親に連れられて社交をしているとはいえ、魔王様と話した経験なんてあまりない。
魔王とのプライベートなお茶会に呼ばれたことなんて無い。
僕は必死で笑顔を作っていた。お茶の味なんて分からない。温かいことだけはわかる。
「帰るとこだったのに呼び出して悪いね、ハノン。一緒にお茶でもどうかと思ったんだよ」
「むしろ呼んで頂けて光栄ですよ。子どものチェーザレとセツナにとっても、良い経験になるのでは?」
アヤナお姉さまとギョクリンお兄さまは恐縮した顔で頭を下げた。
「わざわざ見学の許可まで頂いて、お茶まで頂いてしまうなんて……本当にありがとうございます!」
「俺たちまで色々見せて頂いて、光栄です!」
「良いんだよ。ハノンの親戚だし、君たちはワルシャワじゃないか? むしろ、ヴァンパイアの王城に劣らないといいんだけどね」
「建築様式が違いますからね。比較は難しいと思いますよ? セツナ、どう思う?」
ハノン公爵に聞かれたセツナは、珍しく困った顔をした。
「えっと……。どっちも素敵だと思います」
――ヴァンパイア城の方が良いなんて当然言えないし、グリフィン城の方が良いと言っても問題だもんな。うん。無難な回答。
「チェーザレはどう思った?」
――ハノン公爵! その難しい質問、僕にも聞くんですか!?
「ヴァンパイアのお城は黄金などが沢山使われていて煌びやかですが、グリフィンのお城は白檀の香りがして素敵ですね。ぬくもりがあって落ちつきます」
――この返しでどうかな?
「そうか。それは良かったよ」
魔王様が微笑むとハノン公爵が紅茶を一口飲んで言った。
「俺はグリフィンの王城の聖堂を誇りに思ってるよ。なにせ、初代グリフィン魔王様の霊魂が魔力を高めてくれると言われているからね。
……セツナとチェーザレには、その魅力がちゃんと伝わったかな?」
「はい! もちろんです!」
セツナが笑顔で頷いたので、僕も頷いた。
「グリフィンの聖堂の荘厳さには目を見張るばかりです」
「そうか。どこが特に良いと思った?」
「初代グリフィン魔王様の彫像ですね。等身大で精巧で、畏敬の念が込み上げてきました」
「そうか。ありがと、チェーザレ。セツナはどうだった?」
「魔王様の彫像も素晴らしかったです。でも、初代王妃様の彫像も凄く美しかったです。
慈愛に満ちた女性だったと聞いてます。史書で読んで、様々な逸話に感動しました」
セツナがそう言ったときだ。急に、ハノン公爵の目つきが鋭く変わった気がした。




