ep.120 嵐の前の静けさ
◇◇◇
「そんな顔してどうしたんだ? アヤナ?」
俺が聞くと、アヤナはティーカップに口をつけるのを止めて、笑顔を向けた。
「そんな顔って何? ハノン?」
「新しく生まれる双子が嫌なのか? エンナが皇太子妃になることが決まって、公爵位を継ぐのはアヤナだけになった。
なのに、双子が生まれたらまた爵位継承戦をしなきゃいけないからな」
アヤナは図星を突かれたようだ。顔に出ている。
次女のエンナはドラゴンの皇太子と真剣交際中。将来王妃になるから爵位継承戦からは降りた。
女優兼王子妃の三女、ルージュナは公爵位になんて興味がない。
末っ子のマキュナも同様。調香にしか興味がなく、もうすぐ結婚して伯爵夫人になる。
長男のギョクリンはユリジェンヌ侯爵になるから競走外。
つまり、次期ワルシャワ公爵になるのは長女のアヤナしかいない。
アヤナはエンナと爵位継承戦をして、切磋琢磨していた。
エンナというライバルが消えてくれて、目の前に公爵位が差し出されたと思ったら、母親が双子を懐妊。
つまり双子が公爵位を望むなら、アヤナは二人を蹴落として公爵にならなくてはいけない。せっかく公爵の地位が手に入ったかもしれないのに、白紙になった。
もやもやした顔になるのも当然だろう。
「……そんなことないわよ。お母さまとお父さまはとっても喜んでいるわ。妹って、可愛いものよ? 男の子なら初めての弟だし、生まれるのが楽しみだわ」
「夫になる相手に、嘘は良くないな」
「……双子が嫌なんじゃないわ。お母さまの懐妊を純粋に祝えない自分が嫌なのよ」
アヤナは辛そうに目を逸らした。
俺はアヤナの顔を覗き込むと、彼女が手に持っていたティーカップを取り上げてソーサーに置いた。
「温かい飲み物は、邪魔だな」
そう言うなり、アヤナを抱き寄せて口づけた。
ソファの背に軽く彼女を押し付けて、腕の中に閉じ込めて逃げられないようにする。
アヤナは苦しそうに吐息を漏らした。
五分以上経ってようやく顔を離すと、彼女を抱き寄せた。
身長の低いアヤナは、すっぽりと胸の中に収まってしまう。
「ワルシャワ公爵家は、毒殺禁止だったっけ? ぬるいね。 なら、それ以外の手段で排除したら? 俺が協力してあげるよ」
「ちょっと何言ってるのよ。あなたは兄弟親戚全員消し去って公爵になった過激な男よ? 双子が毒牙にかかったら可哀想だわ」
「毒牙? 爵位継承戦ってそういうものだろ? いつもは打算的なのに、いやにぬるいじゃないか?」
「……ちょっと疲れただけよ。安心してよ。私は負けないわ。絶対に次期ワルシャワ公爵になってやるんだから!」
瞳に勝ち気な光を宿した直後、アヤナは俺をまじまじと見つめた。
「あなたの家族、変な死に方が多かったわよね……。森林散策中に猛毒蜂に刺されるとか。とにかく、双子に変なことしないでよね!」
――あー。これ、バレたら嫌われる奴だな。双子を消すならバレないようにやんなきゃ。
世界中の魔族に嫌われても、アヤナにだけは、嫌われたくない。
「まあ、アヤナならきっと大丈夫だよ。優秀な宰相補佐だし、人脈もあるし。困ったら、カノン公爵家もいくらでも手を貸すよ。君が公爵になれるように、全力で支援してあげるから」
愛しいアヤナに欲しいものがあるなら、できるだけ与えてやりたい。それが公爵位というだけだ。
「ありがとう。頼もしいわ!」
アヤナは嬉しそうに笑った。
――双子が野心を出したら、代わりに消してやるか。
俺はアヤナを抱きしめ直すと、バレないように、にっと笑った。
◇◇◇
側近が俺の執務室に駆けこんで来た。その顔色は悪い。
「ヴァンパイアの魔王様! 大変です! ワルシャワが……」
「ワルシャワが、どうした!? 今度はなんだ!?」
「ワルシャワ家の色使いが、二人になりました! 次男のチェーザレが、色使いに覚醒したんですよ!」
「なんだって!? チェーザレが!?」
十年前、ワルシャワ家には、新たに双子の男女が誕生した。
チェーザマリーそっくりの二男はチェーザレ、リト公爵夫人そっくりの五女はセツナと名付けられた。
「色炎の能力は、子どもに遺伝しないんじゃなかったのか?」
「過去の六人の色使いたちはそうでした。ですが、初の事例です。色使いの力は遺伝するのです!」
「なんてことだ!? チェーザレは十歳にして、史上八人目の色使いか!」
荒っぽく叫んだ直後、恐ろしいことに気づいた。
「ワルシャワの血統に色使いが生まれるなら、誰もがワルシャワと婚姻したがるぞ! また権門と結婚される」
「ええ。チェーザレはまだ十歳ですが、将来は婿にしたいと考える者が続出するでしょう」
「炎の色は何色だ? チェーザレは何種類変色できる?」
「二種類です。一つ目は青色です! リト公爵夫人と同じで、治癒能力です!」
色使いのリトは三つの色炎を扱える。
安眠効果・楽しい夢を見られる虹色の炎、治癒能力の青の色炎、リラックス効果の銀色の色炎だ。
「くそっ。一種類だけなら良いものを。ダブルユーザーか。で、二つ目は?」
「それが、グレーなんですよ!」
「なにい! グレーだとお!?」
理解してしまった。グレー。その力がワルシャワにもたらす恩恵を。
◇◇◇
「だからね、カノン領地に行かない? ハノンが招待してくれたのよ。私とギョクリンとセツナとチェーザレの四人で行きましょ!」
「良いんですか!? アヤナお姉さま!」
僕は思わず、大きな声を出した。
「カノン領地って、魔油が沢山採れる場所でしょ? セツナも行ってみたーい!」
セツナもはしゃいだ声を上げた。
「良かったな。セツナ、チェーザレ。ハノン公爵が直々に招待してくれることなんて、そうそうないぞ? ハノン公爵は話嫌いで有名だし」
ギョクリンお兄さまは優しく微笑んでくれた。
僕の名前はチェーザレ=ファル=ワルシャワ。ヴァンパイアの国序列一位、ワルシャワ公爵家の次男だ。
長男のギョクリンお兄さまは次期ユリジェンヌ侯爵。
長女のアヤナお姉さまは宰相補佐で公爵夫人。
次女のエンナお姉さまは竜王妃。
三女のルージュナお姉さまは女優で第三親王妃。
四女のマキュナお姉さまは人気調香師で伯爵夫人。
お父さまは宰相。お母さまは史上七人目の色使い。
……という肩書が華やかすぎる家門に生まれた。
そんな僕は、お父さま似の平凡な顔だちの十歳。髪と瞳だけは、ターコイズブルーでそれなりに美しい。
対するお姉さまたちとお兄さまは絶世の美貌の持ち主。
特に、ギョクリンお兄さまの美しさは凄まじい。
おじいさま譲りの魔界一美しい顔だち、髪はターコイズブルー、右目はターコイズブルー、左目はスカイブルーのオッドアイ、おまけに高身長。
同じ兄弟とは思えない。僕もお姉さまとお兄さまのように生まれたかった。世の中は理不尽すぎる。
にこにこ顔のお兄さまを見つめながら、僕は苦い思いで紅茶を飲んだ。今は家族四人でティータイムの最中だ。
「チェーザレお兄さま! 旅行、楽しみだね!」
「うん。そうだね」
双子の妹のセツナが愛らしい笑顔を向けてきた。
セツナはお母さまに生き写しの可愛らしい女の子だ。
髪はダークブラウン、右目もダークブラウン、左目はスカイブルーのオッドアイ。天使みたいだ。
なぜ僕だけが遺伝ガチャで外れを引いてしまったのか。しかし、落ち込んでばかりでもいられない。
僕は笑顔でアヤナお姉さまにお礼を言った。
「ありがとうございます。アヤナお姉さま。ぜひ、行かせてください」
このときは予想できるはずもなかった。
ハノン公爵の危険な目的も、僕が色使いとして覚醒するなんてことも。
◇◇◇
僕たち四人がハノン公爵から招待を受けたのには、理由がある。
ギョクリンお兄さまは、化け猫の王城から一カ月の休暇が出て、王都のワルシャワ別邸に帰省している最中だったのだ。
アヤナお姉さまも一カ月の夏季休暇中。その間は元々、お姉さまはカノン領地で暮らす予定だった。
アヤナお姉さまの夫はハノン公爵で、二人は普段から別居している。けれど、二人は頻繁に会ったりお互いの屋敷に泊まったりしていた。
「グリフィンの国は夏でも涼しいし、快適だよ。良かったらアヤナと一緒にカノン領に来ないか?
セツナとチェーザレにとっても社会勉強になるだろうし。帰省中のギョクリンも一緒にどうだい?」
ハノン公爵からそう提案され、アヤナお姉さまは喜んで僕たちを招待した。
季節は八月。魔界はまだまだ、うだるような暑さに覆われている。涼しい国に行けるなんて魅力的だ。
八月三日。僕たち四人は船に乗り込んだ。
グリフィンの国は広大な島国だからだ。
デッキに出て、四人で風を浴びていると、セツナがはしゃいだ声を上げた。
「見て! 綺麗な青アゲハ蝶がいる!」
僕はセツナが指差した方を見た。
少し離れたところにある椅子の周りを、青いアゲハ蝶が飛び回っていた。
「なんで船に蝶がいるんだ?」
僕が首を傾げると、ギョクリンお兄さまは楽しそうに笑った。
「船の積荷に紛れてたんじゃない? それか、この船には花がいたるところに飾られてるから、原因はそれかも」
――ふーん。そうか。
「青い羽が美しいね!」
セツナが駆け寄ると、蝶はふわりと高く舞い上がった。そして、セツナの頭に止まった。
「まあ。髪飾りみたいで可愛いわ」
「ほんと? アヤナお姉さま、鏡持ってる?」
アヤナお姉さまはバッグから手鏡を取り出すと、セツナに手渡した。
二人は鏡を見ながら楽しそうに喋っている。
――楽しい旅行になりそうだな。
このときの僕は、本気でそう思っていた。




