ep.118 伯爵はついに心を決める
◇◇◇
――なんで、会話嫌いのハノン公爵がマキュナと喋るんだ!? 一緒にいるんだよ!
目の前の光景が信じられなかった。
ソファを譲ると、俺はフルーツを食みながら、聞き耳を立てていた。
「香りを操るレディとは……。魅力的だね。さぞやモテるんじゃないか?」
――ハノン公爵、今なんて言った!? 魅力的!?
マキュナを魅力的って思ってるのか!? ハノンが!?
「えっと……。そんなことありませんわ」
――何言ってるんだ! マキュナは世界一可愛らしいレディだ!
「君は美しいし、一目惚れする男だっているはずさ」
――は? 一目惚れ? まさか、ハノン公爵が一目惚れしたんじゃないだろうな……。
俺は梨を噛んだ。瑞々しくて果汁が溢れるのに、じゃりじゃりした砂を噛んでいるようだった。
「……実は、俺も最近結婚を考えてるんだ」
――なんだって!? 結婚する気か!? まさか、相手はマキュナじゃないだろうな?
俺はワインの残りを飲み干した。
――ごくり、と。
その音が嫌に耳についた。
カノンとワルシャワ。序列一位公爵家同士、お似合いの組み合わせだ。
伯爵の俺の出る幕なんて、一ミリもない。
「え!? ハノン公爵が!? 話すことが嫌いなんですよね? 結婚生活、大丈夫なんですか?」
マキュナが大声を出すと、何人かの貴族がこちらを見た。次第にざわめきが広がっていった。
「なんでハノン公爵が姿を見せて令嬢と話してるんだ?」
「まさか……ワルシャワとカノンが? お似合いだな」
お似合い。そのひと言に、心臓が破れそうだった。
――マキュナは今、どんな顔で喋ってるんだ?
ハノン公爵はレディたちの憧れの的だ。マキュナもきらきらした眼差しで彼を見つめているのだろうか。
俺は視線をソファに向けた。その瞬間、ハノン公爵が言った。
「実は、話していて楽しいレディを見つけたんだ」
――まさか、マキュナのことか!?
一瞬、くらりときた。
「そうなんだよ。世界一美しくて賢いレディさ。優しいところもある」
ハノン公爵はうっとりと笑った。
――なんて顔だ……。本気の相手がいるのか。この状況的に、やっぱりマキュナか?
「あれ? 髪に花びらがついてるよ。馬車を降りたときについたんじゃないか?」
ハノン公爵は右手を伸ばして、マキュナの美しい髪に触れた。
――止めてくれ! マキュナに触らないでくれ! 俺の好きな女性なんだ!
その言葉を飲み込んだ。喉が締め付けられて、苦しくなった。
――もう見ていたくない……!
俺は目を逸らした。なのに、見たくて仕方なかった。
「はい。とれたよ。今はゴルッシュフラワーが満開だからね」
「ご親切にありがとうございます。ところで……あの、聞いてもいいですか? ハノン公爵のお相手の方ってどなたですか?」
「実は、まだ想いを告げてないんだ」
「そうなんですか!? ハノン公爵ほどの方なら、即決OKでは?」
――ハノンなら、即決? マキュナもか? 申し込まれたら、承諾するのか?
俺はハノン公爵とマキュナが笑い合っている姿を想像した。
心臓が止まったかのように、苦しくなった。
「これから真剣交際を申し込むつもりなんだ。でも、相手は内緒さ。すぐに分かるよ」
――すぐに分かる!? やっぱり、相手はマキュナか? 実は自分だったっていうサプライズか!?
「そうですか……。魔油王で序列一位公爵のグリフィン、ハノン公爵が告白……。社交界に激震が走りそうですね。ハノン公爵は粋がある方ですし、きっと上手くいきますよ!」
魔油王。序列一位。公爵。完璧だ。俺じゃ太刀打ちできない。しかも、粋があるとは。マキュナはハノン公爵に好意的じゃないか。
「ありがとう。そうだ、何か食べないかい? とってくるよ。ちょっと待ってて」
――来ないでくれ。
この完璧な男の側にいたくない。だが、マキュナに触れる権利がある男も、隣にふさわしいのも、ハノン=オン=カノンだ。
◇◇◇
「やあ、ダータン伯爵。フルーツはおいしいかい?」
「ええ、とても。とくにこの梨はフレッシュですね」
俺が話しかけると、ダータン伯爵はぎこちなく微笑んだ。
「そうか。じゃあ、梨も持っていこうかな。マキュナ公爵令嬢が苺が食べたいって言うんだけどね。苺以外も美味しそうだし」
俺は小皿を二枚手に取った。そして、トングで手際よく苺と梨を乗せ始めた。
カットされた苺を五粒乗せると、俺はにやりと笑った。
「聞き耳は品がないね。伯爵様ともあろう者が。バレバレだよ」
俺は"伯爵様"という単語を強調した。
ダータン伯爵は動揺することなく、微笑んだ。
「何のことでしょう?」
「とぼけるなよ。ばっちり会話を聞いてたんだろ? まあ良い。お気づきだろうが、俺はマキュナ公爵令嬢に真剣交際を申し込むつもりなんだ」
一瞬黙ると、ダータン伯爵はぎこちなく微笑んだ。
「そうですか。ハノン公爵に告白されて、喜ばない令嬢なんていないでしょうね」
「だろうね。俺は公爵だから。公爵って肩書が気に入ってるんだ。公爵家には公爵家がふさわしい。あとは格下だからな」
――さて、ヴィランになるか。これからやること、かなり最低だぞ?
「マキュナ=ファル=ワルシャワが公爵令嬢じゃなかったら、告白なんてしないけどな」
「……は?」
ダータン伯爵は目を見開いて、息を呑んだ。
俺は苺と梨をトングでつまみながら、意地悪く笑った。
「俺はワルシャワと繋がりが欲しいんだ。ワルシャワ公爵令嬢なら誰でもいい。素直そうだし、相手はマキュナ令嬢でいいかな?」
「……ハノン公爵は、マキュナに気があるんじゃないんですか? 楽しそうに喋っていましたが」
「そんなわけないだろ。退屈で仕方ないよ。でも、付き合うなら好印象を持ってもらわなきゃ。適当に笑ってただけさ」
ダータン伯爵は微笑んでいる。だが、その瞳にはっきりと怒りが宿った。
俺はトングを置くと、二枚の小皿を左手で器用に持ち直した。
そして、右手で軽くダータン伯爵の肩をつかみ、顔を耳元に近づけて囁いた。
「お前はマキュナ公爵令嬢に気があるのか? 邪魔だから、伯爵はひっこんでなよ。俺はワルシャワが欲しいんだ」
ダータン伯爵の顔から、表情が消えた。
こんな顔をした男を見たことがなかった。
「明日、告白しようと思ってるんだ。マキュナ公爵令嬢が他の男を選ぶっていうなら引くけど……。俺より良い男はいないだろ?」
手を離すと、俺は明るく笑った。そして、白ワインのグラスを手に取った。
「それじゃあね。愛だけの男は黙って見てな」
「……引っ込むのはあなただ」
「……は?」
ダータン伯爵は恐ろしい眼差しで俺を睨んだ。
俺は背筋がゾクゾクした。
「俺の愛する女性を侮辱する奴は許しません」
「侮辱? してないけど」
「こんな男にマキュナは渡せない。退屈で仕方ない? ワルシャワなら誰でもいい? それは、マキュナに対する侮辱だ。マキュナの良さも、努力も笑顔も知らないし見えてない男が不純な動機で近づくな」
ダータン伯爵は一歩距離を詰めた。
「爵位だけの愛無し男はひっこんでな」
ダータン伯爵は足早にソファに向かった。そして、マキュナ公爵令嬢の足元に跪いて言った。
「マキュナ。俺と庭園に行こう。赤向日葵が美しく咲き誇ってるよ」
「えっ……庭園ですか?」
マキュナ公爵令嬢は困ったように俺を見た。
――良いじゃん。ダータン伯爵。よし、あともう一押しだな。
俺はソファに歩み寄ると、ダータン伯爵ににっこり笑いかけた。
「赤向日葵? マキュナ公爵令嬢には白薔薇が似合いそうだよ。可憐だし」
ダータン伯爵もにっこり笑った。
「そうですか。でも俺は、向日葵が好きです。昔、マキュナとアビス向日葵園に行った思い出がありますから。……マキュナ、一緒に来てくれ」
「えっと……せっかくハノン公爵がフルーツを持ってきてくれたので、食べ終わってからでも大丈夫ですか?」
「良いよ。そこの"伯爵"と行ってきなよ」
マキュナ公爵令嬢ではなく、俺はダータン伯爵に冷たい笑みを向けた。
「では、俺たちはここで失礼しますよ」
ダータン伯爵は俺に冷たく微笑むと、マキュナ公爵令嬢の手を取って立ち上がらせた。
何も知らないマキュナ公爵令嬢は嬉しそうに笑った。
――かっこいいじゃん、ダータン伯爵。対する俺、今日何? 最低?
ついつい笑いそうになったが、必死で堪えた。
――さて、アヤナに報告だな。




