ep.113 伯爵と高貴なレディたちと香水実験?
◇◇◇
入学してから約三週間が経つと、ダータン伯爵が学校を訪ねて来た。
私は放課後になると教室を飛び出し、そわそわしながら校門でダータン伯爵を待っていた。
今日が、ダータン伯爵がアビスに到着する日だからだ。
やがて、ショウ伯爵家の家紋が入った馬車が校門前の駐車場にとまった。
馬車からダータン伯爵が降りると、私は待ちきれなくなって駆け寄った。
「ダータン伯爵! 来てくれてありがとうございます!」
勢い余ってこけそうになると、ダータン伯爵が受け止めてくれた。
「大丈夫か? 来るのが遅れて悪かったな。朝からアビス王家と貴族の歓迎を受けてたんだ」
「いえ! 大丈夫で……」
言いかけると、私の瞳からぽろぽろ涙が溢れ出した。
「おい、大丈夫か? どうしたんだ?」
ハンカチで涙を拭ってもらうと、私は正直に打ち明けた。
「家族と離れて寂しいんです。まだ五月一日ですよ? 八月の夏休みまで、あと三ヶ月もあります。帰りたくなってきた……」
ダータン伯爵は優しく頭を撫でてくれた。
「そうかそうか。一人で良く頑張ったな。家族の代わりにはなれないが、今日からは俺が頻繁に会いにくるからな」
「……毎日会いに来てもらっても良いですか?」
「分かったよ。毎日会いにくる。アビス王家から、この学園の近くに屋敷を用意してもらったんだ」
「王様から屋敷をプレゼントされたの?」
「俺は友好交流で来てるからね。アビス側が空き家を借りてくれたんだ。詳しい話は後でしよう」
◇◇◇
「面談室を予約したので、一緒に来てください!」
私はダータン伯爵の手を引いて、面談室に向かった。
廊下をダータン伯爵と歩くと、生徒たちがじろじろ私たちを見た。
「おい、あの子が貴族で七歳の天才児か?」
「一緒の男性、誰?」
「ねぇ見て! あの男の人、凄くハンサムだわ」
しばらく歩くと、ダータン伯爵が私に聞いた。
「学校では、いつもこんな風に見られてるのか?」
「はい。私、最年少入学だから有名になっちゃったんです」
私がにっこり笑うと、ダータン伯爵は視線を鋭くした。探るような視線だった。
「誰かに嫌なことを言われたり、されなかったか?」
「いいえ! クラスメイトは凄く親切です……あっ! ここが面談室ですよ」
私が扉を開けようとすると、ダータン伯爵がさっと扉を開けてくれた。
「どうぞ」
――わあ! やっぱりかっこいい!
私が部屋に入ろうとしたときだ。
「ダータン伯爵!」
廊下の向こうから声が聞こえた。
振り返ると、校長先生と理事長先生がこちらに駆け足で来るところだった。
二人は私たちの前に来ると、ダータン伯爵に丁寧に頭を下げた。
「お越しいただき光栄です! よければ、面談室ではなく応接室でお茶でもいかがですか? もちろん、マキュナさんもご一緒に」
「いえ。面談室で結構ですよ」
ダータン伯爵はやんわりと断った。
「この後、校内を見学されるとか。よろしければ、我々に案内させてください」
「案内はマキュナにしてもらうので結構です。二人で話したいので、もうよろしいですか? 学校ではマキュナのこと、よろしくお願いしますね」
「もちろんでございます!」
――校長先生と理事長先生、ペコペコしすぎじゃない? 普段もうちょっと偉そうなのに?
私が二人をじっと見ていると、理事長先生は親切そうな顔で私に言った。
「何か困ったことがあれば、いつでも理事長室に来てくれ」
「えっと……。ありがとうございます」
◇◇◇
面談室で二人きりになると、私はダータン伯爵に今日までのことを詳しく話した。
「……それでね、クラスの女子は私とマインだけなんです。後は全員男子。生徒の九割以上は男子らしいです。なんでですかね?」
「ああ。それはそうだろうな」
「? どういうことですか?」
「この学校は学費が高額だ。裕福な家庭の子どもしかこない。人間界では、富裕層の女性は働かないで家庭に入るんだ。帝国では、貴族女性の労働は禁止だ」
「ええ!? そうなんですか!?」
――人間って、変わってるわ。
「裕福家庭の女の子たちは、科学なんて学ばない。女学校で裁縫とかを学ぶんだ。人間界では、マキュナが例外だよ」
「……私、人間界だと変? 私の偽装身分は子爵令嬢ですもんね」
「安心しろ。卒業したら、マキュナ=ファル=シュピンクがいたっていう記憶は、魔法で人間たちから消す。魔界に帰るんだから、必要ないだろ? どうせ忘れるんだから、細かく気にしなくていいよ」
「それもそうですね……」
「マキュナは、香りの勉強がしたくて留学した珍しい子爵令嬢だ。『どうせ結婚するのになんで科学を学んでるの?』とか聞かれたら『勉強が好きで家族が応援してくれたら。結婚したら家庭に入ります』とかいう回答が無難だ」
「分かりました」
私が頷くと、ダータン伯爵は視線を鋭くした。見たことないような冷たい目だった。
「人間界ではな、女性は男性より弱い立場なんだ。家を継げるのも男だけ、財産分与は男子優先だ」
「ええー! 男子だけずるいです!」
「中には女を見下す男もいるからな。俺は心配だ。誰かに嫌なこと言われたりされたら、すぐに俺に言うんだぞ。分かったな?」
「分かりました……」
このときは思わなかった。ダータン伯爵の心配が的中すると。
◇◇◇
学校案内が終わると、私はダータン伯爵を校門まで見送った。なぜか、理事長と校長まで見送りに来た。
ダータン伯爵が去ると、私は女子寮に戻った。
お腹が空いていたので食堂に行くと、お姉さんたちに囲まれた。
「ねえ! ダータン伯爵があなたに会いに来たんでしょ?」
「皇帝に仕えてる伯爵なんでしょ? アビスに来るって新聞にのってたよ!」
「親戚って本当!?」
――わわわ! 魔族ってばれないように、ちゃんと設定を説明しなきゃ!
ダータン伯爵は完璧な設定と偽装身分を用意してくれている。ぼろを出すわけにはいかない。
設定と違うことを言えば怪しまれてしまう。
「私の母は、ダータン伯爵の従姉妹なんです。母とダータン伯爵が仲良しなので、ダータン伯爵は赤ちゃんのときからよく会いに来てくれたんです!」
「お母さんって、子爵夫人?」
「はい! そうです!」
「わあ! 凄い! 羨ましいわ!」
◇◇◇
次の日には、私とダータン伯爵が親戚だという話が学校中に広まった。
学校に行くと、今までよりじろじろ見られた。クラスメイトからも色々聞かれた。
放課後にダータン伯爵がやってくると、野次馬が集まってきた。
――ダータン伯爵、人間界で有名人すぎる。
◇◇◇
そんな日々を過ごし、勉強を頑張っていると、あっという間に二カ月が過ぎた。
中間テストが実施され、一年生百人中、私は三十位になった。マインは五位だった。
――せっかくなら一位になりたかったな……。よし、もっと勉強を頑張ろう!
やる気に火がついた私は、さらに勉強を頑張った。
そして、七月末の期末テストでは二十六位まで順位を上げた。マインは二位になっていた。
――ううっ! マイン凄いな! 私ももっと順位を上げたい! でも、いきなり上がれるものじゃないんだ……。
ちょっぴり落ち込んだ私を、ダータン伯爵が励ましてくれた。
「よく頑張ったな。書道だって、一朝一夕で上手くなるわけじゃない。日々の復習や、めげない心が大事だと思うよ」
「ダータン伯爵! ありがとうございます!」
ダータン伯爵は言葉で励ますだけじゃなく、休日に私をおいしいレストランに連れて行ってくれた。
しかも、テストを頑張ったご褒美だと言って大きな猫のぬいぐるみまで贈ってくれた。
――優しすぎる! ダータン伯爵がいて良かった! しかも、約束通り毎日会いに来てくれるし!
私はダータン伯爵により一層懐くようになった。
◇◇◇
「百人中二十六位!? エリートが集まる科学学園で!? 凄いじゃないか、マキュナ!」
夏休みになって魔界に帰ると、お父さまもお母さまも私を褒めちぎってくれた。
お姉さまとお兄さまも絶賛してくれた。
嬉しくなった私は、毎日机で勉強ばかりするようになった。
そんな私を心配した両親は、社交界に私を頻繁に連れ出した。
「こんにちは。マキュナ=ファル=ワルシャワです」
そう言って挨拶をすると、貴族たちは皆、私に優しくして親切にしてくれた。
――私が公爵令嬢だから、こんなに親切にしてくれるんだ。お父さまとお母さまが凄いからなんだわ。
彼らの目つきは、ダータン伯爵やマインとは違う。
今までは社交界に行っても気づかなかったのに、私はそのことに気づいてしまった。
――皆、ワルシャワの権力目当てなんだ……。仲良くする相手はちゃんと選ばきゃ!
大事なことを学ぶと、私はアビスに戻った。
秋学期が始まるからだ。
◇◇◇
「どうした? なんで泣いてるんだ?」
その日、私は面談室でダータン伯爵と楽しく話していた。
だが、悲しくなって急に泣いてしまった。
「研究課題の結果が最下位だったんです」
科学学園に入学してから、約四年が経っていた。私はいつの間にか十一歳になっていた。
学園では、二年間基礎を学び、三年間は選択制専科に進学する。五年で卒業のスケジュールだ。
私は香料専門科に進学したが、成績は三十人中常に二十番台。先日は研究課題で最下位をとってしまったのだ。
「あと一年で卒業なのに……。全然成績が上がらないんです……」
ぽろぽろと涙を流すと、ダータン伯爵はハンカチを差し出してくれた。
私が落ち着くと、真剣な顔で聞いてきた。
「どんな課題だったんだ?」
「香水を作る課題です。私はグリーン系の香水を作ったんですけど……。だめでした。
研究課題では、香料専門科のクラスメイト三十人一人一人が香料を作って、一番良いと思った香りに投票します。投票者は、先生と四年生全員です。私はゼロ票でした。才能ないのかもしれません!」
私が大粒の涙を流すと、泣き止むまでダータン伯爵は黙っていた。ただ、静かに側にいてくれた。
泣き止むと、私に聞いてきた。
「その香水を嗅がせてくれないか?」
「私の最下位香水を? 女子寮の部屋にあります。取ってくるので待っててください」
私は急いで寮に行き、香水を手に取ると戻ってきた。
ダータン伯爵は受け取ると、服の袖に吹きかけて香りを嗅いだ。そして、目を見開いた。
「良い香りだが……。俺にはなぜ最下位か分からない」
ダータン伯爵は戸惑った顔をした。
「研究課題は人気投票なんだろう? 個人の好みもあるんじゃないか?」
「でも、票数ゼロですよ?」
「この学校は、女子より男子が圧倒的に多い。性別による嗜好の違いは?」
「あるかもしれないけど……。分かりません」
「なら、実験しに行かないか?」
「……実験?」
私が首を傾げると、ダータン伯爵は口角を上げた。
その表情に、私はドキリとした。いつもの優しいお兄さんじゃなくて、余裕に満ちた伯爵の顔だったからだ。
「そうさ。良い香りが大好きな、国一番の高貴なレディたちに香りを嗅いでもらうんだ」




