ep.111 マキュナと序列一位公爵の出会い
◇◇◇
「嬉しいんだが……公の場でああいうことをされると困る。面子があるというか……。恋愛は男性がリードするものだろ?」
二人で並んで会場を後にすると、皇太子から困った顔で言われてしまった。
「なんだ? 未来の皇太子妃に唇を拭われたのが嫌なのか? あの後、側近と王妃様からさんざん冷やかされてたもんな」
皇太子は悔しそうな顔をした。
――私の方がかっこいいから、嫌なのか? 自分がリードしたいのか?
「分かったよ。次はハンカチで拭ってやろう。この前の晩餐で、竜王様の唇にクリームがついてるときに、王妃様はハンカチで拭ってあげてたからな」
「そうか。そうしてくれ。でも、二人きりのときは指の方が嬉しいな」
――は? めんどくさい奴だな。仕方ない。合わせてやるか。
「そうか。分かったよ。じゃあ、私はこれで。貴賓室に戻って寝るよ。見送りありがとう」
階段を上り終わり三階についたので、私は皇太子と別れようとした。
すると、皇太子が急に私を抱きしめた。
「もう行くのか?」
――当たり前だろ。今日は疲れたから早く寝たい。
「また明日会えるだろ。おやすみ、ルビー」
私が微笑むと、皇太子は顔を近づけてきた。
口づけられる。そう理解した。
――ちょっと、キスの仕方が下手だな。もう少し余韻が欲しい。
私は自分から顔を近づけて、唇を重ねた。
皇太子の頬に右手を添えると、舌を差し入れた。
彼の熱い息が私の口の中に流れ込んできた。
ある程度楽しむと、唇を離した。漏れた吐息が重なった。
「それじゃ、また明日。あっ、ネクタイが少しズレたな」
私はルビーのネクタイを直してあげた。そして、もう一度微笑むと、踵を返した。
私は振り返らなかった。だから、回廊の角を曲がるまで、皇太子が私をずっと見つめていたことに気づかなかった。
ただ、彼の瞳がぼうっとしていたことには、気づいていた。
◇◇◇
「ヴァンパイアの魔王様! 大変です! エンナ=ファル=ワルシャワ卿がドラゴン皇太子から銀薔薇で真剣交際を申し込まれたそうです! 皇太子妃の座は確定です!」
執務室で書類仕事をしていると、側近の一人が駆けこんで来た。
「なんだって!? 一つの家から二人も妃が出るのか!?」
ワルシャワ家は何人もの宰相を輩出した権門。序列一位の公爵家だ。それが、竜王家と姻戚になる。
その重さを俺は即座に理解した。
「なんてことだ! 宰相ポジションでは飽きたらずに、娘たちまで婚姻戦略か!? どれだけ強くなったら気が済むんだ!?」
俺は執務机を思いっきり叩いた。
――くそっ! こんなことならチェーザマリーを人間界に追い出さなきゃ良かった!
チェーザマリーと色使いのリトは人間界で出会った。ただでさえ名門のワルシャワが、権門ユリジェンヌとの繋がりまで作ってしまったのだ。
しかも、チェーザマリーは人間界でのノウハウを生かして部下を支援していた。部下たちが立ち上げた三つのブランド、フラシェル・フクシェル・ヘアシェルはあいつが買収した。
結果、宰相に復帰したチェーザマリーは、財力と影響力を増した。
その上、次女と三女は竜王家と婚姻。息子はユリジェンヌ侯爵。長女は次期ワルシャワ公爵とは。
笑えない話だ。権力の女神がワルシャワ公爵家に微笑んでいるとしか思えない。
「くっそ! ワルシャワだけが力を持ちすぎだろ! 俺の権威を脅かす気か?」
「魔王様、ですが四女のマキュナだけは伯爵夫人ですよ。他兄妹に比べればしょぼいです」
「……どこがしょぼいんだ? その伯爵が悪魔の魔王様と悪魔の公侯爵家から重用されてる書聖なんだが?」
「……失礼しました」
「あー! 宰相チェーザマリーは将来的にエンナ王妃の父親。エンナが後継者を産めば、竜王の祖父になる! 俺ですらあいつに気を使わないといけなくなる! だが結婚するなとは言えん!」
「……それはそうです」
「しかも、長女アヤナと息子ギョクリンはまだ未婚だ! あいつらの結婚相手は誰だ! 子ども多すぎだろ!」
「リト公爵夫人は化け猫ですからね。猫が多胎妊娠は珍しくありません」
俺は盛大なため息をついた。
「今のワルシャワの権勢を削ぐのは無理だ。ひとまず様子見だ! チャンスがあれば少しでも力を削ってやるからな!」
このときの俺は知らなかった。
さらに、ワルシャワ家の子どもが増えるなんて。
◇◇◇
「マスター! こんにちは!」
私が元気よくマスターに挨拶すると、マスター――アルフィス=デ=ゴスメーデは優しい眼差しを向けてくれた。
「いらっしゃいませ、マキュナ。今日はお団子ヘアなんですか。可愛いですね」
「うん! お母さまの侍女のアトリが結ってくれたの! お母さま、私、可愛い?」
私は隣に立つお母さまを見上げた。
お母さまは私の頭を撫でてくれた。
「可愛いわよ! マキュナは綺麗な髪をしてるわ!」
私の名前はマキュナ=ファル=ワルシャワ。ワルシャワ公爵家の末っ子だ。
お母さま譲りのダークブラウンの髪と瞳を持っている。顔もお母さまそっくりだ。
今日はお母さまと一緒に人間界に来ていた。目的地はここ、バー・ゴスメーデ。
マスターは悪魔の国の序列一位公爵家の後継者だ。
元宰相であり、バーテンダーであり、悪魔の魔王様の十四番目の夫という異常な肩書の持ち主だ。
開店したばかりの店内には、お客さんが一人しかいなかった。その男性は四人掛けのテーブル席に一人で座っていた。
――ゴスメーデのお客さんには挨拶するように、お母さまから言われてるし! ちゃんと挨拶しなきゃ!
私は男性の側に近寄ると、スカートの裾をつまんで挨拶した。
「はじめまして! マキュナ=ファル=ワルシャワと申します!」
男性はクラッカーに伸ばしかけた手を止めて、私をまじまじと見つめた。
その視線は鋭い。
――綺麗な髪と瞳だな……。
彼は赤銅色の髪と、銀色の瞳を持つ美男だった。
私は数秒間、彼に見惚れた。
「お前、いくつだ?」
「私ですか? 七歳です!」
「七歳!? なのに、気配を消した俺が分かるだと!?」
男性は仰け反った後、椅子から立ち上がった。そして、しゃがみ込んで私と目線を合わせた。
「はじめまして。俺はグリフィンの国のハノン=オン=カノン公爵だ」
――カノン!? グリフィンの序列一位公爵家だわ!
「俺は話すことが嫌いでね。気配消しの魔術で存在を消していた。ゴスメーデでは客同士が仲良く喋るからね。すまないが、俺のことは無視してくれないか? 常連は全員、俺を無視してくれるんだ」
私が頷くと、お母さまが側に来てカノン公爵に頭を下げた。
「娘に挨拶しなさいと言い聞かせたのは私です! すみません!」
「いえいえ。俺が変わってるだけですよ。礼儀正しくて、素晴らしい後継者をお持ちじゃないですか。魔法の才能もありそうだ」
カノン公爵は柔らかく笑った。
「あの……。私はワルシャワ公爵にはなりません。争いは嫌いだし……。他にやりたいことがあるんです」
「そうなのか!? もったいないな」
カノン公爵はぎょっとした顔をしたが、優しく笑いかけてくれた。
「俺がいることを見破ったご褒美に、好きなジュースを奢ってあげよう」
「ほんと!? いいんですか!?」
「ああ。特別大サービスだ。好きなだけ飲みなさい」
「まあそんな……。いいんですか?」
お母さまが恐縮した顔で聞くと、カノン公爵は笑顔で頷いた。
「もちろんですよ。バーでは可愛いレディにグラスをプレゼントすることは珍しくありませんし」
「お母さま! 私、レディだって! カノン公爵! ありがとうございます!」
「良かったわね。マキュナ!」




