ep.109 黒い結婚
審判が声を上げると、まずは皇太子が斬りかかってきた。
剣と剣がぶつかる度に、閃光が走り、水飛沫が飛んだ。
氷剣は水の魔法を仕込むと、相手の剣だけ滑りやすくすることができる。刃と刃がぶつかり合ったときに、狙った角度から刃がずれてしまうのだ。
私は何度も皇太子の剣を振り払い、間合いを詰めた。
しかし、皇太子も強かった。光で視界を撹乱させ、一瞬の隙を逃すまいとしてくる。
剣を交わす。攻撃を全身で躱す。足を薙ぎ払おうとすれば、相手もそれを読んでくる。
そうして五分ほどが経った。
――今だ!
一瞬の隙を見つけ、氷剣に魔力を集中させる。
私は光の剣めがけて、氷剣を思い切り振り抜いた。
――カキィン……。
鋭い音とともに、光の剣身が折れた。
皇太子は目を見開いた。その隙を逃さずに、皇太子の喉元すれすれに剣をつきつけた。
「私の勝ちだ!」
私は笑った。達成感で、自然に溢れた笑みだった。
皇太子は口を開けて固まった。そして、一瞬の間の後、嬉しそうに笑った。
「私の負けだよ……。エンナ=ファル=ワルシャワの勝ちだ」
観客たちから歓声が上がった。
「キャー! エンナ卿、流石です!」
「かっこいい!」
「良い試合でした!」
会場が拍手で沸くと、私は剣の切っ先を皇太子の喉元から離した。
詠唱して剣を消すと、お互いに向き合って一礼した。
――よっしゃ! 勝った!
普通なら皇太子には、遠慮して勝ちを譲る。しかし、私は国一番の剣の腕前を誇る公爵令嬢。敗北は恥というものだ。
顔を上げた瞬間、レディたちが駆け寄ってきて、私は囲まれた。
「エンナ卿! 鮮やかな剣さばきでしたわ!」
「私、まだ胸がドキドキしてます!」
「次は剣舞を見せてください!」
「もちろんだよ」
爽やかに笑うと、私はすぐに舞い始めた。
舞い終わると、会場は再び拍手に包まれた。
「エンナ卿! プロポーズしてくれませんか!」
「次は私に!」
「ちょっと! 次は私よ!」
「皆さん、落ちついて。順番に並んでください」
レディたちはきゃあきゃあ騒ぎながら、長蛇の列を作った。
剣舞とレディに気を取られ、このときは気づかなかったのだ。
皇太子が熱を孕んだ眼差しで、遠くから私を見つめていたことに。
◇◇◇
剣が折れた瞬間、思考が停止した。
――馬鹿な! 光剣が折れるだと!?
直後、はっとした。喉元に剣を突きつけられたからだ。
「私の勝ちだ!」
エンナ卿は笑った。達成感に満ちた、弾けるような笑みだった。
私は目を見開いた。
――なんて魅力的な女性なんだ……。
その笑顔に、心臓が止まるかと思った。
――私に勝つなんて……。
ほとんどの魔族は、私に遠慮して勝ちを譲る。だが、彼女は一切譲らなかった。
そのターコイズブルーの瞳は、勝利だけを望んでいた。
視界の観客たちが、白黒の背景になった。彼女だけが、光り輝いていた。
剣を消し、礼をすると、彼女に話しかけようとした。だが、できなかった。
レディたちが彼女を取り囲んだからだ。
エンナ卿は可愛いものでも見るかのようにレディたちを見つめ、甘く微笑んだ。
――なんて魅惑的な笑顔なんだ……。
彼女の瞳には、敗者の私はすでに映っていなかった。
「次は剣舞を見せてください!」
「もちろんだよ」
令嬢に頼まれると、エンナ卿は爽やかに笑った。その笑顔に、私はまたくらりときた。
エンナ卿はすぐに舞い始めた。彼女の舞に、私は釘付けになった。
――ほんとに女が舞っているのか!?
彼女の気迫と力強い舞は、男性が舞っているかのようだった。それなのに、女性的なしなやかさまで兼ね備えている。
――こんなに美しい舞いは……まるでシェルバ公爵だ……。
シェルバ公爵は、精霊大会舞の部で不動の連勝記録を誇る男だ。
――この若さで、この完成度とは……。まるで、女王のようだ……。
舞が終わると、夢中で拍手をした。そして、もう一度彼女に話しかけようとした。
しかし、できなかった。レディたちがエンナ卿にプロポーズごっこを頼み、長蛇の列を作ったからだ。
並んでいないレディは、三人しかいなかった。
――皇太子の私が、話しかけることができないなんて……。
いつもは、話しかけられる側だ。誰もが私と話したがり、女たちは皇太子妃の座に憧れを抱く。
しかし、今日この場のレディたちはエンナ卿しか見ていない。エンナ卿の視界には、私なんて存在していない。
――なんてかっこいいんだ……。彼女が欲しい!
私は胸を押さえた。鼓動が速くなっているのが分かった。
どうやって私の女にしようか。皇太子だから告白すれば承諾してくれるだろう。告白のセリフは何にしようか。ワルシャワ家にも手を回さなくては。
そんなことを高速で考えながら、ただ、彼女だけを見つめていた。
父上が話しかけてくるまで、彼女がレディに跪き甘いセリフを囁く姿に、魅入っていた。
◇◇◇
パーティーの翌日。私は王城の貴賓室で寛いでいた。
ルージュナが王城の一等貴賓室を、私の滞在部屋にしてくれたのだ。
ゆったり読書を楽しんでいると、部屋に皇太子のメッセンジャーがやってきた。
「皇太子からの呼び出し? 要件はなんだ?」
問い返すと、メッセンジャーは意味深な笑みを浮かべた。
「私には分かりかねます。十七時に赤薔薇庭園の東屋にいらして欲しいそうです」
――私は今日の十八時に馬車で帰国する予定なんだが……。出発を遅らせるしかないか。薔薇園でなんの用だ?
「そうか。では、十七時に伺うと伝えてくれ」
◇◇◇
十分前に赤薔薇庭園に行くと、すでに東屋に皇太子がいた。
彼は薔薇の花束を持っていた。その薔薇の色を見て、私はぎょっとした。
――おいおい。銀薔薇じゃないか!?
銀薔薇の花束は、竜王家の男性が求婚するときに差し出すものだ。
私は呼び出された意味を瞬時に理解した。
皇太子は私に気づくと嬉しそうに笑い、歩み寄って来た。そして、私の足元に跪いた。
「エンナ=ファル=ワルシャワ。好きです。私と結婚を前提に付き合ってください」
――どういう展開!? なんで私と結婚したい? ワルシャワ家の力が目的か?
「あなたの笑顔と、しなやかで迫力ある舞と、剣士としての魂に惚れました。受け取ってください」
皇太子は笑顔で花束を差し出した。
――いきなりすぎる。受けてもいいが、ちょっと考える時間が欲しいな。
そのとき、私は急に悪魔の魔王様の言葉を思い出した。
――魔王様は、恋愛では追わせると良いって言ってたな。すんなり手に入る女はつまんないって。私がすぐに花束を受け取ったら、その他大勢の女と一緒だな。
私は微笑みを作った。
「一週間、考えさせてくれませんか? 七日以内に、必ずお返事します」
皇太子はぎょっとした顔をした。返事を保留されたことが信じられないみたいだった。
――さて。馬車の中で、今後のことを考えるとするか。
◇◇◇
馬車に揺られながら、私は真剣に考えていた。
――皇太子は美形だが、あんまりタイプじゃないんだよな。
私はブロンドヘアより、黒髪が好きだ。ルビーのような輝く赤い瞳より、母のようなブラウンの瞳に憧れる。
――まあ、外見はどうでもいいか。私がイケメンだからな。自分の顔を鏡で見ればいい話だ。それより、皇太子妃と王妃の座が問題だな。
今日まで、剣道に打ち込んできた。剣舞の腕を磨いた。社交界では中心になった。大量の人脈と人気を築き上げた。
それらは自分のためでもあるし、公爵になるためだった。
――皇太子は、あと三年で竜王に即位する予定だったな。なら、私はすぐに王妃だ。
王妃。魅力的な響きだ。女の最高峰の地位だ。
私は今まで、公爵の座を渇望していた。公爵家に生まれたからには、その席に座りたかった。
その肩書が、さらに私を輝かしいものにしてくれると信じていた。
けれど、公爵より高い地位を提示された。王妃なら、国家を動かせる。時と場合にもよるが、公爵よりも、権限と影響力は上だ。
――王妃になろうかな。そしたら、公爵になる必要ないな。
私は自分を高めたい。そのために公爵になりたかった。だが、王妃になれるなら公爵の地位は不要だ。
――アヤナにとっても良いんじゃないか?
私たちは仲の良い姉妹だが、ライバルだ。私が競争から降りれば、アヤナは公爵になれる。
アヤナは努力家だし、才能に溢れている。姉の望みを叶えてやりたい。
――王妃になった私と公爵アヤナが協力すれば、ワルシャワ家はさらに栄える。ギョクリンもユリジェンヌ侯爵になるし。ルージュナはスター女優。マキュナも加われば、ワルシャワは最強だ! よし、結婚しよう!
自分の決定に満足して、自然と笑みが溢れた。
――皇太子に恋愛感情はないが、別にいいか。それより、地位とワルシャワだな。
あれだけ才覚に溢れた男ならいいではないか。皇太子より良い男もそうそういるまい。これは条件の良い縁談だ。
――私は運に恵まれてるな。これで姉妹で争わずに済むし、両親も喜ぶだろう。
ドラゴンの王城にはルージュナだっている。今までは離れて暮らしていたが、話す機会も増えるだろう。結婚したら、退屈しなさそうだ。
――剣の道は好きだから続けるか。騎士団は抜けることなって寂しいが……。毎日鍛錬し続ければ、私はずっと騎士でいられる。
これからは、皇太子妃の政務や王妃の仕事にチャレンジしてみよう。
――新しいことに挑戦するのは、なかなか楽しいからな。
なにより、ジュエルドラゴンは血みどろの爵位継承争いと王位継承戦を繰り返す一族だ。
――面白い。権力のシーソーゲームの中心になってやる。生き残ってやるし、王妃として権力争いの舵を握ってやる。
私はにやりと笑った。




