ep.104 あなたがいたから、女優として覚醒できた
◇◇◇
暗い顔で馬車に戻ると、タンザナイト前侯爵がすぐに異変に気づいた。
「台本はどうした? なんで手ぶらなんだ?」
私は正直に先ほどの出来事打ち明けた。すると、タンザナイト前侯爵は厳しい声で言った。
「ルージュナは、カイシャに言われたことを忘れたのか? 演技力で黙らせろと言われただろう?」
私が俯くと、タンザナイト前侯爵はさらに厳しい声で言った。
「そう言うことを言う奴がいるということは、君の実力がまだ不十分ということだ」
「ちょっとあなた、厳しすぎるわよ」
アキシナイト前侯爵夫人がたしなめたが、彼は軽く無視して続けた。
「演技の世界は厳しいよ。君は批判に負けて、台本を置いてきた。その分、帰って復習ができなくなる。それではいけない。もう一度取りに行きなさい」
「ええ!?」
アキシナイト前侯爵夫人は驚いて声を上げた。
私はじっとタンザナイト前侯爵を見つめた。
「君は才能がある。もっと伸びるよ。また素晴らしい演技を見せてくれ」
優しい笑顔を向けられて、私の瞳から涙が溢れた。
――タンザナイト前侯爵は、私のことを愛してくれてるわ……。本当に、私のことを考えてくれてるんだ……。
「はい! 取ってきます! あと、演技力を磨きます! コネなんて言わせませんから!」
◇◇◇
"黒い月と冠"の公演が終わると、今度は別の役にチャレンジした。
今度は、きちんと選定オーディションを受けた。
結果は合格。それでも「どうせコネ」だと陰でコソコソ言う者たちはいた。それでも、もう気にしないことにした。
「いいか? 楽に役が取れるならな、遠慮しないでもらえ。ただし、ふさわしい実力をつけろ! やるなら主役を目指せ! お前が主役じゃないとおかしいと全員に分からせる演技をしろ! コネ扱いされたら演技力で黙らせろ!」
カイシャ先生の言葉を、私は胸に刻んだ。タンザナイト前侯爵に演技を観てもらえることもモチベーションになった。
オーディションを受けて役を獲得し、公演が終わるとまたオーディションを受ける。週一回は竜王様に会いに行く。
そんな日々を過ごしている内に、私は十八歳になっていた。
その頃には、何度も主役を演じる公爵令嬢として、私は一躍有名になっていた。
「ルージュナ=ファル=ワルシャワは美しいし、演技が抜群に上手い!」
「オーディションで落ちたことがないらしい」
「貴族なのに、平民と握手してくれる!」
公演が終わってホールに行くと、私はお客さんたちに囲まれた。一人一人と握手すると、皆が喜んでくれた。まだ若いのに、ファンまでできてしまった。
稽古に打ち込むあまり、貴族令嬢なのに社交界にはまったく行かなくなっていた。それでも、充実した日々を送っていた。
しかし、不幸は突然訪れた。
タンザナイト前侯爵が心臓発作で亡くなったのだ。
◇◇◇
葬儀に参加すると、人目をはばからずに大泣きした。
――死なないで! もっと一緒にいて!
願っても、タンザナイト前侯爵は棺の中に横たわっているだけだった。
葬儀が終わると、私は部屋に引きこもってしまった。頭がぼんやりして、何もやる気が起きなかった。
しかし、引きこもって三日目に、カイシャ先生とタスラン先生とラミラン先生がマルベリー邸を訪ねて来た。
「悲しいのは分かる。友人が死んで私たちも悲しい。だが、役者なら悲しくても舞台の上では笑わなくてはいけない!」
「泣き暮らしてたら、タンザナイト前侯爵が悲しむぞ」
「ルージュナは"涙天女"の主役だろ! 稽古を休み続ければ、代役に役を取られるぞ!」
三人に叱責されて私が俯くと、ラミラン先生はぐっと優しい声で言った。
「冥界で、タンザナイト前侯爵はルージュナの演技を見続けてくれるよ。彼のために、演じるんだ」
その言葉に、私の目から涙が溢れ出した。
◇◇◇
涙天女は悲恋の話だ。
主人公は天女と人間の青年サビト。二人は恋に落ち、身分違いの恋故に天帝から大反対に合う。
しかし、愛の力で二人は結婚する。幸せな日々を過ごすが、結婚から三十年が経ち、かつて青年だった夫は病で亡くなる。
天女は棺に縋って号泣するというストーリーだ。
「今回は演技に感情を乗せるんだ! 観客を泣かせろ!」
「はい! ラミラン先生!」
演技をするときは、タンザナイト前侯爵を思い浮かべた。恋人ではないが、大切な家族だからだ。
猛特訓の日々を過ごすうちに、あっという間に公演初日になった。
◇◇◇
「どうして……私を残して逝ってしまったのですか?」
私は震える声を絞りだした。
目の前には黒い棺があった。それを、タンザナイト前侯爵の棺だと思うことにした。
その瞬間、葬儀の光景を思い出して、涙が溢れ出した。
「私は天女です! あと千年は生きます! あなたのいない千年なんて耐えられない!」
――タンザナイト前侯爵を失って、あと千年生きるなんて無理よ!
私は棺に縋った。
「わああああ! 行かないで! 行かないで! 側にいて! あなたの笑顔が見たい! 笑いかけて、私を抱きしめて! サビト! 愛してるの! 行かないでー!」
私の絶叫が演劇ホールに響き渡った。
観客たちが呼吸を止め、見入っているのが分かった。
「愛してる! あなたのいない世界なんていらない! あああー!」
自分でも、信じられないような金切り声が出た。
タンザナイト侯爵を思い浮かべるだけで、涙がとめどなく溢れて、棺にいくつも染みを作った。
会場は静まり返っていた。
やがて、沢山のすすり泣きが聞こえてきた。
「サビト。あなたが死んでしまったなんて受け入れられない……」
私は小声で呟いた。その声は小さいのに、観客の耳に届いた。
そして、幕が下り始めた。
幕が下り切るまで、私は慟哭していた。
そこにいたのは、タンザナイト前侯爵を亡くしたルージュナだ。けれど私は、夫を亡くした天女そのものだった。
幕が下り切ると、割れんばかりの拍手が響いた。
観客は全員がスタンディングオベーション。
その拍手は、間違いなく私に向いていた。
涙天女は大人気を博し、私の名声は一気に高まった。評判が評判を呼び、チケットは完売。連日満員だった。
涙天女の公演の直後、もう誰も「あの子はコネだ」と言わなくなった。
タンザナイト前侯爵が、私を一段上まで押し上げてくれたのだ。
◇◇◇
――なんて美しいんだ……。この世のものとは思えない……。
舞台の上のルージュナは、風に乗り舞う天女のようだった。
風もないのに衣装の長い布がなびき、その動きは一切の体重を感じさせない。
目の前に天女がいる。そう、錯覚させた。
彼女はサビトと幸せそうに笑い合い、愛のセリフを囁いた。
その笑顔と、サビトを見つめる一途な眼差しに、俺はくらりときた。
他の役者は背景だった。俺はただ、ルージュナだけを見つめていた。
後半になると、世界は一気に変わった。
「愛してる! あなたのいない世界なんていらない! あああー!」
絶叫が響き渡り、俺は呼吸を忘れた。
幕が半分まで下りて、意識がようやく現実に戻ってきた。
即座に立ち上がると、拍手を送った。
アンコールで舞台に戻った彼女の顔は、達成感で輝いていた。
――なんて素敵な女性なんだ……。
あんなに小さかったのに。ただの可愛らしい少女だったのに。
――彼女が欲しい! あの輝くような笑顔を自分に向けて欲しい!
拍手が終わり、余韻に浸りながらぼーっとしていると、護衛騎士が俺に聞いた。
「第三王子様。久しぶりの演劇はいかがでした? 気晴らしになりましたか?」
「……すぐにマルベリー別邸とワルシャワ邸に花束を贈るぞ」
「……は?」
「まずは父上と兄上に相談だ。次にチェーザマリー公爵に相談するとしよう。実家に圧をかけた方が早い。公爵家に手紙を贈ったら、マルベリー別邸に行くぞ」
「えっと……。何の話でしょう?」
俺は騎士に笑顔を向けた。
「決まってるだろ。真剣交際のお申し込みさ」




