舞台。
舞台はどこか不思議な世界。
男性役も女性役もそれぞれ趣の異なった胡服。西方風な服装で。
特に女性役の服装は、腰のところに竹籠が入っているのかと思うほど、膨らみ、広がっている。
白い煉瓦の建物を模った背景に、男女の恋愛模様を歌を交えて演じている。
全員女性しかいない劇団なのだとは思えないほど、男性役の人は凛々しく、そして女性役の人は可憐だった。
主人公は商人の娘。高貴な家の妻になったが、夫からは「別れよう」と言われてしまう。
自分たちは望んで結婚したわけではないから、このまま夫婦でいるよりも別れて第二の人生を送ろう、と。
先代の主人が亡くなり、夫にとって、ある意味枷が外れたことが原因だった。
逆らえない主人公。
彼女は半ば諦め、離婚に向けて準備を始める、のだが……。
(どうなるのでしょう。にしても、ほんと男役の人も女役の人もみんな綺麗……)
すっかり魅入ってしまった小凛。
(でも、政略結婚、っていうのですか……。好きでもない人との、家同士の約束での結婚……。って、逆に言えば好きな人と結ばれるのなら、別れるのも悪くないのかもしれません……)
主人公の名は「マリエル」夫の名は「ジュリウス」
(西方にはよくある名前なのでしょうか。金色のふわふわな髪は、花蓉様に似ているかな……)
やがて場面が変わって、マリエルが明るく元気いっぱいに働く食堂のシーン。
高貴な家の妻であったマリエルは、実家の商売も手伝っていて、こうして食堂で女主人として生き生きと働いていた。
(うん、こちらの彼女の方が、好きだな……。籠の鳥から逃れてお仕事に精を出す、だなんて、私のショウリンみたいだ……)
するとそこに。
なんと変装したジュリウスが客としてやってきて……。
(え!? これって……)
マリエルとジュリウスは、お互いを妻、夫と気が付かないまま、惹かれあっていく……。
そこで幕間となった。
一旦休憩を挟む。
舞台の幕が一旦降りたところで、広間に灯りが灯った。
人々が席を立つ。今の内に浄房へとゆくものが多いのだろう。
花蓉も、すっと席を立った。
女官たちも一緒に立って、花蓉の後をついていく。
「私も。行ってきますね」
「ああ」
すっと立ち上がり、背後の入り口に向かう。
この最上段と上級妃の席だけは通常の通路ではなく貴賓席用の通路につながっている。
そちらの浄房であれば、大勢の女官で混雑することもない。
(今日は、顔をつなぐだけで、いいから……)
いきなり本質的なことを聞くわけにもいかない。
流石に、失礼に当たる。
それは避けたかった。
(だから、今日は……)
当たり障りのない挨拶から入ろう。
そう思いつつ、花蓉の後を追った。
廊下に出ると、複数の鋭い視線にさらされた。
流石に、不浄の場にまで妃と共に入るわけではないお付きの女官たちが、一斉に小凛を値踏みするような瞳で見ていたのだ。
(知らない顔、知らない顔。うん。前だけ見て‥‥)
関わっちゃいけない。今は龍月皇太子のお付きの女官っていう立場なんだから、表立って悪いことをされたりはしない。
隙を見せない限り、乗り切れるはず……。
そう心を強く持って、前をしっかり見て歩いて行った。
「皇太子付きの女官だっていうからどんな娘かと思ったら、ちんちくりんの子供ね」
「あれなら、無害認定、かしら」
「でも、皇太子殿下の好みがもしそうなんだったら?」
「ありえないわ、あー私も皇太子付きになりたい」
「バカね、なれるものならここにいるみんななりたいわよ」
「おそばにいてお手付きにでもなれれば、いずれ妃に、ですもんね」
「まあ、年頃の女官はおそばに置かないって話聞いたわわたし」
「そうね、その辺はお堅いもの。なかなかお顔を拝見できる機会もなかったし」
「ああでも、なんて麗しいお方なのかしら…‥」
「私、今夜ここにこれてよかった‥‥」
小声ではあったけれど、そんな会話がいっぱい聞こえてくる。
なるべくすました顔を心がけつつ、浄房の入り口をくぐった。
手洗い場を抜けるといくつかの個室。
全て使用中なのを確認し、そのまま手洗いで手を洗う。
ここは上級妃や皇族が使用する前提の浄房だから、上水道から直接水を汲み上げてる蛇口だ。清らかな水で手を清めているうちに、心の平穏が戻ってくるのを感じて……。
「あら。そこのあなた――」
はっと気がつき振り返る。声をかけてきたのは花蓉妃。動揺も、驚きも、憎しみさえも、その表情からは判別できなかった、けれど――。
花蓉からは、ふんわりと薄く紫色の真那が漂っていた。
この世界には魔法がある。
龍の魔法は強力で、とてつも無いけれど。
普通の人間にだって多少の魔力はあるものだった。
人の心の奥底の魂は、この世界の根幹である真那の泡でできている。
そこに溜まった真那を魂の入り口から外に出し、世界に溢れる精霊
に与え、その権能を行使すること、それが魔法という奇跡だった。
そんな真那は、感情の色に染まりやすい。
小凛が最初に花蓉を見た時。彼女は真っ青な清らかな色をしていた。
でも、今はそこに、強い感情の赤が混ざっている。
薄い、ふんわりとした紫。
ふわっとした色で、強くは無い。けれど。
今、小凛を見るその花蓉からは、以前とは違う色が、確かに漂っていたのだった。
小凛は胸で両手を交差して、花蓉に頭を下げる。
「これは、花蓉妃殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
「あら、わたくしのこと、知っててくれたのね」
「それは、もう。花蓉妃殿下のことを知らないなどと、そのような女官はこの後宮にはいないでしょう」
「そう。ならよかった。わたくしこの間会った子に誰かわからないふうな態度されて、少し落ち込んでいたの。わかってくれてて嬉しいわ」
(え? 嫌味、ですか!!?)
思わず顔をあげ、花蓉妃の顔を見てしまった小凛。まさか、あの時の宦官だとバレている? まさか!?
名前を名乗ろうか、どうしようかと一瞬躊躇する。
花蓉妃には小凛の名を尋ねようとする気配が無い。
尋ねられてもいないのに、自分から名前を名乗るのも不躾か、そう戸惑って。
「それは、そのものはきっと花蓉さまのお顔を拝見することのない、下働きのものだったのでしょう。本来であったらお声をかけられることもない、そんな立場の者であれば、お顔を存じなくてもしょうがないかと」
「ふふ。あなた、なかなか聡いのね。あれだけの話からそこまで言い当てるだなんて」
「いえ……。恐れ多いです……」
「あなた、皇太子殿下のお付き、なのよね」
「はい。小凛と申します」
「もしよかったら、少しお話をしたいのだけれど……」
「皇太子殿下とでございますか?」
「ふふ、違うわ。わたくしあなたの興味があるの。今度花蓉宮に顔を出してもらうわけにはいかないかしら?」
(え!! でも、どうしよう)
花蓉の赤は、だんだんと深く青に浸透していく。
濃い赤紫に変容した彼女の真那。
「皇太子殿下にお伺いを立ててみます。できましたら、明晩皇太子名代としてであれば花蓉宮へ伺うことも可能かと」
「わかったわ。明日、待ってるわね」
一瞬の出来事だったから、周囲の女官に怪しまれることもなく会話を終わらせた花蓉妃は、スタスタと小凛の横を通って浄房から出ていった。
彼女の心の闇。そんなものを垣間見た気がした。
◇◇◇
「で、どうするんだ?」
「すみません。もう少しだけ『小凛」でいさせてください」
「そうだな。ならば今夜は玉后宮に部屋を用意させよう」
「ありがとうございます」
「俺が泊まるということにして、その隣にお前の寝所を用意させる」
ドキ!
ちょっとだけ心臓が跳ねる。
でも。
一人、姫巫宮に帰る訳にもいかない。
この格好で巫女宮から花蓉宮に赴くわけにいかないのだから。
「本当は部屋など一つでいいのだがな。妃ではなく女官ということになっているから、仕方ない」
(ダメダメダメ。隣の部屋でもドキドキするのに、ひとつ同じ部屋で寝るだなんて、むり!)
言葉を飲み込み、じっと龍月をにらむ。
「そんなに目を潤ませてこちらを見るな。我慢ができなくなるだろう」
「もう、唯月なんか知らない!」
「はは。からかってる訳じゃないんだがな。ほら、劇がもう終わりそうだぞ?」
ああ、いけない。途中からせっかくの歌劇が頭に入らなくなってしまっていた。
そう反省しつつ。舞台をみる。
妻のマリエルだと知らず愛を告白するジュリウス。
相手が夫のジュリウスだと気がつき、困惑するマリエル。
そして……。
ジュリウスの前から逃げ出してしまうマリエル。そのまま実家に戻ってしまい……。
好きだった相手が妻のマリエルだと気がついたジュリウスは、後悔しなんとかマリエルに帰ってきて欲しいと懇願するが――。
(このまま、元の夫婦に戻るのでしょうか……)
(でも、それではちょっと、納得もできない気も――)
ラストは。
◆◆◆
「君と別れたくない。なんとかやり直せないだろうか」
ジュリウスがそう切り出した。
マリエルは、心底驚いたといった顔でジュリウスをみる。
「どうして……。だって……」
そう、つぶやくマリエル。
「どうしてって。だって俺は君のことが好きなんだ。別れたくないに決まっているだろう?」
「でも、『わかれよう』そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。わたくしも、やっとそのあなたの言葉が正しかったのだと思うことができるようになったところだったのに。どうして今更そんなことおっしゃるの……」
泣き出しそうなマリエル。まだ幼い頃の面影の残るそんなかわいらしい顔が、くしゃくしゃっと歪む。
「ごめん。ほんとうにごめん。君がそんなに思い詰めるほど傷ついていた事に、俺は思い至っていなかった……。ほんとうに、ごめん。俺は、どうすればいい? どうしたら君に許してもらえるんだ……?」
最後は声がかすれ、吐き出すように。
さっきまで泣き出しそうだったマリエルはキョトンとしてジュリウスを覗き込む。
「許すも許さないもありません、わ。ごめんなさい。わたくしも、ずっと勘違いしておりました。ジュリウスさまは美しくて綺麗で貴族の中の貴族のような方で、わたくしの憧れでした。でも……」
覗き込む彼女の顔が、少し緩んだ。
「あなたも、同じ人間だったんだって。わたくしとおなじくらい、間違ったり後悔したりするんだって。わたくしのほうこそ、あなたを勝手に偶像化して恋に恋していたんだって」
「マリエル……」
「やりなおしましょう。さいしょから。きっとわたくしたちは最初の出会いから間違っていたんです。ですから、最初からやりなおしませんか?」
「それじゃぁ」
「お互いに、相手を知るところからはじめてみませんか? 幸い約束の離婚時期まであと半年ありますし……。その間に本当に最初っから関係をやり直してみましょ」
「半年、は、変わらないの?」
「それは。半年後に決めれば良いんじゃないでしょうか? もう一度ちゃんと夫婦として生きていけるのか。できないのか。それまで、白い結婚を継続しましょ?」
「でも、それって……」
「もちろん、わたくしは今はお仕事が楽しくてしょうがないので、それを諦めるつもりはありません。それでもよければ、ですわ。ジュリウスさまさえそれでよろしければ……」
いたずらっぽく微笑むマリエル。
◆◆◆
ここで舞台の幕が閉じた。
拍手が、鳴り響いてる。
(ああ。こんな生き方も、あるんだ……)
それが小凛の正直な気持ち、だった。




