玉后宮。
唯月について玉后宮を歩く。
輿がつけたのは正門では無く内務府の裏口であったから、小凛達はは後宮の女官たちの目にとまることなく、内務府を通ってこっそりと玉后宮に入ることができた。
そのまま。
まるでここにいて当たり前だとでもいわんばかりの堂々とした姿で玉后宮の紅い敷物の上を歩いて行く唯月。いや、今の彼は、龍月と言った方が正解だ。
小凛を籠の中から救いだしてくれたこの華の国の皇太子、華龍月。
たどり着いた場所は、龍帝陛下がおわします処。
後宮に於いて龍帝が寛ぐための御座所。
そこには華国皇帝、龍帝と、皇后、玉后天仙妃が仲睦まじくゆったりと腰掛けていた。
「お久しぶりでございます陛下。本日はご無理を聞いて頂きありがとうございます」
礼をしながらそう挨拶をする龍月。
「ああ、月。久しいね。忙しそうだね。たまにはこうやって顔をだしてくれると嬉しいよ」
黒に銀が混ざったような不思議な色を纏った陛下。
漆黒の黒、闇の黒とは全く違う、輝く黒。
美しい容姿は年齢を感じさせない。唯月と並んでも、父と子にはみえない。せいぜい兄と弟ぐらいの歳の差に見える。
「そちらの……、君が小凛だね」
「はい、陛下」
「無理言ってすまないね。君のおかげでこの後宮も清浄でいられている。感謝しているよ」
「……勿体無いお言葉です」
「今夜は……。あの子には申し訳ないことをした。どうか彼女に纏わる闇も、払ってあげてくれると嬉しい」
「闇、ですか?」
そこまでの闇は、みえなかった。
先日の浴場での邂逅では、彼女にそこまで闇があるようには視えなかったのに。
「ああ。大きな荷物を抱えさせてしまったからね……」
龍帝は龍神の血をひいている、神に最も近しい存在だから。
きっと、自分にも視えないものが見えるのかも、しれない。
(でも。大きな荷物って、なんだろう……)
違和感は、あった。
浴場で出会った時には考えないようにしていたけれど、そもそもなぜ花蓉妃はあんな時間にお風呂に入りにきたのか。
普通、だったら、自分の宮殿にある専用の浴室を使えば済む。
上水は各宮殿に引かれているから、それを湯あみに使うことだって、上級妃なら許されているのだから。
湯を沸かす燃料や、本来であれば飲料用である上水を贅沢に使うことも、上級妃であればこそ、許されているのだから……。
◇◇◇
「さあ、時間だ。行くぞ」
はっと現実に戻される。
(ああ、だめ。考え事に夢中になってた……)
「では陛下。我々は先に向かいます。父上も、母上と一緒にゆるりとお進みください」
「まあ。ゆえったら、わたくしのことも心配してくれるのね」
「お前の足を心配してくれているのだ。まあゆるりと歩こうか」
「はい。陛下。ゆっくり進みましょう」
皇后玉后妃は、若く見えても普通の人間らしく、龍のような体内の真那は視えない。
(足、お悪いのかな……)
唯月のお母様なのだ、若く見えてもそのお身体は年相応なのかもしれなくて。
「玉后陛下、私に、手当てをさせていただけないでしょうか?」
その言葉に、一瞬はっとしたお顔をされた玉后妃。
そのまま、ぱあっとほころんで。
「あら。そうね、あなたならもしかしたら……」
「ああ、頼むよ。私の気に当たると人の身体は儚くなりやすい。それでも玉は、私のそばを離れないでいてくれるのだ――」
小凛は一歩前に出て、玉后妃の足元にひざまづいた。
そのまま、ふわりと両手の手のひらで、足を包む。
ハラハラと、金色の粒子が溢れ出した。
その粒が、すーっと皇后の足に吸い込まれていって――。
「ありがとう。足が軽くなったわ」
そう微笑む玉后妃の笑顔が、小凛にはとても美しく思えた。
鮮やかな白が、玉后妃の周囲に溢れていた。
◇◇◇
歌劇の行われる大広間には、中央の舞台を囲むように観覧席が作られていた。
外に行くほどだんだんとせり上がっていく席は、一見すると一番舞台に近い席のほうが良い席に見える。
しかし、近すぎても舞台全体を観るには見にくく、ほどほどの距離の席が多くの女官には好まれた。
また、位の高いものはその安全面も考慮され、一番高い位置に特等席が設えられている。
皇帝の席は、一番高い一番後ろの席。
その下の段に、妃が並ぶ。
でもそれではせっかくの特等席が、舞台から離れてしまってよく見えないのではないか?
普通はそう思うだろう。
実はそこにも、この龍の国ならではの工夫がある。
龍の瞳と呼ばれる巨大なレンズが舞台の上空には浮かんでいるのだ。
龍神の魔法。
それは、舞台の様子を余すことなく拡大し、この大広間のどこにいても快適に鑑賞することができる、そんなカラクリ。
それは、皇帝の席からでも、手持ちの拡大鏡など使わなくても、舞台で演じる役者の顔までもがしっかりと判別できるほどだった。
「うむ。よくみえるな」
「はい。ここからなら会場全体が見渡せますね」
「お前のお目当ての妃も、すぐそこにいるな」
「はい。歌劇には幕間がありますから、その時にでもお声をかけたいと思います」
「そうだな」
「ふふ。そうしてると本当に皇太子様だって気がしますね」
「ふむ。普段と何か違うか?」
「だって――」
とっても素敵だもの。
そう言いかけて、言葉に詰まる。
っていうか、そんな言葉が自然に出そうになったことが、とても恥ずかしくて。
いたたまれない。
でも……。
龍月は、その艶やかな黒髪をひとまとめにし後ろに流し、その濃紺の瞳の奥には金色の光がみえる。
豪奢な紗の着物は、紫の生地がまるで宝石が散りばめてあるかのようにキラキラと輝いて。
ああ。この人は本当に、あの龍帝の血をひくお方なのだな、と。
そう思い知らされた。
家族のように大切だと、そう思ってはいたけれど。
本当の彼は、自分なんかには勿体無い。
そう思い知らされるようで、少し悲しかった。
◇◇◇
小凛は龍月の斜め後ろにある小さめの女官席にちょこんと座る。
やがて龍帝が玉后妃を伴って現れると、観客の視線が一斉にこちらを向いた。
龍月の隣に龍帝、そしてその隣に玉后。最後部の貴賓席は、その三人。
こっそり斜め後ろに座ってる小凛など、ただのモブの女官にしか見えないだろうから。
そうは思っても、大勢の人の視線は少し痛い。
ふっと。
花蓉と視線が合った。
そっと目を伏せるけれど、彼女はどうやら小凛の方を見ているみたいで。
(バレてないとは思うけど……)
あの時の湯殿で出会ったショウリンとじゃぁ、いまの小凛は違いすぎるから。
きっと、皇太子についている女官というのが珍しい、のかも。
そう考えることにした。




