陰干し。
「明日はね、花蓉宮で陰干しがおこなわれるんですって」
「陰干し?」
「宝物庫の宝物が湿気でだめになっちゃうといけないから、時々湿気取りをするのよ」
「じゃぁ小燕も忙しい?」
「そうなのよー。朝から準備があるからって、女官長の梅香様がピリピリしてるから困っちゃう」
雲ひとつない秋晴れの、心地よい風がふわりと舞う、そんな朝だった。
この調子では明日も同じように晴れるだろうと、そう予測されている。
上級妃にはそれぞれ独立した宮殿が与えられている。
当然、さまざまな贈り物や宝飾類がしまってある宝物庫があり、そしてそれらの宝飾品や絹、香木、そして玉飾りなどは全て、湿気に弱い。
季節の変わり目には湿気取りのための陰干しが必要だった。
(空調があれば、そんな心配も減るでしょうけど……)
魔法の空調があれば話は別だったろうに、と、小凛は独りごちる。
この世界に生まれ落ちる前、小凛は多分こことは違う世界にいた。
全てを覚えているわけではなかったけれど、この世界よりは随分と便利な世界であったことだけは覚えている。
(まあでも、倉庫にしまったままだとカビや埃の心配もあるものね。せっかくの宝物だもの。定期的にチェックしてあげるのは理にかなってるわ)
「でも花蓉宮って、宝物もすごそう」
「すごいよぉ……。あたしなんか触るだけで緊張しちゃう……」
肩を落とし、へんにゃりとする小燕。
「運んでる最中に落としでもたら、首になっちゃうよ……」
「それは……、怖いね……」
「怖いの!! もう怖くて怖くて考えると足とかガタガタ震えちゃうよ……」
しょんぼりとした姿の小燕に、小凛は慰めるように。
「でも、花蓉様は優しいんだって、言ってたよね」
「うん! そうなの!! 前に失敗した子のことだって、庇ってくれたって聞いたもの!」
「なら、大丈夫じゃないかな」
「でも……。梅香様は、怖いのよ……。鬼のようなお顔で怒られたら、あたし胸の動悸も止まっちゃいそうになるよ……」
「まあ、気をつけるしか、ないよねぇ」
「それはそうなんだけど……」
水場にふわっと爽やかな風が吹いた。
小燕も、その風に少し気分が和らいだのか、先ほどまでのしょんぼりとした顔に気合いを入れようと、パンと両手の手のひらで頬を挟むように叩く。
「ありがとうショウリン、愚痴を聞いてくれて。まあ、頑張るしかないもんね。そそ、明日は朝はここに来てる暇はないかもだから」
「うん。頑張って、小燕」
そういって、ふわっと微笑むと。
その顔に釣られ笑顔を見せる小燕。
(小燕の色が、爽やかな青色に染まった。もう大丈夫)
走り去る背中を眺めながら、少し安堵して。
(後宮はすぐに闇に染まるけど、小燕にはそんな闇とは無縁で過ごしてほしいな……)
そう願って。
◾️◾️◾️◾️◾️
華の後宮は美しい。
この世界の贅を尽くした宮殿に、さまざまな花が豪華絢爛咲き誇る庭園。
世界中から集められた宝飾品の数々。
そこに住まうものも、誰も彼も美しいものばかり。
妃はもちろん、女官や下女に至るまで、見目の良いものしかいなかったと言っても過言ではなかった。
だからこそ。
人の欲や嫉妬の感情が渦巻く。
感情は、闇となり。
闇の澱が、端々に溜まる。
そしてその澱は、いつしか次元の隙間を呼び寄せる。
闇には闇が、人には魔が。
命の芽吹きを蝕もうとしていたのだった。
その日は朝から慌ただしい空気に包まれていたけれど、表向きには静寂が支配していた。
花蓉宮の女たちは、みな静々と歩き、宝物庫から承香堂までの道をゆく。
梅香の指示のもと、みな無駄口も利かず、ただただ言われるまま宝物を運んでいた。
焚香を終えた承香堂にはすでにいくつもの衣桁が立てかけられ、敷物が敷かれ。
ぐるりと周囲の格子も扉も開け放ち、秋の爽やかな風を通している。
欄干伝いに、香木や反物、宝飾品、置物、書物、掛け軸などが次々に運びこまれていた。
衣桁に掛けられた天女が纏ったと噂される薄絹の羽衣。金糸の刺繍は華やかに揺れ、沈香と白檀の香りが漂っている。
そんな幻想的な静けさとは裏腹に、女官らの顔は緊張に固まっていた。
落としたら……。
傷つけたら……。
身の破滅だ――
まばゆい宝飾を運ぶものも、朱塗りの置物を運ぶものも、みな、自分が一体何を運んでいるのか、さえ、考えることもできなくなっていた。
「これを運んだのは誰ですか!!」
突然。
運ばれた宝物を確認していた梅香の、鋭い声が響き渡った。
「申し訳ありません……、それを運んだのはあたしです……」
一歩前に足を踏み出し、胸に両手を合わせ、恭順の姿勢で頭を垂れる小燕。
その顔は真っ青で、ブルブルと震えているのがわかる。
「そう、あなたなの。あなた、これが何かわかっていますか」
「いえ、あたしは言われるままに運んだだけで……」
「では聞き方を変えます。この箱の重さはどれくらいでしたか」
静かな言い回しで、そう聞く女官長梅香。
しかし、静かな分、余計に怒りがこもっているように聞こえるその声に、小燕は今にも腰を抜かしてしまいそうになっていた。
「え、と、重さ、で、ございますか……?」
何を聞かれているのか分からず口ごもる。
「運んできたのがあなただというなら、わかるでしょう! この桐の箱の重さですよ!!」
ああ、だめだ。もう、おしまい、だ……。梅香様を怒らせてしまった……。
小燕のセリフに痺れを切らしたのか、鋭くきつい声をあげる梅香。
「申し訳ございません、申し訳ございません、重さなどと、覚えておりません……。桐の箱だなぁとくらいにしか、覚えておりません……、申し訳ございません……」
耐えきれずしゃがみ込んでひれ伏す小燕。
涙がこぼれ、もうまともに話せそうにないのは誰が見ても明らかだった。
「ねえ。小燕。あなた、この箱に何が入っていたのか、知らずに運んだの?」
はっと顔をあげると、そこにいたのは花蓉妃だった。
「花蓉様! 申し訳ありません、この者が運んだ桐の箱から、宝物龍玉が紛失いたしましてございます」
「ええ、梅香。でもよく考えて。龍玉が収められたこの桐箱はかなりの重さがあったはずです。それをこんな小さな子が運んで、重さを覚えていないだなんてあり得るかしら?」
「ええ、ですから」
「そうね。この箱は、今ここにあるように最初から空だった、ということでしょう」
ざわざわと、女官たちの声が広がる。
「それでは済みません! 本日宝物庫の鍵を開け、そのままこちら承香堂まで宝物を運んだのです。普段、鍵は花蓉宮で厳重に管理しております。その中から目録にある宝物がなくなるなどと、ありえませんもの!」
「そうね。ねえ、小燕、あなた、この箱に書いてある文字は読めますか?」
「……申し訳ありません。あたしは文字は、苦手で……」
花蓉妃から話しかけられ驚いたせいか涙が止まった小燕。なんとか顔を挙げそれだけ答えると、また顔を伏せる。
「ということよ。梅香。この子はここに龍玉が入っていることさえ知らなかったのだわ。だからこれが本来重い箱だったということも、多分知らなかったのでしょう」
「しかし……」
「もし持ち出したものがいたとしても、あの大きさです。この短時間に遠くまで誰にも気がつかれずに運ぶのは難しいです。陰干しに一部のものを残し、残りの者で周囲を探してください。いいですね。まだ、騒ぎにはしたくありません」
「わかりました。では……」
梅香の指示で、女官たちはその仕事を割り振られていく。
残って陰干しの続きをする者。
花蓉宮の周囲、建物の中も含め捜索する者。
周りはみな疑心暗鬼になっていた。
“誰かが龍玉を持ち出した”と、そう思いつつもそれが誰かわからない。
捜索は数人が一組になるよう指示された。それもこれもみな、不審な動きをするものがいないかを監視するため。
そう思えた。




