願い。
「ふふふ。やっぱりあなたと話せてよかったわ」
花蓉の瞳が怪しく光る。
「一応、風の精霊に願って、周囲の空気に壁を作ってもらっていましたから。声は、漏れなかったはずです」
「ありがとうシャオリン。配慮、足りなかったわね、御免なさい。一応二人きりで話したいからって女官たちは下がらせていましたけど、聞き耳を立てている可能性はありますからね」
「私も。まさか花蓉様が姫巫女を話題に出すとは思わなかったのですけど、念のためにと風の結界を張らせてもらっていました」
「そんなこともできるのね。巫女っていう名は伊達じゃないわね」
「そういう家系でしたから……」
そういう家系。
一口で言って仕舞えばそういうことになるのだけれど、それでも小凛の場合は他の人とは少しだけ違っていた。
生まれた時から少しだけ、ほかの家族とも違っていた。
父や母でさえ感じはするけれど見ることはできない精霊たちを、しっかりと目で見ることができるのも。
他人の感情が乗った真那を見ることができるのも。
そして、思うままに精霊に意思を伝えることができることも。
それらは小凛だけの、チカラだった。
祈りを力に変える魔法は、もちろん環国の皇室のものであれば誰もが使えるわざではあったけれど、それでも、小凛以上に優れた者はいなかった。
もしかしたら。
これは別の世界からこちらの世界に生まれ変わった時に与えられた特性なのかも。
そうも思っているけれど、それは誰にも話した事はなかった。
なまじ力が人より強かったせいで、兄たちには疎まれた。
父が早くに逝ったあと、後を継ぎ皇となった長兄に、半ば追い出されるようにこの華国へと渡った小凛。
小凛に巫女のわざを教えてくれた母の巫天照も、皇の勅命には表立って逆らえなかった。
「ごめんね」と、涙で見送ってくれたのを、小凛は忘れることができずにいた。
ゆっくりと目を閉じ、そしてしっかりとその両目を見開いた花蓉。
「あれはね、本来の持ち主に返すべきだと、そう思ったのよ」
ボソッとそう語り始めた。
「わたくしがここに来た時、このお部屋の神棚に鎮座していたの。龍玉は。でも、ものすごい量の魔素を感じたから、ああ、これが叔母さまの命を蝕んだのね、とわかったわ。だから桐の箱に封印して、宝物庫にしまっておいたのよ」
毒。そうだ。龍月は確かにそう言っていた。
「でも、ある時、夢枕に叔母さんが現れてね。自分の御子が宝物庫にしまわれてしまっている、出してあげてって嘆くのよ……」
(御子? どういうことでしょうか……)
「何度も何度も夢に現れたわ、だからわたくし、あれを無くなったことにしたの。わたくしが誰かに命じて運んだのであれば、お父様に知られてしまう。でも、無くなった事にするのなら、お父様も諦めざるをえないから。そう思ったの」
「わたくしは、臆病だったのよ。表立って柳家を裏切ることはできない、そう思い込んでた。龍玉には柳家の悲願が託されていたのを知っていたからなおさらね」
「でも、あれは毒なのではないのですか……」
「そうよ。人にとっては毒。でも、龍帝となるには無くてはならない物なのよ」
だって。そう呟いて口を閉じる。
『龍帝となるには無くてはならない物なのよ』
この言葉を放った花蓉の顔が、残酷なほど綺麗で。
何かを悟った、そんな表情にも見えて。
小凛の目は、その花蓉の瞳に釘付けになった。
こちらを向いているのに、どこか遠くを見ているような。
青く、蒼く、碧く、揺れ動くけれどもどんどんと深く落ちてゆくような色を放っているその瞳に。
「わたくしには、龍の子を産む機会さえ与えられていないというのに、柳家の宿願だけがあの玉に篭っているのよ。そんなの、我慢できるわけないじゃない!」
先ほどまでの静かな声が、一瞬激しく昂った声に変わる。
きっと、これが彼女の本音、なのだろう。
話がとりとめなく聞こえていたのも、きっと彼女本人も、自分の気持ちをちゃんと言語化できていなかったのかもしれない。
そう思えて。
「花蓉さまは、龍玉を手放したかった、のですね」
「そう、ね。そう、なんだわ。本来の持ち主に返す、正当な持ち主がいるはずだ、だなんていうのも、後からつけた理由かもしれない……。叔母さんが産み損なった御子のことも、後付のいいわけかもしれない、わ……。わたくしはただ、あの龍玉をわたくしの手が届かないところにやってしまいたかった。捨ててしまいたかったのよ、全てを……」
濃紺の色、悲しみの色に染まって行く。
でも……。
「いいと、思います。捨ててしまっていいのだと、私はそう思いますよ」
ゆっくりとそう告げた小凛。
花蓉の胸に、ふんわりと橙色が浮かんで。
彼女の瞳から、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が溢れていった。
濃紺の悲しみが、その涙と共に洗い流されていくように見えて。
少しだけ、花蓉の心が溶けていく、そんな気がしていた。
「宝物庫から出してあげて、とある祠に隠したわ。あそこだったらきっと、そのうちあなたが見つけてくれるんじゃないかって、そう思ったの」
「私が、ですか?」
「ええ。姫巫宮に一番近い祠なのよ。姫巫女なら、あの龍玉の闇に気がついて、皇帝へと返してくれるかも、だなんて、勝手に妄想していたのよ」
「ごめんなさい、ぜんぜん気が付きませんでした……」
「ううん、あの祠は聖なる気配に満ちていますものね。闇もちょうど良い加減に隠されていたかもしれませんし」
「そうですね。あの祠はもともとこの後宮の闇を浄化するためにあそこに建てられたものだそうです。私もいつもお祈りしていました」
「ならきっと、龍玉の闇もかなり浄化されているかもですね。それに、わたくし運んでいるうちに感じたわ。あの龍玉には、本当に叔母さんと龍帝の御子の魂が宿ってる。だから、きっとそのうち産まれるわ」
え?
「龍が、産まれるのよ。だからお願い、あなたにしかあの子を頼める人はいないの。お願いよ」




